発見の記録

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サウジアラビアの王子

2016年12月20日 17時26分37秒 | 日記
2人のムハンマド


 ムハンマドとはイスラム教の開祖(570~632年)ですが、表題の「2人のムハンマド」は、サウジアラビアのムハンマド・ビン・ナイーフ皇太子と、ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子のことです。

 サウジアラビアの現国王は2015年1月に就任したサルマン・ビン・アブドルアジズ国王(第7代国王)ですが、ムハンマド皇太子はこのサルマン国王の甥(国王の兄で2012年に皇太子のまま亡くなったナイーフ皇太子の次男)、ムハンマド副皇太子はサルマン国王の7男です。すべて父親の名前が最後にきます。

 ところでサウジアラビアの国王は、1932年に即位し1953年に亡くなったアブドルアジズ初代国王の息子(36人います)から年長順、母親家系の有望順などで選ばれ、サルマン現国王まですべて第2世代の国王です。

 次の国王となる皇太子のムハンマドは初めて第3世代から選ばれた皇太子で、次の国王から第3世代となるはずです。しかしムハンマド皇太子は、あくまでも現時点における皇太子であり、過去には皇太子の交代や解任などが結構あります。

 その最大のライバルがサルマン国王の息子であるムハンマド副皇太子で、そこから表題の「2人のムハンマド」となります。サルマン国王は明らかに健康上の問題を抱えており、次期国王が選ばれるのはそれほど遠い先ではないはずです。

 ここでムハンマド皇太子は57歳で副首相・内務大臣・安全保障評議会議長などを兼任し、米国留学の経験がある親米派の代表王族です。

 一方でムハンマド副皇太子は若干31歳で、第二副首相・国防大臣・経済開発評議会議長などを兼任し、外交も国王から最高権限を移譲されているようです。また自身は留学経験がなく(キング・サウド大学卒)外交方針は自立・バランス型と思われ、少なくとも親米派ではありません。

 またムハンマド副皇太子は、最近になって国営のサウジアラムコを自身が議長を務める経済開発評議会の傘下に入れ、国家財政収入の大半も掌握してしまいました。またサウジアラムコの株式を公開して5%程度を売り出す意向を表明しています。上場すると時価総額2兆ドル(200兆円)と言われています。

 つまりどう考えても「2人のムハンマド」では副皇太子の方が「勢い」があります。当然のように「2人のムハンマド」は不仲で、隣国イエメンのシーア派勢力への空爆や、イランとの国交断絶の原因となったシーア派のニムル師処刑などは、ムハンマド皇太子が副皇太子の追い落としを狙った謀略だったといわれています。
 
 さてそのムハンマド副皇太子が8月31日~9月3日に来日して、天皇陛下も懇談されました。副皇太子は元首(国王)ではないため、サルマン国王の名代としての懇談だったはずです。また安倍首相も会談し、首相主催の晩餐会を開催しました。

 ここでサウジアラビアは、原油収入が激減するなかの国家財政政策、OPECの盟主としての原油政策、ますます複雑になる中東情勢の中の外交政策など、大変に難しい国家の舵取りを若干31歳の副皇太子に委ねていることになります。

 ムハンマド副皇太子がこのままの「勢力」を維持すれば、少なくとも米国のシェール産業が活況となる原油価格の上昇は容認しないはずですが、最近はシェール産業のコストも1バレル=30ドル台まで下がっているようで、いつまでもチキンレースが続くことになります。

 また王位継承者だけでも1000人、すべての王族を合わせると3万人もいるサウジアラビア王族の勢力争い、イスラム教スンニ派(正確にはスンニ派でも最も戒律が厳しいワッハーブ派)の盟主としての舵取りもそれに加わります。

 ちなみにイスラム国の国王のなかで最上格とされるのは、開祖ムハンマドの血筋を引くとされるヨルダン国王のアブドラ2世と、モロッコ国王のムハンマド6世です。国王ではありませんがイラン革命で帰国したホメイニ師もムハンマドの血筋と言われていました。

 だからヨルダン王室もモロッコ王室も「アラブの春」とは全く無縁の安定した王室です。

 サウジアラビア王室は遊牧民あがりの「世俗の王」で、その「世俗の王」がイスラム教の盟主でいられるのは豊富な石油収入をバックにした巨額の喜捨(寄付)のおかげです。どこの世界でも金の力は偉大なのですが、これも原油収入の激減で巨額の喜捨が維持できなくなると、困った問題が出てきてしまいます。

 とりとめもなく書いてしまいましたが、その辺を頭に入れて「2人のムハンマド」の成り行きを眺めていてください。

カジノ法案

2016年12月09日 17時43分17秒 | 日記
ウクライナ・ユダヤ人・カジノ


 連想ゲームのようですが、カジノに興味がある方は前半を飛ばしても結構です。

 混乱しているウクライナ情勢は、お金も軍も出すつもりのないEU・IMF・米国の足元を見透かしたプーチン大統領がクリミアのロシア人保護を大義名分に軍隊を派遣しました。しかし同じ東スラブ人に属するウクライナ人とロシア人の歴史的な葛藤は決して単純なものではありませんが、これは省略します。

 現在のウクライナにはユダヤ人はほとんど居住していません。しかし歴史的にウクライナの国土は大変にユダヤ人と関係があります。まずウクライナは東隣のカフカス地方(チェチェンなどがあるところ)とともにハザール王国があったところです。

 9世紀にユダヤ教に改宗したハザール王国の「ユダヤ人」は、明らかにアブラハムやモーゼやダビデやイエス・キリストとは何の血縁関係もない「ユダヤ人」です。そしてハザール王国は13世紀にチンギス・ハンの孫・バトウ・ハンに攻められて滅亡し(ロシアのほぼ全域がキプチャク・ハン国となった)、多数の「ユダヤ人」が国土を失いました。

 一方15世紀の終わりにキプチャク・ハン国の支配から脱したモスクワ大公国は、イワン3世が周辺のノヴゴロド共和国などを統合して勢力を拡大し、ロシア帝国となります。そしてロシア帝国は「ユダヤ人」を徹底的に迫害し、18世紀の終わり頃にはエカチェリーナ2世が「ユダヤ人」の居住区を今のウクライナとその北隣だけに制限してしまいました。

 それでは当時のウクライナに大量に(500万人?)いたはずの「ユダヤ人」は、どこへ消えたのでしょう? 3つに分類されるようです。

 まず、相次ぐロシア帝国からの迫害から逃れるために19世紀終わりから20世紀初めにかけて300万人ほどの「ユダヤ人」が海外に移住します。その大半がアメリカに向かったようです。現在のアメリカ経済で重要な地位を占めるユダヤ人(アシュケナージ)です。

 次にシオニストとして戦後イスラエルを建設した「ユダヤ人」がいます。アブラハムの子孫ではない「ユダヤ人」が、約束の地・カナンにイスラエルを建国してしまいました。

 残る「ユダヤ人」はロシアに残り、1917年のロシア革命を主導します。トロツキーやレーニン(異説もありますが)などは「ユダヤ人」です。グルジア人とされるスターリンも本名がジュガシビリ(ユダヤの子孫という意味)で「ユダヤ人」だった可能性があります。つまりロシア革命とはロシア帝国に迫害された「ユダヤ人」の反撃であり、たまたま同じユダヤ人・マルクスの共産主義をイデオロギーとして使っただけのような気がします。

 さて米国に渡った貧しい「ユダヤ人」の家庭に生まれたシェルドン・アデルソンは、12歳から新聞販売員として働き始めます。アデルソンがカジノビジネスに進出するきっかけとなったのは、何と62歳になった1995年にコンピューター関連展示場・コムデックスを8.6億ドルという法外な価格でソフトバンクに売却してからです。

 アデルソンはその資金を元手に、ラスベガスで老朽化していたサンズ・ホテルを格安で買い取って爆破解体し、1999年にベネチアン・ホテルとして開業します。しかしラスベガスでは後発だったため海外進出に最も熱心で、2004年にマカオにサンズ・マカオ、2007年にベチアン・マカオを開業し、2008年にはシンガポールでマリーナ・ベイ・サンズの建設に取りかかります。

 しかしそこを金融危機が直撃し、88億ドルもの負債を抱えていたアデルソンは破綻寸前に追い込まれます(破綻したというニュースも流れました)。2004年に上場していたラスベガス・サンズの株価も、150ドル近くの高値から1ドルになってしまいました。

 しかしアデルソンは、開業していたマカオのカジノホテルの好調な現金収入で何とか生き残り、80歳をこえた今もマカオとラスベガスなどに新たな大型カジノホテルを建設・開業しています。ラスベガス・サンズの株価も直近では86ドルまで回復し、時価総額も7兆円ほどとなっています。

 そして昨今のアデルソンはカジノ議連の細田博之会長ら関連議員に猛烈にアプローチしており、日本のカジノ解禁に向けて世界の主要カジノ会社の中では明らかに一歩リードしています。何でも「お台場エリア」に1兆円を投入するといっているようですが、もちろん自己資金はほんの一部でしょう。

 まあカジノ議連の議員や日本企業では太刀打ちできそうもない古強狸(ふるつわだぬき)です。またアデルソンはシオニストとしても有名で、イスラエル支援組織に高額の寄付をしています。

 本日は最近のウクライナのニュースを聞いて、「ウクライナ」「ユダヤ人(アシュケナージ)」「アデルソン」「コムデックス・孫正義」「ラスベガス・サンズ」「マカオ」「お台場カジノ構想」と連想のままに書きましたが、詰め込み過ぎでまとまりを欠いてしまいました。

 世界のカジノ最新事情と、日本のカジノ解禁を巡る各方面の「思惑」は、近々じっくりと書くことにします。

急いでカジノ法案を成立させる背景とは?


 先週末の12月2日、「統合型リゾート(IR)整備推進法案(以下、カジノ法案)」が衆議院内閣委員会で可決され、本日(12月6日)の衆議院本会議で法案通過、会期末の12月14日までに参議院で可決・法案成立となります(必ずそうなります)。

 衆議院内閣委員会では審議開始が11月30日、審議時間がたった6時間のスピード可決となりましたが、このカジノ法案は2015年4月に自民党、旧維新の会などの議員立法で提出されていたものです。

 さらにほぼ同じカジノ法案が2013年12月にも議員立法で提出されており、2014年12月の衆議院解散・総選挙で廃案となっていたため、足掛け3年も「棚ざらし」にされていたカジノ法案が、たった2週間ほどで成立することになります。

 だいたいこういう場合は何か「ウラ」があるものですが、簡単に思いつくことは11月17日に安倍首相が大統領選に勝利した直後のトランプ氏のNY自宅を訪れていたことです。この会談は、そもそも米国政府から「トランプはまだ大統領ではない」と強い異議が伝えられていたなかで強行されたもので、その会談内容は一切明らかにされていませんでした。

 今回の「いかにも早急なカジノ法案の成立」がなければ、そう疑うことはありませんが、こうあからさまなことになると「ああ、やっぱりお土産だったのか」となります。

 そう書くと、トランプはアトランティックシティで大規模なカジノホテルを建設していたから?と思われるかもしれませんが、いくらなんでもそんな単純なものではありません。だいたいトランプのカジノホテルは、とっくの昔に倒産しています。

 だいたい大きな「ハコモノ」を建設してカジノを併設すれば、明日からカネが儲かる利権になると考えているのは日本で140人もいるカジノ議連の議員諸氏くらいで、カジノ運営で儲かるのは「世界で数社の寡占状態」となっている大手カジノ運営会社だけです。

 日本で実際にカジノ解禁となっても、その運営は(当然に最も儲かるところは)そのカジノ運営会社に委ねざるを得ず、日本でもとっくに水面下で大手カジノ運営会社が入り込んでいます(然るべき人物をすでに抱き込んでいるという意味です)。
 
 別に日本企業が独自にカジノを運営してもいいのですが、アッという間に世界中からイカサマ師が押し寄せ、たぶん兆円単位で稼がれてしまうはずです。結局は大手カジノ運営会社に頼らざるを得ず、ハコモノを建設する日本勢は何も儲かりません。それを推進するのがカジノ法案です。

 大手カジノ運営会社とは、米国のMGM、ウィン、サンズ、マカオの澳門旅遊娯楽、新濠博亜娯楽(メルコ・クラウン)、香港の銀河娯楽集団(中国政府のダミーと言われています)などですが、日本のカジノでは現時点でシェルドン・アデルソン率いるサンズが大きくリードしています。

 さてここからが重要です。実はこのシェルドン・アデルソンはウクライナ移民の息子でユダヤ人ですが、現在はシオニズムの大御所でトランプの大スポンサーでもあります(ヒラリーの大スポンサーでもありました)。

 シオニズムとはイスラエルの地にユダヤ人、ユダヤ教徒の故郷を再興しようとする運動で、米国では「イスラエル・ロビー」の巨額献金で政治・軍事・マスコミ・金融などを牛耳っています。これは決して大袈裟に書いているわけではありません。

 大変に皮肉なことですがドイツがルーツのトランプ新大統領は、ユダヤ(イスラエル・ロビー)の影響を大きく受ける政権となります。娘のイバンカさんもユダヤ人と結婚しておりユダヤ教に改宗しています。

 まあ歴代の米国政権も似たようなもので、一見関係がなさそうなオバマもイラン核合意後の2015年11月にはイスラエルのネタニヤフ首相をホワイトハウスに招いて会談(言い訳?)しています。

 つまり今回の日本における早急なカジノ法案の成立とは、安倍首相が大統領就任前のトランプと会談してまで約束してきた大スポンサーのシェルドン・アデルソンへの「利権提供」だったことになります。

 実はこのシェルドン・アデルソンがカジノ業界に参入した時期は意外に新しく、1999年ラスベガスにベネチアン・ホテルを開業してからです。それではその資金を提供したのは誰でしょう?

 2014年3月5日付け「ウクライナ・ユダヤ人・カジノ」に書いてあります。