ナーバスのベクトル

憂いと喜びのベクトルが今日もあちこち上下する

味わうということ

2005-02-27 12:36:05 | ベクトル→マイナス
音楽とご馳走とは、通りすがりの人を立ち止まらせる。
我々の口をついて出てくるとき、道はあっさりとして味がない
それは目に入らない。それは耳に入らない。
しかし、それは尽きることがない。 ~老子~
その人に備わっている「自然」をそのままに生きること。
けっこう地味かもしれないし、刺激に乏しいかもしれない。
でも、あっさりと、味がないもは、気ままに変化して尽きることがない。ものを忘れることは、その後の微妙な変化を味わうための準備なのだ。
「ほ~、自分のボケ頭のいいわけに、老子を出してきよったぞ」
「これやから、中途半端に本読んでる奴は嫌いやねん」
「なにが自然や。シンプルライフなだけやんか」
「ほんま、金ないから、ご馳走食べられへん、コンサート行かれへんだけ」
「そう、100歩ゆずっても、ただの気分の節約ライフやな」
「老子がおこるでぇ」
脳みそたちが、ぼやく。
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忘れるということ

2005-02-26 12:50:40 | ベクトル→マイナス
朝起きたら、キッチンの流しの中に茶碗と箸があった。
たぶん昨日、飲んで帰った後でカキごはんを食べたのだろうという証拠がそこにあった。
もし、食べた後で茶碗を洗って、食器棚にしまっていれば、
昨日の夜にカキごはんをかっ食らった事実は葬られたいたはずだ。
記憶にないことは、ないことと同じことだ。
あんなこともしたし、そんなことも言ったし、とんでもないこともしたかもしれない。
でも、忘れた時点で、証拠はもうないのだ。ナッシングなのだ。
「記憶にございません」は正しい。
一般的常識では「それぐらい、覚えているやろぉ」と思うことも、
本当になんにも、全然、覚えてないんだもぉ~ん。だから許して。
「よぉ~まぁ~、自分の記憶の悪いのを、記憶の証拠やてぇ」
「だいたい、覚えておくという意識がないんや」
「そや!なんも考えんと、ボ~とおるから、脳まで、なんも、とどかへん」
「普通、みんなもう少し、神経つこて、気を配ってるもんやぞぉ」
「おかげで、俺たちのことをバカ呼ばわりや、脳みそが足らんのと、ちゃう。
使い方を間違ってるんや」
脳みそたちが怒っている。

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空耳があるということ

2005-02-25 14:07:12 | ベクトル→マイナス
ブログをブロブと言ってしまう。ライブドアをライフドアと言ってしまう。
マサチューセッツが言えない。マサチューチェッチュになる。フィラデルフィアも言えない。
頭では分かっているのだが、口は言いやすい音を勝手に決めて声に出す。
言い間違えたのは分かっている。聞き流してくれたら、別に難はない。しかし、聞き捨てならない人たちがいる。いちいち、チェックが入る。
耳から入ることは、活字のように強固ではない。
音楽を聴いていて、なんて言ってるのかわからない歌詞も多いし、
「空耳」というお茶目な機能を、耳ははじめから備えているのだ。
「空耳」があるのだから、「空口」も許すべきだ。口の場合は「言い間違い」と言い、「間違い」だと断言する。なんという横暴。
口から発せられる言葉と、それを聞く耳の関係は平等であるべきだ。耳に過剰に反応する人たちは、口への寛容さをプラスしたバランス感覚が必要だ。
「けっ、なにがバランス感覚や。自分がうろ覚えしてるだけやんか」
「まちごうとる」
脳が指摘する。

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名前を勘違いすること 

2005-02-25 13:38:25 | ベクトル→プラス
ズガニのことをいつのまにかザガニと言っていた。
集まるメンバーに、メールで「ズガニの宴」を行うと連絡したが、
途中から、ザガニになっていたらしい。
人が集まると、カニの名前をズガニと呼ぶ派と、ザガニと覚えた派に分かれてしまった。
ズガニの正式名はモズクガニ。足に藻がついているからだそうだ。
はじめから、モズクガニと言ってくれれば、間違えなかったのに。
「やっと、俺たちの名前、覚えたみたいやな」
「アタチ、足の先まで食べられたし、もう思い残すこと、ない」
「徳島のズガニとして、記憶に残るちゅうわけや」
「うん、アタチ、いい仕事、したよね」
「そや、ようがんばった」
北浜の空に漂うズガニたちの霊は、こうして徳島の川に帰って行った。
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水に慣れること

2005-02-24 15:50:29 | ベクトル→プラス
徳島出身の生きたズガニ10匹が、クーラーボックスに入れられ、車に揺られ、大阪の北浜に到着した。
次の日、みんなで食すまでは元気に生きていてもらうのが運命だ。
土鍋の中にカルキ抜きした水が入れられ、ブクブクも設置され、快適な環境が整えられる。
「やっと到着やな。ほんま、車移動はきつかったわぁ」
「ここのお水、アタチ、嫌い。徳島の川に帰りたい」
「がまんせぇや。もう、戻れれへんのや。ここの水に、慣れるしかないんや」
「わかった。ここのお水、好きになる」
「よっしゃ、それでこそ、徳島のズガニや」
次の日の晩、ズガニ全員の命日となった。合掌 ほんで、感謝。
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朝のトイレで思うこと

2005-02-23 19:03:08 | ベクトル→プラス
朝起きて、トイレでおしっこをするたびに感心する。
昨日食べた野菜や肉やご飯の固形物と、コーヒーやビールや水やらの液体が見事に分離されている。
唾液と共にかみ砕かれ、混ぜこぜになったヘドロ状態の物質が一晩で分離されるのだ。
体の中にある高性能の濾過装置を私たちは内蔵の働きと簡単に言うが、淀川の水を飲料水にするだけも大がかりな装置が必要なのに…。
「えらいビール飲んでるなぁ。ちょっと出してもらわんと、分離しずらいわ。
深夜やけど、トイレ、行かせろや」
「よっしゃ、膀胱に直流、流すわ」。
昨日の深夜のトイレで、そんな会話を聞いたような。