塔ノ岳から蛭ケ岳経由で橋本駅北口へ

 タイトルのコースはお気に入りです!

マーラー9 
シューベルト・ピアノソナタ 17 が
祈りの音楽です。

強い者には媚びへつらい、弱い者は徹底的にイジメる。アベシンゾー

2017-02-23 20:46:23 | 世の中
ほとんどの国民が、自分が預けている年金が株に突っ込まれ、10兆円ほど溶けてしまったなんてことを知らない。
安倍さんがやりたいTPPに参加すると、この国の農業や医療、保険がどうなるか、国民は知らない。
事故を起こし5年経った福島第一原発が今どうなっているか、それもよくはわからない。

「プレミアムフライデーの意味を知っていますか」?
「知っています。『絵に描いた餅』の新しい言い方ですよね」。

ホラッチョ安倍語録

アベノミクス
リーマン級
新しい判断
トリクルダウン
三本の矢
新三本の矢
名目GDP600兆円
再チャレンジ
一億総活躍社会
待機児童ゼロ
介護離職ゼロ
未来チャレンジ
プレミアムフライデー
美しい国
戦後レジームからの脱却
新たなルール
ウィンウィン
アンダーコントロール
立法府の長
判断する私が結果にも責任持つ
任命責任は私にある
自由貿易が格差拡大は誤解
訂正でんでんというご指摘は全く当たりません


世の中にはヒマなヒトというのが必ずいるわけで、ウチの近所には路上駐車を一日中見張っているアル中オヤジがいたw うちに来た客が、わずか数分、車を停めていただけで警察呼ぶw あと、よくあるのがゴミを漁る婆あとかw で、安倍晋三小学校なんだが、やはり近所のマンション住民が見張っていたそうで、「不法投棄のゴミを運び出しているなんて、見なかった」と証言している。「大きめの石を2つ、運び出していただけ」だそうでw 

アキエが~、とか言ってるが、あのオンナはウヨクじゃないので、アベシンゾーの代理としてのアキエですね。さすが安倍晋三本人が名誉校長になるわけには行かないから。そもそも小学校の認可を出したのは維新の松井なんだが、その時点で既に、アキエは名誉校長に就任している。首相夫人の名前をフルに使って、工作しまくっていたのは確かだ。

新聞社がこの問題を取り上げたくないのは、自分たちの社屋の建っている土地も、国家の払い下げだからw 格安で払い下げて貰っている。だから、藪蛇になるのを恐れて、取り上げられないw でも、ネットでは自民党サポーターの書き込みも追いつかない勢いで盛り上がっている。野党はここで本腰入れろやw


日本は東日本大震災以来、統治の基礎が根底から変わったのです。
スノーデン君の暴露はおそらく福島の大惨事に責任を感じてのことでしょう。ただ、国民監視体制はもう出来上がってます。
とくにマスゴミはもう動けない。
東京湾に浮きたい人はいないというわけでしょう。

暗黒時代から脱するにはアメリカの滅亡しかないわけです。


アスクルの火災が消火できないのは窓がないので放水の効果が無いからと
ニュースで言っていた。
消防や自衛隊が命がけで行っていた原発の放水は何だったのだろう。
穴があったら水素は貯まらなかっただろうし。

みんな嘘。
賠償金を払いたくないので、国、東電、地方自治体、マスコミは
復興、復興の掛け声で避難区域解除に走っている。
人殺し!!
何回騙したら気が済むんだ。




☆次の流行語大賞候補ーー瑞穂の國の愛国用語

安倍晋三小学校
日本会議
実質0円
C国、K国の工作員
名誉校長
愛国幼稚園
排泄物を食器と一緒にカバンに同包するのはしつけ
2歳までおむつ禁止
昭恵様
8億円分の汚染物質(靴下,長靴)
振込用紙
ダンプカー4000台分のゴミ
統一教会
寄付金詐欺
国有地払い下げ
教育勅語
第6感
幼児虐待
テレパシー
タイムラグ
名前が3つ
マッチポンプ
ハシゲはダンマリ
お前の子は臭い。犬臭い。犬を捨てろ。
変な人ですよ。おぞましい
永遠の出張
コイケガー
新左翼
南京大虐殺従軍慰安婦吉田証言民主主義民主主義民主主義アサヒガー
晋道
インフルエンザの波動
豊中市はチョンボ
もうやめようぜ9円くらいで
財務省理財局長佐川
-----------------------
こんな形で安倍が終わるとはね
まあ最後っ屁は2月26日がふさわしいのでは?
226事件の日だしww
-----------------------
↑前回もうんこで終わって、今回もうんこで終わる
-----------------------
お国の資産をちょろまかすクズが愛国を叫ぶ愚










社会構造は硬直化し、社会の中で、一度でも転落してしまうと、二度と這い上がれなくなっていくのがこれからの日本の社会だ。エリートの家の子供は、潤沢な教育費を投じて育てられ、またさまざまな庇護を受けながら、社会の主要な地位に就く。この路線から脱線をしてしまうと、元の地位に戻れなくなるかもしれないので、危ない橋は決して渡らない、渡らせない、となるわけだ。

 非正規社員では、結婚もできず、子供も持つことができずに社会の底辺であり続ける。現実の厳しさからいっとき逃れることができるのが、バーチャルリアリティが提供する夢の世界だ。現代の若者は「もの」や「かね」に執着しない、といわれる。そんな動機を持てないほど、将来に対する若者の期待値が落ちているのだ。現代の若者は「冒険をしない」というのが当たり前だ。エリートであればあるほど大企業のぬくもりの中に身を委ねたほうがトクだからだ。

 しかし、こんな社会がいったいいつまで続くのだろうか。どうやら、2021年からのかなり早い段階で日本社会は崩壊の危機を迎えるそうだ。



福島原発事故は収拾していない。危機的状況が継続。その①福島2号機危機、1~3号機のデブリのおよそ半量の138トンが未反応

在日カルト安倍が世界中に原発建設を売り込み核廃棄物をすべて日本が引き受け、日本全国の

国土が放射能汚染される政策を推進するのも、この在日カルトが西欧の支配層の命令どおり

立ち働いているからに他ならない。

日本の戦後72年間、長い長い「罰ゲーム」だった。いきなり1000万円だの、借金を追わされる国なんて疫病神の巣窟。



私は時々、皇室関連記事として非常に辛辣な記事を書く、理由は色々有るが、個人的感想として現陛下、今上天皇は阿呆だと思っているし、時期天皇を約束された現皇太子徳仁殿下は知能障害者だと思っている。
天皇、そして次期天皇を約束された存在とその地位、けっして聡明や英明である必要はないが、と言って阿呆や馬鹿では困る、ましてや、知能障害の薄ら盆暗ではもっと困るし、禊が必要な皇室祭礼、祭祀、儀式に小便袋をぶら下げての礼拝は有り得ない。

ただ日本人としては長年続いてきた皇統譜としての皇室、国家国民の象徴としての天皇制、これは支持する。その意味では天皇制廃止論者ではない。

特に言えば美智子皇后や基地外雅子皇太子妃、こんな元々、ろくな出自で社会の最底辺層にいた人間が皇室に入内した経緯もさることながら、これを擁護し守るために暗躍する組織というのが有ったり、ただただ陛下の大君心を察するべきとかいう、国論的保守や、政治発言でもまっとうな意見を言いながら、こと、皇室天皇論のおいては批判するなど恐れ多いとか、もう、お前死ねよ、と言う位の阿呆保守が多い、そして今回の天皇があたしゃもう歳で疲れたから天皇を辞めたい、いわゆる天皇のお気持ち発言に、多くの国民がどうぞお休みください、なんての能天気、こんなにも阿呆な日本人が多くいたのか、暗澹たる思いであった。


雅子に関していえば、寒い冬、静養と称して毎年スキー三昧のくせに何を言っているこの糞あま、じゃあ、スキー場は寒くないのか!こったらロクデナシが次期皇后!てな話になるのだが(笑い)

それにしても雅子の公務が出来ないに関してその理由、体調の波から、最近は直接的表現理由になってきた、つまり糞寒い北海道なんかいけるか!こんな理由がエスカレートすれば、美味しい食い物が出ない催しなんか出られるか!てな話になるかも(笑い)


結局の所、天皇皇后、鑑賞公務と銘打ったお出あるき、どうでもいい海外お遊び行脚にタイトルをつけたいだけであって、、糞みたいな話である、だがしかし、こういった話にも天皇皇后は一生懸命、頑張っていらっしゃる、国家国民の為に奉仕していらっしゃる、有難い事である、全てが万事こういった論調でもちあげるいかがわしさ。、

私は天皇、この国家国民の象徴である存在、資質に関しては問わない、格別優秀でなくともよいと思っているし、ただ国家国民の為に真摯な祈りをしてくれればいいと思っている、高齢で公務が負担であるならばどうぞ御所でゆっくりお休みくださいとも思っている、どうしても必要なご公務であればやれるかどうかは別にして盆暗皇太子もあるし、現実的には秋篠宮殿下が皇室祭祀や本来の皇室公務をおやりになっている。

場末の美容サロンにしかない3流女性週刊誌に金をやって屑記事を書かせる、雅子様の御決意、美智子皇后の御自愛、愛子内親王のご優秀さ、まるで屁みたいな記事のオンパレード、それでも多くの国民が雅子様お可哀相とか、慈愛の国母皇后様とか、ご高齢にもかかわらず公務にまい進なさる天皇陛下、どうぞ退位されてゆっくりお休みくださいとか、能天気、お花畑にも程がある。

世の中、ある目的の為に流されるフェイクニュースが氾濫しているが、皇室に関していえば批判は一切しない、ある意味フェイクの上げ上げの提灯記事ばかり、それを信じてお上の大御心を察すべきだとか、とにかく敬うべきだとかそういう阿呆国民が多すぎる。

つまるところ、日本という国は平和なんだろう、そう思うしかない。

こんな記事を書くとまたぞろ、不敬であるとか、馬鹿とか、そういう荒しコメントが入るが、そういったコメントはまあしょうがないとしても、未だに皇室、天皇皇后に対して盲目的にこれらの存在を信じきっている国民が多すぎる事のほうが問題である。

TPPとFTAでは、取り組み方が全く異なる別物。
TPP予算を使い込んで知らぬふりをする泥棒行政府の長、安倍晋三。

アメリカと1対1ではポチの
日本は押し切られるのは必然です。

しかもISDS条項はそのまま導入されるでしょうから、何かにつけて
訴えられる恐れがあります。

ISD条項とは、理不尽な政策や規制の変更により損害を被った
場合に、個人や企業が相手 国政府を訴えられる制度です。

例えば日本で米国製品の英語のマニュアルが通用しないのは日本が
悪いと訴えられた場合、裁判の結果「賠償しろ! 」と言われかね
ないのです。

やはり安倍晋三は不幸しか呼び込まない男なんですね。


福島の事故の費用総額はいま,21兆5千億円とはじかれていますが,本当はもっと大きいでしょう。たとえば賠償の基準も被害実態からかけ離れていて,賠償されるべき被害はまだ残されていると思えるのです。もはや原発は「安い」とはいえません。ふくらむ事故費用はあらためて「原発を止める」判断を迫っています。


★-1 1979年3月28日,スリーマイル島原発事故。 
  ★-2 1986年4月26日,チェルノブイリ原発事故。
  ★-3 2011年3月11日, 東電福島第1原発事故。



原子力は《悪魔の火》である。




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スーパークライマーを目指せ  ウーリー・ステック 「スイスマシーン」

2017-02-23 16:35:18 | マラソン・駅伝関係
ウーリー・ステック(Ueli Steck、1976年10月4日 - )は、スイスの登山家。
アルプス三大北壁の最速登頂記録を持つ[1]。卓越した登攀技術と常人離れした高所耐性から、「スイスマシーン」の異名をとる。名前はウエリ・シュテックと表記されることもある。

主な登頂記録[編集]
2001年 プモリ西壁初登頂
アイガー北壁"The Young Spider"初登頂
2006年 ガッシャーブルムII峰北壁初登頂
2008年 アイガー北壁ソロ 最速登頂記録・2時間47分33秒
グランドジョラス北壁ソロ 最速登頂記録・2時間21分
2009年 マッターホルン北壁ソロ 最速登頂記録・1時間56分
2011年 シシャパンマ南西壁ソロ 10時間30分
2013年 アンナプルナ南壁ソロ
2015年 アイガー北壁ソロ 最速登頂記録更新・2時間22分50秒[2][3]



2008年2月13日、ほとんどのクライマーがチームを組んで、二日はかけて登頂するアイガー北壁(高さ1800m)に、単独、命綱無しで、わずか2時間47分33秒という驚異的なスピードで登頂した。
2008年5月、アンナプルナを登山中にスペイン人登山家イニャキ・オチョア・デ・オルサ隊の遭難事故が発生した際には、自らのチャレンジを捨て遭難現場に急行。二人のうち一人は救助の甲斐なく死亡したものの、ウーリーの迅速な対応により一名は生還を果たした[4]。この救出活動は後に映画化され、日本でも2014年9月に公開された(「アンナプルナ南壁 7,400mの男たち」)[5]。この活躍が評価され、チームメイトのシモン・アンターマッテンとともに「プリ・クラージュ(Prix Courage)賞」を受賞した。
2012年5月にはエベレストの無酸素登頂に挑戦。登頂予定日には異常高温によるルート崩壊で待機していた登山家の大渋滞に巻き込まれ、デスゾーンで予定外の待機を余儀なくされるアクシデントが発生。同行のシェルパが力尽き撤退する状況の中、ウーリーは登頂に成功して生還を果たした[6]。
2013年4月、エベレストでシモーネ・モロ、ジョナサン・グリフィスと共にシェルパと乱闘事件を起こし、登頂を中止し下山することになった[7]。



トレイルランニング、スカイランニング、あるいはマウンテンランニング。いや、この際呼び名はどうでもいい。山という舞台におけるスピード志向の人たちのあいだで、全世界的にその名を轟かせる人物がいる。



 ウーリー・ステック、39歳(写真=永易量行)。
 あえて肩書を記すならば、ウーリー自身は自らを「アルピニスト」と名乗っている。そしてアルピニズムの世界では当代最強の人物と目されている。だが、そのスタイルは20世紀的なアルピニズムからするとかなりの「異端」だ。ウーリーのスタイルはスピード登山などと呼ばれており、例えば……。

 アイガー北壁。標高4000m近くの高所で、標高差は1800m。マッターホルン北壁、グランドジョラス北壁と並ぶヨーロッパ三大北壁のひとつで、初登攀までに8人もの命を呑みこんだ難関として知られる。1938年に初登攀された際は、都合4人がかりで3日もかかった。それをウーリーは昨年、2時間22分50秒で駆け登った。命綱なしのソロスタイルで。もちろん最速記録である。

 繰り返しになるが、十分な装備を持った登山家がパーティを組み、時間をかけて臨んだとしても、一歩間違えれば命を落とす危険な壁だ。そこをアルパインクライミングの常識からすると圧倒的に少ない装備とウェアで挑む。当然、比類なきテクニックとスピードがなければ成しえない。ピンと来ない人は、Youtubeなどの動画を見てほしい。ウーリーの凄さは、山の素人が見てもすぐ感じ取れる。



 垂直スピードは750m/時を超す。これはトレイルランの登りに遜色のないハイスピード。この速さで、雪と氷に覆われた岩壁を攀じ登るのだ。



「アイガーには今までに40回以上登っています。自分の裏庭のようなもので、遊び場です。昨年の記録達成時は、いちおう記録を狙ってはいましたが、大きなリスクは負わないと決めていましたし、心拍数も最大で165、平均で155ほどでした。しっかり調整して、天候にも恵まれれば、2時間を切れる感覚もあります。
 でも、私は各々の挑戦や達成にランクを付けて、優劣を比べるようなことはしません。例えば去年は他に『82サミッツ』の最短記録を成功させました。これはヨーロッパの4000m峰すべてを、歩き・クライミング・自転車・パラグライダーなど人力移動のみで一筆書きするチャレンジです。このような大きなプロジェクトも、近所のランニングも、そう変わりません。各々で何を感じ、楽しんで、ハッピーになれるかが大事なのです」



「もちろんハードなトレーニングは不可欠です。真剣に準備しますが、どこかでfoolishにもなることが大事です。シリアスになりすぎない、と言えばいいでしょうか。私個人の挑戦が成功しようが失敗に終わろうが、“世界”は変わりませんし、地球は回り続けます。成功しても失敗しても学べることがあります。このような姿勢が困難な挑戦を助けるんです。私は自分の中で一番強いフィジカルパーツは“脳みそ”だと思ってるんですよ(笑)」


 主だった岩壁の初登や名峰のピークはとうの昔に攻め落とされているし、より困難なルート、バリエーションルートからの登攀も、あらかた終わっている。では、現代を生きるクライマーに残された挑戦、冒険は何になるのか。その一つの答えが「スピード」という切り口になるのかもしれない。
 それは、スピーディに山を楽しむアクティビティ=トレイルランニングシーンの盛り上がりとどことなく通じ合うのではないだろうか。実際、ウーリーは2015年にUTMBの姉妹レースのひとつ、OCCの50kmを22位で完走している。欧州のメジャーレース「アイガーウルトラトレイル」ではアンバサダーを務めてもいる。



「トレーニングではトレイルランニングなどの有酸素運動も重視しています。もちろんクライミングスキルを磨くことも重要ですが、近年はランに割く割合を増やしています」と語るが、彼のように「走る」ことを本格的に取り入れているアルピニスト、クライマーは欧米でも少数派だ。でも、それがウーリーのスタイルを支えている。
 そしてあのキリアン・ジョルネとも友人で、モンブランやマッターホルンなどの山に一緒に入る仲だという。

「彼とは気の置けない友人です。麓から一緒に走って、谷を駆け上がり、北壁をクライミングして、また降りてくる、といった遊びをしたりしています。彼にはより優れたランの力があり、私にはより優れたクライミングのスキルがあります。だからお互い刺激し合えますし、年齢は離れていますがシンパシーを感じるんですよ」



ウーリー・ステック
1976年、スイス生まれ。卓越した登攀技術と常人離れした高所耐性から”スイスマシーン”の異名をとる。08年にアイガー北壁ソロを2時間47分33秒という驚異的なスピードで登頂し、一躍注目を集める。同年~翌年にかけてヨーロッパ三大北壁すべてでのソロ登攀最速記録を樹立。近年はエベレストやアンナプルナなど高峰でも活躍。14年、ピオレドール受賞。



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高所登山

2017-02-21 20:06:42 | マラソン・駅伝関係
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竹内洋岳 ヒマラヤ8000メートル峰全14座を登りきる

2017-02-18 18:52:22 | マラソン・駅伝関係
2012年5月26日、夕暮れの迫る17時30分。竹内洋岳は標高8167メートルのダウラギリ山頂に辿り着いた。1995年に24歳で8463メートルのマカルーの頂に立ってから17年の年月をかけて、ヒマラヤ山脈の8000メートル峰14座すべてを登りきった瞬間。世界では14座の登頂は30人近くが達成しているが、日本では最強の登山家と言われた山田昇も9座目に登った後で遭難死、この志を継いだ名塚秀二も10座目のアンナプルナで命を落とすなど、これまで10座の壁に阻まれてきた日本の山岳界にとっても呪縛から解放された瞬間だった。
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2017.02.18 大倉バス停⇒焼山登山口⇒三ケ木14:48着

2017-02-18 17:25:25 | マラソン・駅伝関係
今日は

思いがけず三人で蛭ケ岳まで

道路コンディションは悪く

油断してるとアイスバーンと踏みぬきが

焼山の下りは夏路へ戻りましたが

両膝が痛くて辛い下りでした

こうして

山から離れて行く人が過去にたくさんいました

気が付いたら

自分もそういう年齢になっていました








2016
年末現在

 2566塔ノ岳2578

 1381丹沢山1392

 1216蛭ヶ岳1227

  634姫 次644

  157青根159

    6平丸7

  423焼 山428

  419焼山登山口425

  406三ケ木412

  291橋本駅北口291

   37大山38

    3大山三峰4





今日は朝いちから膝が痛くて

ずっと我慢の歩き

登りも下りも痛い

しかし

ロードはまあまあ

帰りの駅の階段の登りは平気でした


冷えも関係していますね
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 「非情の山」ともいわれるK2  小松 由佳

2017-02-15 20:50:01 | マラソン・駅伝関係

こまつ・ゆか
1982年秋田市生まれ。秋田北高校入学と同時に山岳部に入部。1999年熊本国体、2000年岐阜インターハイ出場。東海大学山岳部では初の女性主将を務め、海外遠征でも活躍。大学卒業後は、ICI石井スポーツ新宿西口店でアルバイトをする傍ら、山に登る。2006年8月、南南東リブからK2に登頂。同年、秋田県民栄誉章受章。東海大学山岳部OB会、山岳同人チーム84所属。東京都府中市在住

山頂から、何が見えたのだろう。何を感じたのだろう。
 14時間のラッセルの末、K2の頂で「宇宙を見た」と彼女は言う。足もとには地球が大きく弧を描き、雲海が広がっていた。K2がふたりを待っていてくれた。そして冷静な自分もいた。「生きることとは登ること」「登ることは生きること」を、これほど実感した山はなかった。
 「山は、非現実的な世界。そこに浸れるのが私の一番の生きがい。集中と緊張感の極限のなかで、五感をすべて使い、研ぎ澄まし、すべてに敏感になる自分がいる。普段感じないことを山では感じる」
 登頂の後、下降は登頂以上に厳しかった。疲労と眠気、装備の凍結、そして酸素ボンベが切れてからの8200メートル地点でのビバーク。しかしK2は、ふたりを無事に還らせてくれた。
 「私から山を奪ったら空っぽ」
 帰国後の記者会見で、そう話した。
 「山に、高さや知名度は関係ない。心から惹かれる美しいルートを持つ山に出合いたい。ずっと山に触れて生きていきたい」


 パキスタン北部、北緯35度52分、東経76度30分。ヒマラヤに続くカラコルム山脈の最高峰は、標高8611メートル。登頂の難しさでは標高世界一のエベレストより上といわれ、成功した登山者の数も少ない。急峻な岩稜が天へと突き上げるすさまじい山容は、登山家の心をかき立てる。
 バルトロ氷河のコンコルディアから初めてK2を望んだのは今年6月。そこには美しい三角錐の氷壁が天にそびえ、「想像していたより百倍かっこいい」K2の姿にみとれた。
 憧れの登山家ラインホルト・メスナーは、K2山頂からの光景をこう表現したという。
 「自分がなぜここにいるのか、分からなかった」
 史上初の8000メートル峰全14座完全登頂をはじめ、数々の記録を誇るメスナーにこう言わしめたK2。その山頂で自分は一体何を見るのか。どんなことを感じるのか。「それが知りたかった」と振り返る。

ベースキャンプへのキャラバンを続けながら、K2は頂をさらに突き上げていく。その姿を見上げては、青い空へと登っていく自分を思い描いた。「こんなにスケールの大きい山でルートを延ばしていけるのは幸せ」と、先頭に立ってルートを拓き、その高みに憧れた。
 登山隊が決めたのは、急峻な南南東リブからの攻略。冬山の経験が豊富な自分たちに有利な雪のルートであり、「独自のルート工作により力を試すことができる」と判断した。進むにつれ、自分の力ではどうにもならない危険にも幾度となく遭遇した。冷蔵庫大の落石、真上からまとまって落ちてくる小石…。そのなかでルートを延ばし、C1、C2、そして7800メートルにC3を設けた。「危険はあっても、登ることが止められない。K2はそういう素晴らしい山」。登山隊は、アタック態勢を整えた。
 8月1日、核心部であるボトルネックの斜面を登り、ふたりでただひたすらに高みを目指した。先を歩いていた後輩がこちらを向き、目配せをした。
 「言葉など交わさなくとも分かった。ここが頂上だ」


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2017.02.12 大倉バス停⇒焼山登山口⇒三ケ木14:26着

2017-02-12 16:35:51 | マラソン・駅伝関係


2016
年末現在

 2566塔ノ岳2577

 1381丹沢山1391

 1216蛭ヶ岳1226

  634姫 次643

  157青根159

    6平丸7

  423焼 山427

  419焼山登山口424

  406三ケ木411

  291橋本駅北口291

   37大山38

    3大山三峰4





また雪が積もったので

満を持して日曜日といいたいところだけれど

足の調子と雪質がだんごになるので

ずっと我慢でした

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最強のランニング道

2017-02-09 21:27:52 | マラソン・駅伝関係
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美女アスリート 

2017-02-08 21:24:08 | マラソン・駅伝関係
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2017 元旦  大倉バス停⇒焼山登山口⇒三ケ木12:56着

2017-01-01 15:29:34 | マラソン・駅伝関係

一年の幕開けに相応しい素晴らしく穏やかな晴天でした

新年の最初に聴く音楽はシューマンのユモレスクと献呈は河村尚子の盤で

なんとなく2017はシューマンで幕開けです

ブレンデルのシューマンピアノ協奏曲と幻想曲作品17と続きます


そして夜の楽しみはニューイヤーコンサートはウインナーワルツで

昨晩の内山高志選手と総合格闘技は好かったです

そして、今日の山は

好い出会いもあり、足の切れが好く、楽でした

ポイント練習区間も1:21:45,35:16

2016
年末現在

 2566塔ノ岳2567

 1381丹沢山1382

 1216蛭ヶ岳1217

  634姫 次635

  423焼 山424

  419焼山登山口420

  406三ケ木407

  291橋本駅北口291



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12/30 大倉バス停⇒焼山登山口⇒三ケ木14:12着

2016-12-30 17:05:34 | マラソン・駅伝関係
2015
年末現在

 2484塔ノ岳2566

 1302丹沢山1381

 1138蛭ヶ岳1216

  558姫 次634

  364焼 山423

  361焼山登山口419

  350三ケ木406

  263橋本駅北口291




明日このコース取りで日帰りされる方へ

馬の背の一部

塔ノ岳北面、丹沢山つるべ落とし、蛭ケ岳北面

ランニングシューズにチェーン・スパイクあった方が神経衰弱にならずにすみます

意外と白いものがあり

人が好く入っているのか圧雪されています

私は寒さで両膝が痛くなり、時間がかかりました

コンドロイチンやセサミンも摂取しないと駄目かもしれません

階段の登りが痛い、焼山の下りで痛い方の足を庇う

ロードの下りはゆっくりでないと駄目

2016.6までは完璧でしたが、肉離れから膝に来てしまった2016の総括でした



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太平洋戦争 【借金に追われて】日本が太平洋戦争に突入した理由が悲しすぎた【原発・靖国まで】

2016-12-29 04:57:02 | マラソン・駅伝関係
日露戦争に「勝利」した日本、だが、ロシアよりはるかに多くの戦死者が発生したのは日本だった。しかし、日本は日露戦争で賠償金を得ることさえなかったのである。

1904年から1906年にかけ合計6次の外債発行により、借り換え調達を含め総額1万3000ポンド(約13億円)の外貨公債を日本は発行した。

日本円の価値を最低水準で固定しながら、日本人の労働力の全てを貸主に渡す、いわゆる奴隷状態が1983年まで続いたのだ。

あらかじめ、日本国民にリスク負担させる法整備をして日本に原発を導入させたしたたかなアメリカ。一方、一切のリスクを日本国民に負担させて原発を輸出しようとする日本政府の今の姿がある。日本人を他国に隷属させようとするのは外国人ばかりではない。

戦後、GHQ、CIAがA級戦犯被疑者を釈放していたのまとめ

2007年に米国務省は、日本を反共の砦とするべく岸信介内閣、池田勇人内閣および旧社会党右派を通じ、秘密資金を提供し秘密工作を行い日本政界に対し内政干渉していたことを公式に認めている。
戦後の米国の対日政策のもう一つの重要な要素は、台頭するソビエト連邦に対する対共産圏政策だった。米国は日本国内にコントロールできる有力者を持つ必要があった。岸信介らと、正力が選ばれたのである。



ポツダム宣言の内容が やくざの恫喝ぷりにワロタ! matome.naver.jp/m/odai/2136232…
返信 リツイート いいね 2014.07.26 15:03
「無条件降伏」、それは慈悲深い解放、中立公正な降伏勧告などというものとは程遠い、文字通り、圧倒的武力による威圧によって、隷属を求めるものだった。
現代語訳してみたポツダム宣言
連合国のつきつけたポツダム宣言の全文を現代語訳するとこのような威圧的なものになる。
一 合衆国大統領、中華民国政府主席およびイギリス総理大臣は、自国の数億人の国民を代表して協議した上で日本国に対し、今回の戦争を終結させる機会を与えるということで意見が一致した。

二 合衆国、英帝国および中華民国の巨大な陸、海、空軍は西方から自国の陸軍および空軍による数倍の増強を受け日本国に対して最終的な打撃を加える態勢を整えた。右軍事力は日本国が抵抗を終止するまで同国に対して戦争を遂行する一切の連合国の決意によって支持され、かつ、鼓舞されているものである。

三 覚悟を決めた世界の自由な人民に対抗するドイツ国の無益かつ無意義な抵抗の結果は、日本国国民に対する先例を極めて明白に示している。現在、日本国に対して結集しつつある力は、抵抗するナチスに対し適用された場合において全ドイツ国人民の土地、産業および、生活様式を必然的に荒廃に帰せしめたのに比べ、計り知れないほどにさらに強大なものになるぞ。我らの決意に支持される我らの軍事力の最高度の使用は、日本国群体の不可避かつ完全な壊滅を意味すべく、また、同様必然的に日本国本土の完全な破滅を意味する。

四 無分別な打算によって日本帝国を滅亡の淵に陥れたわがままな軍国主義的な助言者によって日本国が引き続き統制されるべきか、あるいは理性の道を日本国が進むべきかを日本国が決定すべき時期が到来した。

五 我らの条件を左に述べる
我らは右の条件を絶対に離脱しない。これに変わる条件は存在せず、我らは遅延を認めない。

六 我らは無責任な軍国主義が世界より駆逐されるまでは平和、安全、および、正義の新秩序が生じ得ないことを主張する。従って、日本国国民を欺瞞して世界征服の暴挙に出る過ちを犯させた者の権力と勢力は永久に除去する。

七 右のような新秩序が建設され、かつ、日本国の戦争遂行能力が破壊されたことの確証が得られるまでは連合国の指定する日本国領内の諸地域は我らの指示する基本的な目的の達成を確保するために占領されるべきだ。

八 カイロ宣言の条項は履行されるべきで、また、日本国の主権は本州、北海道、九州および四国と我らの決定した島嶼に限定されるべきだ。

九 日本国の軍隊は完全に武装を解除された後、各自の仮定に復帰し平和的かつ生産的な生活を営む機会をえさせるべきだ。

十 我らは日本人を民族として奴隷化しようとしたり、または、国民として滅亡させようとする意図を有するわけではないが、我らの捕虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える。日本国政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべきだ。言論、宗教、思想の自由、ならびに基本的人権の尊重は確立されなければならない。

十一 日本国はその経済を維持し、かつ公正な損害賠償の取り立てを可能にするように産業を維持することを許される。ただし、日本国に戦争のための再軍備をさせるような産業はこの限りではない。右の目的のための原料の入手、(原料の支配は含まない)を許可される。日本国は将来世界の貿易関係への参加を許される。

十二 前期の諸目的が達成され、かつ、日本国国民の自由に表明された意思に従って平和的な傾向を有し、かつ、責任ある政府が樹立された場合には、連合国の占領軍はただちに日本国より撤収する。

十三 我らは日本国政府がただちに日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ、右行動における同政府の誠意によって適正かつ十分な保障を提供することを同国政府に対し要求する。右以外の日本国の選択は、迅速かつ完全なる壊滅があるだけだ。


日本の歴史教科書でもポーツマス条約は日露の「休戦条約」と位置づけられています。「日本海海戦に勝利した」としても日露戦争に勝利したわけではありません。この部分は非常に重要であるにもかかわらず、多くの日本人が誤解しています。百年以上も前の戦争が教科書でごまかされるのは何故でしょう?お気に入り詳細を見る
日露戦争に「勝利」した日本、だが、ロシアよりはるかに多くの戦死者が発生したのは日本だった。しかし、日本は日露戦争で賠償金を得ることさえなかったのである。

人的損失も経済的損失も日本のほうがはるかに大きかった日露戦争。たしかに日本は大国ロシアと戦争をしました。国家予算の60年分という借金をして戦った戦争は、プロパガンダの材料にする程度の価値しかなかったのです。

親の借金のために若者の命が散った
財政破綻したら国が取り崩される、それを免れるために戦争を仕掛ける必要がありました。

しかし、それはそもそも米国、そして米国系ユダヤ人があらかじめ金を貸し付けたために生じたと言うこともできます。日本人は、借金の代わりに得たものがあったでしょうか?それとも都合の良い奴隷だったのでしょうか?

日露戦争で日本は、米国系ユダヤ人らから借金をして戦争を行い、「ロシアに勝利」しました。しかし、実際には、同じユダヤ人がソビエトに金を回し、ロシアの崩壊を誘導していたと言われます。そして、やがて太平洋戦争で米国に敗戦した日本ですが、太平洋戦争開戦時も日本は米国の借金を負っていました。

太平洋戦争に突入したとき、日本は膨大な負債と、その金利負担を抱えていた。
次世代まで払いきれない負債を作ったとき、すでに日本人は隷属していたのです。個人資産は、相続放棄できるが、国家の負債は放棄できません。

多くの国では、個人の相続財産は3世代で縮小するように相続税の税率が設定されています。短期的には資本主義的な国家であっても長期的に格差が拡大していかないように競争を維持させるほうが社会にとっては都合がよく、相続税によって社会に富を再分配させるからです。

しかし、相続放棄や相続税のメカニズムは国家間では働きません。債務によって生じた関係は長期間持続可能なものになってしまうのです。日本人は、資本主義の主人の側ではなく、奴隷の側に堕ちたのです。

「無条件降伏」、日本は、借金返済のために経済を維持することが認められた


ポツダム宣言の原文を読んでみれば、その「無条件降伏」というものがいかに恐ろしいものであるか理解できます。

「無条件降伏を受諾した」としか教科書に書かれないポツダム宣言。なぜ、その恐ろしい全文が教科書に掲載されないのでしょうか。その文章は、威嚇によって満ちていました。

彼らは借金返済を帳消しにすることはありませんでした、ただ、戦争当事国への賠償を減らそうと主張したのです。それは、一見、正義のようにも、優しさのようにも見えます。しかしそれは、日本の抱えていた借金の取り立てを可能にするための主張でした。

サンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約)によって、賠償枠が大幅に緩和される。主に米国が主導し、敗戦国に賠償金を課すことがよくないことだという主張が展開されました。

歴史の教科書の説明はこうです。

『日本は損害賠償の支払い義務があるが、支払い能力が十分ではないとして、結局14条で「連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。」とし、すべての賠償請求権を放棄させた。
 連合国がこのような寛大な処置をとった背景には、第一次世界大戦後のドイツに対する苛酷な賠償請求が、ドイツ経済を崩壊させ、ヒトラー台頭の一因となったという反省がある。また、1949年の中華人民共和国の建国や、1950年の朝鮮戦争の勃発など冷戦が激化する中で、すべての交戦国に賠償請求権を放棄させることにより、日本を自陣営に取り込みたいとするアメリカ側の狙いもあった。』

そんなこと言いながら、米国はしっかり膨大な日本の債務を昭和の終わりまで回収し続けた。
「寛大な措置」というのなら、債権を放棄してむしろ国土が破壊された国々への賠償を優先させるべきだったでしょうか?

米国にとって日本は、軍事的には対共産圏の極東の前線という意味があり、経済的には貸し倒れさせたくない債務者でもありました。米国の政策は、徹底して日本を朝鮮戦争やベトナム戦争の前線基地・調達工場として採用し、日本の労働力を安く利用しました。

「寛大な措置」などではなく、パイの取り合いに力のある国家が勝利した結果に過ぎなかったのです。

終戦直後、莫大な負債を負ったままハイパーインフレに突入。日本円の価値はとてつもなく暴落。日露戦争の負債には日本人の労働力をいくら注ぎ込んでも足りない事態となります。

そして、日露戦争の負債が解消されるまで、この水準で、固定相場制が維持されのです。

日本円の変動相場が認められたのはその後のことでした。

借金の返済を終えると、今度は急激な円高に。


1985年プラザ合意と、急激な円高
日本がポンド建て国債を返済し終えた2年後の1985年、日本はNYにおけるプラザ合意を受け入れ、変動相場制に突入します。

戦後の日本経済の政策誘導は、膨大な米国の対日赤字を伴っていました。そのため、米国でのインフレが進んでいました。


貸し主による監督を失った国債残高は、その後無秩序な増加を開始します。

1980年代以降、国内保有分の国債残高が異常に増加することになりました。外国からの借り入れではなく、子孫からの借り入れになった途端、クレジットカード中毒患者のような振る舞いを始めたのです。

「日本国債は大丈夫」という人たちは「95%が国内消化だから」と繰り返します。しかし、それはより俯瞰してみれば子孫の富みの先取りによる国外流出を意味しているのです。





プラザ合意についてはバブル崩壊後にさまざまな議論がなされたが、バブル景気とその後の失われた10年(長期不況)の起点ではないかとの見解がある。


はしごをはずされても気づかなかったバブル景気、そしてついにバブルが崩壊した後なぜ再び浮揚することが困難だったのでしょうか? 景気浮揚を国債発行に頼らなくてはできない体質だけが残されたのです。お気に入り詳細を見る


結局、米国から借りていた借金は返済されましたが、日本政府の負債がなくなったわけではありません。むしろ債務は増加しながら、その貸し主が日本国民に置き換えられています。

結局、米国は貸し付けた金額と十分な金利を加えたカネを回収することができ、日本経済は見た目には発展しました。それは、今では自分たちの子孫からの負債によって維持されています。



米国は、昭和61年までゆっくり、しっかりと、貸し付けていた金に金利を上乗せして回収した。また、GHQを介して日本の親米戦後体制を構築することに成功した。
日露戦争で負債を負った日本人は、太平洋戦争でも負け、戦勝国による占領支配をうけながら、国債を通じてピンハネされ続ける機械の部品になりました。


日本の戦後賠償への影響
大国以外は政治的な発言力は大きくなかった。例えば中国や韓国は十分な補償を得たという認識をしないまま、戦後処理が完了したものとされた。
その後、ODA(政府開発援助)を日本は継続して行っています。これは、受け取る当事国から見れば賠償金そのものですが、日本国内から見ればあくまで援助であるというタテマエがあります。国民を騙しながら、日本は賠償金を支払い続けるしかなかったのです。たとえば日韓請求権協定を巡っては、「韓国人の財産請求権は日韓請求権協定で解決済みだ」とする立場と、不法行為とは無関係な経済協力協定に過ぎないとの立場が現在でも対立しています。

例えば、日韓請求権協定を根拠に日本政府は、『「戦後賠償は解決済み」と定めた』と主張する。だが、実際の日韓請求権協定の前文においては「両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題を解決することを希望し、両国間の経済協力を増進することを希望して、次のように協定した」としている。そこには賠償という言葉は一言も含まれていない。なぜ、明文化することを避け、当然後で蒸し返されるような協定を結んだのだろうか?お気に入り詳細を見る
結局、わざと戦後補償は蒸し返せる構造にしていた



議論を保留することこそが、これらの協定の目的であり、議論を解決することはそもそも目的にありませんでした。

このような玉虫色の協定を結んだのは、米国が先に借金回収をするためだったと考えることで理解できます。補償を後から蒸し返すことができるように協定をデザインすることで、米国は各国に賠償条件を認めさせる落としどころを与えたのです


日本への原発導入
原子力発電所もまた、日本の債務返済のために日本に導入されていた。


当初、まったく採算性のない原子力発電が日本に持ち込まれたのは、米国の対日政策の一つだった。米国から見れば、短期的に現金を回収することこそ重要であり、長期的な採算制は全く重要ではなかった。結果的に、日本の負債は見える負債から見えない負債に置き換えられた。

当のアメリカでは、スリーマイル原発事故以来、安全対策、防災対策が見直された結果、原発の採算性はまますま悪くなり、以後1基も建設されていない。お気に入り詳細を見る
米国は、採算性がないことを把握しながら、原子力を日本に持ち込んだ。一方、自国ではスリーマイル事故以降30年以上も開発を凍結していた。
米国はあらゆる手段をもって、日本の対米債務を解消させようとしていた。米国では原発建設を停止していたが、将来的な処分やリスク保証を行うと採算性がまったくないという結論をだしていたことが米国で公開された公文書から明らかになっている。富を回収する手段として、積極的に日本に技術移転を行ったのである。

米国が自国に原発を作らず、日本に作らせたのは何のためか?
本来なら、電力会社は原子力発電のリスクに見合った保険料を支払い、それを電力料金に転嫁し、電力を利用する事業者の商品代金に上乗せされなければならない。日本人は、その上乗せをしないで「安い日本製品」を輸出し続けた。

「政府保証による原発事業」それは、日本人にリスクと将来の処分費用を負わせ、「安く」製品を作らせ、それを米国に安いまま輸出させる植民地メカニズムに他ならない。お気に入り詳細を見る
日本の原発は、リスクを日本国内に残し(災害時のリスクを保険ではなく政府補償によってまかなうものとした、原子力損害の賠償に関する法律/昭和36年)たことによって、電力会社はリスクを加味せずに電気料金を設定できるようになり、日本の製造業はその電気料金に立脚して価格設定をした。そのため、日本国内に生じたリスクが商品代金に上乗せされることなく国外に日本製品が輸出された。
日本の経済発展は、一面的には国を豊かにしたように見えるが、実際には膨大な帳簿上の負債、そして簿外債務を伴うものであった。見えない負債として、将来に問題を先送りさせ、富を先取りさせることで、あたかも経済発展しているかのように見せながら、富だけを搾取する。このような政策は、第二次世界大戦以前の列強の植民地政策から一貫している。





軍人恩給の復活と被害市民への救済の停止
戦時中、全国各地を襲った空襲で障害を負った人は、全国で30万人以上いたとされる。政府は、その被災者に対し、戦後、治療費や生活費などの特別な手当ては一切してこなかった。実は、戦時中は、空襲被災者に対して手厚い補償があった。敗戦直後、軍国主義の一掃を目指したGHQは、“軍人恩給”を廃止するよう命令。命令にこたえ、政府は軍人恩給を廃止し、さらには一般の空襲被災者への補償制度も廃止した。
7年後、GHQから独立した日本は「軍人恩給のみを」復活させた。
なぜ、被害を受けた市民への補償を復活させずに、軍人に対する年金だけを復活させたのだろうか?これが現在まで続く軍人恩給利権・靖国利権への流れの礎となった。
国民は日露戦争で負債を負い、太平洋戦争を通じて被害を受けた。だが、戦後数十年かけて負債を返すことだけを要求されたのだ。米国は一部の利用できる有力者の復権を必要としていた。

出典
www.kmine.sakura.ne.jp
膨大な数の東京大空襲の犠牲者やその遺族は、補償をうけることはなかった。

日本軍に殺されたアジア・太平洋地域の国民の家族にも個人補償していない。我が国の空襲犠牲者も補償されていない。しかし、英霊=(死んだ軍人)への恩給だけが脈々と続けられている。
(極東軍事裁判で)A級戦犯といわれた人たちの遺族には恩給が支給されている。(それゆえ)もう罪人ではない
出典
森岡正宏厚生政務次官の発言
かつて東京裁判で戦犯として断罪された人達は、日本国内の考え方ではもはや犯罪者ではない、なぜならば、軍人恩給が支給されているからだというロジックが公然と用いられる。
米国の支援によって、一部の戦犯は公職に復帰し、戦後の日本を動かすために用いられた。その、根拠として利用されたのが、軍人恩給であり、その象徴的存在が靖国神社となった。お気に入り詳細を見る
恩給問題は旧軍人の年金問題でもあり、ほとんど政府が実態を公表してないので多くの国民は実態を知らない。日本遺族会が自民党の熱烈な支援団体である理由も、靖国問題でなく恩給という金の問題なのだ。

旧軍人遺族等に支払われる恩給費という予算の項目があります。昭和28年から計上しております。昭和28年から現在までの予算、そのまま積み上げますと、約47兆円という数字が計算上出ています。
出典
政府参考人 戸谷好秀君 総務省人事・恩給局長
膨大なカネが軍人恩給の形式をとって、日本人の税金から集められてきた。そしてそれは選挙結果に当然影響してきたのである。だが、恩給の体裁を無理矢理維持して、戦犯を犯罪人でないとし、かといって、戦争責任者を自ら検証するというプロセスも設定しない、それを政治の世界の玉虫色としてごまかしてよいのだろうか?対外的には受け入れがたい矛盾と見られ、国内からは膨大な税金が特定の人達に流れ続けてきたのだ。


急速に変化した日本の位置

日本が原発を事実上運用不能になったことで、米国から見て日本の植民地性は大幅に失われた。一方、世界の工場としての位置づけは大陸にシフトすることが決定付けられた。
米国の日本利用の立ち位置は大幅に転換し、それと同時に、中韓は戦後賠償を再度蒸し返そうと外交政策を転換した。

米国が中国などに対して経済的にも政治的にも弱くなってきたため、中国・韓国などが戦後処理を再度蒸し返しつつある。
日韓関係・日中関係が急激に悪化したのは、まさに原発事故後であること、国際政治の潮目に変化が起きたことは間違いない。

徴兵制が現実味を帯びてきたね。先の選挙時、徴兵制はあり得ない!と言ってた奴なんとか言ってみ。 “@pecko178: *いよいよ囚人出動? 毎年1万人以上の「廃炉作業員」が必要となる福島原発、人材確保を国に要請(7/31 福島民友)

福島第一原子力発電所事故
責任をとるのは納税者
破綻しない・させない電力会社
出典
tanakaryusaku.jp
破綻しない・させない電力会社
日本は、原発事故を起こした事業者や関係した株主、銀行に責任を負わせて破綻させるのではなく、現在と将来の納税者に負担させることを選択しました。これには事情があります。

東京電力を破綻させてしまうと、日本の財政が破綻してしまうのです。
原発事故で事業者を破綻させてしまうとどうなるのか?
原発事故で事業者を破綻させると、原発を持つすべての電力会社が破綻してしまう。

出典
blog.livedoor.jp
現在の電力会社の株価は、原子力発電所の最終処分費用や、事故を起こした際の費用が、納税者によって負担されるという前提で成立しています。もし福島第一原子力発電所事故の賠償を全て東京電力に負わせたならば、この前提が崩壊してしまい、電力会社の株価が大幅に下落してしまいます。
本来なら事業者に負担させるべきですが、事故処理のコストを事業者に負担させるわけにはいかないのです。
電力会社の資産価値がマイナスになってしまうと、電力会社の資金調達が不可能になる。
資金調達が不能になる
出典
drepass.web.fc2.com
資金調達が不能になる
会社の株価が下がるということは、会社に換金可能な資産が少なくなっているとみなされることを意味します。このため、株価が下がると、資金調達が難しくなります。社債発行時の金利は高騰し、現在借りているお金の借り換えが不可能になってしまいます。

これは、会社が破綻することを意味します。
電力会社が破綻すると、電力会社株を保有している組織も破綻する。
電力会社が破綻すると、、
出典
wadaphoto.jp
電力会社が破綻すると、、
電力会社が破綻すると、電力会社の株を保有する、企業、自治体、年金基金などにも影響が及びます。

電力会社の株を保有している組織の資産が目減りすることになり、電力会社と同様に資金調達が不可能になってしまうのです。

従って、電力事業者を破綻させると、国中で電力会社の株式を保有している大企業や、地方自治体、年金基金などが連鎖倒産する可能性があるのです

原発事故で事業者を破綻させてしまうと原発の価値がなくなってしまう
日本にある沢山の原子力発電所の価値
出典
blog.livedoor.jp
日本にある沢山の原子力発電所の価値
原子力発電所を保有する電力事業者が成り立たないということになると、原子力発電所の価値がないことになってしまいます。これらの価値をゼロで勘定すると、どういうことになるでしょうか?
帳簿上、資産として計上されている原発の価値がゼロになってしまう。
原子力発電所は、価値があるとみなされており、その価値を担保に実際にお金が動いています。原子力発電所には価値があるという前提で、株価が成立しており、原子力発電所には価値があるという前提で電力事業者はお金を借りることができているのです。
あるとき突然原発の価値がゼロになってしまうと、3兆2000億円の資産価値がゼロになってしまいます。
資本主義経済の仕組みでは、帳簿の一方から価値がなくなってしまうと、これを担保としている財産が連鎖的に毀損されていきます。
原発の寿命を確定してしまうと、最終処分費用も計上しなければなくなる
原発の寿命を確定してしまうと、単に資産価値がゼロになるだけでは済みません。一基当たりの廃炉費用と、核燃料の最終処分に必要な費用を設定しなければならなくなります。しかし、そもそも全ての原子力発電所を同時期に廃炉するだけの人材が我が国には居ないのです。
帳簿上の資産が、突然借金になってしまう
出典
ameblo.jp
帳簿上の資産が、突然借金になってしまう
もしも、家を購入して、一方で借金しているときに、購入した家の価値がゼロになったり、それを解体する費用が必要になったらどうなるでしょうか?

単に、家が失われただけでは話は終わりません。銀行は、貸付金を回収しようとしはじめるでしょう。その人が事業者であれば、事業性の資金の貸し付けも制限されるようになってしまうかも知れません。
原発の価値をゼロにしてしまうと、影響範囲が大きすぎる
原子力発電所は、将来のリスクを無視して利益を先取りする灰色のシステムだった

出典
www.47news.jp
実は、原子力発電がグレーなシステムだということは、最初から明らかなことです。だからといって、原子力発電所を突然やめることの影響は、全電力会社の破綻に止まりません。

それは、日本経済を構成してきた産業の大半を壊滅させることになります。そうなれば、日本の財政を担保するものも失われてしまいます。
原発を止めると、地方自治体や政府のサービスは最低限に縮小されてしまい、それさえ維持が難しくなってしまう。
原発の価値をゼロにしてしまうと、日本円の価値も暴落してしまう可能性がある。
原発の資産価値をゼロとし、日本の主要企業が生産活動を続けることが困難になってしまうと、日本円の価値は大幅に下落してしまいます。金利は高騰し、日本政府は国債を償還することができなくなってしまいます。
日本円が暴落してしまうと、食糧調達が不可能になる
日本円の価値が暴落してしまうと、輸入に頼っている食糧が大幅に値上がりし、事実上食糧確保ができなくなってしまいます。
原発を破綻させると年金も貰えなくなってしまう。
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12/25 大倉バス停⇒焼山登山口⇒三ケ木12:48着

2016-12-25 15:25:58 | マラソン・駅伝関係
2015
年末現在

 2484塔ノ岳2565

 1302丹沢山1380

 1138蛭ヶ岳1215

  558姫 次633

  364焼 山422

  361焼山登山口418

  350三ケ木405

  263橋本駅北口291




ポイント練習区間は


1:24:51,32:40

ロードは引っ張ってもらいました

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シューマンのフモレスケを河村尚子のピアノで聞く

2016-12-01 21:25:53 | 音楽
ショパン:ソナタ第3番&シューマン:フモレスケ
河村尚子


上品で趣味がよく「美しい」抒情をたたえた知的で洗練されたピアニズム。それがこのCDを聞いた感想です。

輝きに溢れた『夜想(ノットゥルノ)~ショパンの世界』から2年半、ついに河村尚子のRCA Red Sealからのセカンド・アルバムが登場します。ファースト・アルバムで河村が類稀な親和性を感じさせたショパンは、「ピアノ・ソナタの王様」ともいうべき大作『ピアノ・ソナタ第3番』を、河村が愛してやまないシューマンの作品からは、心情の移り変わりの細かな襞を描いた秘曲『フモレスケ』を収録。シューマン=リストの『献呈』が最後を飾ります。対象的な作風を持つ大曲2曲をメインに据えて、河村尚子のスケールの大きなピアニズムとイマジネーションが大きく飛翔します。今年後半で最も期待されるピアノ・ソロ・アルバムといえるでしょう。
1枚目同様、カラヤン/ベルリン・フィルの録音で知られ、世界的にも音響効果の優れたベルリン・イエス・キリスト教会でのレコーディング、SACDハイブリッドでの発売です。(ソニーミュージック)

【収録情報】
・ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58
・シューマン:フモレスケ 変ロ長調 作品20
・シューマン=リスト:献呈
 河村尚子(ピアノ)
 録音時期:2011年5月23日~25日
 録音場所:ベルリン、イエス・キリスト教会
 録音方式:デジタル


上品で趣味がよく「美しい」抒情をたたえた知的で洗練されたピアニズム。それがこのCDを聞いた感想です。できる限り演奏に寄り添うような気持で2回ほど聞いたのですが、冒頭の感想以上のものは感じられませんでした。私には高評価をしている諸子のような感受性と耳がないのかもしれませんね。FMで聞いたベートーヴェン・ピアノ協奏曲のライブがすばらしく、「世界トップレベルのピアニスト」という感想を抱いていただけに、このCDから心を動かす...

とてつもなく素晴らしい超名演だ。超名演の前に超をいくつかつけてもいいのかもしれない。河村尚子による2枚目のアルバムということであるが、録音に慎重な彼女であればこその久々のアルバムの登場であり、正に満を持してと言った言葉が見事に当てはまると言っても過言ではあるまい。本盤には、ショパンの最高傑作とも称されるピアノ・ソナタ第3番と、シューマンのフモレスケ、そしてシューマン=リストの「献呈」がおさめられている

河村が類稀な親和性を感じさせているショパンの作品からは、「ピアノ・ソナタの王様」にもなぞらえられるべき大作『ピアノ・ソナタ第3番』を、河村が愛してやまないシューマンの作品からは、心情の移り変わりの細かな襞を描いた秘曲『フモレスケ』を収録。堂々たる急-急-緩-急の4楽章構成のソナタであるショパンのソナタ第3番、起伏に富んだ楽想が切れ目なく続くシューマンの『フモレスケ』という、いわば対照的な作風を持つ大曲2曲。河村は深くロマン派音楽の神髄へと分け入り、スケールの大きなピアニズムで作曲者の魂を描き出していきます。あらゆる音やフレーズが全く新しく吟味されたかのごとく新鮮な輝きを放ち、作品全体が生き生きとした躍動感を帯びていくさまを体験することは、まさに河村尚子の演奏を聴く上での醍醐味といえるでしょう。
アルバムの最後を飾るのは、シューマン=リスト編曲の『献呈』。ショパンの『レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ』と同様、河村尚子のアンコールの定番であるこの名曲。録音直前に急逝した師ウラディーミル・クライネフへの河村の深い祈りが込められた「献呈」でもあります。


河村尚子さんの演奏は、以前にもショパンか何かを聞いた記憶があるのだけれど、その時は素晴らしいセンスだと思ったけれど、あまり気に入らず、そのままになっていた。
新しいシューマンの評判が良いので、取り寄せて聞いてみたのだけれど、これはとても良いと思った。
ラドゥ・ルプーの美しい録音がデッカにある(DECCA/440 496-2)が、他にもホロヴィッツの1979年のライブ録音があった。古いイヴ・ナットの録音も良かった。他にもいくつか聞いているが、私の気に入ったものは…。人それぞれ好みがあるので、あれがないとかはご容赦。

いくつかの部分に分かれるものの、続けて演奏されるこの作品は、シューマンのこの時期を代表する傑作中の傑作。だから録音も多いかというと、そう多くはないのは不思議だ。
それでも上にあげた名演があるので、私はとりあえず不自由はしていない。が、この河村尚子さんの演奏を聞くと、また他にも聞いてみたくなった。ひょっとして聞き逃した名演があるのかもと思ってしまったのである。
それほどこの演奏は目覚ましいものがある。

深いブレスで、ゆったりと演奏される冒頭。実際はそれほど遅くもないのだが、一杯いろんなものが詰まっていて、それらがスローモーションのように饒舌に語るからそんな感想を持つのである。決して単調なのではない。
ピアニスティックな意味で見事なのは、やはりホロヴィッツの録音であるが、この河村さんの演奏は全く異なる表現方法でありながら、実にピアニスティックで美しい。華麗さや豪華さといった言葉はホロヴィッツに献上するとして、対極にある「思索的」な演奏なのだ。ホロヴィッツがただの練習曲のように弾いている等と言っているのではないので、誤解無きよう。
それにしても、この演奏のカンタービレ、歌い廻しのさりげなさと、気をつけて聞けば充分に考え、感じ、表現されている「歌」の美しさはたとえようもないほど。
シューマン好きの方には、ぜひお薦めしたい。ショパンも良い演奏だということだが、まだシューマンだけを2度ほど聞いて、今3回目に入っているところ。何とも良い演奏で、盛り上がるところでも、充分な力感がある。













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シューマン ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op.44

2016-12-01 21:06:33 | 音楽
シューマン ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op.44


この曲も、いわゆるシューマンの「室内楽の年」、つまり1842年に書かれたものだ。
シューマン32歳の秋である。彼はわずか数週間でこの曲を書き上げた。
現代でも室内楽の重要なレパートリーの1つだが、作曲当時の評価は様々だったようである。
ライプツィヒのケヴァントハウスで初演された際、聴衆の中にいたフランス・ロマン派の作曲家ベルリオーズは、ドイツ・ロマン派に批判的であったのだが、この作品を聴いて非常に感激したと伝えられている。
また、シューマンの家でこの曲を聴いた作曲家リストはちっとも気に入らなかったようで、その後2人の間が疎遠になったようだ。
当時ではまだ珍しかった、弦楽四重奏とピアノという編成は、珠玉のピアノ作品の多い彼にとっては、必然だったのかもしれない。
やや古典的な香りの中に、シューマンらしい濃厚なロマン派の色気が織り込まれているが、ロマン的な趣を担うのは主にピアノの役目である。
それはピアノ五重奏のスタンダードとも言えるが、シューマンの場合は一層、ピアノが入ると入らないとでは、その魅力に激しく差があるように思う。
シューマンの良さの1つはそこだとも言える。

NHK-BSでエール弦楽四重奏団と伊藤恵さんの共演によるシューマンのピアノ五重奏曲の放映を見ました。若手特有のバリバリ弾く感じを想像していたのですが、抑制の効いた美しい演奏だったように感じました。個人的には、シューマンのロマン性をもう少し強調してもよいのではと思いました。

力強く、活力みなぎる1楽章、葬送行進曲風の2楽章、3楽章は勢いのあるスケルツォ、それらを纏め上げるソナタ風の4楽章。
全体的にシューマンにしては自由さに欠ける、やや形式ばったような雰囲気だが、その古典的手法が、シューマンのロマン主義をより充実させている。
僕には、シューマンが鍛えたこの古典的な技法が、彼の見る大きな1つの夢に、はっきりとした輪郭を与えているように思えるのだ。
憧れのような輝かしさ、哀しみと慈しみ、青春のような快活さ、それらを色鮮やかに映し出す、シューマンのロマン主義的な精神に溶け込んだドイツ古典的な技法。
それがこの曲の魅力を引き出しているのだが、この曲の素晴らしさはそこだけに止まらない。
白眉は4楽章のクライマックス。荘厳な二重フーガで再び1楽章の第1主題が現れると、今までの夢は一体何だったのか、その答えが現れてくる。
彩られた夢に少しのノスタルジーが重なり、時間を越えた希望と豊かな響きを残して、幕を閉じる。

ある人に室内楽で初心者にわかりやすい名曲はと聞かれました。さて、そういうふうに考えたことがないものですからちょっと困った。わかりやすいというのは覚えやすいという事だろうと勝手に解釈・・・。

『そうですね、モーツァルトのクラリネット五重奏曲、ベートーベンのヴァイオリン・ソナタ「春」、シューベルトのピアノ五重奏曲「ます」、メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲、ブラームスの弦楽六重奏曲第1番、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」・・・・・・・・』ときて、いけませんね、大事なのを忘れてた。

ロベルト・シューマンのピアノ五重奏曲 変ホ長調 作品44

これで決まりでしょう、覚えやすいのは。とにかく複雑難解なところがありません。元気溌剌と始まる第1楽章、いきなり出るのが第1主題です。たおやかな第2主題は楽器のかけあいで(以上が「提示部」)。ちょっと緊張感のある「展開部」が続いて、またまた元気溌剌の第1主題が再登場(これが「再現部」)。展開部と同じ出だしで「終結部」(コーダ)へ。もう絵にかいたようなソナタ形式ですね。

第2楽章はハ短調の葬送行進曲。覚えやすいメロディーです。中間部はとてもシューマンらしい(気取って「シューマネスク」なんていう人もいます)ロマン的な緩徐部が激しい楽想をはさみこむ形式になります。第3楽章はスケルツォで、音階を上がったり下がったりでこれもすぐ印象に残ると思います。そして終楽章、またまたいきなり第1主題が。解説いりませんね。最後はこの主題が第1楽章の主題と組み合わされて二重フガートになり、堂々と全曲を結びます。

どことなくモーツァルトのジュピターとベートーベンの英雄をミックスした小型版という感じのコンセプトでしょうか。弦楽四重奏にピアノを加えた編成はそれまであまりなく、この曲が有名になった第1号です。シューマンがクララと結婚して2年目の32歳の秋にわずか1か月強で一気に書かれました。彼はあるジャンルにのめりこむとそればかり集中して作る傾向のある人で、作品1から23はピアノ曲ばかり、1840年は歌曲の年、41年は交響曲の年、そしてこれを作曲した42年が室内楽の年と呼ばれます。

★苦難を乗り越えた結婚、そして数々の傑作の誕生

自分のピアノの先生の娘と恋に陥る、、、。別に悪いことをしているわけではないから問題はなさそうだが、シューマンの場合、敬愛する先生から大反対されてしまう。かつては自分の家に居候させた位シューマンを気に入っていたはずのヴィーク先生は彼のどこが気に入らなかったのだろう?
天才ピアニストの娘クララが可愛いくて仕方がなかったのはもちろんだが、きっとこう感じたからに違いない。「この男と結婚さすれば、娘は必ず不幸になる」
シューマンは生涯で何度か自殺を試みている(最初は23歳の時)。精神分裂症、躁鬱病など、彼の病名については色々な説があるのだが、才能があったにもかかわらず作曲をはじめとする活動に波があるのもそのせいかもしれない。ヴィーク先生はシューマンを居候させた時代に、今風にいえば「アブナイ男」、と予感したのかもしれない、、、。
先生の妨害はすさまじかった。両者何年もの争いの後、最後は裁判で決着をつけてシューマンとクララは1840年にめでたく結婚する。先生は床に崩れ落ち、両手で床を叩きながら悔しがったかもしれない、、。
でもふたりは幸せだった。とりわけシューマンは人生で最も至福の時を過ごしただろう。その証拠に結婚以後数年は彼の多作期が訪れる。自ら「歌の年」と命名した1840年、1841年は「管弦楽の年」、そして1842年は「室内楽の年」。
彼の室内楽曲の中で特に傑作として名高い「ピアノ五重奏曲」(作品44)はこの時期に生まれた。

★音の厚み、ピアノと弦楽四重奏の絶妙なコンビネーション

まず音の厚みに驚かされる。弦楽四重奏とピアノが奏でる音である。厚みがあるのは当たり前だ。それが半端ではないのだ。第一楽章の冒頭、全部の楽器が一斉に奏でる音楽はまるでファンファーレのよう。ピアノ、高音と低音の楽器の音色がまさにぴったりと息をあわせて高らかに歌っている。
その後すぐに、ロマンチックなメロディがピアノ先導で進む。控えめ弦の併奏も美しい。静かな曲想になった時のチェロのソロ、、、、哀愁を帯びていてシビレルのだ。もちろんその時に他の弦楽器やピアノが全く目立たないけれど、要所要所でいい音を出してくる。聞いていて耳を常に暖かくしてくれるのである。絶妙なコンビネーションとはこのこと。
音色を堪能し、躍動的な曲想に心奪われあっという間に終わる第一楽章。続く第二楽章はこれまた叙情的な楽章なのだ。解説等では葬送行進曲風と書いてあるものもあるが、そういうイメージは私の場合全く感じられれない。むしろ心の葛藤を音楽で表現しているのでは、と想像しながら聞いている。重苦しいイメージと対照的に安らぎ溢れる曲想もあるが、それは心の葛藤の中、なんとかして光を探し続けているような気がしてならない。中間部は静かな嵐のよう。
まるで音階練習か?という第一印象の第三楽章は、それこそ息をつく間もない活発で力がみなぎる曲だ。楽器が奏でるメロディは音を順に上下しているだけのようなのだが、その組み合わせで見事な和音になっているのだ。シューマンの豊穣なアイデアが光っている。後半から少し民族音楽的なメロディに転化していくのも興味深い。楽章の終わりはまさにクライマックスのよう。第三楽章を終章にしてもおかしくないくらい、充実した音楽である。(私のお気に入りであるアルバン・ベルク四重奏団のカーネギーホールでのライブでは思わずここで拍手が起こる!)
終わったかと思う第三楽章の後、唐突に現れる第四楽章。これは第三楽章の後半以上に民族色溢れている。もちろんこの作品の根底に流れるメインのメロディが骨格になって音楽は造られているけれど、民族色を添えることにより、より親しみやすくなっている。途中の弦楽器とピアノ低音部との会話も楽しい。第三楽章までで終わった後、この楽章をアンコール曲のように聞いている私は、変わり者かもしれないけれど、あの興奮もののアンコール演奏の雰囲気がこの第四楽章では味わえるのだから嬉しい。特に終盤で第一楽章のメロディをもとに全部の楽器で繰り広げられるフーガは本当に圧巻!

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この五重奏曲を聞くと「力がみなぎって」来る。この二日間こちらは大雪で、あっという間に真っ白な冬の景色となった。雪のしんしんと降る中、路面を覆う雪に足をとられながらジリジリと歩き進む。ふつうならうんざりするはずだった。でも、この美しく力強いピアノと弦楽の音楽が耳から注入されていたせいだろう気持ちが萎えることなく、ただひたすら前に進めた。雪の白さ冷たさを顔で感じた。心地よかった。美しい音楽に力をもらうなんて、ちょっと嬉しいな。
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