夢の未来

夢や希望が失われる時こそ、信仰心を持って明るい未来図を描きましょう。

 里村編集長の過去世仙童寅吉物語 平田篤胤筆記

2010年03月22日 04時15分02秒 | Weblog
高山嘉津間、元の名を寅吉という。はじめ山崎美成のところに身を寄せていたが、いまは我が家におり長く逗留することとなった。その事情については別に記したものがあるのでここでは概略を記すにとどめ、いまはただ問いに答えたことのみを記そうと思う。山人に誘われた経緯を尋ねると寅吉は次のように答えた。

「文化九年、七歳のときだった。無性に卜筮を習いたくなった。茅町の境稲荷の前に住んでいた貞意という卜筮者はよく当たると評判で、この人に教えて欲しいと頼んだのだが、子供だと思って馬鹿にされたのか、七日間手灯りの行を勤められたら教えてやろうという。その夜から手灯りの行を勤めあげ、八日目に行くと笑うばかりで教えてくれなかった。悔しかった(この卜者は後に上方へ移ったという)。

 ある日、東叡山の麓にある五条天神のあたりで遊んでいると、五十歳くらいの老人が薬を売っていた。差し渡し五、六寸もあるかと思われる壺から薬を取り出して売っていたが、日が暮れると並べていた品物、小つづら、敷物まですべてその壺に納めた。とうとう自分まで入り込もうとする。どうやって入るんだろうと思ってみていると、片足を入れたかと思うとすうっと全身が納まってしまい、壺は空に飛び上がってどこへともなく消えた。

 びっくり仰天してその後また同じ場所で夕暮れまで見ていると、昨日と同様だった。翌日もまた行って見ていると、老人が『お前もこの壺に入れ』と声を掛けてきた。気味が悪くなって断ったのだが、老人は隣の物売りから菓子を買ってくれて『卜を知りたければこの壺に入ってわしと一緒に来い』となおも勧める。行って見ようかなという思いが頭をよぎったところ、いつのまにか壺の中に入ったらしく、気が付くと日も暮れないのにとある山の頂上に立っていた。

 その山は常陸国の南台丈という山だった(この山は加波山と吾国山の間にあり、中腹から獅子ガ鼻岩という岩が突き出ている)。幼かったので、夜になると両親を恋しがり大声で泣いた。『しかたない。家に帰してやるから、絶対にこのことを人にはしゃべらずに毎日五条天神の前まで来い。送り迎えして習わせてやろう』といって老人は空を飛んで家まで送ってくれた。以来、俺は固く約束を守って今日まで父母にもこのことを話していない。

 次の日、五条天神の前に行くと、例の老人が現れ、俺を背負って山に向かった。しばらくこのようなことが続いたが、家には広小路の薬売りの倅と遊んでいることにしておいた。行き先は長い間南台丈だったが、いつしか同国の岩間山になっていた。かねてからの宿願だった易卜を教えてくださいと頼んだところ『それはたやすいことだが、易卜はよくないわざだから、まず他のことを学べ』と祈祷の仕方、符字の書き方、咒禁その他幣の切り方、文字のことなどを教えられた。

 また、あるときこのようなこともあった。天狗の面をかぶってわいわい天王とはやし、赤い紙に『天王』の二字を印刷した札をまき散らした男が通り、子供が大勢後をついていった。俺もその中のひとりだったが、いつしか本郷の兼康の先にまで至った。とうに日は暮れ、男が面を外すとそれは例の老人だった。家に送ってやろう、と連れ帰られた。榊原様の表門の前で俺を捜しに父が来るのを知り『向こうからお前のおとっさんが来たようだ。このことはくれぐれも内緒だぞ』とよく言い含め、『この子を捜しに来たのではないかな。迷子だったようなので連れてきましたわい』と俺を引き渡した。父は老人の名を尋ねたが、でたらめの名と住所を伝えて別れた。後日父がその住所を尋ねたが、もちろん見つからなかった。

 銭を取らないわいわい天王の中には天狗がいることがある。毎日老人が送り迎えしてくれたが、両親はじめ他人には決して話さなかった。また、俺の家は貧乏だったので、手が掛からずに遊びに出ている分には都合がよかったので強いてどこに行っているのかと尋ねられることもなかった。こうして十一歳の十月まで山を往復する日々が続いた。十二、十三歳の頃は山へは行かず、ただときどき姿を現して術を教えられただけだった。

 父の与惣次郎は俺が十一歳になる八月から患いついた。『しばらく寺へ行き、経文をも覚え、寺々の様子も見ておけ』ということなので出家したいと両親に話したところ、下谷池ノ端の正慶寺という禅宗の寺に遣わされた。ここから帰った後、同所の覚性寺という日蓮宗の寺へも遣わされ、その後は宗源寺というやはり日蓮宗の寺に行った。出家したのはこの寺でだ。

 文政二年五月二十五日、師に伴われて空中を飛行し、遠い唐国にも行ったが、また常陸国岩間山に行き、様々な行を行った。名も師より高山白石平馬と名付けられ、平馬の二字を花押にしたものを賜った。

 去年の八月、一度家に帰り、また師と同道して東海道を行き、江ノ島、鎌倉などを見回り、伊勢大神宮を拝し、その他外国などあちらこちらを見回って今年三月二十八日に家に戻った」

 

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