ナーバスのベクトル

憂いと喜びのベクトルが今日もあちこち上下する

スティックのりということ。

2006-04-12 15:06:10 | ベクトル→マイナス
スティックのりが最後の1本になった。
赤いキャップのスティックのりで、「紙・写真・布などにきれいに貼れる」というおなじみのアレである。
このスティックのりを使うたびに思い出すことがある。
今から15年ほど昔、それはそれは忙しい編集プロダクションをしていた頃、新人スタッフ嬢に文房具類の買い物を頼んだ。
で、そのお買い物の中にスティックのり2ダース・24本があった。
「2ダースだと大特価で、すごく安かったんですぅよぉ」と、初めてのお使いでうまい買い物をした自分をちょっと誇らしげにアピールする新人スタッフ嬢に、なぜか切れた。
「おいおい、おい! いくら安いとはいえ、たった3人のスタッフやのに、スティックのり24本は、あまりにも多いんとちゃうやろか。一人の机の引き出しの中に1本あったら充分なのがスティックのり。なくなれば、また1本買えばいいやん。残りの21個を、それでなくても狭い事務所やのに、どこかに保存しとかなあかんスペースの方がもったいないわい」と…。

案の定、パックにされた1ダース12本とバラになった9本は、なんでも入れ引き出しの中で長い長い眠りにつき、その後、2回ほどの事務所お引っ越しのたびに旅をして、また新しい場所で、その他のモノたち箱に収まり続けた。
そして、とうとう、そのスティックのりが、最後の1本になった。
15年間を経た今、“引き出しの中に1本のスティックのり”という、実用品の美しい様式となったのだ。

それよりも、初めての職場で初めての編集のお仕事に、心をワクワクドキドキさせながら仕事に向き合おうとしている新卒・新人スタッフ嬢に対して、たかがスティックのりの多量買いをしたということに切れてしまった自分自身の配慮のなさを思い出させてくれる“スティックのり呪縛”から、24本を使い切ったことでやっとこさ解放されたような気がする。

めったに怒らない私が、なぜ、あの時、切れたのか。
理由は今でも覚えている。安いときに買い置きしておくという“主婦感覚”が嫌だったのだ。
心をワクワクドキドキさせながら新しい何かを創造しようとしている期待の新卒・新人スタッフ嬢が、トイレットパーパーの買い置きと同じお買い物感覚で文房具を買ってきたことに、当時は血気盛にクリエイティブに邁進していた自分自身の気分を消沈させたからだ。

あれから15年。新卒・新人スタッフ嬢は、オーガニックカフェのオーナーになっている。
で、私は、特売・セールもんしか買わない主婦感覚フル活用の人生を送っている。

「モノと感情の因果関係を、モノがなくなることで消そうとしてるみたいやけど…」
「スティックのりを見るたびに思い出すんなら、また新しい1本を買ったら、思い出すことになるのとちゃいますか?」
そうならないために、今、ここに書いてしまって“スティックのり呪縛”を葬っているわけやないの。
「ほんなら、他にもたくさん、もっと大きな“呪縛”があるはずやでぇ」

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