Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

渡岸寺観音堂~向源寺(2017年6月17日参拝)

2017年07月08日 | 伊香三十三観音霊場


長浜市高月町には個性豊かな仏様がいらっしゃる。

その代表格は誰がも納得の渡岸寺観音堂の十一面観音菩薩であろう。

他の仏様は住民が管理し事前に予約拝観しなければならないが、
渡岸寺観音堂の十一面観音菩薩は予約拝観不要で拝む事が出来ます。

初めての拝仏ですので楽しみです。

観音堂には大型の無料駐車場がありました。

ちなみに渡岸寺とはお寺の名前では無く、
地域の名前なのでややこしい。(^^;


<渡岸寺観音堂>
所在地:滋賀県長浜市高月町渡岸寺50
宗派:浄土真宗真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
札所:近江湖北27名刹、伊香三十三観音霊場


【縁起】
古社寺保存法に基づく日本で最初の国宝指定は、
明治30年(1897)12月28日付けで行われ、
国宝に指定されるには寺院に祀られていなければならず、
観音堂近くの向源寺に属する事で国宝に指定された。

向源寺が属する真宗では阿弥陀如来以外の仏を本堂に祀ることを認めていないが、
この十一面観音像については向源寺飛地境内観音堂に祀るということで、
本山から許可された。

大正14年(1925)には平安時代建築の様式を取り入れた観音堂(本堂)が再建。
昭和17年(1942)には宗教団体法の規定に基づき、
向源寺飛地境内観音堂は正式に向源寺の所属となった。


【水路】



【山門】


素晴らしい雰囲気の門構え。

これを見るだけで期待感が高まる。




渋い山門です。

手前の木は普通なら伐採されてもおかしく無いのだが、
この木があるとかえって良いアクセントとなっています。




斜めから見ても惚れ惚れとする渋さです。


【仁王像】




【天神社】




入って右手に天神社。

軽く参拝。


【境内】



【御堂】



【旧本堂跡】



【本堂】


大正14年(1925)に建立されたもので、
昭和49年(1974)まで十一面観音菩薩が祀られていたそうで、
今は阿弥陀如来が祀られていました。

本堂内陣は無料で拝観出来ました。

これは嬉しい配慮ですね。

隣りの慈雲閣は渡り廊下で繋がっていて、
拝観料を支払った者だけが入れるようになっていました。


【慈雲閣】


中はいわゆる空調の効いた収蔵庫で、
より美しく見えるように諸仏がライトアップされていました。


【十一面観世音菩薩】




(画像はネットで拾ったものです。)

美仏と全国的にも名高い観音様が目の前に。

さすが国宝です。

美しいプロポーションと優雅な佇まいに感嘆するしかない。

それと同時に感動した。

素晴らしい。

この収蔵庫で一泊させてくれませんかね。(笑)


【御尊像埋伏之地】




よくぞこれほどの仏様を土中に埋めてまで守っていただいた。

当時の方々に感謝。


【地蔵菩薩】



【御朱印】


拝観受付でいただきました。


歩いて数分の向源寺へ。


<向源寺>
所在地:滋賀県長浜市高月町渡岸寺88
宗派:浄土真宗真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:(伝)天平8年(736)
開基:(伝)泰澄


【縁起】
寺伝によれば天平8年(736)都に疱瘡が流行したので、
聖武天皇は泰澄に除災祈祷を命じたという。

泰澄は十一面観世音を彫り光眼寺を建立し息災延命、
万民豊楽の祈祷を行い、その後憂いは絶たれたという。

その後病除けの霊験あらたかな観音像として信仰されるようになった。

延暦9年(790)比叡山延暦寺の開祖である最澄が、
勅を奉じて七堂伽藍を建立したという。

元亀元年(1570)浅井・織田の戦火の為に堂宇は悉く焼失した。

しかし観音を篤く信仰する住職巧円や近隣の住民は、
十一面観世音菩薩を土中に埋蔵して難を逃れたという。

この後巧円は浄土真宗に改宗し、光眼寺を廃寺とし向源寺を建立した。


【山門】


こちらが渡岸寺観音堂に名義貸しをした向源寺です。


【本堂】


典型的な浄土真宗の檀家寺ですね。


こちらでは御朱印はいただけません。


【感想】
苦肉の策として土中に埋めて守ったと聞いて感動しました。

ここの十一面観世音菩薩だけではありません。

全国に祀れている仏様もお寺と地域の方々によって、
何百年も守ってくれたからこそ、
今、我々が素晴らしい仏様達を拝む事が出来る。

どうしても忘れがちだけど、
その方々に対して感謝しなければならない。

それを改めて認識させられた参拝となった。


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