ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

玉原高原を黄葉散策 1日目 ――― 天場を決めてから、玉原湿原をお散歩

2015年10月27日 | ハイキング/谷川連峰

2015/10/12  3連休も含めて、僕もS子も休みが続くので、紅葉の綺麗な山に行こうと、前から決めていました。第一候補は尾瀬だったのですが、ぜひ宿泊したいと思っていた渋沢温泉小屋が今年は営業休止していることを知り、来年以降にせざるを得ませんでした。
そこで浮上して来たのが玉原(たんばら)高原。尾瀬や谷川連峰に比べると標高も低いので、紅葉具合が少々心配ではありましたけれど、以前から幾度も行ってみたいと考えていた山域ですから、今回その偵察も兼ねて歩いておくことにしました。
なぜ玉原高原に関心があったかというと、沢登りに関しては玉原高原の北、藤原湖に注ぐ夜後沢を計画していたことがあったからです。玉原高原に突き上げますから。
さらに、雪山に関してですが以前、水上駅から高檜山1315.1mを経て奥利根スキー場へ歩いたことがあります。高檜山から尼ヶ禿山1466.0mに尾根が続いていることに気付き、いつかそのルートを歩いてみたいと思ったのです。さらに、鹿俣山1636.7mから獅子ヶ鼻山1875m、武尊山の剣ヶ峰山2020mへとつながっています。鹿俣山や剣ヶ峰山にはスキー場がありますから、下山も便利そうですし。

そんなことはともかく、今回初めて詳細に玉原高原へのアクセスを調べました。土日休日は玉原高原までのアクセスがあるのですが、平日はずうっと手前の迦葉山バス停までしか公共交通機関はないのですね。ですから、最終日は平日なので迦葉山バス停まで歩かなければなりません。


▲本当は終点のたんばらセンターハウスバス停で下車する予定でした。その周辺でテントを張れそうな場所を見つけるつもりでした。でも、バスが玉原高原に上がって来て、地形や森の様子を眺めるにつけ、ひとつ手前のたんばらラベンダーパークバス停で下車することに、急遽決めました。
と言うのも、このすぐ近くに森林キャンプ場があるからです。そして、キャンプ場の管理者へは前もって電話をして確認をとっておいたのです。このキャンプ場は7月と8月で営業終了です。営業期間中でなくてもテントを張っていいものか、確認したのです。どうやら回答は黙認しているとのこと。ただし、焚火だけは絶対にしないで欲しいと言われました。
写真中央のバスが僕たちが乗ってきたバスです。少し小さなバス。10:26ころ。


▲夏やスキーシーズンはこの駐車場も車で溢れるのでしょうね。10:26ころ。


▲さっそくキャンプ場へ向かいます。10:34ころ。


▲ペンション村が終わると、右へ入っていきました。10:42ころ。


▲道の両サイドにキャンプ場が広がっていました。登山道もキャンプ場の中を通っています。僕たちは左へ。10:45ころ。


▲広くて立派なテント舞台! そこに四半世紀以上使用継続中のゴアライトテントを張りました。そして、小休止後、出かけます。11:41ころ。


▲山道を辿っているのですが、途中でこんな場所も通過します。スキー場があるからです。11:50ころ。


▲頭上にはリフトも。11:54ころ。


▲沼田の名木百選・オオヤマザクラです。単に大きなヤマザクラだと思っていたのですが、オオヤマザクラという品種があるのですね。知りませんでした。ヤマザクラよりも花や葉が大きいのだそうです。花の色もヤマザクラよりも赤みが強いのだとか。国内でも寒い地方や標高の高い場所で自生しているようですね。12:02ころ。


▲コケが光に照らされて輝いていました。種類を調べてみましたが、難しいですね。名前は分かりません。12:07ころ。


▲この辺りは傾斜の乏しい地形です。沢の流れも水溜りのようで、この辺り全体が湿地になっている感じでした。12:11ころ。


▲ブナ平へ向かう登山道を分け、センターハウスに着きました。車はたくさん泊まっていますけれど、センターハウスは閉まっています。しかも、「レストラン玉原」も営業終了とのこと。出かける前の調査では夕方5時まで営業していることになっていたのに! 軽くお店でランチでも食べようと思っていたのに! 12:25ころ。

問題は今日のランチだけにとどまりません。今回の食糧計画の一端をこのレストランにも頼っていたのです。ここで軽く食事をしたり、お土産コーナーでちょっとした酒のつまみや地酒などが購入できると信じていたのですから。その分、軽い食糧で来たのですから。


▲水はどこにでもあるのですが、この湧き水にいちばん期待していました。この施設は入山者からの募金によって作られたのだそうです。冷たくて美味しい水です。12:40ころ。


▲道路脇に自然環境センターが出て来ました。そのすぐそばに玉原湿原への入り口があります。12:51ころ。


▲林に囲まれた小さな湿原が現われました。12:56ころ。


▲反時計回りに歩くことにしいました。一周30分かかるそうです。12:57ころ。


▲草紅葉が綺麗です。12:58ころ。


▲反対側ではいったん湿原から離れ、森の中へ入ります。そして、再び湿原のへりを回りながら元に戻って来ます。13:11ころ。


▲小さな赤とんぼがいました。2~3cmしかありません。名前を調べようとしましたが、分かりませんでした。13:12ころ。

その後もネットで調べていました。どうやらマユタテアカネのオスのようです。これが一番似ていると思われます。


▲玉原湿原はヌマガヤなどが多く生える中間湿原なのだそうです。中間湿原とは、僕は初めて聞く名称なのですが、釧路湿原などのような低層湿原と尾瀬ヶ原の高層湿原などとの中間的な位置づけのようです。この湿原は6000年前から存在していることが分かっているらしく、僕の感覚では比較的新しい湿原なのでしょうね。ただ、第二次世界大戦中に排水路が掘られ、戦後には中央部分に木道が設置されたのだそうです。その影響で乾燥化が進んでしまったのだとか。その後、復元の努力がなされましたが、一度壊れた自然はなかなか元には戻りません。13:15ころ。


▲さきほど確認してあった「ぶなのわきみず」で水を汲みました。全部で4.5リットルくらいでしょう。13:28ころ。


▲ヨメナなのかノコンギクなのか、幾つか調べたのですが、名前が分かりません。可憐な花です。13:40ころ。


▲今朝はキャンプ場からセンターハウスまでは山道を通りましたから、帰りは車道を通ってみようと思います。その前に、センターハウス前の中心広場に寄りました。この広場は何か催し物に使うのでしょうか? 混雑時には駐車場にもなるようですね。13:45ころ。


▲中心広場にある東屋で休憩しました。雪の時季に来て、ここでテントを張れるのでしょうか? 13:50ころ。


▲中心広場のトイレはまだ使用可でした。14:09ころ。


▲キャンプ場には思いのほか早く到着。車道経由の方が楽な気がします。14:40ころ。


▲まずはお湯を沸かしてコーヒーでも一杯。その後も、お湯は常にテルモスいっぱいにしておきます。15:21ころ。


▲センターハウスのレストランがまさか閉まっているとは思いませんでしたから(HPには営業していると出ていましたから)、今回の食糧計画は危機に瀕しています! 小食で燃費のいいS子は問題ないかもしれませんけれど、僕はどうなるでしょう?
それはそうとして、焼酎三岳をお湯割りにして飲みます。最初のおつまみはチーズにクラッカー。続いて、ポテトサラダです。軽量化を考えなくてもいい時は、本当に楽な食糧計画ですね。15:56ころ。


▲お次はハンバーグ。これもお湯で温めるだけ。使用したお湯は飲みません! 今回は水も燃料も充分あるので、お湯は手洗い用としました。(実のところ、ちょっと濁ってしまったので)17:36ころ。


▲〆はこれ。カルボナーラです。お湯を注いでしばらく待つだけ。18:10ころ。

意外なことに、僕のお腹は満たされていました。今日はあまり歩いていないのと、時間をかけてゆっくりと食べたので、満腹感が得られたのかもしれません。

夜の8時ころには二人ともシュラフに入って就寝体勢です。僕は夏用シュラフ、S子は3シーズン用シュラフです。外もあまり寒くはありませんでしたから、まったく寒くはありません。
S子はすぐに寝息を立て始めましたけれど、僕と言えば、聞いていたラジオ番組が面白くて、結局10時くらいになってやっと寝ました。
外へ用足しに行くと、見上げるブナの木の間からたくさんの星が輝くのが見えました。


腰痛回復度チェック山行もこれで終了か? 急登のノボリ尾根から倉戸山へ

2015年10月22日 | ハイキング/奥多摩

2015/9/30  8月中旬から突然不調になった腰の状態も、日常においてはほぼ問題は感じなくなっています。山でも大丈夫かどうか、これまで腰痛チェック山行を行いましたが、まずは楽なハイキングで試していますから、今日はこれまでよりは足腰に負担のかかるちょっときつめのハイキングを計画しました。

今まで数回は登ったり下降路として使ったりしたことがあると思います。尾根の名前はノボリ尾根。名前通りの急登一辺倒の尾根です。


▲峰谷行のバスはあまり本数がありませんから、峰谷橋バス停で下車します。9:23ころ。


▲奥多摩湖が峰谷側へ入江のように入り込んでいます。中央で手前から向こうへ上がっている尾根、そしてスカイラインをさらに右へ延びている尾根がノボリ尾根です。9:27ころ。


▲雨降りバス停の少し先に登り口はあります。この階段がそう。9:58ころ。


▲正式名は分かりませんが、ツチグリの仲間でしょう。10:05ころ。


▲以前は登り口から右へどんどん山腹を進み、祠のようなものがあるところで左へ方向を変えて、なだらかな山道を最初は登ったものです。でも、今回はそのなだらかな道が消え、最初から尾根沿いの急登を進むことになっていました。ですから、こんな感じ。10:07ころ。


▲いったん少しなだらかに。この先で少し休憩しました。10:29ころ。


▲またまた急登に。手を付き、木を掴んで登ります。11:22ころ。


▲尾根幅がだいぶん広がりました。植林も減り、広葉樹が多くなってきています。11:54ころ。


▲クマの糞でしょうか? 12:24ころ。


▲この手のキノコは似たのが多くて、僕には判別不能です。美味なキノコもあるでしょうし、危険な毒キノコもあるのでしょう。12:25ころ。


▲ブナが面白い格好で生えていました。切り株から芽生えたひこばえがこんな形に育ったのでしょう。12:29ころ。


▲スギヒラタケだと思います。昔は美味な食用キノコとして知られていました。僕も何度も食べたことがあります。でも、10年ほど前だったでしょうか、このキノコが原因の食中毒死事件が続けて発生し、それ以降、スギヒラタケは毒キノコだとされるようになりました。中毒に至るメカニズムや毒物の特定など、不明な点はまだいくつもあるようなのですが、影響が顕著に表われる人が必ずしも特定されていないのと、影響が出現するまで長い時間がかかったりすることで、因果関係すら不明瞭なようです。13:13ころ。


▲ブナの多い林になってきました。S子と比べると、ブナの大きさが分かりますね。13:25ころ。


▲丸く幅のある尾根ですが、急な尾根です。13:53ころ。


▲心地の良い日差しに溢れていました。逆光に輝く緑葉のもみじ。13:59ころ。


▲ブナの巨木が繰り返し現われます。根の張りも見事ですね。14:04ころ。


▲ブナの種と殻。種の中の実はナッツのようでとても美味ですが、中身のない種がほとんどです。中身がある方が珍しいですね。14:09ころ。


▲ノボリ尾根のゴールです。一般登山道に出ました。S子の右に道標が立っていますね。左へ少し登って行くと、榧ノ木山1485mです。榧ノ木山へ寄るつもりでしたけれど、時間も遅いので省略。14:16ころ。


▲榧ノ木尾根を下ります。午後の陽射しに照らされて、林が綺麗です。14:23ころ。


▲のんびりと山を下って行きます。14:40ころ。


▲倉戸山1169.3mに到着しました。だだっ広い山頂です。15:04ころ。

山頂に栗の木が生えているのですが、なかなかその最盛期に来ることが出来ていません。小さな山栗をたくさん拾って、栗ご飯を作りたいのですが、チャンスに恵まれていません。そんな下心をもってここへ来たのですが、やっぱり駄目でした。今年は裏年なのか、実を見かけもしませんでした。


▲奥多摩の紅葉はまだまだ先の話。部分的にこの程度色づいています。15:22ころ。


▲このあたりの登山道は枯葉が積もっているとどこが踏み跡か分かりにくいところです。15:49ころ。


▲植林の尾根道ですが、西日を受けて縞模様が出来ました。15:57ころ。

この前後で道を外してしまいました。この道も何度も通っていますから、何か変だな? と気付いたのです。来た道を引き返し、登り返します。


▲すると出て来たのがこの道標。どうしてこれを見過ごして行き過ぎてしまったのでしょう? 16:15ころ。


▲泥地に水が少し溜まっていました。シカやイノシシなどがヌタ場として使っているのでしょうか? 16:28ころ。


▲もともと湯ノ権現とか湯屋神社と呼ばれていたようで、明治になって温泉神社と改称されたそうです。ダム建設で湖底に沈む前には温泉場があったわけですから、温泉神社があっても不思議ではありません。ダム建設にあわせてここへ移されたそうです。神様も小河内神社へ合祀されたのだとか。16:37ころ。


▲小河内ダムや奥多摩湖が見えて来ました。16:38ころ。


▲倉戸口バス停です。余裕の下山だったはずなのですが、途中で道を外した影響で、バスがすぐに来てしまいました。16:47ころ。

いつも通り、駅前の天益へ向かいました。ところが、天益はお休み!!! 仕方なく電車に乗り、地元の居酒屋さんで打ち上げ。

ところで、腰痛回復度チェックの結果ですが、めでたくも合格! 翌日や翌々日も通常よりは少し重めの腰の張りはありましたけれど、問題ありません。8月からの腰痛の原因は不明のままですが、とにもかくにも元に戻ったようです。めでたい!


奥多摩湖南岸の散歩道 4/4 ――― 歩き慣れているいこいの路の東半分から小河内ダムへ

2015年10月15日 | ハイキング/奥多摩

2015/9/21  いこいの広場を後にして、小河内ダムまでのラストスパートです。と言っても、まだ今日の行程の半分近く残っているのです。ただ、ここからは京道沢や天神沢や水窪沢など、遡行したことのある沢がありますし、清八新道は尾根歩きの際にもよく活用させてもらっていますから、旧知の路です。


▲ギンリョウソウ。でも、普段見慣れている花とは少し違いますね。花が空を向いて真っすぐに伸びています。よく見ると、花ではなく、実になっていますから、実になるときは上を向くのですね。14:04ころ。


▲この辺りも路肩が弱いみたいですね。200m先には工事現場もあるようです。そこが理由でしばらく奥多摩湖いこいの路は通行止めだったのでしょうか? 14:06ころ。


▲この沢筋が工事現場でした。工事はほぼ終了しているようでしたから、最初にどこが崩れていたのかは分かりませんが、けっこう大量の土砂が崩れたみたいですね。14:09ころ。

この沢の堰堤のプレートや工事看板にもこの沢が「蛇沢」だと記してあります。奥多摩湖いこいの路の案内看板にも「蛇沢」と記してあります。
しかし、宮内敏雄氏の『奥多摩』から分かるのですが、蛇沢川は奥多摩湖の湖底に沈んでしまっています。蛇沢川はこの沢とこの先にある京道沢と天神沢が合流した流れの名前だからです。そして、その蛇沢川が多摩川本流に流れ込んでいたのです。
ですから、この沢の名前は「カルギ沢」。蛇沢川の支流です。公式にはこの沢の名前は「蛇沢」になったのでしょうか? 蛇沢の名前を残したかったのでしょうか? 勝手に名前は変えるべきでないと思います。
もちろん、これは宮内敏雄氏の意見を前提としたものなのですが。


▲左下には沢の流れが見えます。すぐ先には橋が。14:22ころ。


▲橋から上流を眺めました。小さな沢ですが、遡行対象にはなると言えばなる、そんな程度の沢でしょう。沢の名前は京道沢。でも、奥多摩湖いこいの路の案内看板には「手沢」と記されています。でも、これは間違いだと思います。宮内敏雄氏の『奥多摩』によると、手沢は京道沢の源流部の名前です。京道沢の方が名前の格調もありますし、名前の由来も「経蔵(きょうぞう)」だという言い伝えもあるようなのです。その言い伝えについては京道沢の右岸尾根である真光寺尾根を歩いた日に記したいと思います。14:23ころ。

2009年9月にK嶋さんとK美さんとの3人で京道沢の死人沢を遡行しています。その際の記憶では小滝すらない沢だったように思います。でも、小石のような土砂に埋め尽くされていたようでしたから、6年たって小滝などが出現しているかもしれません。まあ、楽観的希望ですけれど。
なおその際に、二人には死人沢という支流の名前を教えませんでした。そんな名前の沢に行くのは嫌ですものね。


▲奥多摩湖いこいの路から分かれて尾根を登って行く山道がありました。どうやら真光寺尾根の取付きのようです。いつか、この尾根を歩いてみたいと思います。14:27ころ。


▲200mおきに出てくる里程標式の上にホウノキの実が置いてありました。14:28ころ。


▲天神沢を渡る橋が出て来ました。14:29ころ。

この橋から上流を見ても金属製の堰堤があるだけです。でも、この沢へは2回行ったことがあります。2005年5月に天神沢中俣へS子と登っています。天神沢にはすぐに滝沢が右岸から合流します。その上流で三俣状になりますから、右俣、中俣、左俣と名付けました。宮内敏雄氏によれば中俣はハギ沢かと思います。4級+程度のグレードの小滝が二つ三つあって、楽しめる沢でした。
2007年9月にはw島さんを含めた3人で右俣を遡行しています。中俣ほどではなかったように記憶しています。宮内氏によると真光寺沢との名前のようです。
いつか天神沢左俣や滝沢にも入渓したいと思っています。


▲宮内敏雄氏の『奥多摩』にも名前の記載がない小沢もあります。14:32ころ。


▲また小沢があります。地形図から見ても短い沢のはずですが、水の流れがあります。14:34ころ。


▲橋から上流を眺めました。短い沢でも流水域に広葉樹が多いのだと思います。14:34ころ。


▲"締め殺し”でしょうか? 14:45ころ。


▲岬の突端にベンチが設置されていました。奥多摩湖いこいの路は残り3.1km。15:04ころ。


▲清八新道の登り口です。この尾根(登山道)は何かと利用価値のある尾根で、僕もよく使わせてもらっています。15:07ころ。


▲左下を流れる沢は水窪沢。奥多摩湖いこいの路の案内看板では水久保沢になっています。以前の昭文社エアリアマップには「ヘビ沢」と記されていて、山と渓谷社発行の『奥多摩の谷123ルート』にも「ヘビ沢(水久保沢)」という名前で取り上げられています。
橋の手前で山へ登って行く山道が見えています。この山道も清八新道です。小河内峠へ出る山道。15:21ころ。

2008年9月にA野さんとU田君とでここを遡行しています。途中にある10mほどの滝の巻きが嫌らしかったくらいにしか記憶はありません。下山はシダクラ沢を下降していますね。


▲山道が終了して林道に出て来ました。15:24ころ。


▲アケビの実が落ちていました。もちろん中身は消えています。15:24ころ。


▲こんな感じの林道。15:26ころ。


▲沢水が林道に流れ込んでいて、長い距離、道が泥んこになっていました。15:36ころ。


▲奥多摩湖の夕景は僕は好きです。まだ夕方というほどの時間ではありませんが、趣きが出て来ています。遠くの山は大寺山950mとそれから連なる鹿倉(ししくら)山1288.2m。15:42ころ。


▲鏡のような湖面に山や雲が映っています。15:47ころ。


▲中央の濃い緑の尾根が清八新道のある尾根です。右の山は月夜見山1147.0mだと思います。15:50ころ。


▲小河内ダムに近づいて来ました。右の山はトオノクボかな? と思います。谷の奥は稜線に雲がかかっていて見えませんが、石尾根ですね。15:51ころ。


▲ここが奥多摩湖いこいの路の入り口(終点)です。15:53ころ。


▲小河内ダムの上をバス停へ向かいます。トオノクボのピークとその右へ続くハンノ木尾根が見えています。15:53ころ。


▲奥多摩湖バス停です。16:22のバスに余裕で間に合いました。16:07ころ。

奥多摩駅前の天益には久し振りに訪れました。一ヶ月以上たっています。いつも通りの感じで飲み食いします。ただ、この日は珍しいキノコ料理を食べさせていただきました。どうやら「毒キノコの会」に所属する方からいただいたというキノコを食べさせてもらえたのです。美味しかったですよ。


奥多摩湖南岸の散歩道 3/4 ――― 岬を回り、大ムソ沢出合を過ぎて、いこいの広場まで

2015年10月10日 | ハイキング/奥多摩

2015/9/21  さなぎ沢までがちょうどいこいの路の2km地点でした。まだまだ10kmも残っています。少しずつ、歩く方に力点が移りつつあります。


▲沢にかかる橋が出て来ました。「◇さなぎ沢橋」と橋名が記されていますが、最初の◇が汚れていて読めません。12:31ころ。


▲水は少し流れていますが、沢はすぐに山の斜面に消えてしまいそうです。12:32ころ。


▲柄の太いイグチの仲間が生えていました。イグチには毒がない(ごく一部毒のイグチもあるそうです)のですが、今日は採りません。12:48ころ。


▲テングタケの仲間でしょうか? 12:49ころ。


▲ホウキタケ科のキノコの仲間でしょうか? 12:50ころ。


▲ヨウシュヤマゴボウ。毒草です。13:03ころ。


▲岬と呼ばれているあたりから奥多摩湖の対岸を眺めました。なだらかな山頂を持つ山は倉戸山1169.3mでしょう。13:05ころ。


▲相変わらずの心地よい散歩道が続きます。13:12ころ。


▲写真中央少し左の家々は熱海の集落だと思います。13:14ころ。


▲ぬかるんだ地面にシカの足跡らしき痕跡がありました。シカたちもこの道を歩いているのですね。13:15ころ。


▲このあたりは路肩が弱いのでしょうか。13:19ころ。


▲大むぞ橋です。宮内敏雄氏の『奥多摩』では大ムソ沢になっていますから、大ムソ橋が正しいのかもしれません。13:20ころ。


▲橋から眺める上流です。いきなりの佳い渓相。こじんまりとした楽しい沢であることを期待しましょう! いつか行かねば。13:21ころ。


▲続いて、水の流れる小沢が。13:23ころ。


▲上流はこんな感じ。地形図では広葉樹に囲まれている沢ですから、楽しい登路になればいいのですが。13:23ころ。


▲ベンチがあったので、休憩です。13:29ころ。


▲これも柄の太いイグチの仲間ですね。13:46ころ。


▲さっき休憩した場所が「いこいの広場」だと思っていました。すると、立派な広場が出て来ます。こちらのことですね。13:52ころ。


▲いこいの広場からは対岸の熱海集落も近く見えます。写真右に白い人工物がふたつ見えますが、これは小河内ダムの一部分ですね。13:54ころ。


▲トイレは清潔に維持されていました。山のトイレが清潔なのは素晴らしいことですね。基本がしっかりしているということです。13:54ころ。

このいこいの広場が奥多摩湖いこいの路のほぼ真ん中です。あと6kmちょっとあります。
確かではありませんが、この近くから小河内ダム側は歩いたことがあるはず。月夜見山からこの付近へ尾根を降りたことがあると思います。そのもっと先は複数回歩いています。
ただ、奥多摩湖いこいの路の中央付近の沢にしろ尾根にしろ、ここまで来るのはけっこう大変ですね。アプローチで2時間くらいはかかりますから。


奥多摩湖南岸の散歩道 2/4 ――― 奥多摩湖いこいの路をさなぎ沢出合まで

2015年10月06日 | ハイキング/奥多摩

2015/9/21  山のふるさと村からがいよいよ奥多摩湖いこいの路のスタートだと言うのに、思いのほか時間がかかってしまいました。のんびりと歩いていいのは当然なのですが、いこいの路だけでも12kmあるので、歩は進めなければなりません。


▲ここが奥多摩湖いこいの路のスタートライン。11:24ころ。


▲奥多摩湖南岸の東半分がほぼ奥多摩湖いこいの路です。11:24ころ。


▲ちょっとした広場にベンチがあったので、はや休憩。11:35ころ。


▲階段を上がって行くと、「リスの広場」へ行くそうです。熊よけ用の鈴などを付けてくださいと書いてあったので、僕たちも鈴を付けました。11:47ころ。


▲栃の実の殻がたくさん落ちていました。リスとかが殻を割って食べたのでしょうか? 11:51ころ。


▲フシグロセンノウ(節黒仙翁)。茎の節のところが黒褐色なのでこの名前があるようですね。仙翁の方は京都嵯峨の仙翁寺(せんのうじ)で初めて見つかったとかで、付いた名前のようです。11:52ころ。


▲落沢にかかる橋。11:57ころ。


▲橋から上流を眺めると、堰堤が連続しています。この沢は去年の7月に遡行しています。
http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/4eec9772f638e96c66a00b6144a8569c
を参照してください。
まずは左側(右岸)から巻いて入渓します。11:57ころ。


▲落沢橋を通る数分前に逆方向からの登山者と出会いました。彼が言うには「落沢橋手前でサルに会いましたよ」とのこと。「手前」と言うのがどちらから見て手前なのかは聞きそびれましたが、熊鈴を外し、心の準備をして通っていました。すると、いました! 肉眼では見えるのですが、なかなか写真が撮れる場所ではありませんでした。かろうじて撮れたのがこれ。落沢出合の湖畔で遊んでいました。12:00ころ


▲前の写真を拡大したのがこれです。この2頭でじゃれ遊んでいました。


▲小さな沢がありました。12:03ころ。


▲この沢はエイ沢かと思います。12:06ころ。


▲エイ沢の上流です。沢歩きが出来れば上出来でしょうけれどね。12:06ころ。


▲黄色い星印を4つ付けましたが分かるでしょうか。その星印の下にサルがいるのです。暗い林の中なので、移動中のサルが薄ぼんやりと写っています。分からないですよね。12:09ころ。


▲サルとの出遭いも楽しんで、再び熊鈴を鳴らしながらのどかな湖畔歩きを続けます。12:12ころ。


▲蛾がいたので撮ってみました。名前は分かりません。12:16ころ。


▲ネットで調べてみました。これがタマゴタケなんですかね?! これが食べられると言われても、食べる気にはなりませんね。キノコ博士のお墨付きをもらわないと。12:17ころ。


▲また沢がありました。12:19ころ。


▲小さな沢ですけれど、少し水が流れています。すぐ先で山の斜面に消えていっている沢です。12:20ころ。


▲麦山の浮橋が見えました。12:23ころ。


▲ちょうど10kmと2kmの地点です。200mおきにこのような距離メーターが設置されています。12:27ころ。


▲さなぎ沢です。橋も見えています。12:28ころ。


▲さなぎ沢の上流には金属製の堰堤がありました。さらに上流はどうなっているのでしょう? 遡行対象にはなりえないでしょうね。12:29ころ。