まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

「散歩ことはじめ」から

2013-05-26 15:50:47 | 建築・都市・あれこれ  Essay

古い雑誌を捨てる前に拾い読みをしていたら、川本三郎氏の「散歩ことはじめ」というエッセイ(文芸春秋、1996年11月)に目が留まった。

       

散歩というのは江戸時代は「はしたないことで、してはならぬ行儀」であった。まともな大人がすることではなかったと大佛次郎が書いているという。
    

 

大佛によると「散歩は西洋人が来て教えてくれた」もので、明治になってから日本人に定着したものである。精神的時間的余裕がないとできないが、早く近代化した西洋はそれだけ余裕があったのだろうと川本は推測する。また、当初は経済的にも余裕のある階級に散歩という習慣が定着したそうである。        

 

早い時期の散歩の例として鴎外の雁の中の岡田を挙げたり、大正の永井荷風などを今の「東京散歩」ブームの創始者として紹介しながらエッセイは終わっている。

 

たしかに漱石の小説にも「三四郎」やら「猫」で散歩のシーンはよく出てくる。都市を逍遥する散歩というのは明治以降、都市の高等遊民のある種のぜいたくであった時代があるのだ。

 

商店が座売りから陳列売りになり、ショーウインドウが発明?された時期(早くは明治中期)が日本の都市で目的のない逍遥を楽しむ生活が定着した時期だと書いたのは初田亨氏である。残念ながら地方都市の商店街をそぞろ歩く人の姿は、ずっと前に消えてしまったが、皮肉なことに現代においては、タモリ氏や中澤新一氏らの言葉や著書に誘われるように、(商店街だけではない)普通の街をぶらつくことがブームになっている。

 

ところで散歩できる道筋がきちんとあることがその都市の魅力の大きな要素となる時代が来ているといったのが建築家槇文彦氏である。別の機会に槙さんはパブリックスペースについてふれたエッセイのなかで、郊外ショッピングセンターの「モール」はパブリックスペースの要件を満たしていないとも書いている。

 

川本氏のエッセイを読んで、「ショッピングセンターのモールを散歩するものはいるまい」というフレーズが思い浮かんだ。やはり散歩するからには、その都市の文化や生活の歴史がしみ込んだものが体験できなくてはならないだろう。お店の並びの中に不思議なお稲荷さんがのぞいていたり、胡散臭い店があったり、何をしているのだろうこの人はという人物がふらついていることが、美しいショーウインドウがならぶことと同じくらい大事なことなのである。   

      

        
      

また、モールで子供が鬼ごっこや地面に絵を描いて遊んだりすることは許されないであろう。トマスジーハーツという人が、「デモ行進のできない通りはパブリックスペースとはいえない」というようなことを言っていたような気がする(?)が、今はやりの言葉で言うと多様性を持つ空間であるかどうかも、パブリックスペースの大事な要件であるといえよう。      

 

私自身は、散歩する人の目線と、身体感覚で都市空間のことを考えて来たように思う。それは建築の設計をする時に、建築模型の中を想像の身体で動き回って考えるのと同じ感性である。