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『第4種接近遭遇・UFOに同乗した人』 タウン誌「岡山に出現したUFO」より抜粋

2011年01月08日 15時28分59秒 | 宇宙人

『第4種接近遭遇・UFOに同乗した人』 1987/6/24発行

月刊タウン情報おかやま別冊「岡山に出現したUFO」より抜粋

夕涼みでの目撃がきっかけに
異星人とのコンタクティとしては、金星人と会見したといわれるアダムスキーが有名ですが、ここ岡山にも
太陽系外の惑星から来た異星人とコンタクトしたといわれる人がいました。畑野さんのご主人、故安井清隆さんです。
安井さんが初めてUFOを見たのは、昭和28年頃の夏だろうと推定されています。岡山市富田町の家の前で
夕涼みをしている時に2日続けて目撃したものですが、このうちの1回は畑野さんも一緒に目撃しています。
畑野さんがUFOを研究されるようになったのは、この目撃が動機だそうですが、安井さんはむしろ
円盤の話ばかりする畑野さんにうんざりして、「俺は近所のアパートに部屋を借りて、そこで勉強する。」
と言ってアパートに引っ越したということです。

●テレパシーに導かれるように
ところが、そんな安井さんに突然テレパシーが起こります。アダムスキー事件の8年後、
昭和35年4月23日のことです。安井さんはその頃アパートで英語やロシア語の塾を開いていましたが、
昼頃から急に落ち着かなくなって、いつもならわけなく訳せる文章が訳せなくなったり、発狂しそうなほど
妙な気持ちになって、ついにその日は授業を中止にして生徒を帰らせたといいます。
しかし、なぜか窓を開けると気持ちがよく、そのうちに窓を開けるだけではおさまらなくなり、部屋の外に
出たくなったそうです。そして、外に出ると気持ちが落ち着いて普通の状態に戻ったので、中に入るとまた
ソワソワし始める…。そこに、大学の医学部で精神科を専攻している学生がロシア語を教わりに来たので、
今までの事情を話してみました。
その学生が「何かショックを受けるようなことがあったんですか?そうでないのでしたら、よくは分からないけど、
外のほうが気分がいいなら外に出て、空でも眺めていればすぐ冶りますよ。」と言うので、外をぶらつくことにしました。

ところが、そのうち東のほうばかり眺めている自分に気がつきます。他の方向を向くと落ち着かなくなり、だんだん
東のほうに誘導されるような感じになるのです。そして、夜になると「東のほうから何か出るのではないか。それは
空飛ぶ円盤ではないか。」という気がしてきたそうです。
安井さんは、畑野さんと娘さんにこのことを打ち明けたのですが、今までテレパシーなど信じず、コンタクティの
存在などもまったく信じていない安井さんを知っているだけに、「冷やかさないでください。」と全然とりあいません。
しかし、服を着替えてすっかりその気になっている安井さんを見ると行かないわけにもゆかず、畑野さんたちは
8倍の双眼鏡を持ってしぶしぶ南方公園(現在は法務局になっています)までついて行ったそうです。
すると午後9時過ぎになって、満月の2~3倍もある蛍光色の円盤が現われ、真東に飛んで行きました。

円盤を見ると今までの緊張が解けたのか、みんなお腹がすいてきて、何か食べようということになりました。
そして、そばを食べていると、再び見えるような感じがしてきたので、もう一度公園に戻りました。
安井さんが「今度は北だ。」と言うので北を見ていると本当に北の中空のあたりに、まるで大砲の弾丸が飛ぶように
グオーッと燃えるようなものが飛びました。畑野さんは「後からの印象では、円盤の形が違っていました。」
とおっしゃっています。

●第1回テレパシー予報観測会
それから1週間ほどたった昭和35年4月29日、UFOが3機現われるというテレパシーが入ったので、
畑野さんは就実高校地学部OBに電話して、学校の屋上で観測会を開きました。その時に参加したのが、
宮地さんや山本さんなどです。その夜はかなり曇っていましたが、北のほうの雲の切れ目を円盤が飛びました。
ただ、予報にあったように3機ではなく、1機のみでした。
この後10年くらいの間、安井さんのテレパシーでのUFO飛来予報は続きます。テレパシーを受信し始めると
最初の間は周辺の時計が止まり、テレビやラジオにノイズが入り、明らかに強い磁気のような力が働いている
状態になったといわれています。
また、後に安井さんは東京大学の実験室でテレパシーのテストを受けていますが、磁力によく似た力が
働いていることが確認されています。
しかし、この事件でいちばん驚いていたのは、当の安井さんだったそうです。安井さんは元新聞記者で、
第2次大戦中は唯物論者だということで投獄されるという経験さえあって、証拠のないものは認めない主義
だったからです。自分の中に起きた不思議な現象に、最初はずいぶん悩んでいたそうです。

●夜明け前の不思議なノック音
4月29日の観測会の後、安井さんはアパートに帰り、ドアをロックして眠りました。ところが、午前4時前頃
「コツ、コツ。」と誰かがノックするのです。こんな夜中に人が訪ねて来るわけもないのに変だな…と思いながら
「はーい。」と返事をしましたが、誰も何も言いません。もしかして強盗では?と不安な気持ちで、そーっと鍵を
開けて廊下をのぞいてみても、誰もいる様子はありません。
「おかしいなあ」と思ってアパートの玄関まで行ってみましたが、そこにもしっかり鍵がかかっています。
空耳だったのかもしれないと思い直して、安井さんは床に入りました。
すると、すぐに「コツ、コツ。」とノックの音。今度は急いで「どなたですか?」と廊下に飛び出して
電灯をつけましたが、やはりあたりは静まり返っていて、誰かがひそんでいる様子もないのです。仕方がないので
また部屋に戻って寝ようとすると、今度も「コツ、コツ。」と音がします。たまりかねた安井さんは、ついに
アパートの外まで出てみました。その日は曇っていましたが、不思議なことにアパートの上空だけ、まるで穴でも
開いているかのように雲が切れていて、空が見えているのです。そして、その穴の中を3機の円盤が正三角形に並んで、
グルグル回っているではありませんか。
「テレパシーで3機といったのはこのことだったのか。」と思いながら安井さんが眺めていると、
どこかへ誘導するかのように円盤は動き始めます。安井さんが立ち止まって引き返そうとすると、円盤も止まって
ついて来るのです。安井さんは寝間着のままだったので、いったんアパートヘ帰り、洋服に着替えて引き返しました。

アパートは富田町(当時は下市町)でしたので、円盤の誘導に従って小走りに簡易裁判所あたりの国道に出て、
後を追うことにしました。
円盤は半田山の上空あたりに達したかと思うと、急に方向を変えました。そして、そのうちの2機がものすごい
スピードで飛び去り、残る1機が輝きを増して、降下を始めます。「これは運動公園に降りるつもりだ」
と思った安井さんは、急いで跨線橋を渡り、国道53号線沿いの舗道を北に向かって走りました。夜明け前で
あたりはまだ暗く、誰にも会わなかったといいます。
後日、このノックの音について、フランス文学者でUFO研究家でもあった故平野威馬雄氏(平野レミさんの父)が、
著書『円盤についてのマジメな話』の中に次のようなことを書いています。
「TBSの記者に『安井さんに会ったら、今度ノック音が聞きたいので異星人にそう頼んでほしい。』と言った。
『よろしい。』という返事を聞いた日の夜、『ガチャン、ガチャン。』とガラス戸がいまにも割れそうなほど
大きな音がした。外をのぞいてみても、誰もどこにもいない。家へ入るとまた『ガチャン、ガチャン』という。
家族も一緒にいたが、震えあがった。」と。

●異星人と初めてのコンタクト
安井さんが運動公園に着くと、円盤はスポーツの森の芝生(池の北西で、体育館のそば)に、1メートルほど
浮き上がったまま着陸していました。円盤は直径35メートルで高さ20メートルくらいあり、ちょうど左側に
見えていた体育館と同じくらいの大きさに見えたそうです。形は土星型で、クラゲ色に発光していました。
安井さんは、恐怖のあまり足がへなへなするのをこらえながら、おそるおそる芝生の入口まで近寄って行きました。
すると、円盤の中からひとりポンと飛び出して、こちらへ近づいて来ます。その時安井さんは、その場に座りこみたい
気持ちだったそうです。
その人は両手を差し出して安井さんの手を握り、「よく来てくれました。」と、きれいな日本語で励ますように
話しかけてきます。「よくテレパシーが通じましたね。そこに座って話をしましょう。」と言われ、
安井さんは初めて我に返ったということです。

その人は、ぴったりした飛行服のような円盤と同じ色の服を着て、頭には飛行帽のようなものをかぶり、
手袋をつけていました。そして、周囲から薄い光が出て、全身を包んでいました。芝生に並んで腰をおろすと、
その人は顔の覆いを取りました。マジックテープで止めているのか、取る時にはベリベリという音がしたそうです。
そこに現われた顔は、欧米人とほとんど変わらない感じで、髪の毛は少し長め、見上げるように背が高かったとか。
握手する時に手袋を外したそうですが、皮膚の温かみも感覚も人間と同じでした。
安井さんが、どこからどんな用事で来たのか訊ねると「あなたには分からない遠い星から来ました。」と言い、
それは金星か火星かと問えば「太陽系外です。地球ではまだ確認されてないので、名前もありません。
我々は友好を深めるために来たので、決して危害を加えるようなことはありません。少しでも早く我々に近づくよう、
勉強してほしい。」と答えました。

その人は自分の名前をチュェレイと名乗りました。その後、安井さんはチュェレイさんの故郷の星のことを、
便宜上チュェレイ星と呼びました。彼らが安井さんを選んだのは条件にぴったりだったからだそうで、
安井さんを子供の頃から観察していたと言い、とうに忘れかけていた子供の頃に傷つけた左手の指の怪我の
理由まで当てたのです。
最後に安井さんが「円盤にぜひ乗せてほしい。」と頼むと、「今日はだめだが、近いうちに必ず乗せるから。」
と約束しました。そうしているうち、酸素が不足したのか、話をするのも苦痛なくらいあえぎだし、
「今度はゆっくり話をしましょう。今日は悪いけどこれで失礼する。」と駆け出しました。チュェレイさんが
円盤の下まで行き、中から煙のようなものが出てきたかと思うと、もうチュェレイさんの姿は消えていたのです。

彼が婆を消すとすぐ、円盤は音もなく数十メートルも舞い上がり、一瞬のうちに消えてしまいました。
安井さんがふと気づくと、すっかり夜は明け、雨も降り始めていました。安井さんがアパートに着いたのは、
5時15分だったそうです。

●予報通りに33機の大編隊が
その後、安井さんのテレパシーによるUFO飛来予報は約10年間続きました。このことは新聞・ラジオ・テレビ
週刊誌・雑誌などのマスコミに掲載されましたが、賛否両論どころか懐疑的な否定論のほうが多かったといわれます。
UFO研究家の中には、インチキと決めつけたり、中傷を繰り返す人が少なからずいたようです。
しかし、この年、昭和35年の5月14日。マスコミ各社が集まっていた総勢100人の観測会で、33機の
大編隊が現われ、読売のカメラマンが撮影に成功したといわれます。だが、この記事はなぜか発表されていません。
そして、当日取材に来ていなかった夕刊紙がこのことをスッパ抜き、一躍岡山の話題になりました。こうして、
安井さんの予報で円盤を目撃した人は多数にのぼり、予報は何十回も出ました。目撃人数も、多い時は30人とか
100人のグループもあったそうです。

●北ア白馬岳のUFO基地
同じ昭和35年の10月31日、「明日の夜、富山県の黒部まで来てほしい。長い時間はとらせないから、
ぜひ来てほしい。待っている。」というテレパシーが入ったので、安井さんは、畑野さんにも黙ったまま、
朝早く岡山駅から汽車に乗りました。
約束の宇奈月温泉に着いた時は、もう夜に近くなっていました。円盤を捜しながら温泉街裏山の細道を歩いていると、
「安井さん。」と呼ぶ声がします。声のほうを見ると、普通の背広を着たチュェレイさんが、やはり地球人の服を着た
金髪の女性と一緒に立っていました。
それから、物陰に隠すように置いてあった小型の円盤に乗り、白馬岳らしい頂上付近のUFO基地に行ったのですが、
そこは雪で一面の銀世界。多くの小型円盤が着陸していて、蛍光色の作業服を着た異星人もたくさんいたそうです。
そこで、かつて運動公園で見たのと同じような土星型の大きな円盤の真下に行くと、円盤からエレベーターのような
箱が降りてきたので、それに乗って円盤の中に入りました。
この後しばらくしてから、神戸新聞のヘリコプターが黒部を通って新潟方面に飛んだ時に、北アルプスに丸い金色の
物体がたくさん着陸していたのを発見した…という話があります。

●円盤の内部を見学する
安井さんはその時、別に何の理由もなく、ビールを買って持っていました。チュェレイさんが「それは何だ?」
と言うので、2人に飲ませたら「地球にはこんなにおいしいものがあるのか。」と言いながら全部飲んでしまったとか。
チュェレイ星には、コーラに似た飲み物はあるらしいのですが、アルコール飲料はないそうです。
円盤の中には4部屋あって、応接室・食堂・操縦室・物置部屋に分かれていました。全体的に地球の家の概念とは
まったく違っていたとのこと。
安井さんが入った部屋は、触った感じは木なのに見かけはプラスチックに似た素材のテーブルが真ん中に置いてあり、
壁には地球のと同じような絵が2~3枚かかっていました。天井はドーム型になっていて、床と壁ともども深緑色の
ふんわりしたじゅうたんが張ってありました。
チュェレイさんと金髪の女性は、すぐに宇宙服に着替えてやって来ました。2人は顔のマスクを外していましたが、
30分おきくらいにマスクを当てて呼吸を整えている様子だったので、円盤の中の気圧を安井さんに合わせて
くれていたのでしょう。

彼らは、縄文・弥生時代の一般人の生活形態から感情までの記録を持っており、安井さんからは現代の一般市民の
日常生活を通した日本の政治形態への意見を聞きたがりました。
「決して地球の人間に干渉しない。ただ、知りたいだけだ。」と言っていたそうです。
安井さんとチュェレイさんは仲良くなり、チュェレイさんは安井さんを「キヨ、キヨ。」と呼び、安井さんは
チュェレイさんを「キミ、キミ。」と呼んだとのこと。このことについて、後に安井さんは「無理に対等らしく呼んで
いたのだ。」と言っていたそうです。

安井さんは語学が堪能で何ヶ国語かを話せましたが、チュェレイさんは地球の言葉を13ヶ国語話すと言い、
2人はいろいろな国の言葉で話し合いました。安井さんは共同通信や山陽新聞社の記者をしていたこともあり、
いろいろなことをよく勉強していたほうでしたが、チュェレイさんはその安井さんよりももっと地球について
詳しかったといいます。
安井さんは後に畑野さんに「チュェレイさんは、神に近い人だ。」と語ったとのことです。なお、安井さんと
チュェレイさんが円盤内で話している間、外は真っ暗で、飛んでいるのか止まっているのか見当もつかなかったそうです。

後半へ

 


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