ラヂオ惑星モルファス

原爆の日に思うこと

8月6日は広島に、8月9日は長崎に原爆が落とされた日です。
記念行事が行われていますが、いわゆる「戦勝国」はどのような対応でしょうか?
ケネディ駐日大使は式典に参列されましたが、当然かつての交戦国の国家元首は参列していません。
アメリカ人の意見がよく紹介されています、「さらに多くの死者が出ないで済んだ、戦争の終結を早めた。」何という傲慢な態度でしょう。約21万人もの市民(非戦闘員)の死は、アメリカ兵の命よりも軽いことだとでも言うのでしょうか?
結局は日本が戦争に負けたからです。戦争に負けた側の論理は抹殺され、死者は葬られもしないのが、有史以来の戦争の歴史が示しています。
右寄りの人々や政党では、これまでの戦争に至る歴史の解釈について「自虐史観」などと言っていますが、戦争に負けた側(国、民族、氏族、町、集落、集団など全て)はその歴史や価値観を否定され抹殺され、領土、家、家族、一族、自分の命などの全てを失ってきたのが近代以前の戦争でした。負けた側には何の権利もなかったのですから、自分の正当性など主張すべくもなく歴史から抹殺されていったのではないでしょうか。
負けた側が生き残るための方法だったと思います。ある意味では、多少なりとも負けた側の論理を述べることが出来るのは歴史上希有なことなのではないかな?

これからの時代は、戦争という行為に何らの正当性も見つけられない時代になっていくのかもしれません。

19世紀的な概念を引きずるような「集団的自衛権」なども、未来に向けて考えた時、既に時代遅れの帝国主義的論理構造の最後の残滓なのかもしれないと思いますがどうでしょうか?

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