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8月15日 その2

2009年08月15日 14時45分53秒 | 雑記
終戦の詔勅 (玉音放送)




・あの戦争の記憶―世代を超え、橋を架ける(8月15日 朝日新聞 社説)

 64回目の終戦記念日を迎えた。

 驚かされる数字がある。被爆地にある長崎総合科学大学の平和文化研究所が、同大の学生を対象に行った昨年の調査 で、「終戦の日」がいつかを正しく答えられたのは33.2%。15年ほど前は5~6割台だった。

 戦後生まれは人口の4分の3を超えた。太平洋戦争の戦場から帰還し、健在な人は推計で40万人前後。最後となっ た1945年の徴兵検査を19歳で受けた人が、もう83歳だ。

 あの戦争の記憶をどう受け継いでゆくか。年々難しくなる課題に私たちは直面している。

■当事者に向き合う

 さいたま市の英会話学校で働く神(じん)直子さん(31)は、学生時代にスタディーツアーでフィリピンを訪ねた 。現地の集会で、一人のおばあさんに「日本人なんか見たくない」と言われたことが胸に突き刺さった。日本兵に夫 を殺されたという。

 その3年後に知人から偶然、戦地での行いを悔いながら亡くなった元日本兵がいる、と聞かされた。フィリピンで従 軍した人の今の思いをビデオメッセージにして、現地の人に届けてはどうか。そう思いついた。

 旧日本軍の部隊名簿などを手がかりに数百通の手紙を出してみた。ぽつりぽつりと返事が来た。神さんはカメラを手 に、全国を訪ね始める。

 「お国のために何でもやる。そんな教育に従って生きてしまった気がする」と、振り返った元兵長がいた。

 「強盗、強姦(ごうかん)、殺人、放火……。軍命とはいえ、罪の気持ちはある。でも謝るすべを知りません」。工 兵隊にいた人は声を絞りだした。

 話の最後に「無我夢中でゲリラを突き刺した」と、打ち明けた人もいた。

 フィリピンは太平洋戦争の激戦地だ。日米両軍の死闘のなかで、日本の軍人・軍属60万人中50万人が死亡した。 フィリピン人も100万人以上が犠牲となった。

 証言の映像を持参したフィリピンでは、元兵士が葛藤(かっとう)を持ち続けていることに驚いた人が多かった。み なではないけれど、許すと言う人もいた。

 神さんにとって戦争の歴史は、モヤモヤとよどんでいる、という。

 教科書の記述や靖国参拝を中国や韓国から批判されると、国内から反発が起きる。海外に行くと、唐突に過去を突き つけられる。でも学校ではろくに近現代史を学んでいない。広島の被爆体験を描いた「はだしのゲン」は読んだこと はあるが、海外に出兵した日本人のイメージは具体的に浮かばない。

 あの時代に近づき、戦争に携わった当事者に向き合わなければ、モヤモヤを埋めて先へと進めない――。

 神さんは「ブリッジ・フォー・ピース」という団体を立ち上げた。若者たちが手分けして70人近い元兵士の話を聞 いた。フィリピンの市民団体などの協力で、毎年のように上映会を開く。

■語り始めた元兵士

 東京都中野区の安田誠さん(86)は航空通信兵だった。フィリピンから復員後、薬の輸入商社で働き、子会社の社 長まで務めて引退した。

 2等兵の経験談など、だれも耳を傾けまいと思ってきた。だが、気がつけば、外国に対し勇ましいことを言う空気が 世にあふれている。戦地の悲惨さを、若い者は知らんのだろうか。

 孫に2年前、戦争を語る集会に連れて行かれたのが契機になった。請われるまま公民館などで話す。散歩中に同年配 者を見かけては、仲間に誘う。

 元兵士たちの体験を、共有できる形にして残そうという試みもある。

 東京都北区の民家に先月、小さな史料館が開館した。20~30代のボランティアらでつくる「戦場体験放映保存の 会」が、4年前から聞き取りを進めてきた。証言映像のDVDと手記類を合わせ、まず2200人分を公開する。

 「国民的な記憶だったはずの従軍体験を、できるだけ残すことが、戦争を知らない孫たちの世代の使命。あと5年、 いや3年が勝負です」と、同会事務局長の中田順子さん(35)は言う。

 元兵士が仲間に呼びかける形で、証言の輪は広がっている。合言葉は「戦友(とも)よ、語ってから死のう」。安田 さんもその一人に加わった。

■体験者なき戦後へ

 NHKが進めるプロジェクト「戦争証言アーカイブス」では、従軍経験を語る映像がウェブ上で閲覧できる。10月 までの試行で約100人分。銃後の経験を含めた証言をもっと増やし、11年には本格サイトを完成させる。

 番組制作で集めたインタビューを未放送分も含めて収録し、戦場名や年表からの検索も可能にした。日本人の戦争体 験全体を、体系的・総合的に整理するねらいだという。

 社会の中で薄れてゆく記憶を、つくりなおす。世代を超えて橋を架ける作業がいくつも進められている。

 ごく普通の人が、国の誤った道に巻き込まれ、極限の状況下で、加害者にも被害者にもなる。無名の元兵士たちが若 者に語り残すのは、そうした戦争のリアリティーだ。その集積を、日本が二度と過ちを繰り返さないための共有財産 にしてゆこう。

 戦場の現実を踏まえない議論を、政治の場で横行させてはならない。

 遠くない将来、あの戦争の体験者はいなくなる。それからも、私たちは「戦後」の時間を刻み続けていく。


 http://www.asahi.com/paper/editorial.html



・戦没者追悼式、平和への誓い新たに…終戦64年

 64回目の終戦記念日となる15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。
 遺族、各界の代表者ら計約6千人が参列し、約310万人の戦没者を哀悼して不戦の誓いを新たにした。麻生首相は 式辞で アジア諸国への加害責任について言及し、「悲惨な戦争の教訓を、次の世代に継承していく」と述べた。

 追悼式は正午前に始まった。全国各地の遺族約4800人をはじめ、天皇、皇后両陛下、参院議長や政党代表らが参 列した。衆院議長は衆院解散に伴い不在で、05年に続き2度目の欠席となった。民主党の鳩山代表は欠席した。

 冒頭の君が代斉唱の後、麻生首相は式辞で、「とりわけアジア諸国の人々に対して、多大の損害と苦痛を与えた」と 語り、「深い反省」と犠牲者への哀悼の意を表明した。加害責任への言及は、93年の細川元首相以来続いており、 今年も引き継がれた。

 正午には参列者全員で黙祷(もくとう)。その後、天皇陛下が「おことば」を述べた。江田五月参院議長は追悼の辞 で、「わが国の侵略行為と植民地支配」と言及し、「二度と繰り返すことなく、平和国家を築くことが、私たちの責 務」 と述べた。遺族を代表して、父・徳次さんがニューギニア島で戦死した大坪徳広さん(66)=佐賀県小城市 =は、「 この悲しい歴史を絶対繰り返さない」と誓った。

 追悼の対象となる第2次世界大戦での戦没者は、旧日本軍、軍属の約230万人と原爆や空襲などで亡くなった民間 人約80万人。

 遺族らの高齢化に伴い、参列者の世代交代が一層進んだ。戦没者の妻は64人(全体の1.3%)で過去最少。10 年前には777人(14%)いた。戦没者の子どもは66.5%を占め、孫らを含む戦後生まれは337人(6.8 %)で過去最多となった。

 最高齢は、夫・正雄さんを台湾南方の海で亡くした池端志津江さん(101)=さいたま市。最年少は、沖縄方面で 戦死した宮城篤清(とくせい)さんのひ孫の海皇(かいおう)ちゃん(3)=沖縄県うるま市。(中村靖三郎)

     ◇

〈天皇陛下の「おことば」(全文)〉

 本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえの ない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に64年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満 ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

 ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々 に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。


 http://www.asahi.com/national/update/0815/TKY200908150129.html
 http://www.asahi.com/national/update/0815/TKY200908150129_01.html

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