おはようがんす
昭和11年11月11日は姉の誕生日だ、11繋がりで昔から覚え易いので皆さんが覚えてくれている
今年で八十四歳になった
七十五歳で隠居して杉並にいたが家屋敷を売り払って高崎へ来た、夫を亡くし夫の母と同居していたが此れも亡くし
一人になり心細くなったのもあるが、私の方がいくつか若いので当居迄直Þ力面倒を見に行くのも難儀なので近場へ連れて
来て置いた方が気楽なので連れてきたのが実情だ
昔から兄弟姉妹と言うのは中中旨く行かない物だ、兄弟は他人の始まりとかいう、兄弟戦争もあった
でも兄弟で助け合って成功してきた例も沢山ある、どちらかが餘に欲をかき過ぎるのが諍いの元だ
私は愛読書の中で「阿部一族」をよく読む、不名誉の話を、実情を知らづ、噂を信じて阿部一族を弾劾した世間や領主に
反発してストを起こし、領主方の討手と壮絶の戦いをし憤死した結束の一族の実話だ
これを読むとき如何に身近な者たちの結束が大切かを痛感している
鎌倉幕府でも兄弟げんかの結末が本家の弱体化を招き滅亡に及んでいるし、足利幕府でもおなじだ、江戸幕府でもそう
した諍いが何度も繰り返されてきた
下剋上も上昇志向には必要であろうが、ともに栄えるという、共存共栄の指向が無ければ何時か足を引っ張られたり
足を出されて躓いたりする、それは身の程を弁えず、自分の体制を整えづに走り出した報いで有り自業自得でもある
自分を小さく纏めてちじこまって生きるのが良いと言っている訳ではない、
自分の力の程度を認識して動くのが良いと言っている、自分の可動範囲を広げるためには人一倍学ばなくてはならない
学びや経験は正比例である、多くを学び多くを経験することですればするほど可動域が広がる
其れが廻り廻って躓きをなくし間違いの少ない年の取り方ができると信じている
其の為には生涯学習以外にはないのではないだろうか、そして常にその意欲と意識を大切に持ち無駄にしないことこそ
進歩の源であろうと思う、しかし残念ながら加齢とともに忘却が多くなり、せっかく学んだことが出てこない
だから、さらにその内蔵する、モノを出すために学び訓練したいと思い、それを実践すべく旅に出る、、、、、、、
自分の都合の良い理屈を並べ遊び好きを正当化したいが為の戯言だ
、、、、、、そんなことから今年は何度も何度も紅葉を見た,てそしてて自然の偉大さと己の小ささを感じてきた
その一端が。姉の誕生日にかこつけて行ってきた、日光方面の小旅である
やはり北国の霜月は寒い
途中の山山は錦秋其のものである、紅葉初めの透き通るような紅葉も良いが少しくすんだ完熟した紅葉も非常に良い
蒼穹の抜けるような空と、何かを語り掛ける雲と、最後の最後まで輝いて人に感動を与える葉っぱたちに感謝だ
路傍の秋桜さえも今頃咲いてと言われながら、遅れて咲いて、僻みなど微塵も見せづに咲いている
ダム湖の青さが引き込まれるような妖艶さを以て湖岸の錦秋を映している
誰にも均等に寒さが当たるわけではない、谷の水の多さや山の高低差や風の道の大きさや色色の要素が重なって夫夫
が紅葉に向かう。その差や違いが又全体の深みを増しているのだろう
低山は全山紅葉しているし高山は頂上は裸木になり中は遅めの木の紅があり裾部は真っ盛りと言ったうつろいが良い
低山部分の道端にはこんな個体も頑張っている,
下からのぞいてみた
五十里湖を抜け福島に入り会津田島から大内宿を目指したら吹雪ともいえる雪に遭遇した、
びっくりして不慣れの雪道を回避しUターンをして当初の目的地湯西川へ向かう
若い時を政治の世界で忙しく過ごした姉には本当の自然との付き合いが経験不足で、見るもの聴きことがとても新鮮に
思えると言う、
周囲の山は大分白くなった
一山奥の方は網真っ白だ地元の方に伺ったらあそこはもう50センチ以上だよと言われた、大寒!ぶるぶるだ
大学は四つも出たが自然との付き合いはまるで小学生だ。勉強の知識はたくさん詰まっているから時折とんでもない知
識が出てくる、無学の私には返答に詰まることがあるが、楽しい語らいのドライブでもある
話しが尽きたり途絶えたりということがない、それでも疲れないのが不思議だ
後編は明日にしよう
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
師匠の上を行く博学なお姉さんは魅力的です
日光も紅葉も終わり、雪ですか?
Uターンして正解です
昨日、叔母さんが一日遊びに来て、私の友達と楽しくおしゃべりしていきました
「一か月分のおしゃべりが出来て、幸せだった」と言いながら嬉しそうでした
お嫁さんもお孫さん優しくしてくれて羨ましいようですが、知り合いと思う存分話せることが、歳を取っても大事になりますね
こめんとありがとうございます
姉弟旅はとても楽しい旅でした
何よりもおそらくこれが最後の姉弟旅とおもえてとてもやさしい気持ちになれたのが収穫です
長い人生の中では不仲になったこともあり意見が割れたこともあり、いろいろありましたがそれらを超越したところにDNAのつながりと言うものがあるということを痛感しました
夫婦の旅も無言でも通じる処があって楽しいし
友達同士の旅も楽しいし
こうした姉弟旅も楽しいし
心の通じている人との旅は総じて楽しい
こんな時間が持てるとは想像だにしていなかったのでとても幸せを感じています
亡き妻にもそして跡取りの娘夫婦にも感謝している
最近は隠居をするという意義とか、効果とか心構えとかその隠居の糞爺の行為の何故有るのかということがいろいろと分かってきました
そして隠居の役割や仕事が見えてくると体のあちこちが痛くなる
人間の一生はよくしたものでよくできている
せめて神様が与えてくださった、隠居を有意義に過ごし、家の為にも社会の為にもそして自分の為にも
価値ある時間にしたいと念願している
ではまた