週末のひとりごと

ほぼ週末に
思ったことを気ままに綴っています。

気が向いたとき覗いてください。

5月最後の日曜日

2016年05月29日 | 日記

 いろいろあった この5月も、残すところ二日のみ。今日は今月最後の日曜日でした。数日 曇りや雨の暗っぽい天気が続いたあと、昨日今日とようやく回復し、明るい日差しと心地よい風。絶好の洗濯日和になりました。来月になれば梅雨がくる と思ったら、朝から洗濯機を回さずにはいられなかった みたいな。

退院してきて一週間たちました。食事はまだ制限があると自覚しているので、好きでも食べない方が良いと言われたりする食材もあったりしてチョッと苦労しています。スポーツジムに行ってトレーニングもしたいのだけれど、それもまだ駄目なようで、少し不満です。自分的には順調に回復していると思っているのですが ホントのところは分からない。医者に太鼓判を押してもらうまでは安心できない もどかしさ。病気になってしまうということは大変なことだとシミジミ思っております。早いとこ ガンみたいなものとは決別したいのですけどね。

ところで今夜は 男子バレーのオリンピック最終予選 中国との試合を見ました。1セットも取れずに敗れてしまい ストレスだけがたまりました。ちょうど一週間前 22日(日)の晩は、同じく女子の予選最終日で オランダ戦 辛勝。その前夜はイタリア戦で オリンピック出場は決めたけど 惜敗。テレビの前で応援していましたが、ふと頭をよぎったある疑問。「この手の試合を、何故いつも日本でやるんだろう」って。

そう思ってパソコンを見ていたら、バレーはマイナーなスポーツで、国際バレーボール連盟にとって 日本でやるのが一番儲かるからなのだとか。で、日本でやるから、他の国が大陸予選を戦ってやっと最終予選に出られるのに、日本は開催国なので予選なしで出られるし、対戦順も指定できるし、対戦時間も指定できるのです、といったことが書いてありました。日本の選手にとっては応援も凄くて有利だし、まあいいか。

だけど・・・私は入院中だったから見ることができなかったのだけれど、女子18日(水)のタイとの試合。監督への2枚のレッドカードで2点もらって辛くも逆転勝ちって、何だか怪しく終わって、タイの選手はかわいそうだったと言ってた人もいたと聞きました。それはともかく、最終的には韓国よりも上位にいって良かったですね。さて男子はどうなるのだろう。サーブミスが多すぎるのでは、と思っていますよ。

今日は「五月のバラ」を聴きたいと思いました。調べてみたら、オリジナルは津川晃という歌手の曲で、1970年4月の発売。そののち実に多くの人たちがカヴァ―しているようですが、カラオケでは塚田三喜夫の曲として出ていたはずです。


退院してきました

2016年05月22日 | マイ癌

 私には何一つ関係ないことなのだけれど、ゴールデンウイークが過ぎ、仙台国際ハーフマラソン大会が終り、青葉祭りも終り、秋保温泉でのG7財務大臣・中央銀行総裁会議とやらも昨日終り、やっと普通の日曜日。と思ったら5月も下旬になっていました。今日 仙台は最高気温が27.0℃まで上がり、たぶん今年3度目の夏日になりました。お昼前にマスターの友人が部屋に来てくださいました。昼食をいただき テレビで楽天の野球とか見たあとで、その方を見送りにバス停まで歩いたことが、マスターにはものすごく効果的なリハビリだったようです。ありがとうございました。

さて 私事。5月19日(木)に退院してきました。早期胃ガンの内視鏡手術を5月11日(木)に終え、その後の4日間もの絶食を経て、重湯みたいなのから、3分粥、5分粥、7分粥、そしてやっと全粥になった日に退院できました。硬いご飯は帰ってきてから自宅で食べて、手術で傷ついた胃を慣らしているところです。孔が開いてしまったところはどうなっているのか分からないのだけれど、退院させてもらえたのだから 大丈夫なのだろうなどと、勝手に考えています。あとは、2週間後に病理検査の結果を聞きに行きます。それで手術が成功していれば一安心なのですが。でもまだ定期的に検査があるようで、5年 様子をみないと何とも言えないのだとか。長いね、辛いね、疲れるね、みたいな。

 入院中は病室にタブレットを持ち込んで、昔のアイドルたちの歌を聴いたり、パンクブーブーの漫才を見たりして過ごしました。また夜9時の消灯後はトランジスターラジオで、深夜便とか。時には読書もしたけれど、4人の相部屋だったうえに、日中はできるだけカーテンを開けておくようにとの指示があったので、本を読んでいるのを見られて「あいつ気取ってる」と言われるのは避けたかったので、ホンの少しだけ。あとはみんなと同じように、テレビを見るか寝るかで、ケッコウ疲れたかも。

いずれ もう ガンみたいなものとは 絶対に関わり合いたくないのだけど・・・。

ところで、4月のカラオケランキングを。

1位.女のあかり(天童よしみ) 2位.天城越え(石川さゆり) 3位.四万十川(三山ひろし) 4位.酒よ(吉幾三) 5位.お岩木山(三山ひろし) 6位.津軽海峡・冬景色(石川さゆり) 7位.北の旅人(石原裕次郎) 8位.さざんかの宿(大川栄策) 9位.つぐない(テレサ・テン) 10位.霧島の宿(水田竜子)   以上がベストテンでした。


病室にて

2016年05月15日 | マイ癌

激動の一週間でした。持ち込んだタブレットで、書いております。

先週の日曜日、8日のお昼前に入院。

9日(月)の朝は絶食で胃カメラ検査。その日の夕方に、医者から「お腹を切らず、内視鏡で取るのにギリギリの大きさの早期胃ガンですが、どうしますか」みたいなことを言われた。 

自分としては、内視鏡でやってもらった方が身体への負担も軽そうだし、術後5日ほどで退院できるようなので「内視鏡でお願いします」と答えた。

10日(火)は朝食後レントゲンと心電図をとってから、午前9時過ぎ一時帰宅した。あいにく雨が降っていたけど自転車で往復。なにしろ病院の中が暑くて、夜に眠れないことがわかったので、タオルケットと枕用のタオルと、追加の下着とかを取りに。ついでに昼飯も自宅で。午後2時前に病院に戻ってから、明日の手術について説明を受けた。明日は朝一番で、予定時間は2時間とのこと。「長いですね」と言われた。

11日(水)は、昨日に続いて朝から雨で、心臓ドキドキ。まあ安定剤で寝ている間に終わるだろうから、いざ行かん、か。まな板に乗って、9時半手術開始。あとはわからない。

看護婦さんたちに起こされて眼を覚ましたのが午後4時過ぎだった。手術は6時間ぐらいかかったらしい。担当医が言うには「大きく剥ぎ取りました。薄いところだったので、胃に穴があきました。クリップで止めて出血を押さえています」とのこと。ガーン、ショックで何も言えなかった。もちろん頭もボーツとしてたけど。

その晩は看護婦さんたちの目の届くところにベットを移され、見守られて一晩。上半身全部が痛くて寝返りもうてなかった。おまけに、たぶん重症患者の病室が並んでいる前の廊下だったので、夜通しうめき声とかうるさくて、ほとんど眠れずに夜明けを待った感じ。朝になってから、自分の希望とは無関係に、ナースステーションに近い病室に移された。

12日(木)から15日(日)つまり今日の朝まで、点滴のみで、絶食。はじめのうちは絶対安静みたいな、それからベット上安静、トイレまでなら歩いても良くなってと、段階的に自由になってきた。

12日(木)に医者に聞いたら「疑わしい部分を全部大きく切ったので、検査時の予想より時間がかかった。薄い部分だったので穴が開いたけど、ほとんど薬で治るから」とのこと。もちろん合併症のことは説明されていたから、仕方がないことと思っていますよ。

やっと今日のお昼から食事をいただけるみたい。たぶん、すごく薄い粥からなんだろうな。でも情けないことに、絶食に慣れてしまったよ。

順調なら、あと四日ほどで退院できるかも。でも、13日(金)に「退院後の食事指導」を受けたけど、しばらくは、アルコールダメ、刺激の強い食べ物ダメ、素材が固いものや繊維の多いものダメ、酸っぱすぎるものダメ、しょっぱ過ぎるものダメ、冷たすぎるものダメ、熱すぎるものダメ、油っこいものダメ、甘すぎるものダメ、なんだって。つらいな。

痛いのはイヤ、苦しいのはゴメンだ、とか言ってたのに、結局痛くて苦しくて大変だった。でもまあ自分的には、そんなものかなと。この前までは、一旦退院したあと、腹腔鏡手術のために改めて2周間ぐらい入院しなければいけないと思っていたのだから、この入院だけで済むのなら良しとするべきかもね。

 

 


「立夏」過ぎて夏日に

2016年05月07日 | マイ癌

 今日は5月初めての土曜日、ゴールデンウイークの祝日三連休のあとなので「また休み?もういいよ、休み過ぎて疲れたよ」と言ってる人が いるとか いないとか。金曜日の昨日も休暇をもらっていれば明日までで10連休。そうすると今度は仕事に行きたくなくなる人がいたりして。「5月病」という病があるらしいのだけど、その原因の一つは休み過ぎかと。

ところで今日 仙台は、午後は晴れて 気温がぐんぐん上がり、最高気温25℃の「夏日」になりました。今年初の汗ばむ陽気。そういえば「憲法記念日」は晴れて暖かくなったものの「みどりの日」と「こどもの日」は雨が降ったり曇ったりのあいにくの天気で 寒かったような。でも気温は 三日とも20℃は超えていたのですよ。昨日は22℃超えで、今日は25℃。少し驚いたのだけど、5日は二十四節気の「立夏」でしたから、暦の上では もはや夏ということで。

今日は マスターの友人が、喫茶の常連さんだった福島の方と、2人で部屋まで来てくださいました。入院中に、病院にも顔を見せてくださった方達です。ありがとうございました。

さて私は明日入院することになりました。胃ガン手術の前準備、みたいな感じで、全然気がすすまないのだけど、仕方がない。なるようにしかならないのだから、覚悟を決めて行くか。でも苦しいのはイヤですね、痛いのはごめんですね。なんかネットで見ていると、「胃ガンは放置してても痛くはならない」と言っている医者もいるようで「ガンそのものではなくて、ガン治療が苦痛を与えるのだ」とか。それが本当のことならば、その話にのってみたいと思うのだけど・・・。

まさか自分の胃に ガンみたいな悪者が巣くうなんて、考えたことがなかったです。自力で治すことも、私なんかにはできないだろうし、やっぱり医者にまかせるしかないのかな。こうなってしまってはひたすら祈るしかないですね。どうか良いお医者さんに当たりますように、と。

このごろ聴きたいのは、望月浩の「一人ぼっちが好きなんだ」という曲です。タイトルが、まるで自分の気持ち。でも明日からの病室は、いろんな兼ね合いで、大部屋です、ガクッ。


連休の谷間

2016年05月02日 | 日記

 今日は三連休と三連休の間の平日でした。暦は昨日から5月になりました。本当に早いもので、すでに今年の3分の1が過ぎ去りました。で、残りの3分の2に これからどんなドラマがあるのだろうとか考えると、ドキドキしてしまいます。

仙台は今日も寒い一日でした。昨日はほぼ一日 雨の天気で、最高気温は12.4℃止まり。今日は雨こそ降らなかったものの まったく日差しがなく 気温はやっぱり12.5℃までしか上がりませんでした。おかげで洗濯物がほとんど乾かず、やむを得ず夕方から室内干しに切り替え。でも今日は 京都などでは真夏日になったそうで、西と東と北でそんなにも違うのかと改めて驚いてしまいました。

で今日は連休の谷間の月曜日。私は昼から出かけました。谷間の今日どうしても片付けなければいけない用事があったもので。まずは銀行で 今日が期限の固定資産税を納めてから、区役所に「高額医療費の限度額適用認定書」というものをもらいに行きました。近いうちに入院するので、もらっておいたほうが良いと、入院パンフに書いてあったからだったのですが、思ったより簡単な手続きで済みました。それからマスターが毎月 医者と薬局に出す書類をもらい、その後 商店街に。入院に必要なものをドラッグストアで、それと駅前の百均で事務用品を、さらには市場に行って野菜と海産物と惣菜を買って帰りました。

今日は銀行も区役所も職員が少ないように思いました。そりゃあそうだ、今日休んだら7連休、金曜日も休めば10連休になるんだものね。普通だったらどこかに遊びにいくとか、熊本の方にボランティアに出かけますよね、私は無理だけど。でも私がサラリーマンだったときにはこんな連休の谷間には絶対に休まなかったと思います。だってゴールデンウイークには、みんなが一斉に出かけるから、どこもかしこも混雑するし、どこに行くにも交通は込むし、宿は高いし、疲れるだけ、という認識でしたから。こんな日は仕事に出ても 電話もあまりかかってこないし、職員も半分くらいは休むから わずらわしくなくて、たまった仕事が片付く、みたいな考えでおりました。

ということからすると、こんな日に窓口に来る客には嫌な顔の一つもしたくなるのが人情というもの。だけど今日対応してくれた人たちは、みんな親切でした。それはたぶん当たり前のことなのだけど、そんな対応に思わず感激してしまったりして。齢をとり いろいろあって、気持が弱くなり〝感激癖〟みたいなものがついてしまったからなのか。でも、すぐ泣きそうになるのはどうしたものでしょうね。

森高千里の「渡良瀬橋」が聴きたくなりました。彼女も 熊本出身ということらしいです。歌が上手いとは言えなかったかも知れないけれど、美人でスタイルも良かったし、「私がオバさんになっても」とか彼女の作詞は斬新で、少しファンでした。この曲にも癒されました。