おばんでがんす
今日は私共の氏子の秋祭りです、祭神は、八幡大菩薩です、謂れには色色書いてありますが、結局歴史の
浅い神様で、源氏の棟梁、八幡太郎義家をご神体にしている宗教集団です
それでも心の拠り所の一つとして崇められています、
当地は小さな境内を持つ神域を別に持ちお祀りしています
本当に小さな境内ですがそれでも神域として大切にしています、春4月15日と秋の10月15日が祭り日で
此の日の二三日前に大のぼりを立てます、幟竿に付属品を取り付け幡を取り付けます
秋祭りの幟の先端部分の九輪には、芒を挿して飾ります
こうして準備が整うと右近の幟から立てます
このレッカーでつるし上げて建てるので5~6人いれば建つが、昔は大勢の人が出て人力で建てたものです
同じ要領で、佐近の幟を立てる
こうして両方の幟が建つと皆でお神酒を飲んでお祝いをしたものだが今は簡単に「おーいお茶」で済ませてしまう、なぜか拍子抜けがすると言うか祭り気分が出ない
今日はお赤飯を炊き神様に進ぜてお祝いをする、当地区を含めた7地区が昔の廃仏稀釈令により合祀
されて今は町の中心部の神社に併合されている、幸か不幸か今はその神社の惣代をしている
何時か地元の神社を復興復活したいと言う思いを持っている者にとって複雑な心境だ
当地の神域には八柱の神像がある、皆古いものだし当地区の歴史を語るものだ
当地区は昔榛名山南面の栗木澤と言う場所から良質の花崗岩が出土していた、此の花崗岩を伐り出し石材
として各所に利用した、その折岐阜県の高遠から,「安能衆」と言う石工の一団が来て石工の技術を伝えた
そして何人かが残りここに居付いて一家一族を作ったそのころから石の切り破をボタ山の様に山にして置き
道路やぬかるみに今の時代の砕石と同じ様に利用した、だからこの地一帯は少し土を掘るとすぐに切り破が
出てくる。然もこの切り破の捨て山が代代捨てて来て段段高くなってきた、
子供の頃雪が降るとそこで橇で遊んだ物だが今はもう石工もいなければ「切り破」の山も無い遠い昔の話だ
がしかしその石工たちがそのボタ山の頂上に自ら刻んで石宮を立てた
それが今も残り「石山大神宮」として残っている
丁寧にできた石宮で昔の堂宮建築がいかに良く出来ていたかを窺わせるものだ、そして宮前の扉は今も
ちゃんと動く、、、見事なものだ、そして同じく毎日夏に成れば来るのが当たり前のような夕立の
雷神様が彫ってある、あの音を出す太鼓を持った姿は非常に珍しいものだ
遠い昔の石工たちが自分たちの技術を誇り自分たちの生活の安寧をねがったものであろう
こんな所にも小さな寒村の古い歴史がある、
当地の先祖たちの暮らしぶりと思いを想像しながら今夜はこの夢を見よう
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
段々地区から居なくなった、生き字引
娘さんやお孫さんにも伝授して行ってください
こめんとありがとうございます
柿はどうもいけない、柿煎餅、、、との指摘は無理もない、自分でそう思っている
次回からは多少自分でも納得できるものを出したいと思っている
ついついネタ不足から何でもかんでも出してしまったことを反省している
伝統や、家例や、地域の仕来りなどと言うものは
面倒くさいと思ったらもうそれでおしまいだ
それを楽しむ心が一番大事だと思っている
然し現実は難しい、ある程度歳を取ってそれらが大切なものだと言う事が理解できなくてはいけない
育った環境にもよるし、親の教育にもよる
もうっと大所高所から見ると、家庭内が曲がり何もうまくいっている家庭は比較的に協力的であり
餘協力ができないで非協力的発言の多い人は、やはり家庭内がうまくいっていない傾向が顕著だ
そうした家庭は年寄りが若い者と一緒に居られないで一人住まいとか
跡取りができないで何れ絶えてしまうであろう家
とかが多い、日本の家庭の形態を崩壊させる長ーい将来を見据えた占領政策にうまうまとはまっているのでないか、、、、、少しうがった見方かもしれないが
日本の底力を身に染みて経験している諸国は今でもそのことに心を許していない
日本の文化や伝統は心底の部分で高度で結束が固いと考えている
日本人を侮るなと大きな声を出したいと思っている
丸い果物の絵が描けない腹いせで変な話になってしまった
ではまた 遊