おばんでがんす
湯西川温泉は平家の落人集落で偶偶温泉が出ていたのでそこへ定着したと大まかに言っている、この近くにはそうした伝承の処がいくつかある
瀬戸内海で敗れた、平氏が関東を超えてこの地まで如何にして一族を引き連れてこられたのか不思議だ
然も関東は源氏の国でありその敵地を通過してこの地へ到着するという事は至難の業であったろうと想像す
例えば船便で日本海を北上して茨木か福島の浜についたとしてそこから陸路で湯西川まではとても難関苦行であったろうと思う
其れほど甘いコースではなく、女子供ではさらに大変である。勿論誰か手引きしてくれる応援者がいたことは想像できるが、、、、、、、
そんなことを想像推測し一晩を楽しんでみた、二年前に姉孝行で連れてきたのが最初で今回二回目だが新緑と萌え葉の季節は初だ
前回の紅葉も非常に良かったが未だ残雪もある高地は冬樹で海抜が下がるにしたがって早緑、新緑、萌え葉。と変化してゆく
湯西川も奥に長い集落でかなり入村してから距離があり一番奥ずめの旅館だ、重厚な建物は建築の参考に成る建物だ、山の斜面を利用して何棟かに
並列で立ててあり自然の勾配を利用した階段で繋がっている。つまりどの階も皆、直に非常口が外につながっている安全安心の建物だ
玄関前溜まりのアブローチだ
玄関土間は廊下から繋がっている黒曜石の石畳だ 玄関ホールから水回りのアアブローチ
洗面所も化粧台もよくできているし何よりも無垢材の材木が多いのが良い
ここが寄り付きの座敷で六畳間で有る
ここが寛ぎの間で10畳
平床の間と段違い雌床.衣装掛けの押し入れと書院しょうじなど略式ながら日本間の態が整ている
複製ながら日本画の掛け軸が雰囲気を醸している
縁側も畳の袖板張りで立派なものだ
部屋に至る廊下も広い上階の張り出し廊下が併設されている広い空間だ
勿論廊下の敷石は黒曜石の石板張りである、一応この階は四階部分で、左の張り出し廊下の階は五階部分に成る,誤解のない様に
途中にこんなのもあった
食堂は二階部分、三階分一気に下がる大きな長い階段だ 今も使えるそうだ
食事は囲炉裏会席である、少しずつ出てくる懐石料理は結局片っ端から食べてしまい最後まで来たら食べ過ぎで目を白黒するようであった
囲炉裏は炭火で焼く岩魚と厚揚げの様な揚げ物と米を練った五平餅の様な、きりたんぽの様な、ものだ、が此れが頗る美味しい
年も考えず、腹の具合も考えず只管食べた結果が、ふろに入って腹を空かせることだ、まったく食い意地が張って赤面の至りだ
明日の為にも早く寝ることにする、、、おやすみなさい
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
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