僕の細道

東へ西へ

『東へ西へ』

 寝ぼけ気味の頭をヘルメットの中に突っ込んで待ち合わせの和合にある153広場に向かう。そこには今回の主催者であるMさんが奥さんと伴にたくさんの荷物をHONDA SLR650に取り付けたギヴイのパニアケースに押し込めて待っていた。
 軽く挨拶を済まして次の待ち合わせ場所まで二台で無線を使用して走る。 Yさん(Mさんの奥さん)はタンデムシートにどっかり座り、リアテールに取り付けられたパニアケースとの間に挟まれている。

 豊田市内を流れる矢作川の橋の袂でYAMAHA、TDM850に乗るA君とSUZUKI,RF900であとから現れたB君たちと合流する。今日の予定を打ちあわせをしてから松平を抜けて東へ走る。
 最後の一人K君は作手村役場にて待っているはず。KAWASAKI,ニンジャ900にキンプ道具を括り付けて皆が来るのをいまかいまかと待っていた。

 揃った五台は本宮山のワインディングを快調に飛ばしていく。三ヶ日インターチェンジ入口にあったコンビニにより、小休止。朝食を食べてきていないのもいて、食べ物と飲み物を急いで口にほうりこむ者もいた。
 浜名湖の北側を通り、掛川から国道1号線に入り。去年も立ち寄った小夜の中山にある峠の茶屋「あふぎや」に顔を出していく。あの102才になるおばあさんも今だ健在であった。お店の前に広がる公園の山頂で周囲のお茶畑を見下ろしてコンビニ弁当にて昼食となった。

 金谷町からは国道473号線が道路工事のため通行止めとなり、普段は走り易い大井川対岸沿いの県道64号線にもトラックやダンプカーが多く走り廻り、積み荷の砂利や振動で崖から剥がれ落ちた土砂が路肩には浮いていた。

 塩郷ダム脇から対岸に渡り、「くのわきキャンプ場」 にて荷物を降ろす。ここでも値切り交渉の末、料金を半額にしてもらった。 一人1350円ならまだ許せるか。
 昨年、Mさんと出かけた寸又峡では駐車場脇の空き地にテントを設営したため無料で済んだのだが、人数が多いとそういう訳にいかず、今回はキャンプ場泊となった。
 このキャンプ場は蛇行した大井川の中州に造られており、運営は役場で管理されている。本来なら前もって予約しなければいけないそうなのだが、この日は従業員たちが施設の作業にきていたためすんなり泊ることができた。
 それぞれにテントを設営してから来た道を少し戻り、佐々間渡温泉に浸かりに行く。この露天風呂からは大井川鉄道を走るSL(毎日3時25分に下り方向で通過)を眺めることができ、僕は缶ビール(500ml)を持ち込んで、みんなで回し飲みをしたのだが…。
 
 火照った体を外に置いてあった縁台で休ませ、夕食にの買い出しに町までバイクに乗りお出かけする。八百屋で玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、長ねぎ、なす、キャベツをひと玉買う。肉屋で豚バラのみそ漬け、豚バラ300グラムと卵をワンパック買っておく。酒屋では各自にアルコールを購入している。飲まない人達はコンビニエンスストアに寄って、菓子類を買っていた。僕はそこを少し早めに出て、明日に備えてガソリンの補給をバイクにしておく。
 
 陽も落ちかけ、洗い終えた野菜類を片っ端から包丁で切り刻んでいく。用意が整った食材を大きな中華鍋で料理していく。回鍋肉、なすの中華あんかけ炒め、韓国風チヂミの玉子バージョン、なすときゅうりの塩もみにじゃがいものソテーとチャーハン、そして朝食用にと野菜を煮込んだ食べるスープも出来上がり。腹も脹れ、たき火を囲んで旅の余韻に酔う。
 そして、深夜も1時半を廻り、それぞれにシェラフに潜り込んだのだった。

 翌朝は5時半に目を覚ましてしまい、さっそくテントを撤収する。7時前にはMさん夫婦が起き出してきて挨拶をすます。ここから大阪の河内長野市の奥にて行われるのバイクミーティングに向かって一人だけで西へ走り出したのだ。計算ではこの時間に出発すれば、ランチタイムには間に合うはずなのだが…。

 大井川沿いの道は朝の通勤ラッシュとかち合うのと通行規制の影響でほとんど流れていない。しかし、そこはソロライダーの気楽さでちょこまかと前へ前へと進んでいく。国道1号線に出ると道も拡がり、速度も上がる。掛川インターチェンジから東名高速道路に乗り、さらに速度を上げる。
 
 9時過ぎには名古屋東インターから降りて街中にてピットイン。ガソリンの補給と山の中ではつながらなかった携帯電話も普及して、あれやこれやと用事を片づける。 
 そして吹上インター入口から名古屋高速に再度乗り込み、名阪道路を覆面パトカーに気を付けて走る。大阪、藤井寺インターから国道170号線に降りて羽曳野市を抜け、会場となる河内長野市の先にある滝畑ダムまで飛ばしまくる。
 途中、羽曳野市在住のYさん (彼は阪神大震災の時、救援ボランティァとして二輪ライダー達のリーダーであった。)と信号待ちで出会い、連なって向かう。コンビニで昼食用の材料を揃え、最後のワインディングを二台で駆け抜けて12時には着いてしまった。
 
 会場にはH君も名古屋からYAMAHA FZR1000で駆けつけていてたくさんの人で、ごったがえしでいた。
 このバイクミーティングも回を重ねるごとにハーレーが増え、オフ車や他の国産車が減ってしまい、最近の傾向では女性もちらほらと出没し出した。主催者のNさんも喜んでいる
のだが、他のライダー達はもっと嬉しいはずだ。もちろん大阪の連中に負けないように年代物のYAMAHA、SRX250Fに乗る神戸から来た女子大生に僕が一番初めに声を掛けたのは言うまでもない。
 
 西は神戸、奈良、和歌山、大阪の各所からやって来る。東は名古屋や豊田、伊良湖までとわきあいあいとBIKEに乗って来て大人達がお喋りを楽しんでいる。
 このミーティングは大坂、東住吉にある商店街に店を出しているライダー達が始めたものであり、それで彼らの休みとなる平日の火曜日に開催されている。職種も年齢もバラバラでまして乗っているバイクまでみんな違うから面白い。
 
 ここでも持参した中華鍋を振るい、炎の鉄人と化す。スパゲッテイを茹でミートソースで絡めるのだがこのミート缶詰がおいしくなかった。時間節約のため、レトルトにしたのが失敗だった。ちゃんと食材から買えばよかったと後悔の念。
 あとは主催者に頼まれて全員分の湯を沸かしてアフターコーヒーの準備をする。空になった中華鍋を叩いて出来たことを皆に知らせる。

 午後3時も過ぎると徐々にライダー達が減り始める。H君も帰り、豊田の男女3人組みや伊良湖の千C君もYAMAHA、XJR1200に跨り家路に就いた。僕も4時過ぎにそこを出発して来た道を名古屋まで戻る。
 途中、藤井寺でガソリンを入れて一気に走る。西名阪と東名阪を使い、休憩もせず、名古屋高速まで自動二輪車法定遵守速度の二倍辺りで巡航するとあっという間に家に着いてしまった。
 
 バイクからキャンプ道具やらの荷物を降ろしていると突然、携帯電話が鳴り出して、出てみるとなんと先に帰ったはずのH君からであった。なんでもまだ四日市にいるとのこと。てっきり僕が亀山の地ビールレストランに寄ると思い、待っていてくれたのだそうだ。
 そしてそのまま国道23号線で帰宅中とのこと。だが僕は昨日から走り続けているのと暗くなると覆面パトカーが見つけにくいから早く帰りたかったのだ。時計を見るとまだ6時を過ぎたところであった。また世間の冷たい視線を浴びてしまう走り方をしたようだ。事故らず、捕まらずで未だ健在に東へ西へ…。


平成10年4月20,21日
全走行距離 836Km
仕様車 ホンダCBR1000F
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