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長野県知事は時代錯誤、神聖天皇主権大日本帝国下官僚の価値観

2024-03-20 18:18:06 | 憲法

 阿部守一長野県知事が護国神社(松本市)の崇敬者会の会長になり、同神社の鳥居再建のための寄付を募る呼びかけ人として、それも宮司に次いで崇敬者総代として名を載せているため、これらの行為が憲法に定める「政教分離の原則」に違反するのではないかと問題となっている。

 県知事は「私人」として活動であるとか、「宗教活動をしている人は公職に就いてはいけないのか」「行政機関としての県や知事の活動とは一線を画しており、憲法に違反するものではない」などと述べている。

 「政教分離原則」については、憲法第20条には「信教の自由は何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」、同条3項には「国及びその機関は、宗教教育その他のいかなる宗教的活動もしてはならない」と定めているが、阿部県知事の行為はこれに抵触するものと考えてよい。

 阿部県知事の行為の基礎となっている認識は、神聖天皇主権大日本帝国政府国体としていた「国家神道体制」の下での県知事(政府が官僚から任命)の役職認識を深く帯びているものであると考えられる。護国神社とは、政府が靖国神社の地方分社として整備した各地の招魂社を1939年3月に護国神社と改称し、道府県あたり各1社を(内務大臣)指定護国神社としたものであり、府県社に準じた。それら護国神社は神聖天皇主権大日本帝国が崩壊した敗戦後も、国体継承の意志をもつ自民党系の為政者の意志により、国家神道を廃止する「政教分離原則」を現憲法に定める一方、靖国神社を頂点としたその分社としてそのまま遺されたのである。長野県護国神社はその一つである。また、神社の「崇敬者」は、帝国政府成立後「信徒」と呼ばれていたが、他の宗教の信者と紛らわしいとの理由で、1908年3月、法律第23号により、「信徒」を廃して「崇敬者」と呼ぶようにしたが、一般的には「崇敬者」を「氏子」と称するようになった。

 帝国政府内務省は明治末年から、地方制度を強化する一環として「氏子組織」を重視した。この神社中心主義は、神社を市町村ないし氏子組織の公共活動、産業、教育、思想の中心に置こうとするものであり、大正期には氏子組織の整備が全国的に進められた。氏子組織では氏子(崇敬者)総代を選出したが、府県社以下の神社では、農村や都市の経済力のある有力者が選出され、氏子総代は神職の人事に推薦の形で関係するなど、神社を翼賛する意味での関与を認められていた神社の活動を助けるとともに、神社の維持経営に経済的に尽力し、神徳の宣揚に努めるものとされた。また、神社の権威を背景に、氏子の思想統制と善導の役割を果たした。阿部長野県知事はこのような認識を強く有していると考えて良い。

 阿部県知事が「崇敬者」だという事は県護国神社の氏子である事を意味している。その上さらに「崇敬者会」の「会長」に就任したという事は、現在も健在な「国家神道体制」の「氏子総代」「崇敬者総代」に就任したという事であり、県知事としてその地位に就く事や寄付の呼びかけ人の代表を務めるという事は、現憲法の「政教分離原則」にあえて背く行為とみなすべきであり、それゆえ現憲法下の知事として不適格であり、辞めさせるべきである。

 現憲法の「政教分離原則」がなぜ定められたのかについて、明確な説明をしているのが、津地鎮祭訴訟控訴審判決(名古屋高裁)である。それは「我が国において政教分離の原則を正しく理解するためには、戦前戦中における神社神道と国家権力との結合がもたらした種々の弊害との関連で、これが憲法上明文化された事を想起しなければならない。…明治4(1871)年教部省はいわゆる三条教憲をもって、天皇崇拝と神社信仰を主軸とする近代天皇制の宗教的政治的思想の基本を示し国民を神道教化した。そして、同年政府は社格制度を確立して神社を系列化し、伊勢神宮を別として、官国弊社、府県社、郷社、村社及び無格社の五段階に定め、中央集権的に神社を再構成し、神社には公法人の地位を、神職には官公吏の地位を与えて他の宗教には認めない特権的地位を認めた」「戦前の国家神道の下における特殊な宗教事情に対する反省が、日本国憲法20条の政教分離主義の制定を自発的かつ積極的に支持する原因になっていると考えるべきであり、我が国における政教分離原則の特質は、まさに戦前、戦中の国家神道による思想的支配を憲法によって完全に払拭する事により、信教の自由を確立、保障した点にある」「過去の歴史において、…政治と宗教が対決した場面は枚挙にいとまがない。近くは先に述べたとおり、戦前における国家神道の下で、信教の自由が極度に侵害された歴史的事実を顧みると、信教の自由(無信仰の自由を含む)を完全に保障するために、政教分離がいかに重要であるか自ずから明らかである」「本件において、津市が地鎮祭を神社神道式で行ったところ、取り立てて非難したり、重大視するほどの問題でないとする考え方は、右に述べたような人権の本質、政教分離の憲法原則を理解しないものというべきである政教分離に対する軽微な侵害が、やがては思想・良心・信仰といった精神的自由に対する重大な侵害になる事を怖れなければならない」というものであり、原告住民側勝訴「違憲」。

 最高裁では、多数意見(10名)が「目的効果基準」を発明し、津市の地鎮祭主催と供物料支出を合憲としたが、その歴史認識は物足りないが「もとより、国家と宗教との関係には、それぞれの国の歴史的・社会的条件によって異なるものがある。我が国では、過去において、大日本帝国憲法に信教の自由を保障する規定(28条)を設けていたものの、その保障は『安寧秩序を妨げず、及び臣民たるの義務に背かざる限りに於て』という同条自体の制限を伴っていたばかりでなく、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、時として、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられた等の事もあって、旧憲法のもとにおける信教の自由の保障は不完全なものである事を免れなかった。……昭和21年11月3日公布された憲法は、明治維新以降国家と神道とが密接に結びつき前記のような種々の弊害を生じた事に鑑み、新たに信教の自由を無条件に保障する事とし、さらにその保障を一層確実なものとするため政教分離規定を設けるに至ったのである」としている。

 安倍守一長野県知事の行為主張は、この「政教分離原則」に対するあからさまな挑戦以外の何ものでもない

 ※1997年4月2日、愛媛県玉串料訴訟最高裁判決は、愛媛県が公費で靖国神社への玉串料支出に対して、「憲法違反」の判決を出した。

(2020年2月2日投稿)

 


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