お晩でがんす
もうかれこれ45年にもなる、新潟石地の友人荷大文字三郎というのがいた
居たと言う過去形から想像出来る様に彼はもう黄泉へ旅立って大分経つ
彼とは昭和38年の、新潟大地震のときに知り合った、
そのころ、漠然と「家」を継ぐことに疑問とか不安とか、或は不満とかが渦巻いている状態であった
もう二十歳にもなって少しは物の分別もつくころになっていたのにどうしてか家出をした、、新潟のニュウスを聞いている中で、復旧するのに先ず必要なものは長さを測る道具がないと聞いた,即自分のバイクを売り払い、、さしがねと折り尺を全額購入、其れを背負ってヒッチハイクで、救援車に便乗し被災地へ行った
その惨状はとてもひどいものであった、が、無一文の私は先ず売らねばならなかった、思惑どうり飛ぶように売れた42000円が15万ほどになった
そんな時、終わり際に巡り合って、少しは職人の道に入っていたのでお手伝いをさせていただき、食事も塒もお世話なったのが、大文字三郎氏である
かれは私より5歳大きく,半農,半職人の人であった
気が合ったと言う事しか思い当たらない人であった、あっという間に十日が過ぎた
少し家の事が心配になったのを彼が気付いた、
「大分引き止めてしまったが目途も付いた、ぼちぼち家に帰ってはどうか」
少々ホームシックになっていた青年は大きく背中を押された
「普及がすんで落ち着いたら連絡するから来て欲しい」その言葉でで踏ん切りをつけて帰ってきた
たった16日の家出であった
大文字氏とは2年後に招待をされて再開した、すっかり復旧した町は落ち着いていた
爾来20年ほどのお付き合いがあった、ただ手紙をやり取りするか、時代が進んで電話でなんとなく無く話をする程度であっても心の通じ合った友とは友情の信頼が揺らぐことは無かった
40歳になったときに突然趣味の大文字草だといって大きな一株が来た
差出人は奥様である、不審に思って直ぐ電話をすると、肝臓癌で他界し先日納骨を済ませたという、「この花はあなたが花が好きだからといって夫の形見です」
驚いたままで翌日駆けつけたが「6日の菖蒲10日の菊」である
ひょんなことで心を通わせた友人との長いようで短い付き合いであった
先日花友の家で写真の大文字草を見たとき不思議と鮮明に彼のことが思い出された
赤い大文字草よりも、どちらかというと白の大文字草が似合う友であった
昔々の物語です
そんじゃあ又 遊童子
もうかれこれ45年にもなる、新潟石地の友人荷大文字三郎というのがいた
居たと言う過去形から想像出来る様に彼はもう黄泉へ旅立って大分経つ
彼とは昭和38年の、新潟大地震のときに知り合った、
そのころ、漠然と「家」を継ぐことに疑問とか不安とか、或は不満とかが渦巻いている状態であった
もう二十歳にもなって少しは物の分別もつくころになっていたのにどうしてか家出をした、、新潟のニュウスを聞いている中で、復旧するのに先ず必要なものは長さを測る道具がないと聞いた,即自分のバイクを売り払い、、さしがねと折り尺を全額購入、其れを背負ってヒッチハイクで、救援車に便乗し被災地へ行った
その惨状はとてもひどいものであった、が、無一文の私は先ず売らねばならなかった、思惑どうり飛ぶように売れた42000円が15万ほどになった
そんな時、終わり際に巡り合って、少しは職人の道に入っていたのでお手伝いをさせていただき、食事も塒もお世話なったのが、大文字三郎氏である
かれは私より5歳大きく,半農,半職人の人であった
気が合ったと言う事しか思い当たらない人であった、あっという間に十日が過ぎた
少し家の事が心配になったのを彼が気付いた、
「大分引き止めてしまったが目途も付いた、ぼちぼち家に帰ってはどうか」
少々ホームシックになっていた青年は大きく背中を押された
「普及がすんで落ち着いたら連絡するから来て欲しい」その言葉でで踏ん切りをつけて帰ってきた
たった16日の家出であった
大文字氏とは2年後に招待をされて再開した、すっかり復旧した町は落ち着いていた
爾来20年ほどのお付き合いがあった、ただ手紙をやり取りするか、時代が進んで電話でなんとなく無く話をする程度であっても心の通じ合った友とは友情の信頼が揺らぐことは無かった
40歳になったときに突然趣味の大文字草だといって大きな一株が来た
差出人は奥様である、不審に思って直ぐ電話をすると、肝臓癌で他界し先日納骨を済ませたという、「この花はあなたが花が好きだからといって夫の形見です」
驚いたままで翌日駆けつけたが「6日の菖蒲10日の菊」である
ひょんなことで心を通わせた友人との長いようで短い付き合いであった
先日花友の家で写真の大文字草を見たとき不思議と鮮明に彼のことが思い出された
赤い大文字草よりも、どちらかというと白の大文字草が似合う友であった
昔々の物語です
そんじゃあ又 遊童子
その花を見ると思い出す人が居ますね
思い出の中に、その方がまだ生きていてるという事・
師匠が死ぬまで、その方は生き続けられるのですね
私は56歳で無くなった同業者、新潟出身の背の高い人を思い出します
1株貰って育ててました。{今は・・・}
やっぱり、白い花を思い出すな~
早すぎたものね~
コメント有難う
色々な人に夫夫の思い出があります、
自然に親しんでいると、そういった事にとても敏感になります
その敏感さが老化を防ぐ物ではないかと考えています
9日は、「緑、花文化の知識認定試験」です
80問の設問ですが何時も60台です、
今年は頑張って70台に挑戦しようと思っています
そんじゃあ又
18歳の頃から家出したり 今で言う ボランティアをしたり お花が好きだったりそれが今に繋がっているのですね。それにしても40歳位で亡くなった方 大文字三郎氏とその家族は お気の毒でしたね。ドラマみたいです。小説になりそう。
それから 日曜日よろしく御願いします。
遊童庵の方も 青花さんが 大変喜んでいますのでよろしくです。
大文字三郎は生きてますけど。
デマやめてーーー