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政府主催の憲法記念式典は1952年5月の施行5周年が最後、独立後は実施しない意味

2024-05-05 22:17:15 | 憲法

 現行「日本国憲法」は、第1次吉田内閣が1947年5月3日に「施行」してから今年2024年5月3日で77周年を迎えた。ところで、第1次吉田内閣は1946年11月3日の「公布」に際して、皇居前広場において「憲法公布記念式典」を主催実施し、施行に際しても「憲法施行記念式典」を主催実施している。ちなみに、公布に際しては「君が代」斉唱がなされたが、施行日及び施行記念日には、憲法理念普及活動の一環として政府が設置した「憲法普及会」の選定した「憲法音頭」とともに、作詞・土岐善磨、作曲・信時潔(戦争中には「海行かば」を作曲した)の新憲法施行記念国民歌「われらの日本」を斉唱させた

 そして、第3次吉田内閣1952年5月3日には、「サンフランシスコ平和条約発効(4月28日)ならびに憲法施行5周年記念式典」を主催実施している。しかし奇妙な事に、第4次吉田内閣は翌年の1953年5月の憲法施行6周年記念式典の実施を取りやめた。新聞報道では、内閣審議室が「衆議院総選挙の直後でまだ特別国会が開かれていないので式典を催しても国会議員代表の参加を求められないから」とか「憲法の意義は国民の間に相当に理解されて来たから特別の行事をする必要は薄くなった」とか「今後は10周年、15周年という切りの良い時に大規模にやりたい」などと説明している。しかし、それ以後「政府主催」の記念式典を実施していない。つまり、政府は憲法施行記念式典を5周年までしか主催実施しなかったのである。「独立」を達成すると以後は、「憲法施行記念式典」を主催実施しなくなったのである。政府は、「独立」を達成さえすれば、新「憲法」施行を記念し、国民に新「憲法」を積極的に普及させていくという使命感責任放擲したという事なのである。政府にとって新「憲法」は、そのように位置づけられていたという事である。新「憲法」の制定は「本音」を隠した「建前」であったのだ。そしてその結果が今日の自公政権に見られる神聖天皇主権大日本帝国政府への回帰をめざす政治姿勢であり政策であり、今日の日本国民の置かれている社会情況に表れているのである。

(2024年5月2日投稿)

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