ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

蛇と倒木と山鳥と――今年の沢初めは

2012年05月16日 | 沢登り/相模川鶴川水系

2012/5/13    沢登りの醍醐味の一つは、地形図さえあればどこでも沢を登路として登れること。まあ当然のことながらその人自身の沢登りの総合力には左右されるのですが、基本的にはそうなんです。

今回は今年最初の沢登りですから、いきなり困難な沢へは行きたくありません。メンバーもK美さんと二人だけ。そんなことなど諸々あって、中央線沿線の駅からアプローチ出来て、下山後は武蔵五日市駅へと行ける沢を探しました。武蔵五日市駅へ行くのは、そのあとでS子も合流して打ち上げをするからです。

その条件を満たす沢は鶴川左岸の支流になります。つまり、笹尾根に突き上げる沢なのですが、ガイドブックに紹介されている沢は大群沢(カナヤマ窪)と小焼沢くらい。大群沢は以前S子と遡行したことがありますが、シーズン初めにはちょっと登攀的すぎます。小焼沢は知りませんが、易しそうでもアプローチが遠すぎる気がします。

そこで決めた沢が笹尾根の土俵岳と小棡峠の間を源頭とする沢。棡原の大垣外(おおがいと)集落へと流下している沢です。どんな沢だろうとネットで片っ端から調べました。でも、まったく何にもヒットしません。ゼロです。沢の名前すら発見できません! ただひとつ見つかった情報が「不動の滝」があるということ、だけ。

鶴川は相模川の支流ですから「奥多摩」山域ではありません。でも、やっぱり最後の頼みの綱は宮内敏雄さんの『奥多摩』。奥多摩ファンにとってはバイブルのような名著です。本文中に沢名は出て来ませんが、地図を見てみると、やった~~~ぁ!!出ています。

その名前が「下川」。宮内さんだって絶対ではないので、間違いもあり得ますし、時代が変わると呼び名も変わることだってあるでしょう。なにしろ、宮内さんは昭和20年3月に中国で戦病死(享年28歳)された方ですから。

でも、唯一の情報ですから、それに縋るしかありませんよね。ですから、この日の沢名は「下川」で決まりです。

ついでながら、宮内さんの本では土俵岳は笹平ノ峰、小棡峠は大立峠となっていました。

笹尾根の北面側よりも南面側の傾斜は強いですから、手強い滝があるかもしれません。念のためにハンマーとハーケンも持って来ています。

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▲上野原駅から飯尾行きバスに乗り、大垣外下車。すぐ近くにこの標識がありました。8:42ころ。途中、おじさんに道を聞いて、さらに進むと、再び標識が出て来ます。そこからは鉄の階段を下って沢に降り立ちました。

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▲これが不動の滝。お堂があり、紙垂(しで)が外れている注連縄も見える。8:56ころ。3段の滝で、10m前後あるでしょう。直登も出来そうでしたが、シャワークライムになりそうなのと、宗教的な場のようでしたから、右から高巻きました。

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▲不動の滝の左上にはこのようなお不動様の像が置かれています。8:58ころ。

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▲不動の滝を近くで眺めると・・・・ 8:59ころ。

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▲不動の滝の下で装備を整え、高巻くと、倒木はあるものの、それなりの渓相が続きました。2m滝も現れ、この先への期待も膨らみます。9:42ころ。

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▲2m滝のすぐ先で林道が沢を横断する場所に来ました。9:52ころ。地形図では標高475mになっています。ここで高度計の数字を合わせたので、先ほどの不動の滝の標高が判明しました。440m前後だと思われます。林道の下をくぐると、すぐに1.5mの小滝も出て来ます。

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▲K美さんが蛇を発見! 1m以上もあろうかという長細~い蛇でした。9:56ころ。黒くてまっすぐのは蛇ではありませんよ。パイプです。蛇は写真中央にいます。

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▲だんだん倒木が目立って来ました。でも、これくらいならくぐったり跨いだりして、割と楽に通過できるので苦にはなりません。10:06ころ。

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▲時折、こんな小滝が現れますから、癒されます。10:10ころ。

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▲標高540mあたりでは4段8mほどの滝が現れました。10:15ころ。この下川は倒木さえ少なければ、なかなかに佳い沢です。

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▲その4段8m滝の2段目だと思います。こんな場所にも倒木が・・・・。10:20ころ。

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▲実にいい感じの沢の流れですよね。でも、写真に写っていない周辺は倒木だらけなんです。10:29ころ。大雨でも来て、倒木全部を流し去ってくれないかなぁ!

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▲二俣です。標高は585m。ここの右岸に林道の終点がありました。10:37ころ。最初から左俣を予定していましたが、右俣の藪や倒木は凄そうでした。まあ、左俣も大差ないのですが・・・・。左俣にしたもうひとつの理由は、途中から尾根へ逃げる際、傾斜が右俣からよりは緩くて逃げやすそうだったからです。

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▲この前に引き続きジゴクノカマノフタです。地獄の釜の蓋。何度聞いても強烈なネーミングですね。下川は南面の沢で、所々日当りがいい場所があったので、こんな花も咲いていました。ジゴクノカマノフタの群生地でした。10:48ころ。

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▲肉眼では明瞭に認識出来ていたのですが、こうやって写真に撮ると何だかよく分からないですね。逆に、肉眼ではこんな水模様は感じなかったのに、本当に綺麗な水模様がカメラには写り込むのですね。それはともかく、うつしたものはまたまた蛇です。小さな薄茶色の蛇で、僕たちから逃れるように水の中へ潜り込んで、じっと動かなくなってしまいました。10:51ころ。

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▲左俣に入っても、倒木は続きます。11:12ころ。

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▲ここで大休止。11:24ころ。何やら山葵田の跡のような石垣があったりしました。白い布は作業小屋だったのでしょうか?

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▲倒木もなく、広葉樹の森に囲まれた、人の手の入っていない、原初の沢源流を極めて僅かではあっても期待している愚かな僕がいました。当然のことながら、その期待は虚しく、現実はこの写真のような状況が続くだけです。12:13ころ。標高800mの上あたりでは水も涸れ、沢登りもジ・エンド。

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▲でも、山の自然は何かしらの感動や驚きを僕たちに残してくれるものです。おそらく、標高850m前後あたりだったと思いますが、沢沿いから離れ、左の尾根へ逃げることにしました。

その時です。ヤマドリがバタバタバタバタと大きな羽音で足元付近から飛び立って行きました。僕はヤマドリの飛んでいった方向に目を向けていたので気付かなかったのですが、K美さんが叫びます! ヤマドリの巣があったのです。しかも、8個もの卵が産みつけられていました。

昔、小さな雛をたくさん抱えた親ヤマドリと突然遭遇したことがありました。雛たちはピーピーピーと四方八方へ逃げまどいました。親ヤマドリはあまり遠くまで離れず、僕のそばにいます。雛たちのことが心配で離れるに離れられないのでしょう。申し訳ない気持ちがいっぱいで、早々にその場を立ち去りました。

この日も、そんな気持ちです。「突然現れてごめんね」です。まさか、人間様がこんな所に来るなんて、ヤマドリには想像できませんよね。ちゃんと、抱卵しに戻って来てくれますように。そう祈りながらその場を立ち去りました。12:17ころ。

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▲ヤマドリの巣を離れ、植林の斜面を登って行きます。久し振りの沢の詰めに、前脛骨筋が悲鳴を上げ始めていました。筋トレをここ数年間さぼっていますから、筋力が低下しているのでしょうね。

すぐ先になだらかな尾根筋が見えていましたから、「あそこまで」と頑張りました。実際には攣ったりしなかったですけれど、攣りそうに感じること自体が、僕にはショックでした。そんなことはほとんどなかったことなので・・・・。

稜線直下に写真のような立派な山道がありました。この山道を進みます。12:33ころ。

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▲さきほどの山道がず~っと続いていました。K美さんが「笹尾根では?」と言うので、稜線に出ると、一般登山道が走っています。山道を北上していたつもりなのに、いつの間にか東へと進んでいました。小棡峠南の1046標高点のどのくらい東に来たのだか不明です。

まあ、それでも土俵岳を過ぎたわけではないので、どこを下降しても丹田沢には違いありません。笹尾根を少し東へ西へ歩いて確認し、適当な場所から沢の下降をスタートさせました。その下降地点が上の写真です。12:59ころ。

おそらく、丹田沢の左俣(コカンバ沢)のさらに右俣を下降したのだと推測しています。

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▲下降し始めてすぐ、13:04ころ、群生していました。大きなしそ科の綺麗な花です。名前を調べると、ラショウモンカヅラ(羅生門蔓)のようです。その昔、渡辺綱(頼光)が鬼退治をし、切り落とした鬼女の腕にこの花の姿が似ているので、この名前が付いたとか。退治した場所が京の羅生門だったのだそうです。

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▲丹田沢源流ですが、しばらくこのような土の斜面が続きました。下草が生えないので、表土が流されたのでしょうか? これも鹿害の影響なのでしょうか? 13:10ころ。

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▲丹田沢、おそらくはコカンバ沢右俣の源流~上流はなだらかな流れが続きました。ほとんどが植林地ですが、傾斜が緩いので倒木などがさほど沢底に集まることもないようです。沢沿いにはかすかな踏み跡が続いていました。僕たちもその踏み跡を利用させてもらいます。多分、山仕事用の仕事道でしょう。

仕事道沿いに、ニリンソウがポツポツと続いていました。清楚ですね。13:38ころ。

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▲仕事道は下流に行くにしたがって明瞭な道になって来ます。沢の下降では「沢身から離れず、流れの中を下る」などというこだわりは僕にはありません。あまりにも沢から離れてしまうのであれば、山道利用も止めるかもしれませんが、安全とスピード第一です。

そんな風に下って行っていたのですが、突然前方に林道が見えたのです。13:53ころ。こんな林道は地形図にも昭文社の地図にも載っていません。

本来ならば林道を見過ごして、そのまま沢の下降を続けるべきなのでしょうが、林道を使えば14時台のバスに間に合うかもしれない、そんな新たな期待が心に湧いて来たのです。そのバスを逃すと、1時間半後になってしまうのです。

結局、林道を利用することにしました。林道はキハダ沢出合の上部を横断しているようです。キハダ沢を渡り、さらに笹尾根の北へ延びる支尾根を越えて、笛吹へ向かいました。

057                              ▲笛吹きバス停です。14:29ころに到着。バスは10分もたたずに来ました。

臨時バスが出たようで、2台並んで来ました。武蔵五日市駅からS子に電話をして、H島駅で合流。打ち上げをしました。先々週見つけたお店は社員研修で休みでしたので、「庄屋」へ。

ひとしきり、今年のGWの話しでまずは盛り上がります。K美さんの旦那さんは槍ヶ岳フリークで、フルマラソンばかりか富士登山マラソンへも参加する凄い人です。山を歩くスピードも半端ではなく、二人で歩いたこともありますが、まったく追いつけません。

そんな旦那さんはGWすぐに出発し、槍ヶ岳へ登ったのです。28日に中崎尾根を奥丸山付近まで進み、幕営。翌29日に槍ヶ岳をピストンし、そのまま下山したそうです。