はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

鑑賞サイト 046:凍

2006年10月31日 06時17分45秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
凍て蝶の翔ぶがごとくに春さらば吾も目覚めて飛ぶ日のあるや
              (髭彦) (雪の朝ぼくは突然歌いたくなった)

 「凍て蝶」は寒さによって死んだ、あるいは死んだように動かない蝶のこと。
 凍えた蝶が飛ぶのは春を連想しますが、この歌ではその「春」が「さらば」と言われている。
 目覚めの季節と言われ、+のイメージがある「春」も、なぜかとても頼りなく、朧に見えます。
 下二句では、そんな「蝶」と「春」に、二重に自分を重ね合わせ、「目覚める時はあるだろうか」と考えている。いえ、想いを巡らすのではなく、(たぶん)来るべき事実を事実として認識しているのかも。
 詠み人には失礼かもしれませんが、僕にはなぜか、「目覚め」=「死」という風に思えてしまいました。
 間違っていたら、申し訳ありません。

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凍えてるせかいを肺につめこんでつめたいひとに(きれい)なりたい
                (なかた有希) (* にじのかかるばしょ *)

 歌意としては、そんなに難しくありません。
 凍てついた冬の空気を胸一杯に吸い込んで、私もこの空気のように冷たくなってしまいたい。
 しかし、(きれい)が間に入るだけで、読みがぐっと難しくなります。
 ( )でくくってあるということは、この(きれい)は主体以外の誰かが声に出したのだろうか。
 それとも、主体の心の別の場所でわき上がったつぶやきだろうか。
 前者だと、「つめたいひと」になった主体に対する褒め言葉か、あるいは「せかい」への感嘆。
 後者では、「つめたいひと」は「きれい」だという主体の認識が表に現れた、と読むべきでしょうか。
 声に出して読むと、「い」段の連続がやさしい流れを作り出しています。
 また、文字を目で追うと、ひらがな、特に「い」「つめ」などの字面が、やわらかく感じられます。

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腐るのに ほんとはすぐに 腐るのに 冷凍サンマはうつくしいまま
                    (みち。) (虹色アドレナリン。)

 3つの文字空けが、どこか自信なさげな呟きを表しています。
 「サンマ」、しかも「冷凍」を美しいと鑑賞することは、普段めったにありませんが、言われてみれば、ぴんとしたサンマは一種日本刀にも似た美しさがあります。
 「すぐに」「腐る」のに、「うつくしいまま」というと矛盾しているように聞こえますが、結句の後に
 「(うつくしいまま)でいるんじゃないだろうかと思えるくらい美しい」
という言葉が省略されているのでしょうか。
 「ほんと」「サンマ」「まま」もそれぞれ呼応し合って、歌をひとつにまとめ上げています。

鑑賞サイト 045:コピー

2006年10月29日 07時26分09秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
海亀を仰向けにしてコピー機のガラスに乗せて撮った曼荼羅
                        (新井蜜) (暗黒星雲)

 新井さんの「海亀」シリーズ、やっとひとつご紹介できました。
 歌意は読んだままですね。海亀の甲羅をコピーしているという、おもしろくも異常な光景を、存分に想像すべき歌だと思います。
 他の「海亀歌」は、亀を擬人化あるいは擬物化したものが多いのですが、これは実にリアルで生々しいショットが目に浮かびます。
 半開きの口と目、だらんと垂れ下がった四肢の鰭、体から滴る水滴とそれに濡れるコピー機…。
 そのリアルな光景が、結句の「曼陀羅」で一気に異界へと変換します。
 うーむ、すごい。

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てのひらを未熟な悩みで汚すよりチョコピーナッツは奥歯でくだく
             (小軌みつき) (小軌みつき-つれづれ日和-)

 「コピー」というお題、カタカナ題にしては珍しく、皆さん素直に「コピー」で歌われていました。
 ずらして詠んだものの中で、うまい!と思ったのがこのお歌。
 ピーナッツチョコではなく「チョコピーナッツ」なので、チョコにくるまれたピーナッツなのでしょう。
 素直に読めば、摘んだり手のひらで受けたりしてベトベトになるより、袋から直接口に流し込んで、噛みくだいた方がよい、ということでしょうか(素直な読みでもないか)。
 でも、「未熟な悩み」がくせものです。
 うじうじ悩んでいるうちに、チョコが体温で溶けるよ、という意味でしょうか。
 「悩みは悩み、食は食。思い切りよく砕こう!」ということでしょうか。
 もっと深い意味のことを言っている気がするんだけど…。

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コピー機が吐き出しつづける青空をゆっくりと食べ瓦礫は育つ
                         (やすまる) (やすまる) 

 これも、好きなのに読みが難しい歌です。
 上三句は読んだとおりですね。青空を何枚も写し取っているコピー機がある。
 難しいのは下二句。積み重なっていく紙を「瓦礫」に喩えているわけではないでしょう。
 ぼく得意の文字通り読み、「瓦礫が青空を食べ続けている」も、そう読んで、だからなんだ、となってしまう。
 脈絡もなく思い浮かべたのは、イラク戦争のことです。
 青空が続くかの地、戦闘機や戦車、銃を始めとする様々な機械、「ゆっくりと」破壊され、増えてゆく「瓦礫」…。
 たぶん、詠み人の思惑とは違っているのでしょうが、繰り返し読んでいるうちに、そんな光景が浮かびました。
 この歌の持つ、乾いた静かな哀しみのようなもののためでしょうか。

鑑賞サイト 044:飛

2006年10月27日 20時38分22秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
飛ぶときに僕の名前を呼ぶきみのまだ迷ってる声が好きです
                      (ハナ) (象の求愛ダンス)

 スキーのジャンパーはテイクオフする瞬間、恐怖と迷いを断ち切るため、あらん限りの大声を出す、という話を聞いたことがあります。
 ある人は意味不明の叫び声、ある人は母親を、ある人は最も大切な人の名を。
 でもこの歌は、どちらかというと飛ぶ前の最後の精神統一の時間を詠んだ歌のように思えます。
 人に限らず鳥も虫も、「飛ぶ」ということは実は一大事。
 「まだ」迷っている声は、呟くような、祈るような声なのでしょうか。

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この空を飛ばなければと思わせている瞬間を羽はさがせず
                 (田崎うに) (楽し気に落ちてゆく雪)

 「思わせる」ではなく「思わせている」のだから、今現在主体は飛んでいる、あるいは日常的に飛ぶことを繰り返しているのでしょう。
 前者であれば、これ以上羽ばたき続けることの意味を見いだせない。
 後者であれば、繰り返して飛ぶことの理由を見失ってしまった。
ということでしょうか。
 どちらであっても、主体には飛ぶことの意味は「瞬間」でいいのです。
 向かい風でも、エアポケットでもいい。納得できる羽ばたきの瞬間があれば。

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花の名をとるのをやめて草の名にした飛ぶことにあこがれはない
               (本田瑞穂) (空にひろがる枝の下から)

 これは正直、読むのが難しかったです。でも、一目見て引きつけられる歌でした。
 「とる」がまず難しい。
 何かに名前をつける(例えば子どもに命名する)時に、花の名前を付けようかと思い、一時はそれに決まりかけた。
 でも、花が持つふわふわした明るいイメージは相応しくないように思えたので、大地に根を張る草の名前に変更した。
 命名者は、空を飛ぶことにあこがれなど(もう)持っていないのだから。
 こんな感じでしょうか。うーん、なんか違う…。
 それとも、「とる」は命名を指すよりむしろ「盗む」「奪い取る」の意味でしょうか。
 花の名を奪い、花に生まれ変わって風に乗り空を飛ぶより、草になって地を這おう。
 これもなあ…。
 どなたか、いい読みをお聞かせください。

鑑賞サイト 043:曲線

2006年10月22日 15時36分34秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
曲線になれぬ光が分かつ地の日向の側を咲くいぬふぐり
                  (丹羽まゆみ) (All my loving ♪)

 日陰の側に咲くいぬふぐりもあるのでしょう。
 広場に群生して咲く小さな花の集落。そのすべてを取り囲んで照るべき日射しは、自然の法則により影を作らざるを得ない。
 陽の下にある花とそうでない花とでは、青の色合いも違って見えてしまう。
 同じ地に咲く、同じ色の花なのに。

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曲線で出来ているもの抱いている 今夜は雨が降ってさみしい
                      (ことら) (ことらのことのは)

 ひと、いぬ、ねこ、にんぎょう、ぬいぐるみ、まくら、くうき、ひざ…。
 人が抱きたいと思うものは、ほとんどが曲線で出来ています。
 でも、直線に囲まれて生きている現代に、そのことに気づくのはとても難しい。
 そして、どんなに抱きしめても、さみしい時のさみしさは減ずることがないのです。
 ストレートのようでいて、実は緩やかなカーブを描いて作られている。そんな歌です。
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ブランコの曲線で身に付けた知恵 不完全さもたまに快感
         (ケビン・スタイン) (In Other Words・別の言葉で)

 ブランコの登り終わり、降り始めに感じる、体が無くなったような、下半身がむずむずするようなあの感覚。
 あれは振り子による曲線運動だからこそ得られるのだということ。
 不安定さや不完全さがいつでも良いわけではないけれど、それ無しでは得られないものもあるということ。
 子どもたちは、そしてかつて子どもだった人たちは、それを経験で知っています。