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Ciao from Asmara!

ここはエリトリアの首都アスマラ。イタリアとアラブとアフリカが混ざった不思議な街。在アフリカ歴8年のユニセフ職員の日記。

国境付近へ軍が進行?

2006-10-21 01:05:56 | エリトリア
このブログをはじめた時に、エリトリアに国連平和維持軍(UNMEE)が入っている話を書きました。

当時の話と今も変わらず、現在もエリトリア側のエチオピアとの国境線は、幅約15キロのバッファーゾーン(Temporary Security Zone: TSZ)になっており、全体の兵の数は減らしていますが、UNMEE兵が監視している状態にあります。もちろんこのTSZに普通に住んでいる人は居ますが、エリトリア軍関係者は入れないことになっているのです。

しかし、16日の月曜日。エリトリア軍がこのTSZに兵と戦車を数台進めたとの情報が入り、UNMEEも、またNYの国連PKO局にも緊張が走りました!

実は、去年の今頃にも同じような事態があり、そもそもそれがきっかけになり、アスマラのセキュリティーフェーズが変更されるということになったのですが、昨年は、兵士だけだったはず。今回は戦車??

まあ、去年の行動の理由が、なんと秋の収穫のための動員ですから、今年もそうじゃないかと思っていたら、案の定、その通り。

実際、国民の約2割が軍に動員されている状態なので、農作物収穫には軍人も必要とされているとは思うのですが、なんで収穫に戦車がいるのでしょうかね?!?

相変わらず、国連(事務総長)はTSZを侵犯したとのことでエリトリア政府を非難。それに対して、エリトリア政府は、TSZとはいえ自国の領土なので、我々の勝手、エチオピアに弱腰な国連にあれこれ言われる筋合いはないとの回答。

ヤレヤレですが、特に何の変化はありませんので、ご心配なく。

エリトリア航空(3)

2006-10-18 05:05:40 | エリトリア
それで、エリトリア航空の話のオチですが、2機のボーイング767は、なんと、イスラエルに修理に出されていたということです。しかも、場所は、レバノン国境から直ぐのハイファ…。

なんでも、6月中旬から3週間ぐらいの予定だったようなのですが、ヒズボラとの戦争が始まってしまったため、長いこと足止めをくらっていたようです。まあ、確かに、テレビで報道されている状態でも、ハイファにはヒズボラのロケット弾が打ち込まれていたようですし、修理が終わったからと言って、他国の飛行機を飛ばしている場合ではなかったのでしょうね。

しかし、なぜイスラエル?と思いますよね。実は、エリトリア、国民の約半数はイスラム教徒で、政府公用語の一つはアラビア語、アラブ連盟の正式なメンバーではないけど、準加盟国のような状態にもかかわらず、イスラエルとの外交関係をしっかり持っています。

イスラエルが結構したたかな感じがします。イスラム教徒が多く住むけど、それほど反イスラエル感情の強くない国への支援を密かに実施している感じがしますし。エリトリアとか、モーリタニアとか、マイナーな国ですが…。

アスマラでの東スーダン和平合意

2006-10-15 22:53:20 | エリトリア
お隣スーダン、最近までずーっと内戦状態だった南部、今も虐殺が行われていると言われている西部(ダルフール地区)以外にも、エリトリアと国境を接する東部地区も反政府ゲリラと政府側の衝突が続いていました。

もともと、エリトリアは独立する以前から、スーダンの各反政府勢力を仲が良く、それもあって、スーダン政府との関係は長い間悪かったのですが、ここ最近、急速に関係が親密になってきていました。反エチオピアのため、石油資源確保のため、といろいろと説はありましたが、これによって、特に、エリトリアが深く関わっていた、東スーダン地区の状況が改善される期待されていたのも事実。最近、いろいろな交渉が続けられていて、和平の気運が高まっていると噂でした。

ところが、なんと、この週末に、ここアスマラにて、スーダン政府と、東部地区での反政府勢力を代表する東スーダン前線(East Sudan Front)が、和平に合意してしまったのです。エリトリア大統領の調停のもとに…。

おお、早い展開。しかも、スーダンやジブチの大統領、アラブ連盟の事務総長、南部スーダン解放戦線から選ばれている、スーダンの副大統領、エジプト、イエメン、サウジアラビアや他の湾岸諸国の政府高官等々、蒼々たる面々が集まっているではないですか。

反米、反国連、孤立をいとわない原理原則主義のエリトリア外交と思いきや、こんなにシタタカな面もあるのですね。確かに、国内に約4割のイスラム人口を抱えていて、アラブ諸国とは独自の関係をもっていましたから。

まあ、他国の和平もいいけど、早く一番肝心なエチオピアとの和平がくれば良いのですが…。

エリトリア航空(2)

2006-10-14 03:27:33 | エリトリア
一時帰国する前にちょっとだけ触れたエリトリア航空のことですが、6月から8月にかけて凄いことがありました。

2機しかない機体を毎日強行スケジュールで運行していたツケがきたのか、6月中旬から、いきなり全ての便の運行が停止。なんとか、直ぐに代用の飛行機を手配。アリタリア航空の機体らしいと聞いていたら、なんと、Air Italyという聞いたこともない航空会社のもの。

小さい飛行機で、スタッフは皆イタリア人。まあ、無事運行されており、7月に一時帰国した時は、実は僕もこのAir Italy便を使いました。

しかし、8月に入ると、Air Italyとの契約が切れたとのことで、またまた全ての便が運休。今度は、南アのフリーダム航空(怪しいー…)という会社の機体を借りてくるという話がでましたが、何日か間があいた後、無事エリトリア航空のボーイング767の機体が復活しました。

用は、この2機の飛行機はどこかに修理に出されていたようですが、何ゆえに2ヶ月半もかかったのか?真相は依然謎につつまれていますが、驚くべきオチがあるのです。これはまた今度!!

季節外れの雨

2006-10-12 00:15:26 | エリトリア
何度か書いてあるように、アスマラの雨季は7-9月で、今頃から来年の4月までは、ずっーと濃紺の青空が広がる日々なのですが、ここ4日間の間に2回も雨が降りました。

もちろん、ほんのちょっとだけという感じで、地面が湿る程度ですが。

なんでも、この時期は、いろいろな農作物の収穫期で、特に、インジェラの元になる、テフという大事な穀物の刈り入れ時。そして、この時期は湿気が禁物とか。そうです、雨は好ましくないようで、政府もラジオや新聞を通して、早く収穫するように国民に訴えているようです。

「ひよこ豆も早く収穫しろっ…」て、なんとなくほほえましい感じもしますが、結構、皆真剣です。

エリトリア航空(1)

2006-09-20 00:22:43 | エリトリア
17日のブログで書いた通り、明日アスマラを発って、2週間の健康回復休暇に入ります。

アスマラからドバイまでは、この写真にあるエリトリア航空を使います。ジブチで途中経由しますが、直行便。5時間弱でドバイに到着です。そう、結構便利なのですよ!!

しかし、多くの人は聞いたこともないですよね、エリトリア航空。路線は、アスマラと、ローマ、ミラノ、アムステルダム、ジェッダ(サウジアラビア)、そして、このドバイだけ。2つだけある飛行機(中古のボーイング767)を、驚異的なスケジュール管理でまわしているようです…。

しかし、パイロットは、エチオピア航空で長いこと働いていたベテランとのことで、確かに、前回乗った時は、とてもスムースな離着陸でした。

ともあれ、無事ドバイに着きますように?!

水汲み作業

2006-09-18 04:47:31 | エリトリア
8月29日のブログでも、子どもにとって村々での水汲み作業は過酷だという話を書きましたが、今日もその話の続きを。

多くの場合、驢馬に水を運ばせるのですが、この時、20リットル入るポリタンクを2つ驢馬の両脇にぶら下げます。そして、子どもが小さい場合は、驢馬の上に一緒に乗っかります。

よって、多くの給水施設では、長いホースが蛇口についていて、驢馬からタンクを外すことなく、給水ができるようになっています。

しかし、前回の出張で行った、Chetel村のある給水所ではホースがありませんでした。

すると、この写真のように、少女達は、満タンになったタンクを自力で驢馬にぶら下げなければなりません。

これは半端でない作業です。水汲みは、基本的に女の子や女性の仕事なので、他の誰かが手伝ってくれるとしても大変なことは変わりありません。

それで、給水所の近くでぶらぶらしていた男性に聞いてみると、水汲みには男性は関わらないよ…、との一言。かと言って、他の畑仕事をしている感じでもないのは、女性ばかりが仕事をさせられている、アフリカの農村の典型的な構図か?!ヤレヤレ。

明けましておめでとうございます

2006-09-11 23:19:29 | エリトリア
皆様、新年明けましておめでとうございます!今年は、1999年、20世紀ももうすぐ終わりですね。

と、気でも狂ったかと思われるかもしれませんが、ここエリトリアのコプト教徒にとっては、今日9月11日(グレゴリオ暦)は、コプト暦(ユリウス暦に基ずくカレンダー、同じではないようです)で、1999年1月1日なのです。

厳密には、コプト暦に基ずく、エリトリアとエチオピア独自の暦のようで、エジプトではまた年が違うよう。ややこしいですね。

アスマラでは、コプト教徒が人口の約半数を占めるので、まあ、盛り上がっている感じはします。

それで、どうやって祝うのかと言えば、昨晩(大晦日)に、家の前に松明を掲げ(松の木ではないと思いますが…)、新しい年を迎えると、皆で歌をうたうようです。今日(元日)は、朝から教会に行って、その後は、家族集まってご馳走を食べる。

日本の正月に似ている感じもしますかね…?

国の象徴-ゴムサンダル

2006-09-09 22:44:51 | エリトリア
現在は、取り払われてしまっていますが、アスマラの街中にあるロータリーの真ん中の、このモニュメント。

そうです、ゴムサンダルです。別名、コンゴシューズと言われ、おそらく、今は中国製がアフリカ中を席巻しているでしょうが、エリトリアでは、もともと廃物のゴムを再生産して作っていたようです。

とにかく、靴のようになっているけど、サンダルなので、歩きやすく、丈夫で蒸れないというつくりが重宝されています。なんでも、独立解放戦争時代のEPLFの兵士は皆これをはいていたようですから。

それで、独立できた暁には、このサンダルが記念モニュメントになってしまいました!凄いですよね、指導者の銅像や、武器をあしらったモニュメントを建てる代わりに、ゴムサンダルですから。

もろ社会主義リアリズムという感じですが、僕は好きです、このサンダルモニュメント。修理修繕しながら、ずっーと使っていたゴムサンダル。独立を勝ち取れたのは、お前のお陰だ…と。

早く、元のロータリーに復活してほしいものです。

国外退去命令

2006-09-05 23:35:13 | エリトリア
今日、午後の現地ラジオニュースによれば、5人の国連スタッフに24時間以内の国外退去命令が出されたようです。理由は、スパイ活動に従事していたから?!

4人は国連平和維持軍(UNMEE)で、1人は、国連の安全担当官。BBCのサイトにも早速アップされています。

実は、先週末に、平和維持軍の車が、エリトリア人を国外へ逃がそうとしていると、現行犯逮捕されたようで(これの真偽も定かでないですが…)、4人のUNMEEスタッフに関してはわからないではないですが、安全担当官ロジャーの件はびっくりです。

イギリス人の彼のことは良く知っているし、国連スタッフの安全管理の要として、皆頼りにしていました。

確かに、以前、彼本人から、エリトリア当局は、なぜか彼を目の仇にしているところがあり、アスマラから郊外へ出るための移動許可が下りないという話は聞いていましたが、まさか、スパイ容疑で、国外追放になるとは。

ユニセフと当局の関係は悪くなく、外国人スタッフの国内移動許可も、ちゃんと2週間前に外務省に提出すると下りますが、いやー、これからどうなるのだろう???

Chetel地区の村々

2006-09-02 03:56:53 | エリトリア
今回の出張で行った、アンセバ県のChetel地区。この写真にあるように、山に挟まれた渓谷なのですが、それは美しいところ。

30日のブログでも書きましたが、当日は、雲が山々にかかっていて、それがまた幻想的な雰囲気を醸し出していました。

しかも、このChetel地区、長さ20kmぐらいで幅は2-3kmしかないような狭いところですが、3つも民族、3つの言語、3つの宗教が共存しているのです。これって凄いことですよ。

全くイザコザがないわけではないようですが、モスクがある村から、5kmぐらいいった隣村では、コプト教会。また、その先5kmで、今度は、カソリック教会。これには驚きました。

もちろん、今回の調査対象の、給水施設のHIV予防メッセージ看板も、それぞれ違う言語でした。

武力闘争の日

2006-09-01 22:57:56 | エリトリア
今日9月1日はエリトリアでは国民の祝日。その名も、武力闘争の日。すごいネーミング、日本ではありえないか。

なんでも、1961年の今日、エチオピアの支配に抵抗して、人々がゲリラとして武器を持ち、その後30年続く独立闘争をはじめたとか。この切手にあるように、この30年の武力解放闘争は、現在のエリトリアの国家としてのアイデンティティーそのものですから。

街中の家々でエリトリア国旗が掲げられていますが、独立記念日や、戦争犠牲者追悼の日と比べると、特に大きなイベントがある様子ではないです。

多くの人は、1週間後に迫った、コプト暦での新年(今年は確か、1999年??)を迎える準備に忙しいようですね。

緑美しいエリトリア

2006-08-30 03:55:54 | エリトリア
2泊3日の慌しかった出張から無事帰ってきました。なんと、移動距離は約700kmとたいしたことはないですが、上下の移動が激しかったです。ハイ。

月曜日は、2400m下って、マッサワに宿泊。火曜日は、またアスマラに戻ってから、今度は、1000m下がって、ケレンへ。今日は、また400m下がってChetelという村を訪問、それから、一気に1400m上がって、アスマラへ戻ってきました。

高低差の移動には慣れてきたため、なんともないですが、普通の人なら、頭痛に悩まされるかもしれません。

出張中のいろいろな話はまた書きますが、今回、感動したのは、この写真にあるような、緑美しいエリトリア。これは、アスマラからケレンに向かう途中ですが、6月に来た時は、赤茶けた大地だったのに、2ヶ月の雨季を経たら、この通りの緑の絨毯。

今日の朝行った、Chetelという村も、緑の渓谷と、そり立つ周りの山々にかかる雲のコントラストが本当に幻想的でした。

ある村の給水所にて

2006-08-29 03:55:50 | エリトリア
今回の出張でも、やはり村々の厳しい状況を目のあたりにしました。

火曜日の29日は、午前中に、マッサワから、北紅海県を北部方面に80kmぐらい行ったところにある、Shiebという地域にいったのですが、まさに、半砂漠の真っ只中。

朝9時には、もう40度ぐらいある気温。照りつける太陽。巻き上がる砂埃。そういう中を、この写真のように、10歳になるかならない少女が、驢馬に乗って水汲みをしています。

もともと、このあたりに住んでいる人は半遊牧民なので、水があるところを点々としていたようです。幸い、この訪問した村では、ユニセフの支援によって水資源省が作った電動ポンプ式の立派な給水所があって、約6円を管理人に払えば、40リットルの水をホースで簡単に汲み上げることができますが、その水を家まで運ぶのが過酷な労働には変わりありません。

それに、ここ最近の旱魃の影響で、地下水の水位がかなり下がってきているようで、この給水施設もいつまでもつのか心配されます。

エリトリア式スパゲッティーボロネーゼ

2006-08-25 04:24:47 | エリトリア
大分前に、エリトリアではイタリア料理がとてもポピュラーだと書きましたが、ものによっては、独特の味付けがされています。

この写真にある、スパゲッティーミートソース(ボロネーゼ)ですが、見た目は普通ですが、実はかなり辛い!!

しかも、辛さが、単なる唐辛子ではなく、エリトリアとエチオピアでしか使われない、独特のスパイスが混ざっていて、なんともユニークな味。家に来てくれているお手伝いさんの得意料理ですが、これは、はまると本当に病みつきなってしまいます。

普通のミートソースだと、なんとも物足りなく感じてしまうのですよ。