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八国山緑地

2011年03月21日 | 東京多摩
東京都東村山市にある八国山緑地は、狭山丘陵の東端に位置する
都立公園で、北側の東西が埼玉県所沢市に接している。

八国山の標高は89.4mで、かつて、駿河(富士)・伊豆(天城山)・相模(箱根・大山)・
甲斐(多波山)・信濃(浅間)・上野(吾嬬)・下野(日光)・常陸(筑波)の八か国の山を
望めたことから八国山と呼び伝えられる。現在は樹林に囲まれて展望はできない。

鎌倉時代には、この付近を鎌倉街道上道が南北に走っていた。
「太平記」によれば、元弘三年(1333年)5月8日、群馬県新田町の生品神社
(新田義貞挙兵伝説地)から鎌倉幕府のため挙兵した新田義貞の軍勢は、
11日の初戦の小手指ヶ原の合戦(所沢市)で鎌倉軍を破り、翌12日に南下した
新田義貞と鎌倉幕府との第二戦が行われたのが、この周辺一帯であるといわれる。

北川と前川の合流するこの地域の低地と狭山丘陵東端の八国山の麓一帯を
鎌倉時代には久米川宿といっていた。文永八年(1271年)の日蓮の書状に
「武蔵国久目河に付き…」とあって、上野国(群馬県)と鎌倉を結ぶ政治的にも
経済的にも重要な交通路であった鎌倉街道上の道の主要な宿駅であった。

久米川宿を中心とする久米川一帯は、その後も建武二年(1335)の中先代の乱や
応永23年(1416)と同24年(1417)の上杉禅秀の乱など、たびたび合戦の戦場となった。
福寿山徳蔵寺にある国の重要文化財「元弘の板碑」は、八国山山麓の花向山長久寺に
あったものを、文化年間(1804-18)に移したものである。


八国山山麓にある西宿公園の東京都指定旧跡「久米川古戦場跡」


「江戸名所図会巻四」によると、久米川合戦に勝った新田義貞が塚を築き旗を
たてたといわれる将軍塚が八国山にあり、江戸時代に編纂された「新編武蔵国
風土記稿」には「此ニ一ツノ塚アリ。是ヲ将軍塚ト呼ブ」とある。同書には、この塚は
富士塚とも呼び、あるいは古代の塚ではないかとも記されている。


映画「となりのトトロ」には「七国山病院」が登場するが、「七国山」は「八国山」が
モデルになっているといわれ、トトロの森とも呼称されている。

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