無心

日記

芥川龍之介の墓

2016-10-16 10:14:59 | 日記
芥川龍之介は明治25年.新原敏三の長男として東京に生まれ.生後8ヵ月の時母フクが突然精神に
異常をきたし.龍之介が11歳の時に世を去りました

小学校の時から成績優秀で、一高(東大の前身)へ無試験で入学を許可され卒業後、東大に進学

23歳の夏才色兼備の.吉田弥生と交際を始め.龍之介と順調に進めば結婚に行き着くはずでした
養父母とフキに告げた途端、激しい反対にあいます、龍之介の一途さなどが反発を買ったと・
伯母のフキは夜通し泣き、龍之介も泣きました。結局、龍之介があきらめる形となるのです。

そんな芥川の人生を大きく変えたのは、文豪・夏目漱石との出会いでした
とりわけ漱石の注目を引いたのは、芥川の「鼻」でした.予想外の激賞を受けた芥川は、
華やかな文壇デビューを、大学卒業間近の25歳で果たしたのです

・2人きりでいつまでもいつまでも話していたい気がします そうしてkissしてもいいでしょう
いやならばよします.この頃ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位
可愛いい気がします 何よりも早くいっしょになって仲よく暮らしましょう(文宛のラヴレター)

月給と原稿料で生活できる見通しがつき.27歳になった龍之介は.8歳下の塚本文と結婚します

次に龍之介を悩ませたのは、長男の誕生です.家庭でも人間関係に疲れた芥川は、
自伝的小説「或阿呆の一生」で、長男出生を次のように表現しています。

・何の為に.こいつも生れてきたのだろう?この娑婆苦の充ち満ちた世界へ

34歳の冬.芥川が当時の作家の代表作を集めた「近代日本文芸読本」が刊行されます
2年にわたる努力の結晶とはいえ、仕事の性質上、収入は少ないものでした。
それにもかかわらず、「芥川は1人だけ儲けて、書斎を新築した」という噂が文壇に流れます
誠実が仇で報われ、芥川は深く傷つきました.この事件で神経衰弱が進み睡眠薬の虜となります

創作活動も10年を迎え.胃を損じ腸を害し.12人の扶養家族の為.猛烈な勢いで筆を走らせた
婦人公論12枚、改造60枚、文藝春秋3枚、演劇新潮5枚、我ながら窮すれば通ずと思っている・

・死にたがっているよりも生きることに飽きているのです。
・彼は彼の一生を思い、涙や冷笑のこみ上げるのを感じた。
彼の前にあるものは唯発狂か自殺かだけだった。(或阿呆の一生)
・僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こう云う気もちの中に生きているのは何とも
言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?(歯車)

芥川龍之介は「生きるために生きる」以上の悲劇はないと.36年の生涯を薬物自殺で閉じました

墓前には綺麗な花と・愛煙していたのか? ゴールデンバットが供えてありました


日蓮宗寺院の慈眼寺は、正寿山と号し.明治45年(1912)谷中妙伝寺と合併の上、当地へ移転


司馬江漢・江戸後期の画家.江戸生. 狩野古信に学び.さらに鈴木春信に浮世絵を学ぶ


斎藤鶴磯 江戸時代 中期-後期の儒者.武蔵野の歴史地理に関する先駆的研究書「武蔵野話」を発表        
        

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