まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

動きを建築にしたBMW(2011視察14)

2011-10-10 20:46:37 | 海外巡礼 Europe

9日はボローニャからミュンヘンへの移動日でしたが、朝早くフィエラの丹下建築を見て、あわてて空港に向かったことはすでに書きました。

ミュンヘンに移動したあとは、郊外のオリンピック記念公園にある、BMWの新博物館とショールームを見ました。ミュンヘンのオリンピック公園は一度だけ訪れたことがあります。フライオットーの大空間の迫力とディテールの簡素さ(むしろ粗雑という印象)を体験しました。

今回はオーストリーのコープヒンメルブラウの傑作に出会うことが出来ました。コープヒンメルブラウは比較的小さな建築を作るというイメージを持っていましたが、大空間も大変巧みに作っています。

一見自由に思うままつくっているようにも見えますが、既存のBMW本社ビルやお椀のような博物館(Atelier Bruckner設計)、オリンピック公園の施設群との関係をうまく調整した結果の形であることが分かります。

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中は車や人の動きをストレートに表現しています。月並みですが非常にダイナミックな感覚に圧倒される思いでした。学生たちが課題で大いに参考にしたがるのも分かります。

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上の写真のように新車が中を走っています。

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どこをとっても絵になります。


ウルビノのまち(2011視察13)

2011-10-10 19:50:15 | 海外巡礼 South Europe

ここでウルビノのまちの様子も伝えておきたいと思います。

城壁都市ですのでその内部(旧市街地)は実にコンパクトです。南北に長いのですが東西は4,5百メートル南北でも1キロあまりしかありません。

馬の背になった部分に2つの広場があります。一つがパラッツィオドュカレの前のPiazza Duca Federico(次の写真上),そして北のほうにはもう少し庶民的なPiazza della Republica(次の写真下)があります。

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夕方になるとどこからともなく人がやってきます。中下さんによると彼らは観光客ではなく住民だそうです。

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広場を囲む街区は中庭型となっています。そこにはこじんまりとした庭を持つレストランもあります。

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昼間は観光客でにぎわいます。

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まちの中にはボローニャと同じようなポルティコもあります。

中心部はルネサンスのころの建築でできているとのことですから日本で言うと室町時代、戦国時代の都市空間で生活しているわけです。広場に来ればその都市がどうやって出来てきたのか、自分達の歴史とアイデンティティが確認できるわけです。

ウルビノ市を紹介するパンフレットの1ページ目には「ウルビノ:ユートピアの世界首都」という文字が、ルネサンスの画家、建築家ピエロデラフランチェスカの理想都市の絵とともにかかがげられています。それくらいのゆるぎない自信の表明もウルビノなら許されるのではないでしょうか。


ウルビノ大学教育学部など(2011視察12)

2011-10-10 19:26:29 | 海外巡礼 South Europe

Data o Orto dell'Abbondanza

ランプやサンツィオ劇場の隣にあるのがこの庭をギャラリースペースに改造するプロジェクトです。

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日本の雑誌には庭(正確に言うと屋上庭園)の状態の写真が紹介されていますが、現在ここまで工事が進んでいます。ここでいったんストップしているのでしょうか。日本の感覚でいうと不思議な状態のまま保持されています。一部展示もあります。

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中下さんや案内の市の方にはとくに不思議な中断という感覚はないようです。

下の写真のように完成パースが掲示されています。

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左下にデカルロの写真。左のほうには歴史のサイン(cenni storici) という言葉が見えます。おそらく歴史を目に見える形で継承しているという意味でしょう。

次に訪れたのがウルビノ大学教育学部です。

デカルノのウルビノ計画の中でももっとも有名なのがこの建物でしょう。

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このトップライトの在る吹き抜け空間に面して4層の教室群があります。その空間を是非体験したかったのですが、残念なことに稼動の間仕切りで教室がそれぞれ区画されています。

下の写真の正面のパネルの向こうに吹き抜け空間があります。

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上の写真の上方がガラスになっていますがその向こうにもう一つの教室が見えるでしょうか。

また吹き抜けに対しても上のトップライトからの光が行かないように水平の遮蔽幕が張られています(下の写真)。

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また一部の教室は試験(口頭試問)会場になっており見ることが出来ません。残念ながら今回は4つの教室を縦に重ねることで実現しようとしたことが何であったのかを追体験することはあきらめました。

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ランプ(La Rampa) のように緩やかな階段です。緩やかに空間を繋ぐことは彼の手法の特徴です。

ここから私たちは一度とおり(Via A. Saffi) に出ます。仰々しい入り口もなくほかの建物となんら変わるところはありません。

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ちなみにこの建物は修道院Convento di Santa Maria della Bellaだったものです。

次にVia A. Saffi をのぼります。山岳都市(あるいは丘陵都市と呼ぶほうがよい?)らしい頂上の広場に上っていくという身体感覚が確認できます。これはシエナやアッシジ、ペルージアでも同じでした。中心に近づいているという期待感と登るという身体感覚が融合されるわけです。

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次に見たのは経済学部です。これはPalazzo Battiferriというパラッツォ(宮殿、あるいは豪華な都市住居)を改装しました。

下の写真が入り口です。

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中は迷路のようですが、ところどころに庭に面したホールやロッジア、ガラスの階段を置き、空間的なメリハリをつけています。

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中の案内図です。結構複雑な平面です。

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しかし一つ一つの教室はこじんまりとして落ち着いた雰囲気があります。光が部屋に満ちています。

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学生ラウンジといったところでしょうか。

さて次の訪問地は城壁の外になります。ここからはデカルノが新築したものです。

Collegio del Tridente.

英語で言うとcollege of tridentということです。学生宿舎が斜面に沿って3方向に降りて行きます。

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その全体像はうまく写真に取れませんが、ここにあるタイムトンネルを抜けて斜面の宿舎にアプローチするのです。

次のようなトンネルを抜けます。

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するとその先にどんどん下に下っていく長い廊下があります。少し暗くて分かりにくいですが実際の空間もこのように暗くてずっと先に続くという感覚のものです。

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渋澤龍彦の小説かあるいは彼の編になる短編集にふすまを開けたらまた次の部屋が続き永遠に斜面の続き間を降りていく少年の物語があった(と記憶します。その少年は私の中ではまだふすまを開いて次の部屋に降りていっているのです)。まさにその世界があります。そんなことを考えていたら学生が私たちの横を走って過ぎて行き、またしばらくたった後に猛スピードで駆け上がってきました。帰ってきたところを見ると、この廊下には終点があるようで安心しました。

デカルロとしては丘陵都市ウルビノのメタファーを表現したものと思われます。彼にとっては同じチームⅩの同士であったオランダ人建築家アルドーファンアイクが言うように建築は小さな都市であり都市は大きな建築であるように思えます(a city is not a tree unless it is also a huge house- a house is a house only if it is also a tiny city) 。

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上の写真のようなサロン的スペースの作り方にも丘陵都市が反映されているというといい過ぎというより間違いでしょう。劇場的なスペースを作り、学生の交流空間としているのだと思います。禁欲的に幾何学的形態操作だけで空間を分節し人が領域化しやすい場所を作り出そうという姿勢にはやはり70年代という時代性を感じます。私にとっては好ましい空間です。

このあとは一度広場に出ます。

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もっと新しい宿舎を見せてもらいました。名前がCollegio dell'Aquiloneといいますが、英語で言うとCollege of the Kite(たこ)になります。

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中廊下の片側に共用スペースを並べ反対側に居室を持っていくというオーソドックスなな配置です。上の写真は共用部のほうです。下の写真は反対側の居室、2層になっています。

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これが中央部の廊下です。

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トップライトをうまく使って効果的に光を取り込んでいます。

どうもオランダ構造主義的な香りを感じてしまいます。明快で論理的な構成をとりながらも両義的で、あいまいな空間性を獲得しようというような意図に満ちているような気がするのです。中下さんから今回陰でいろいろ尽力してくれたウルビノ市の女史にお礼を兼ねて感想を伝えて欲しいといわれたので、私は、デカルロの作品には新築改築を問わず迷路的な明晰さ(Labyrinthian Clarity: ファンアイクの言葉)を感じると書きました。そのときは帰国後すぐで正直何も考えることなく思いついたことを素直に書いて送りましたが、今こうやって今一度写真を見ると、その感想があまり的外れでなかったように思えます。


既製品とオリジナルのはざまで

2011-10-10 16:13:06 | 建築・都市・あれこれ  Essay

先日の土曜日に都市環境デザイン会議のモニターメッセがあり、私も参加しました。会場は御茶ノ水の日本大学理工学部1号館です。

カーテンウォールで覆われ、大学にしては少々軽々しいオフィスのような建物だなあというのが第一印象でした。しかし、中に入ってみると細部にまで気配りがされた完成度の高い建物であると気づきました。休み時間に中をうろついてみると、階段(とくに手すり)の収まり、吹き抜けのとり方、トップライトからの光の入れ方、教室の天井の作り方、光の遮蔽の仕方、吹き抜け最下部の家具の形状など、これは高宮真介さんの設計ではないかと思い至りました。

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最近しょうようプラザや真下慶二美術館など高宮氏の作品を拝見しているので、その完成度の高い空間の雰囲気は肌で実感しているつもりです。果たして先ほどウェブで氏の作品であることを確認することが出来ました。

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さて、建物はさておき、昼休みに外に出ると 駅の周りで「アートピクニック」なる催しをやっていました。

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バンド演奏もあります。

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ゴジラも参加です。確か南の島での核実験により眠っていたゴジラが起こされたのか、何か影響を受けたのか、少なくとも核実験がゴジラの登場に関わっていたことをおぼろげながら思い出します。隣の人の頭をかじっているのが気になりました。

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話がなかなか都市環境デザイン会議JUDIの本題に行きません。というのも少し会議の中に引っかかることがあったかもしれません。

モニターメッセというのはメーカーの方々(主に広場や道路など外部空間のプロダクトをつくっておられる会社です)が、自社製品を発表し、それにJUDI会員がコメントするという形で交流する場です。

プレゼンテーションを聞いているとバスシェルターや防護策などいろいろな工夫を凝らし、製品にまで作り上げていく苦労も分かってきます。コスト削減やメンテナンスのことを考えるとオリジナルだけでなく既製品をうまく使っていくことも私たちには求められる場合が多くなってきています。私もそのことを理解しています。

ただどうしても、違和感が残ります。自分にとってその違和感がどこから来るのか、それが明白になった発表がありました。あるアルミメーカーさんの発表です。新横浜駅前のの円形の歩道橋が出てきます。このシェルターを自社の既製品でうまく作り上げましたという発表です。

実はこの歩道橋の形状はコンペで私たちが提案したものです。

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普通の歩道橋で構成されていた基本計画に対して2003年に行われたプロポーザルコンペで私たちが提案し、関係者のご尽力でこの案で行こうと言う事になりました。

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ただこのコンペは設計者ではなくデザイン調整者を選ぶコンペであり、設計そのものは道路局や(駅舎に関係するところは)JR東海が担当することになっており、実際の調整活動は最初の数ヶ月間行われた後に、立ち消えになってしまいました。基本的な形状は採用されたものの、その後の展開に関われないことに私としては忸怩たるものがありましたが、基本的な形が出来た段階でそれぞれの事業者が設計を進めていきました。

実際出来たものを横浜市の方(担当の方ではありません)と見に行きました。このときの感想は次のブログに記しました。

http://blog.goo.ne.jp/1210tokihiko/d/20090811

モニターメッセで誇らしげにメーカーの方は発表されていましたが、私はそこに大きな違和感を感じたのです。

これは大変むつかしい問題です。常にオリジナルのデザインを追及するよりも、既製品をうまく使うことがコスト、メンテナンスだけでなくデザインという意味でも良い結果を生むことがあるかもしれません。

しかし私たちは出来るだけ現場での手作りにこだわってものをつくってきました。建築においてはもちろん然りですが、プロダクトがもっとも似合いそうなサインなどでもそのことにこだわってきました。

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上の写真は梅が丘のサインです。レンガで歩道が整備されてきたというまちの歴史に敬意を表してレンガでサイン板を支えました。現場で職人さんが一つ一つ積み上げるという形状を強調するため、1個1個積み上げたものが自立するようになっています。このためには構造のチェックやプレストレスを与えるなど目に見えない多くの手間をかけました。

既製品を組み合わせてシャープに仕上げることも可能です。そのほうが手間はかかりません。しかし、今の自分にはこの方向性がフィットしていると感じています。この考え方で、今携わっている地方都市にも関わっていくつもりです。

既製品の改良に対してJUDI会員の方々から本当に鋭い建設的な提案が続いていました。メーカーの方も本当に謙虚に意見を聞き改良していこうという意欲を見せていました。大変良い会だとは思いましたが、どうしても自分の中に少々の違和感が残った一日となりました。


ランプとサンツィオ劇場(2011 視察11)

2011-10-10 14:02:05 | 海外巡礼 South Europe

中下さんからはウルビノがラファエロの故郷であることも教えてもらいました。ほかにもルネサンスの巨匠ブラマンテもすぐ近くの町の出身だそうです。また、アルベルティもこの町に関係しています。

町の中心部にあるパラッツィオドゥカレは今は美術館になっていますが大変美しい古典的なファサードを持っています(下の写真)。これは、ルネサンスのウルビノ領主フェデリコ・ダ・モンテフェルトがフランチェスカやジョルジオマルティーニなどを起用して造ったもので巨匠アルベルティも参加したとも言われています。モンテフェルトの肖像はピエロデルファランチェスカの横顔の絵が有名で、ウフィッツィ美術館にあるそうです。

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私たちはまずLa Rampaを経てSanzio Theatreに向かいます。

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城壁都市の下(外)と上(まち)を繋ぐのがLa Rampaです。英語で言う斜路rampのことです。城壁の外にある駐車場もデカルロの基本計画によるものですが、この駐車場と上部の街を繋ぐらせん状のランプを再生したのもデカルロです。上の写真の丁度アール上に突出した部分にあります。その上にあるのがSancio Theatreです。デカルノとの最初の出会いに感動して登りましたが、うかつにも写真を撮るのを忘れてしまいました。先回のブログにも出てきたルネサンスの建築家ジョルジオマルティーニが最初につくったものです。ランプのモチーフはデカルロが好んだようで彼のデザインのいたるところに出てくるのを見ることになります。

内容があい前後しますが、デカルノのウルビノ計画の基本的な考え方は、1950年代までの農業経済から観光と大学によるまちの活性化をめざしたものであったようです。そういった意味ではバス広場や観光案内所があるまちの玄関ともいえる駐車場広場(ここの地下には大駐車場があります)と上の街をどう繋ぐのかは重要な意味を持ちます。ルネサンスのまちにふさわしくランプでアクセスさせるというのは建築と都市をつなぐ秀逸なアイデアだと思います。

Sancio Theatreでは市の方も案内してくれました。1970からデカルロによる改修が始まっています。客席はおそらくそれほど改変を加えていないと思います。

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しかし、ホワイエは劇場というのは都市的空間(Urban Space)であるという建築家の考えに沿って大幅に改変されたようです。

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中下さんが市の人としゃべっています(上の写真)。市の人といっても「役人」風でないのは海外のどの都市に行っても感じることです。

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デカルロがあけたトップライトです。パラッツィオドュカレの塔を見せて関係性を作り出しています。この劇場はもともとはその中にあったPascolini Teatreを継承しているからでしょうか。

このほかオーケストラピットなど既存構造を活かしながらいろいろ工夫を加えていました。

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ホワイエにデカルロが開けた窓からはウルビノの街を一望することも出来ます(上の写真)。

残念ながら東京でホールのホワイエから周囲の町が見えたら正直なところ興ざめすることも多いのではないでしょうか。彼らのまちではベルディの歌劇とまちは違和感なく繋がっているのでしょう。

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天井桟敷から舞台を眺めます。袖舞台や奥舞台は広くありませんがうまく使いこなす伝統があるのだと思います。