僕の細道

兎追いし彼の山

『兎追いし彼の山』

<12月31日>
 1998年大晦日の夜、店の片付けを早々に済まし、和歌山県、渡瀬温泉のキャンプ場へ向けて出発する。名古屋高速、吹上インターへ滑り込む。ハンドルに縛り付けられた腕時計の針は午後七時を少し回ったところだ。
 冬の冷たい風がジェットヘルの隙間から入り込むと寒さが一段と身に凍みる。フルフェイスのヘルメットも持ってはいるのだが、今回は正月特別仕様の擬態を備えているので、寒さを我慢しながらもジェットヘルで行くしかないのである。
 
 東名阪道と伊勢道を乗り継ぎ、安濃SAで休憩を入れる。悴んだ指でヘルメットの紐を解くのがもどかしい。ジッポーのオイルライターも火の点きが悪い。咥え煙草のまま、トイレへ駆け込む。ここから先はどのガソリンスタンドが開いているか解らないので、とりあえず、満タンにしておく。たぶん、大晦日の夜は伊勢神宮へ参拝客の為に開いていると思うのだが…。

 今年は時間を早めて出発したので予想していた渋滞はほとんど無く、南へ向かう車両は流れていた。走り出して直ぐに小雨が振り出してきた。嫌な予感がする。それでも、雲は流れているし、反対車線の車両を見てもそれほどの降りはないと確信してカウルに身を潜めて走る。勢和多気インターを降りる頃には雨も上がり、国道42号線で更に南へ向かう。

 ここから紀伊長島までは快調に飛ばして行く。だが、荷坂峠では体感温度がぐっと下がったのが感じられる。寒さで固まった体では思うように体が動かず、折角のワインディングも満載のキャンプ道具の重さに振り回されて逆に怖さを感じてしまった。
 尾鷲市へ抜けるトンネル付近はまたしても小雨が振り出す始末。滑らないように慎重にコーナーを一つ一つクリアして行く。そして、危惧していた通り矢ノ川峠は道路標識にはマイナス1℃の表示が出ているし、白いものがチラホラ路肩に見えてくる。標高が上がるにつれ、空からも白いものが…。
 前を行くアベックの乗ったスポーツセダンは女性の方が運転しているらしく、速度が上がらず、渋滞の基となってきている。カウル付きのバイクに乗っている自分は速度が落ちて
くるとカウルの恩恵を得られず、ますます、寒さを体感してしまう。
 今回はソロツーリングである為、どこで抜こうかひたすら、タイミングを算段していた。直線がある所、信号待ち、車速が失速してくる所と…。何とか、峠の下りに差し掛かる前に抜かなくては、後が辛い。矢ノ川トンネル内で気合を入れて次の大又トンネルを抜けた所までに終了した。ここからは下りが続く。マイナス1℃なら凍結はしてないだろうと高を括り、雨交じりの小雪の中を駆け下りていく。

 海岸線に出るとやっと肩の力が抜ける。ここから新宮市まではひたすら直線の一本道だ。この辺りは初日の出ポイントとなる為、地元自治会の人達がパトロールをしており、渋滞の原因となる四輪車が駐めれないように鉄柵が置いてある。中にはその作業前に駐車してしまう素早い奴等も見掛けたが…。
 
 国道168号線、十津川街道に入ってしまうとどこもお店が開いていないので、鵜殿村のコンビニエンスストアで直ぐ食べられるカップ麺と少量の買い物を済ましておく。自宅から豚のバラ肉2kgやアルコールなどの食材は持ってきている。なぜなら、一度、キャンプ場に着いてしまうと買い物が出来ないからだ。元旦は周辺のお店は全てお休みで、一番近いコンビニまでは片道30kmもあるのだ。

 熊野川沿いの国道168号線は凍結しやすく、特に朝方は要注意の道路だ。もちろん、夜間も注意しなくては行けないのだが、対向車の走り方を見ているとその心配はなさそうだ。時計の針と睨めっこして少しペースが上がる。

 23時30分頃に無事、渡瀬緑のキャンプ場に無事到着する。見知った連中から爆笑の歓迎をされる。人によっては私の姿をカメラに撮る奴もいた。何故なら、私の被っていたジェットヘルには正月特別仕様と称してテレビ塔横にある東急ハンズで購入したパーティーグッズ「ウサギの耳」が取り付けられていたのだ。
 名古屋から渡瀬温泉までフサフサの「ウサギの耳」をなびかせて疾走していたのであった。その耳が風の抵抗となり、高速道路ではなかなか速度を上げられなかったのだ。120km/hならまだ大丈夫なのだが、それを越えると頭が後ろに持って行かれてしまう。後方確認も意識してしないと風でバランスを失ってしまう。道中、このウサギヘルメットに追い越された四輪車のドライバー達はさぞや面食らったであろう。ただ、残念だったのは、パトカーと追い駆けっこして「前を行くウサギ、止まりなさい。」と拡声器を通して言われ無かったのが心残りだった。

 バイクに積載されたキャンプ道具は何人もの友人達の手によってキャンプサイトまで運ばれ、テント設営も手伝ってもらう。冷えきった体ではもっと時間がかかったであろう。例年なら馬上の人として迎えた新年も今年はテントの中で迎える事が出来た。年越しそばは新年そばとなってしまったが、先程買っておいたカップ麺を食して体を温める。少し、落ち着いてから、テントかを出て日本酒を片手に皆に新年の挨拶を済ます。暫し、親交を暖め、心も温もらせた後、寝袋に潜り込み眠りに就く。

<1月1日>
 元旦の朝、寝袋で目覚めるのはこれで何度目だろうか。ここ十年で言えば、全て旅先の寝袋であった。目は覚めてもテントの中でウダウダしている。テントの周囲では起き出したキャンパー達がごそごそしている。友人の声におびき出されて 寝袋から這い出し、活動を開始する。とは言っても、たき火を中心にただ、ウロウロし、朝からスコッチをチビリチビリと飲んで仲間達と雑談をするだけなのだが…。
 体が温まってくるとキャンプ場の横を流れる川の土手に移動し、又してもチビリチビリ。眠たくなれば、川面の日溜まりに映された大地に転がり、ウトウト。お昼時になると千葉県からホンダSL230でやって来た、N君と近場のクアハウスへそぞろ歩き。各湯船に身を沈めて仲間達と時を過ごす。湯上がり後は二階の休憩所にて和歌山県名物「めはり寿司」をほうばりながら、「天皇杯サッカー」の決勝戦をテレビ観戦をする。
 今年の決勝戦はドラマチックな展開で横浜フリューゲルスが優勝した。歓喜した我々は周囲の目を暫し忘れ、感動の余韻に浸っていた。

 もう一度、湯船に浸かった後、キャンプ場に帰ると、メイン会場となる東屋では、ノコギリで薪を切る者、食材を洗いに行く者、鍋の下ごしらえをする者と皆、夕食の準備に追われていた。今年の私は食材(アルコール含む)を提供したという事で準備は免除された。なのに酒のつまみと称して餃子を焼き、又して仲間達とたき火を囲んでチビリチビリ。
 
 夕闇が迫り、辺りに灯が点る頃、鱈鍋が出来た。他の連中も続々と料理が出来上がり、総勢二十余名のライダー達の宴会タイムとなった。奈良の鍋奉行ことFさんが料理した鱈鍋もあっと言う間に無くなり、続いてホタテなどの海産物を入れて二番鍋を作っている。
 横では京都のY君が私の出した豚のバラ肉でバラ肉丼を作っている。あちらこちらで出来上がった料理を皆、席を動いてあちらこちらで話題の花が咲く。マグロの刺し身など海産物はツーリングがてらに元旦の日、那智勝浦まで買いに行ったものだ。なんでも道中、熊野川沿いで凍結によるスリップで四輪車の追突事故が在り、一方の車は押し出されて土手から半分、はみ出していたそうだ。それを撮影したデジタルカメラで皆が鑑賞する。
 これまでのフィルムカメラと違い、その場で見られて盛り上がる。中には昼間、このキャンプ場からモバイルして電子メールの年賀状を送信している者もいた。ここは昨年まで携帯電話の圏外となり、逃避行先としてはもってこいの場所であった。
 
 飲み食いした後はそれぞれの輪を作り、一期一会の語らいの潤滑油として酒を食らう。私はたき火に陣を取り、日本酒、ウイスキー、ワインと共に四方山話の花を咲かせる。その中でも、私が持ち込んだアルコール度数96℃のウオッカを口に含んで、たき火に放ち、火炎放射器状態で盛り上がり、彼ら彼女らの心に火を点けた事だけは事実である。

 宴会の輪も解け、酔い冷ましに川を堰き止めて造られた無料の 川湯温泉へ一人、バイクを走らせる。たかだか、5分も懸からない距離なのにフリースの上下にサンダル履きではさすがに寒い。いくらカウルに潜んでみてもとにかく寒い。ささっと衣服を脱ぎ捨て温泉に飛び込む。この温泉の温度自体はそれほど熱くないのだが、手で地面を掘り返すとだんだんと地中から温泉が湧きあがり、熱くなる。
 それにここは殿方の喜ぶ、混浴なのである。日中から夕方にかけては昔のビチビチお嬢さんが多いのだが、夜も深まって来ると付録の男と共にピチピチお嬢さんが入湯している。
 事実、私の目の前にもそのような、アベックが…。と思ったら、一緒に酒を飲んでいた筈のキャンプライダーではないか。しかも即席カップルか?確か東京から来た背の高い30歳過ぎの男性ライダーと大阪の29歳の女性ライダーで今日、知り合った筈だけど…。
 向こうもこちらに気づき、お互いに照れ笑い。でもね~、いくら勢いでタンデムして走ってきたからといってもタオルぐらいは持っておいでよ。おかげで私のタオルを彼らに貸し与え、私は頭に巻いていたバンダナで体を拭く羽目になりました。余談ですが、アルコールを飲んだ後の入浴は直に逆上せます。なぜなら、その大阪の女性ライダーHさんはあられも無い姿で横たわっているのですから。正月早々、ご馳走様でした。

 体が温まった私は二人をおいて川湯温泉をあとにした。行きに感じた寒さも帰りには全然、感じない。キャンプ場に戻ると宴も終わっていて、京都のYさんが火の後始末をしている。他はそれぞれのテントに入ってしまったようだ。私の元旦は例年の如く、怠惰な一日で終わった。

<1月2日>
 この日の朝は昨日と違い、テントはバリバリと凍りついていた。夏用、冬用と二枚重ねにした寝袋の中はフリースを着なくともアンダーウエアだけで熟睡出来る。テントから出てくると東屋ではうどんすきが作られていて、冷えついたキャンプ場に湯気が昇る。
 この寒さでは帰り道もまだ、凍結しているという事で近くにある湯の峰温泉の「つぼ湯」に友人三人で出かける事になった。徳島からGPX750で来たT君と昨夜、川湯で混浴した大阪の女性Hさん。T君は元旦の日、ここへ来る途中に、キャンプ場の近くの凍結路で転倒し、バイクがまだ、直していない為、ウサギ仕様のヘルメットを被った私がタンデムして行く。後ろからHさんがCB400で着いてくる。

 湯の峰温泉へはわずか10分ぐらいで到着してしまう距離である。ここはさすが観光地らしく大勢の湯治客が詰め掛けていた。目指す「つぼ湯」も順番待ちとなった。その間に三人で近くを散策する。やがて順番が来たのだが、後がつかえているので三人で混浴となった。
 この大阪のお姉ちゃんは昨夜は酔っ払っていたとは言え、素面の今も度胸はいいね。直径1、5メートルぐらいにの湯船に今回はタオルできっちりガードをして一緒に浸かる。湯は白く濁っていて温度は結構熱い。湯面に合わせて造られた小窓から外が覗けてなかなか趣きがある建物だ。忙しなく着替えを済まし、火照った体でバイクに跨り、キャンプ場に帰る。

 散らかしたキャンプ道具を撤収し、残った食材は後の者に渡し、少しでも身軽にしておく。何とか、11時に出発する事が出来た。名古屋から来ていたAさんと瀬戸から来ていたN君に翌日の新年会の打ち合わせを忘れないようにしっかりしておく。明日、1月3日は名古屋駅テルミナ’7F「味の街にある「けやき」にてパソコン通信で知り合ったバイク仲間の新年会が開かれるのだ。関東から帰省中の方もみえての10人ぐらいの宴会が在る為、幹事の私は日程を早め、2日に帰ることになっていたのだ。

 大晦日の夜に通り抜けた熊野川沿いを行く国道168号線の反対車線は熊野詣での参拝へ向かう車両で混んでいる。海岸線の国道42号線も新宮市、尾鷲市と一気に駆け抜けて海山町の道の駅で一休み。ここでウサギ仕様になっているヘルメットのガムテープを剥がして通常仕様に戻しておく。深夜と違い、いくら私でも昼間の素面でのウサギ姿は恥かしいのだ。時計を見るとまだ昼を過ぎた辺りだ。
 元旦の朝、南島町に住む私と同車種のバイクにクラウザーのパニアケースを取り付けている友人、Kさんがキャンプ場へバイクで伊勢名物の「赤福」をお土産に遊びに来ていた。どうせなら、国道260号線で南島町へと思い、紀伊長島町から進路変更する。それが大変な事になるとは思いもよらなかった。
 
 紀伊長島町から孫太郎トンネルを抜けて小さく曲がりくねったコーナーとアップダウンの続く国道260号線で風光明媚な海岸線が続く南島町を目指す。目的のKさんの家であるガソリンスタンドは直ぐに見つかったが、Kさん本人は奥さんの実家、岐阜県海津町に行っているので居なかった。そして、話に聞いていた県道46号線で藤坂峠を行く事にした。曲がり角はKさんの家から近く、標識も出ているので解りやすいのだが、どんどん道は狭まってくる。峠の頂きまでは道路幅2~3メートルの道が続き、あの悪名高い四国の国道439号線を思い出してしまった。
 ただ、今回はキャンプ道具をパニアケースとリアシートに積んでいるので思うように曲がる事が出来ない。所々、足を着きながら方向変換をする。 急な崖にもガードレールは取り付けて無いので一つラインを間違えると滑落が待っている。ひたすら恐怖との戦いになった。
  対向車とのすれ違いもままならず、ブラインドカーブでは徐行して様子を伺ってからでないと進んで行けない。場所によってヤジロ ベヱように両足を出してバランスを取っていた。何とか、峠の山頂までたどり着き、あとは下りの一本道の筈だが、猪狩りで猟銃を持った人達が多数、山に入っていてあちこちで構えているし、突然ダートが出現したりして、結構恐かった。峠としては面白いのだが、今度来るときは軽量なオフロードバイクにしよう。

 道路幅も広がり、民家が増えてくるとホッとする。これで国道42号線に合流して勢和多気インターチェンジから伊勢高速道路に乗ってしまえば、一気に名古屋だ。いつもなら、亀山ICで降りて国道23号線で行くのだが、先ほどの藤坂峠でグッタリきたので楽さを選び、東名阪道で帰ってしまった。

<追記>
この後の文章はパソコン通信の場でそのキャンプ会のコピーを私が作ったものです。

『仮の宿からいつしか定宿となり、そして旅人の停車場から目的地と成り得た正月の宿。それが、ここ渡瀬のキャンプ会であった事を皆に伝えたい。心のオアシスをお探しの方は、御一緒しませんか?』

1998年12月31日~
1999年1月2日
使用車 ホンダCBR1000F1992年式
走行距離 約680km
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