ナーバスのベクトル

憂いと喜びのベクトルが今日もあちこち上下する

禁煙ということ。

2006-01-31 18:29:20 | ベクトル→マイナス
2005年12月24日から禁煙している。これを禁煙と言えるかどうかは分からないが、1日の3箱を煙にふかしていたのが、1日1本から10本になったんだから、素晴らしい成果だ。
実は6年前ほど『禁煙セラピー』という本のおかげで、簡単に禁煙に成功し、3年ほど吸わない人だった。二度と煙草は吸わない心と身体を手に入れ、『禁煙セラピー』も人にあげた。ところが、何がきっかけだったのだろう、いつの間にかチェーンスモーカーに逆戻り。
煙草が吸いたくなると「1本ちょうだい」と人から貰い、「おまえなぁ、自分で買えよなぁ」と怒られると「だって禁煙してるもん」と言い訳していた。
ほんで、再び禁煙を思い立ち、『禁煙セラピー』を再び購入した。ところが初回のような禁煙に関しての心にしみ入る説得力がない。禁煙を断行させるパワーもない。禁煙の魔法が効かない。読み終わった後でも1本ふかしている。
読んでみてわかったことだが、私が最初に読んだ『禁煙セラピー』(初版平成8年)から大きく内容が変わっている。内容が整理され、離婚したバーバラは、家に帰って吸う1本の煙草がどうしてもやめられなかった的なエピソード挿入がなくなってる。要は別の本になっているのだ。
おまけに『禁煙セラピー』に書かれている説得に対し、いちいち反論できる智恵と見事な言い訳と様々な理屈を構築している自分がいるではないか。これじゃ禁煙ができるわけない。
先日も久々の友達とお昼ごはんを食べた後、煙草が吸いたくなり、黙ってればいいのに「本当は禁煙してるんやけど、煙草、買ってくるわ」と言ったら「アホやなぁ~」とため息つかれた。
少し前は、バーでお酒飲んでたら煙草が吸いたくなり、銘柄を「禁煙してるから、一番軽いのちょうだい」と言うと「その日本語の使い方、まちがっちょる」と指摘された。
こうして、ニセ禁煙のおかげで、人生そのものを否定されるような屈辱と自己嫌悪を味わっている。
平成17年版の『禁煙セラピー』では禁煙はできていないが、過去の実績がある初版平成8年版『禁煙セラピー』では禁煙できるような気がするのだが、どなたか初版本をお持ちならおゆずりいただけないだろうか。
よく考えると初版『禁煙セラピー』には、「この本で禁煙に成功した後、再び吸いはじめた場合はもう二度と禁煙はできない」とかのおどし文句が書かれていたような気がする。このおぞましい一文が、初版『禁煙セラピー』に本当に書かれていたのか、確認をしてみたい。
「これ書いてる10分ほどに5本も吸ってるぞ、こいつ」
「煙草のおかげで、どんなけ俺たち脳の記憶力と集中力が激減しているか、わかってんのか」
煙草があったから、スラスラ書けてるわけやないの。
「違うって! 脳は確実に退化してるっ! だから禁煙の意味を理解できとらん」
「要は、やめる気、ないってわけね」

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