【東海豪雨手記】その1「VC設立」
ボランティアセンターの設立について
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2000年9月11日(月)夜に激しい雨が降り続いていた。雨音に混じり、家の前を歩く人が増え、ざわついている。テレビニュースを見ると、地下鉄鶴舞線が塩釜口駅で止まり、皆、歩いていたのだった。その夜は、テレビ、ラジオから流れる被害情報をパソコンを使いながら、各HPの掲示板やフォーラムなどに自宅から発信していた。
豪雨後、新聞にボランティア募集の記事が載り、軽い気持ちで名古屋市南区役所に設けられた名古屋市南部ボランティアセンター(以下、南部VC)へ出かけてみた。受け付けを済ませ、他のボランティアたちとオリエンテーションを待っていると、机の向こうから見知った顔が声を掛けてきた。「そっちに居ないで、VCの運営を手伝え。」彼はライダー仲間で民間ボランティアの一人である。
阪神・淡路大震災の際、私は後方支援部隊となり、名古屋に残り、出向いた仲間たちの連絡、情報収集、募金収集をしたりしていた。現場に出向くのは今回の東海豪雨が初めてだった。
彼曰く、「このVCの運営は全て君に任す。好きなようにいじっていいから。」そう言われても、何をしていいのか解からない。とりあえず、現状把握をその場で行い、VCのイメージを膨らませる。
最初は、小規模な状態で運営していたのだが、「ニーズ」と呼ばれるボランティア依頼が次々とVCに届く。派遣されるボランティアたちの振り分けが行われていく。そして、派遣先に必要な物資がひんぱんに出入りし、場所を手狭にしていた。VCでは、人が集まり、情報が流れ、物資が煩雑に通り過ぎる。先ず手始めに、それぞれの流れを効率良くするため、場所の確保から始めたのだった。
机の位置を人の流れに応じて並び替え、一つ一つの場所を大きく取ることにより、人の滞留を防ぐ。そして、ボランティア達の待機所も大きく取り、気分転換とモチベーションの保持に努めた。
南区役所内に設けられた電話が、被災者の窓口となる。窓口の対応しだいで必要な情報を得られたり、失ったりしてしまう。電話担当には、ニーズ表に無い事柄まで、できるだけ詳細な内容を
聞くようにお願いした。それを基に貼り出すニーズ表を作成する。そして屋外のボードへ張り出す前に内容をチェックし、更に書き加えたりしていく。
例えば、被災者から依頼が有っても、その依頼された家の近くまでは辿りつけても、肝心のその家が判らず、時間ばかりが過ぎて行くケースが出ていた。その対策として窓口が依頼を受ける際に、その家に目印となる物(タオル、衣服など)を掲げてもらうようにお願いした。
他には、家具類の持ち出しの依頼があった場合、その家庭がお年寄りの家族だったり、一人暮らしの被災者だった場合、持ち出し依頼には男性4人など書かれていても、その用紙に年配のボランティアを一名付け加えたりした。これは、その家族の歴史を刻んだ大事な家具には、それぞれに
愛着が有り、若いボランティアたちが次々と運び出してしまっては、気分が落ち込むであろうと思い、それを防ぐ意味で、話し相手となるボランティアを一緒に同行させたのだった。
そして、運び出しボランティアには清掃(衛生用品)も、一緒に持って行ってもらい、二度手間を省くようにした。
物資の流れも、場所を大きく取ることにより、これから持ち出す物、被災先から持ち帰った使用済みの物、また直ぐ使う物などが判りやすくなり、物資の貸し出し用紙の確認もスムーズに行えるようになった。
たぶん、ボランティアマニュアルはあったのだろうが、このVCにて初めてボランティアを体験する私に知る由は無かった。その時、その場で、瞬時に判断を行い、指示を出していかないと、
集まってくるボランティアたちや、被災者からの声が埋もれてしまうと思い、自分の判断で好き勝手にさせていただいた。それが、上手くいったのか、拙かったのかは私には判りません。ただ、その後、他のVCでもそのシステムが取られたと耳にし、アレはアレで良かったのではと思っています。
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