ナーバスのベクトル

憂いと喜びのベクトルが今日もあちこち上下する

試行錯誤ということ。

2005-03-30 21:44:24 | ベクトル→マイナス
昨日は、昔の編集仲間の友達らが来てくれた。
ロンドンから来た子もいたので、今の日本の話になった。イギリス人というのは、ああ見えてすごくいい加減らしい。日本に帰って来て、全てが機能的、合理的、能率的でびつくりしたらしい。
で、日本在住のわてらは、この機能的、合理的、能率的が腹立たしいと抗議した。
その昔、印刷物を制作するには、まず、原稿用紙に書かなければならず、200字とか400字とか決められた文字数ピッタリに納めるには、ちょい下書きもし、辞書も引き、校正もし、あまりに赤だらけの原稿になったら清書もしいと、なかなか手間のかかることだった。
デザインも、写真を複写機で縮小拡大したものを台紙に貼り、文字を指定し、写植を打ち、版下に貼り、文字校があれば一字一字を切り貼りし、マゼンタ何%、シアンが何%と色指定し、紙焼きならトレぺをかけてアタリの指定をしいと、相当じゃまくさいことだった。
そんな手間暇かかる作業の中で、それぞれが機能的、合理的、能率的にするための試行錯誤を実績と呼んでいたような気がする。
今はパソコンのおかげで、めちゃめちゃ機能的、合理的、能率的にできるようになり、昔に戻れと言われたら絶対嫌だ。
しかし、はじめから機能的、合理的、能率的なパソコンというツールを使いこなしている、若い世代の人たちは、機能的、合理的、能率的があたりまえなので、ちょっと枠からはずれたことを頼むと「できません」と言う。「それは手間がかかります」と言う。それは「作業が増えます」と言う。
機能的、合理的、能率的があたりまえなので、機能的、合理的、能率的じゃないことは悪だと思っているかのようだ。
仕事量に合わせた料金体系や進行管理のシステム化は、機能的、合理的、能率的かもしれないけど、そのシステムの流れに合わせるだけでOKの人たちがいる。
友達は、「私、デザインの仕事は好きなんですけど、時々、いつもと違うことをやらせれる時があって、それが嫌なんですよ。考えるの得意じゃないんで」と、普通に言う若い女性デザイナーと会い、目が点になったそうだ。
「それはあんた、デザイナーと違いますから。オペレーターと言うんです、残念!」と、突っ込みたいのをぐっとこらえて「それは、たいへんねぇ」と答えたそうだ。
パソコンやシステム化は、機能的、合理的、能率的だけど、それが目的ではない。機能的、合理的、能率的だから、じゃまくさいことや手間暇かかることをプラスできる。昔より、ずっと楽に試行錯誤できるはずなのに。
「試行錯誤は名人やけどな」
「パソコンの機能性、合理性、能率性を理解しとらん。デスクトップをファイルだらけにして、机の上と同じ状態にしとる」
「脳の機能もほとんど使ってへんけど、パソコンも同様やな」
うるさい脳ちゃん、昔に比べたらずっと機能的、合理的、能率的なんやからいいやん。
「いや、いや、こんがらがっとる。ベクトル、マイナスや」

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はじまるということ。

2005-03-28 14:48:35 | ベクトル→プラス
「人はなにかが終わった時、本当のことを語りはじめる」
太田省吾の『老花夜想』の戯曲の一節だ。
本能のおもむくまま行動し、思ったことをそのまま口に出す無節操な大学時代、お手伝いした劇団の演目が『老花夜想』だった。
そこで、なんとなく思った。自分が体験してないことを語ってはいけないのだ、と。同じ頃、陽明学という主体的実践や体験のみを重視した考えがあることを知り、認識と実践を一致させる生き方にあこがれを感じた。
そんな、若い時のベクトルの動きを長い間忘れていたが、ナーバスとハッピーのベクトルの行方を追っていくうちに、今まで生きてきたベクトルの動きは全てそこに到着しようとしていたことに気がついた。
結局は、大学時代という一番アホな時期に、その後の人生ともいうべき指針を決めていたのだ。
大人になるとどんどんお利口さんになるのかと思えばそうでもなく、知識や教養が増えるかと思えば、忘れることの方が多く、「大人になったね」なんて感覚を体験なく生きてきたが、ひとつ自分の中で核となるものがあったことが分かり、ハッピー。
今回の個展で体験したことは、「時間がないから」「お金がないから」「仕事があるから」の理由で、なにかをあきれめていたとしたら、それは大きな損出だということだ。認識と実践を一致させることは、前記の3つを言い訳にしないこと。以外と簡単だ。でも、前記の3つが一番世の中でのさばっている。
「ほんま、今まで、忙しい、時間がないて、書きまくっていたくせに、なんか悟ったようなこと言うやないの」
「まだまだ、認識だけやな。実践が足らん」
「こんな、ええカッコ言うて、あとで恥かくでえ」
うるさいなぁ、脳ちゃん。今日はギャラリーのオープニングよ。恥かくのは、充分体験してるから大丈夫。
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『Pagu Lee 写真展~ナーバスとハッピーのベクトル~』
3月28日(月)~4月2日(土) 15:00~20:00  
■会期中は、blog『ギャラリー猫の憂鬱』で、ギャラリーの様子をライブ更新します。こちらもご覧ください。

波長ということ。

2005-03-26 20:48:55 | ベクトル→プラス
いろんなことを詰めて、粘って、こね回していると、自分の世界から脱出して、人に会いたくなる。煮詰まったことをバラバラにしたくなる。そろそろ、パ~とバカしたいなぁと思っていたら、友達が食べ物とお酒を持って遊びに来てくれた。ありがたい。違う友達からもお誘いがありみんなで合流した。
次の日、お仕事のスポンサー様が、「美味しいものでも食べて、お仕事忘れましょ」と誘いに来てくれた。感謝しかない。その晩、別の友達も泊まりに来た。
そろそろこんなことしたいなぁと思う時、ベストタイミングでやってくる「ハッピー」なこと。ハッピーがすんごくハッピーなのは、ナーバスのトンネルにいたからだろう。で、ナーバスな時は、なぜか人は集まってこない。
ナーバスに飽き飽きして、ハッピーのベクトルに変わる狭間に、同じように波長が合う人たちがハッピーをやる気満々でやって来る。ナーバスからハッピーへ、ここが一番面白い。
「2日連続で、ようまぁ、飲んではしゃいで、ご機嫌さんで…」
「ハッピーからナーバスになる狭間もあることを、忘れとる」
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『Pagu Lee写真展~ナーバスとハッピーのベクトル~』開催
3月28日(月)~4月2日(土)15:00~20:00
会場:10w gallery(テンワット・ギャラリー)大阪・北浜【堺筋線北浜駅下車徒歩5分】

案の定ということ

2005-03-23 20:32:00 | ベクトル→プラス
やっぱり、案の定であった。
締め切りには間に合わせたものの、修正やら訂正やら校正やらで、てんやわんやの大騒ぎとはこのことだ。銀行にお金を降ろしに行ったら、お金がけっこうある。いつもなら引き落としの通帳記入がダダダダッと羅列されて、ヒェーとなるのだが、引き落としがない。
あらら不思議と思っていたら、入金してから1ヶ月ぐらい経ったと思っていたのに、まだ10日も過ぎていないのだ。10日を1ヶ月に感じるほど、濃密な日々を送っていたのだろうか。時間を得した気になった。さらに、忙しいとお金を使わないというWプレゼント付きだ。
さて、今日はやっとこさ「ナーバスとハッピーなベクトル」のための写真の準備をした。なんて楽しい作業なんだろうと思っていたら、もう、こんな時間だ。間に合うのだろうか。
でも、だいたいのことは、案の定で間に合うのだ。脳よ、共にがんばろう。
「案の定でてんてこまいで、案の定で間に合うんかい。ちょい、矛盾してまへんか」
「心配せんでも、月末になったら通帳もダダダダッと引き落とされてるわ」
「ほんで、来週から写真展。大丈夫なんかい」

『PAGU LEE写真展~ナーバスとハッピーのベクトル~ 』
3月28日(月)~4月2日(土)15:00~20:00
会場:大阪・北浜10w gallery

ナーバスを持ってギャラリーに行こう!
喜びと憂いのベクトルが、今日1日のグラフ作り上げていく。
そんな感覚と意識で撮られたナーバスな写真とハッピーな写真。
あなた自身のベクトルの行方も探ってみてください。

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間に合うということ。

2005-03-21 20:09:28 | ベクトル→マイナス
日々の暮らしでも段取りは重要だ。
今日は天気が素晴らしかったので、洗濯してお布団ほして、掃除して、家中の窓を開けて空気をパーフェクトに入れ換えて、気分すっきり。ほんで、お仕事をはじめたわけだ。
近所の郵便局は休日もやってるので、郵送をためていたものをまとめて郵送物を片づけて、帰りにお買い物して、ほんでまたお仕事をはじめた。
天気が良すぎるので、ちょい散歩して、ごはん食べて、ほんでお仕事をはじめた。
で、できちゃったもんねぇ。計画通りやないの。素晴らしいやないの。少し、取り残したこともあるし、明日になれば、訂正やら修正やら諸々も予想されるが、今日は終了だい。ビール飲むぞ。
こうして、日々の暮らしの中で、いろんなことが、それぞれのあるべきとこで間に合っていくのだ。それは、仕事も家事も遊びも同一線上で繰り広げられる。人生は楽しい。
あっ、しまった。お布団入れるの忘れてた。
「まっ、明日は悲惨な日になることは見えてるから、今日は黙っといたるわ」
「仕事が終わったんやない、はじまったということを忘れとる」
「冷たいお布団の中で、明日の段取りでも考えとき」
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ほめてもらいたいということ。

2005-03-20 22:04:53 | ベクトル→マイナス
週明け締め切りのお仕事1本が、計画通り今日、片づいた。
しかし、案の定、想像以上に時間がかかり、明日のノルマの1本がまだ白紙だ。資料として本を3冊ほど読まなくてはいけないのが難点。速読法を勉強しといたらよかった。
でも、とりあえず計画通りということで、ほめてあげることにする。
自由業、フリーというのは、人間関係のストレスはほとんどない孤独な作業で、ポカや失敗などの場合は解決方法を自分でみつられるので別に独りでもいい。でも、うまくいった時や、いいものができた時に、一緒に喜びをわかちあう人がいないのがさみしい。
全然関係ない友達に自慢してもしかたないし、一緒に仕事した人たちは「自分が一番」と思ってるから自画自賛な自慢大会になる。
というか、明日のことはおいといて、今日やるべきことをした自分に、ビールで乾杯なんてしてあげたいけど、独りじゃなぁ。
ねぇ、脳ちゃん、今日の私、偉いでしょ。ほめて、ほめて。
「はいはい、偉い、偉い。でも、ビール飲まんと、本読んだらぁ」
「わてらは、明日のことは責任もてませんでぇ」
「ほらほら、ほめてもベクトル、マイナスや」
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計画ということ

2005-03-19 23:59:25 | ベクトル→マイナス
週明けに3本のお仕事の締め切りがあり、土曜日1本、日曜日1本、祝日1本と順次片づけていくスケジュールを立てた。今までの経験では、そうはうまくいかないことを熟知しているが、珍しく今日は1本、片づいた。で、明日、残った2本のどちらを先に手をつけるかで迷っている。難しいものを先にして、ウンウンうなるだけで1日をパーにしてしまう可能性もあるし、比較的すぐできそうなものを明日にしたら、ウンウンうなるものを最後の1日で仕上げるという崖っぷちに立たされる。
同時に進めて、そん時の気分がノッてるものに優先権を与えるという案もあるし、なにがなんでも割り当てた1日で完成させるという根性作戦もある。悩むところだ。
別に時間がもっと欲しいと言ってるわけではない。集中力が欲しいのだ。今までの経験で、今日、1本仕上げたことで集中力を使い果たしたような気がする。ここはちょい気分転換して、新たな気分で集中力を盛り上げたいところだが、時間がない。もう、脳ちゃんのがんばりに頼るしかない。ねっ、脳ちゃん。
「ぐたぐたこんなこと書いてるヒマあったら、今、仕事せぇ~や!」
「集中力はあんたの問題やろ! 気分でも根性でもなんでもええから、仕事しろ!」
「しょうもないことしとったら、ストレス・ビーム発射するぞぉ!」
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テンポということ

2005-03-17 19:59:14 | ベクトル→マイナス
1月からちょっと忙しい状態で、2月に忙しい状態で、3月にすごく忙しい状態になった。
全く忙しくない状態から、忙しい状態に移行するのは、農道から国道に入るようなもんで、加速が必要だ。さらに忙しくなると、国道から高速道路に入るようなもんで加速を上げ、スピードもキープしなければならない。高速道路に合流する時は、スリルとサスペンスだが、乗ってしまえばスピードにも慣れ、むしろ快適だ。
ほんで、やっとこさ高速道路を制限速度で走っている。次から次の作業をこなすテンポにも慣れた。時間はないけど、スピード違反したら目的地には着けるはずだ。スケジュール、バッチリ。
無茶苦茶な状態でありながら、妙な自信が沸いてくるのは、スピードが心地いいからだろう。でも、高速に合流する時の怖さといったら、「あかん、間にあわへん。今日、徹夜しよかなぁ。それより、早く寝て、早起きしてはじめるほうが、はかどるかも。お風呂入りたいしなぁ。あぁ~、集中力が切れた。ダメだ、こりゃ。気分転換せな。明日は、え~と、何するんやったっけ」と、おたおたしていた。
でも、もう大丈夫だよね、脳ちゃん。
「なにが、スケジュール、バッチリやっ!」
「月・火と2日も温泉に行って遊んどるから、仕事ためたんやないか」
「気分転換のしすぎで、また農道に逆戻りしてるんとちゃんかぁ」
「ありえるなぁ。気分は高速道路らしいけど。ほらほら、ベクトル、マイナスや」
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地場ということ

2005-03-16 19:42:49 | ベクトル→プラス
土地(場所)には、値段的な価値や立地の良さとは別に、地場の優劣というものがあるようだ。
新しく飲食店がオープンしてもすぐに潰れ、また新しく飲食店ができるが、しばらくしたら閉店している。そんな早い撤退を繰り返している場所(テナント・スペース)がいくつかある。
「あ~あ~、ここで店してもダメやのにぃ~」と思うが、オーナーにしたら、何件も物件を見て回り、リサーチし、検討を重ね、プランナーなんかにも相談したりして、「よし、いける」と判断した大勝負。採算ありだ。
でも、希望あふれるオープン時を過ぎ、呼び込みの店員さんに悲壮感が漂いはじめ、必死感がピークになり、しばらくすると閉店の張り紙が張られている。でも、早い撤退は、いい判断だ。
店の失敗は、オーナーや店の人、料理やインテリアが悪いのではない。場所(地場)が悪いのだ。人を集めるパワーがないのだ。気がないのだ。どうも入りにくいオーラがあるのだ。それをみんなが感じるから、お店に人が寄らないのだ。
これからお店をオープンする方は、立地や物件の好条件だけでなく、テナントが入れ替わり立ち替わりしているようなら、やめておいた方がいい。もう、これは、人間の努力では補いきれない、土地が持つ宿命なのだから。
そんなこと考えたら、何十年も前から「閉店セール」の看板をかかげ続けている西天満の靴屋さんはすごい。あの場所も、あまり地場がいいとは感じないが、土地のマイナスに、閉店セールのマイナスをかけて、プラスにするという荒技で乗り切っている。お見事、浪花商人。
「今日は、なにが言いたいんか、わからん」
「自分もマイナスとマイナスをかけてプラスにしたいんと、ちゃうか」
「コツコツ積み上げていく足し算もできん奴が、かけ算はムリやろぉ」
脳ちゃん、読みが甘い。地場アドバイザーの自己PRしてんのよ。
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明るいということ

2005-03-13 20:13:35 | ベクトル→プラス
今日は3月だというのに雪が降った。
ミナミあたりを自転車でウロウロしてた時なので「雨でなくてよかった」と、天候に感謝した。液体の雨ではどうしようもないが、固体の雪なら自転車で突っ走れる。雪のせいか、6時前でも明るい。
うちの仕事場は西向きで、昼間は照明は付けない。暗くなったら電灯を付けるが、蛍光灯ではなくパソコン回りを照らすスポットなので、陽が沈んでからのお仕事は、夜なべな気分を倍増させる。
冬の間は暗くなるのが早いので、5時ぐらいで残業気分になり、お仕事を終了したい気分になる。
オフィスなどは、朝から晩まで蛍光灯の光がランランで、1日が同じ光量だ。今何時なのかは、お腹のすき具合や、仕事のはかどり具合で知るのだろう。いやいや、みんな時計を見るか。太陽の日差しの具合で、時間をカンで決めるのは、フリー業だけだろう。
ロンドンの友達が言うには、ほとんどが曇りの冬のロンドンで、パーと晴れて暖かい「インディアン・サマー」と呼ばれるスペシャルな日があるらしい。その日は、みんな会社を病欠するそうだ。次の日、日焼けした顔で出社しても、誰も文句は言わないのがマナーというかルール。
「せっかくの天気のいい日、仕事なんかするのもったいない」がロンドンの常識なんだとさ。イギリス人は、やっぱり真面目な国民だ。天気に対して正しく反応している。
天気がいい日は、洗濯して、お布団を干す。それができない人が多いから、全自動の洗濯機や布団乾燥機が考え出されたのだろう。
今は爪のようなお月様が窓から見える。日曜日なので、オフィス街の北浜は真っ暗。
これはこれで、なんか楽しい。
「暗いところでパソコン向かってるから、目が悪くなるんや」
「寒いし、暗いし、劣悪な環境やぞ、ここは。体がマヒしとるんや」
脳ちゃん、体ちゃん、もうすぐ春やし、心配ないよ。
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税金を払うということ

2005-03-12 21:38:22 | ベクトル→プラス
今日、やっとこさ確定申告のための資料を税理士さんに届けた。
あまりにも鼻くそな売上高で、税理士さん、税務署さんのお手をわずらわせるのも申し訳ないぐらいだ。「税金は払わなくてもいいよ」という実証と、還付金ねらいの確定申告なのである。
逆に、儲けている方や会社、企業は、節税という名の税金対策のために、税の専任社員や顧問税理士・弁護士などに莫大なお金を注入して「税金はできるだけ、節約する」という任務を遂行している。確定申告の時期、税理士さんは、ポジティブ税派とネガティブ税派の二極をかいま見るのだろう。
ところで今日は、しょうもないポカをして、税理士さんのところに3回かよった。北浜から天神橋3丁目まで(2駅分ぐらい)を、自転車で3往復したわけで、おまけに今日はすごく寒い。
帰り道、あまりの寒さに熱燗が飲みたくなり、所持金は3000円にもかかわらず昔かよった寿司屋に寄った。
「あ~、お久しぶりですぅ。熱燗ください。それとサバとサーモン」
熱燗・小が350円で、サバが260円、サーモンが280円で、よし、いける。酒、う~、うまい、もう1本だけ、熱燗飲もっとぉ。
「あの、熱燗、もう1本くださぁ~い」
熱燗・小が350円で2本で700円かぁ。ほんなら、はじめから熱燗・大にしといたら630円で70円の得やったのに~。しまったことした。あと1品、腹持ちいいのを頼もっと。
「うなきゅう、くださぁい」
うなきゅうが380円で、よし、これで止めとこ。酔ってきたし、もう、計算できる限界かも。
「以上、お勘定、お願いします。えっ、1620円。はいはい」
お~、やったぁ~。見事にまとめたやないの。支払い対策、万全。
「こいつには、金、持たさへんのが一番やなぁ」
「頭もよう、使ってたわぁ。今年で一番、回転してたんと違うか」
「昔は、みんな節税対策という名の元、接待交際費で飲んでたからなぁ。領収書が金券」
「バブルの時は、日本人全員が、節税対策とは、飲むことやと思ってたんよ」
脳ちゃん、わかってるやないの。私はバブルの犠牲者なのよ。
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占うということ

2005-03-11 19:48:40 | ベクトル→プラス
友達が占星術をしているので、岐路となる時期や大きな運気の流れのようなものを教えてくれる。
アドバイスをもらうと、だいたい当たっている。その通りの気分なのだ。私はとてつもなく素直な性格らしくて、普段から星のメッセージを自然にちゃんと受け入れているらしい。社会的には、気分屋のええかげんな奴となるが、自然界においては、運気の法則に逆らわない真面目な良い子なのだ。
今、占いを社会的な事柄でうまくいく方法(恋愛や仕事やお金もうけなど)に利用する人が多いが、本当は自分とって良い時期や悪い時期などを理解する、ことが大切らしい。
きつい時は軽く流し、チャンスの時はひと踏ん張りし、パワーの調整を自分で行い、スムーズな流れにすることで「常に自然でいる」ことが占星術の本当の目的だそうだ。
麻雀では、ツイてる時はどんどんツキに乗り、ツイてない時は最小の負けに押さえるのが、うまい打ち方だ。流れに乗り、逆らわないということでは、占星術の目的と同じではないか。でも、ツイてる時はポカをして、ツイてない時は熱くなる私は、麻雀が弱い。
ナチュラルでニュートラルでいる精神状態の工夫が、人生も博打も勝ちにつながるとは…。
「頭はボケてるけど、カンだけはえもんなぁ」
「というか、ピンチの時もあまりわかってへんから、ストレスたまらへん」
「天然ボケは、お得やわぁ」
「まっ、麻雀は一生やっても強くはなられへんけどな」
おいおい、脳がしっかりしてないから麻雀、負けるんやないの。
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懐かしいということ

2005-03-11 12:33:35 | ベクトル→プラス
ギャラリー回りをしていて、あるエレベーターに乗ったら懐かしい匂いがした。
陽は西に傾いていたが、赤い夕焼けになる前のギリギリの昼の光がさしこむ廊下を歩いて、エレベーターに乗ったらその匂いがした。
クリームソーダかサイダーのような、子供の頃によく嗅いだ匂いだ。
学校の下校途中で道草した匂いだ。
もっと遊んでいたくて、家に帰りたくない匂いだ。
毎日がキラキラしてたのに、それに気づかなかった頃の匂いだ。
匂いとか風は、一瞬にして昔のなにか切なくて懐かしい思い出の世界に巻き込む。
アロマを勉強している友達が、癒しとか和むという感覚は、この懐かしい感覚を思い出すこと、イメージが広がることだそうだ。だから人によって、琴線に触れる匂いは違うそうだ。
そんなこと考えると、街から匂いが減ってきたような気がする。家ごとにあった匂い、人の匂い、路地や道の匂い、犬の匂い、毛糸の匂い、髪の毛の匂い、草の匂い、土の匂い…。
今は消臭ブームだから、いろんな匂いが消されている。ほんで、アロマや香水、芳香剤などの匂いをふりまいているけど、匂いの画一化と言えるかもしれない。
傷みかけ寸前のお弁当の匂い、枯れた雑草の匂い、レコードの匂い、たき火の匂いのアロマがあってもいいのかも。
「あれから、子供時代の望郷に入ってしまいよった。いつまでボ~としてるんや」
「匂いが一番記憶を呼び覚ますいうから、ボケ頭の刺激にはなるけど、ボ~としてるのが、ひつこいなぁ」
「怠けるきっかけに食らいつくの、ほんま名人やからなぁ」
うるさいな脳。あんたが好きな匂いやろ。
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専門ということ

2005-03-09 19:22:07 | ベクトル→プラス
何年か前から、変革と変化の時代だと言われてきたけど、会社や政治や社会で、どんな新しいうねりが出現したのか、わからなかった。でも、コクドやフジテレビやライブドアやNHKやダイエーなどのニュースを見ていると、時代は変化していることがよくわかる。
専門という言葉辞書でひくと、その事を研究・担当するだけで、他の部門にかかわらないこととある。経営者という立場の人はなんの専門家だったのだろう。専門が旧体制の保持と保身であるのなら、専門馬鹿だ。そんな中で、堀江社長は、野球や企業がいかに専門化(旧体制)していたかを、わかりやすく紹介してくれてたナビゲーターだと思う。今までは密室で行われている専門会議を、エンタテインメントとして見せてくれた。
政治、経済の専門の人は、堀江社長のやり方をお金だけとか強引とか言うが、もっとフェアじゃないことをこっそりやっていたのが日本の政治・経済。新しいやり方、新しい考え方を受け入れるのがグローバルじゃないの。今、いろんなところで専門派とグローバル派の小競り合いがあるんだろなぁ。
だって、私の頭の中でも、経験と実績に基づきたい専門派と、新しいことしたがる博打派がドンパチやってるもん。
「ほんまにもう、いっぺん頭の中、整理したら」
「今日は1日、収拾不可能状態でつっぱしりやがって、わけわからんわ」
それを収拾するのが脳ざんしょ。早く明日の計画たててよ。
「いや、その前に、今日はじっくり反省してもらわなあかん」
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1日ということ

2005-03-08 20:06:41 | ベクトル→プラス
フリー、自由業という職業は、1日1日を毎日組み立て直しているようなものだ。
出社・退社時間がないから、時間は流れるのではなく、行っている行為と時間の固まりの集合体のような感じ。仕事をやってる固まりがあり、遊んでる固まりがあり、人と会ってる固まりがあり、なにか作ってる固まりがあり、こんなことでいいのだろうかと考える固まりがあり、なんて自由なんだとほくそ笑む固まりがあり、飲んで記憶がない固まりがある。
固まりそれぞれは、別次元のことをしているので、強烈な気分転換になるが、それぞれ互いに連動しているので、最後に出来上がった1日は、いろんな形のプラモデルになる。
1日でいろんなプラモデルが作れるのは楽しいのだけでど、明日はまったく見えない。明日はまた1からいろんな固まりを作って、どうにか1日の完成品を作るのだ。
ほんで、いろんなプラモデルがきれいにコレクションされていたら、「今日はおまえ」ってな感じで楽なんだろうけど、だいたいその日1日で形が消えてしまう。
これは、相当な数の怪しい固まりの集合体が消費されているはずだ。なんかもったいないな、と思ったのが、こんな文章を書きはじめたきっかけのように思う。
「ちゃう、ちゃう、自分の記憶のリハビリやて」
「たいした1日を過ごしてないくせに、観念で1日をとらえるの、やめてくれる」
うるさい脳。記憶力のない頭は、観念にすがるしかないの。
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