2人のムハンマド
ムハンマドとはイスラム教の開祖(570~632年)ですが、表題の「2人のムハンマド」は、サウジアラビアのムハンマド・ビン・ナイーフ皇太子と、ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子のことです。
サウジアラビアの現国王は2015年1月に就任したサルマン・ビン・アブドルアジズ国王(第7代国王)ですが、ムハンマド皇太子はこのサルマン国王の甥(国王の兄で2012年に皇太子のまま亡くなったナイーフ皇太子の次男)、ムハンマド副皇太子はサルマン国王の7男です。すべて父親の名前が最後にきます。
ところでサウジアラビアの国王は、1932年に即位し1953年に亡くなったアブドルアジズ初代国王の息子(36人います)から年長順、母親家系の有望順などで選ばれ、サルマン現国王まですべて第2世代の国王です。
次の国王となる皇太子のムハンマドは初めて第3世代から選ばれた皇太子で、次の国王から第3世代となるはずです。しかしムハンマド皇太子は、あくまでも現時点における皇太子であり、過去には皇太子の交代や解任などが結構あります。
その最大のライバルがサルマン国王の息子であるムハンマド副皇太子で、そこから表題の「2人のムハンマド」となります。サルマン国王は明らかに健康上の問題を抱えており、次期国王が選ばれるのはそれほど遠い先ではないはずです。
ここでムハンマド皇太子は57歳で副首相・内務大臣・安全保障評議会議長などを兼任し、米国留学の経験がある親米派の代表王族です。
一方でムハンマド副皇太子は若干31歳で、第二副首相・国防大臣・経済開発評議会議長などを兼任し、外交も国王から最高権限を移譲されているようです。また自身は留学経験がなく(キング・サウド大学卒)外交方針は自立・バランス型と思われ、少なくとも親米派ではありません。
またムハンマド副皇太子は、最近になって国営のサウジアラムコを自身が議長を務める経済開発評議会の傘下に入れ、国家財政収入の大半も掌握してしまいました。またサウジアラムコの株式を公開して5%程度を売り出す意向を表明しています。上場すると時価総額2兆ドル(200兆円)と言われています。
つまりどう考えても「2人のムハンマド」では副皇太子の方が「勢い」があります。当然のように「2人のムハンマド」は不仲で、隣国イエメンのシーア派勢力への空爆や、イランとの国交断絶の原因となったシーア派のニムル師処刑などは、ムハンマド皇太子が副皇太子の追い落としを狙った謀略だったといわれています。
さてそのムハンマド副皇太子が8月31日~9月3日に来日して、天皇陛下も懇談されました。副皇太子は元首(国王)ではないため、サルマン国王の名代としての懇談だったはずです。また安倍首相も会談し、首相主催の晩餐会を開催しました。
ここでサウジアラビアは、原油収入が激減するなかの国家財政政策、OPECの盟主としての原油政策、ますます複雑になる中東情勢の中の外交政策など、大変に難しい国家の舵取りを若干31歳の副皇太子に委ねていることになります。
ムハンマド副皇太子がこのままの「勢力」を維持すれば、少なくとも米国のシェール産業が活況となる原油価格の上昇は容認しないはずですが、最近はシェール産業のコストも1バレル=30ドル台まで下がっているようで、いつまでもチキンレースが続くことになります。
また王位継承者だけでも1000人、すべての王族を合わせると3万人もいるサウジアラビア王族の勢力争い、イスラム教スンニ派(正確にはスンニ派でも最も戒律が厳しいワッハーブ派)の盟主としての舵取りもそれに加わります。
ちなみにイスラム国の国王のなかで最上格とされるのは、開祖ムハンマドの血筋を引くとされるヨルダン国王のアブドラ2世と、モロッコ国王のムハンマド6世です。国王ではありませんがイラン革命で帰国したホメイニ師もムハンマドの血筋と言われていました。
だからヨルダン王室もモロッコ王室も「アラブの春」とは全く無縁の安定した王室です。
サウジアラビア王室は遊牧民あがりの「世俗の王」で、その「世俗の王」がイスラム教の盟主でいられるのは豊富な石油収入をバックにした巨額の喜捨(寄付)のおかげです。どこの世界でも金の力は偉大なのですが、これも原油収入の激減で巨額の喜捨が維持できなくなると、困った問題が出てきてしまいます。
とりとめもなく書いてしまいましたが、その辺を頭に入れて「2人のムハンマド」の成り行きを眺めていてください。
ムハンマドとはイスラム教の開祖(570~632年)ですが、表題の「2人のムハンマド」は、サウジアラビアのムハンマド・ビン・ナイーフ皇太子と、ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子のことです。
サウジアラビアの現国王は2015年1月に就任したサルマン・ビン・アブドルアジズ国王(第7代国王)ですが、ムハンマド皇太子はこのサルマン国王の甥(国王の兄で2012年に皇太子のまま亡くなったナイーフ皇太子の次男)、ムハンマド副皇太子はサルマン国王の7男です。すべて父親の名前が最後にきます。
ところでサウジアラビアの国王は、1932年に即位し1953年に亡くなったアブドルアジズ初代国王の息子(36人います)から年長順、母親家系の有望順などで選ばれ、サルマン現国王まですべて第2世代の国王です。
次の国王となる皇太子のムハンマドは初めて第3世代から選ばれた皇太子で、次の国王から第3世代となるはずです。しかしムハンマド皇太子は、あくまでも現時点における皇太子であり、過去には皇太子の交代や解任などが結構あります。
その最大のライバルがサルマン国王の息子であるムハンマド副皇太子で、そこから表題の「2人のムハンマド」となります。サルマン国王は明らかに健康上の問題を抱えており、次期国王が選ばれるのはそれほど遠い先ではないはずです。
ここでムハンマド皇太子は57歳で副首相・内務大臣・安全保障評議会議長などを兼任し、米国留学の経験がある親米派の代表王族です。
一方でムハンマド副皇太子は若干31歳で、第二副首相・国防大臣・経済開発評議会議長などを兼任し、外交も国王から最高権限を移譲されているようです。また自身は留学経験がなく(キング・サウド大学卒)外交方針は自立・バランス型と思われ、少なくとも親米派ではありません。
またムハンマド副皇太子は、最近になって国営のサウジアラムコを自身が議長を務める経済開発評議会の傘下に入れ、国家財政収入の大半も掌握してしまいました。またサウジアラムコの株式を公開して5%程度を売り出す意向を表明しています。上場すると時価総額2兆ドル(200兆円)と言われています。
つまりどう考えても「2人のムハンマド」では副皇太子の方が「勢い」があります。当然のように「2人のムハンマド」は不仲で、隣国イエメンのシーア派勢力への空爆や、イランとの国交断絶の原因となったシーア派のニムル師処刑などは、ムハンマド皇太子が副皇太子の追い落としを狙った謀略だったといわれています。
さてそのムハンマド副皇太子が8月31日~9月3日に来日して、天皇陛下も懇談されました。副皇太子は元首(国王)ではないため、サルマン国王の名代としての懇談だったはずです。また安倍首相も会談し、首相主催の晩餐会を開催しました。
ここでサウジアラビアは、原油収入が激減するなかの国家財政政策、OPECの盟主としての原油政策、ますます複雑になる中東情勢の中の外交政策など、大変に難しい国家の舵取りを若干31歳の副皇太子に委ねていることになります。
ムハンマド副皇太子がこのままの「勢力」を維持すれば、少なくとも米国のシェール産業が活況となる原油価格の上昇は容認しないはずですが、最近はシェール産業のコストも1バレル=30ドル台まで下がっているようで、いつまでもチキンレースが続くことになります。
また王位継承者だけでも1000人、すべての王族を合わせると3万人もいるサウジアラビア王族の勢力争い、イスラム教スンニ派(正確にはスンニ派でも最も戒律が厳しいワッハーブ派)の盟主としての舵取りもそれに加わります。
ちなみにイスラム国の国王のなかで最上格とされるのは、開祖ムハンマドの血筋を引くとされるヨルダン国王のアブドラ2世と、モロッコ国王のムハンマド6世です。国王ではありませんがイラン革命で帰国したホメイニ師もムハンマドの血筋と言われていました。
だからヨルダン王室もモロッコ王室も「アラブの春」とは全く無縁の安定した王室です。
サウジアラビア王室は遊牧民あがりの「世俗の王」で、その「世俗の王」がイスラム教の盟主でいられるのは豊富な石油収入をバックにした巨額の喜捨(寄付)のおかげです。どこの世界でも金の力は偉大なのですが、これも原油収入の激減で巨額の喜捨が維持できなくなると、困った問題が出てきてしまいます。
とりとめもなく書いてしまいましたが、その辺を頭に入れて「2人のムハンマド」の成り行きを眺めていてください。