おはようがんす
彼方此方に初夏を訪ねて投稿を続けてきたが愈愈種が尽きてしまい、年寄りの手慰みにしていた
板絵を出す羽目になった、色色な環境の人の絵が新聞紙上に出てくる、大作や、展覧会や、カット、
まで多種多様だ、どれを見てもその中に人に訴える何かを持っている、立派な作品だ
それにひかえ私のは全くの手慰みだ。自分の記憶の一部として残せればよいと思って描いている
然しせっかく描いたのだから一年に五六枚は残しておくが、あとはみな年賀状として出してしまう
今どきは年賀状も印刷ばかりで手書きが貴重品だ、
であればどんなに下手糞でも手書きの絵は印刷よりは良いのではないかと自分勝手に判断して
年賀状にして久しい。しかし最近は寄る年波でそれも面倒に成って来た
然しこころだけでも届けばよいと思って継続している、かえって迷惑なのかもしれない????
その端くれがこれだ
旧群馬町で書いてきた
これは旧榛東村で書いてきた、みんな許可も取らずに書いてきた、いわば盗作の様なものだ
これは赤城自然園で描いてきた、浦島太郎の歌に、絵にも描けない美しさ、、云々、というのがある
あれは本当だ、絵でも写真でも本物にはかなわない、自然こそが最大で最高の芸術家なのだ
次回こそ、、、、と思って描いても上手くはゆかない、、、そうだ手慰みなのだから!!!!
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
凄く良いです
清楚な色合いになりました
ふくらみも出ていて
こめんとありがとうございます
あなたに言われるとさらに恥ずかしいです
でもそういっていただけてうれしいです
では又
遊
画材が「木」なのでか、私は白を表す場合、水彩では用紙の「白」を生かして画材の「白色」は使わないことが多いのですが、板絵の場合はハンカチ木の花の白さを強調したいので白色の使い方が素晴らしいと感じました。
他の2点も心が動いたことがわかるような気がします。
絵は自分の好きなように描けるのでまさに自分の心が描き出せる表現法だと思います。
俗にいう「うまい」「へた」どちらでも自分の心が入っていればきっと観る方の心に響くと思います。
《橙》
大変ご沙汰をしています
久しぶりのメールに安心しました
おげんきそうで何よりです。年年歳を取り行動半径もちじまるばかりですが、元気に暮らしています
慮る心のこもったコメントに篤く感謝いたします
今後ともよろしくお願いいたします
遊