yutaka★hajime^^

沢山の喜びで、楽しさいっぱい★ 夢いっぱい♪♪

ぼちぼち…、始めましょうか~☆

2011年09月23日 | ☆ 大切な父母さま ☆
みなさま~、超おひさしぶりで~す


しばらく…、長らく放置プレイしてる間に、この入力画面での絵文字入力機能がアップしてる 






でも、ブログやると…、ポスティングジョイがおろそかになっちゃうんだよねぇ。。。






はてさて、ここの読者の方にはナイショでしたが、ワタクシの大好きな母が今年の5月2日に昇天いたしました 


それで、四十九日が過ぎた頃に〝永代供養〟に申し込みまして、ついでに父も申し込みました。


また、昨年の9月に東京第二の教化部へ奉職した後…、ワタクシに所以のある親戚や友人の故人の方々を霊宮聖使命会に入れさせていただきました。






そんなこんなで日々が過ぎまして、今日の本部での〝秋季慰霊祭〟に一般で参加してまいりました。

本当は、参加する予定ではなかったのですが…。






キッカケは、19日に姉からが届きまして…、

「23日の秋季慰霊祭のハガキに出席の返信をしたら、本部から電話があって、遺族代表で挨拶してほしいということでした。
 お母さんに代わって御教えに生かされてきたことのお礼を話してきます。
 今、文章にして考え中。
 お母さんが言ってた色々なことが浮かんできますが、体験談ではなく、挨拶なのだから短く簡単にしないとね。」

との内容で、このことを職場の先輩に話したら、僕も是非とも参加すべきだと言われたので、参加してきました。






代表者会議以外で、本部会館のホールに行ったことがないので朝からキンチョーしましたが…、

原宿駅の外で東京第二教区の方と出会い一緒に参加できたので、良かったです。



事後の姉からのでは、母も会場に来てたそうです

そういう気配を感じてたみたいです。



僕は何も感じませんでしたが…。






はてさて、姉が遺族代表の謝辞の中で話してた内容のうち、僕も初耳だった生前の母のハナシを紹介いたします。


母が若い頃、生長の家を信仰し始めた頃のことです。

「毎日の生活の中で神想観をしようと、御先祖様の前に正坐して瞑目合掌してても、思うように上手くできないでいたら…、
 そのそばに雅春先生の御霊がやって来て、母に神想観実修の手ほどきをしてくれた。
 ホントに、不思議なことがあったもんだよ。

なのだそうです

(↑当時はまだ、雅春先生はご健在でした。)





僕は幼い頃に、母に連れられて神奈川教区の講習会に参加した?際に、

雅春先生が帰るために会場から出て来られた時に、先生と握手しようと集まった人混みの中を、

母とともに雅春先生に群がり、訳もわからず何気に手を出して、先生に握手していただいたことがあります。






今日は、母が雅春先生から神想観の手ほどきをいただいたハナシを聞いて、僕が握手していただいたご縁との因縁を感じました。






また、謝辞の中で姉自身が御教えにふれ、独身時代の純子先生とともに東京第一教区で青年会活動をしていたことも話され、

その当時、僕が姉に連れられて青年会全国大会に行った際に、若い頃の雅宣先生や純子先生にお会いしていたはず?のことも含めて、

不思議な神縁を感じます。



でも、↑の記憶では純子先生のことは全くなく…、この時に僕が二人っきりで話した男性と姉たちがワイワイしてる場面だけ覚えてます…。

姉の話では、この時に僕が話してた男性が、若い頃の雅宣先生だったとか…。






もう、かれこれ30年以上むかしのハナシ…。

それでは、みなさま、おやすみなさい…。

僕の絵手紙

2010年03月21日 | ☆ 大切な父母さま ☆
みなさま~、こんばんワクワク~





今夜は、前置きなしで、いきなり本題に入ります。

さて、その本題とは??





ズバリ

僕が描いた絵手紙です…。





なぜ?? かと言うと…、

昨年10月に僕が所属する地元単青で開催された誌友会で、

初めて描いた絵手紙を、母への感謝の言葉とともに投函しようと想っていたのですが…、





そのまま、パソコンバッグの中で放置プレイしてました…。

そして、その事をいろどりひかる☆☆を読ませていただいて、想い出したので、

恥を忍んで、想いきってアップいたします。



ジャ~ン





一応、柿を描いてみましたが…、下手くそでしょ??





でも、自分では、それなりに満足の行った作品に仕上がったので、

その喜びを母への感謝の気持ちに置き換えて記してみました。





これを、明朝、教化部へ行く途中で投函いたします

( ↑ これを読んだ皆様の前で、宣言(決意表明)してみました )





この絵手紙を描いた誌友会で、他の皆様が描いたモノは、アトリエTKへ出されたモノもあったようですが…、

僕のは、作品ではなく、大好きな母への大切な手紙になってしまったので、除外されました。





おそらく…、

アトリエTKに出品するより、僕が母を喜ばすことの方が、

素晴らしいことだと判断していただけたからだと想っています。





だから、明朝、必ず投函させていただきます。





追伸:

シコク嫁さまからのリクエストで、この絵手紙を受け取った母の反応を、

また、別の記事にしてアップしてほしいそうですので、その辺の変化があった場合は、

続編のようなカタチで、皆様に御報告いたす予定でございます。





それでは、みなさま、今夜は、このへんで…。。。

米寿のお祝い (提案編)

2009年12月13日 | ☆ 大切な父母さま ☆
みなさま、こんにちは。


気がつけば、巷は、クリスマス色に染まってますぅ…。


昨夜は、職場の仲間たちと、品川くんだりまで行っての忘年会でした


しかも、屋形船で…。


お台場付近を、約2時間ほど、漂いながら…、芋焼酎お湯割りでストレス発散









さて、先日の記事で、僕の大好きな大切な母が、めでたく来年に米寿を迎えます。


しかも、このお方は、大正生まれなので…、

大正 昭和 平成 ………と、三つの時代を生きて来られた









僕が、そんな母に感謝できるようになった頃…、

次兄が、バツイチで息子二人と娘一人の子持ちの姉さん女房をいただいて、

この次兄夫婦と子供たちが、僕の母を訪ねるのが、母にとって物凄く嬉しいらしく…、



それで、(…か、どうかわからないけど。

次兄が、年寄りなのに、買い物やら誌友会やらへ行くのに、自転車を愛用されていたので、

電動自転車を買ってやろうかと思ってる…。



と、僕に打ち明けてくれたことがあったのですが…。



母は、その数ヶ月後に自転車をやめて、徒歩で顔晴るようになりました 









これらの話しとは別に…、

母は、父が存命だった頃…、ずっと前から、耳が悪く、他人の話しが聞こえづらいのです。



僕ら、親子の会話もままならない…。



それでいて、自己主張が強く、自分の欠点に気づこうとしなかったので、

何かを言われても、自身に都合の悪いことには、耳を傾けず…、

自分の主義や主張を相手に押し付けて、何十年も生きて来られた…。



そんな母が、僕との親子の若いをし、死に別れた旦那さまと和解し、

二人目の息子が結婚して、一度に三人の孫ができ、

自分の女性として、母として、妻としての生き甲斐に気づき…、



結婚の際に、両親の反対を無視して、

それ以来の聞くべき言葉に耳を背けてきた自分を改めた…。

( ↑ 八十数歳で、この大きな変化を、自らの意志で実行するところは、凄いでしょ



それで、母は三人姉妹の2番目の娘さんでしたが、

駆け落ち同然で実家を出て…、

母の実家は、母の妹さんが養子を迎えて、継いだそうです。



この養子さんが、養子のために大変な苦労をしたらしく、

でも、それでも、母の両親の面倒をよくみて、最後を看取ったそうで、

そして、母は、その長い苦労話を、黙々と聞いたのだそうです…。



最近の母は、他人のいろんな話しをよく聞くようになったみたいです。



実家の電話口でも、母親教室などへ出講したりした際に、相談を受けた女性とのやりとりをされます。

( ↑ 昔っから、ホント、熱心で実直な地方講師なんですよ



こういう母の地方講師姿を見て育ったから、僕の理想の講師像は、母のそれが見本的要素となっているのです。





さて、話しを戻して…、

母が、いち講師として、お役を全うしようと努力を続ける姿を見て、

何か手助けしたいなぁ…、という息子愛をどう表現しようかと、

僕が、心の中に温めていたプレゼントは…、、、









ズバリ

『補聴器』です









それで、一昨日、次兄に電話して、この米寿お祝いプレゼントについて、提案してみました

この時の会話では、値段や渡す時期などの具体的な意見も言いました。



そしたら、次兄は、「うん、わかった。 少し考えてみるわ…。」



この話し…、、、  今後、どうなるでしょうか???



続きは、乞う御期待





yutaka★hajime^^拝

お母さま孝行

2009年08月22日 | ☆ 大切な父母さま ☆
みなさま、こんばんは。



東京へ引っ越してきて、約2週間半になります。

毎日、あぢ~暮らしを送ってます…。

新居のアパートでは、エアコンの冷房を入れっぱなしにしてます…。



さて、先週の土曜日(15日ですね。)に、実家の母と姉とともに、父の眠る墓へ行きました。

僕の自宅から実家へは、車で約30分です。

実家から父の眠る冨士霊園までは、東名高速道経由で約1時間です。



先日の静岡県を中心とした地震の影響で、東名高速道の一部が通行止めでしたが、

僕らの墓参道中には、なんの影響もなく、帰省ラッシュの渋滞でもなかったので、

とっても快適な道中でした。

しかも、往復ともに。



また、僕は、母にとって可愛くてしょうがない末っ子で、

旦那さまや御両親との和解のきっかけになった息子さんなので、

とっても嬉しかったみたいです。

( ↑ …と、他人事のように語る僕…。



実際の話ですが、僕が母の胎内に宿り、8~9か月位で産科へ行った時に、

「高齢出産なので、堕ろしますか?」と言われたそうです。



でも、母は、「堕ろすつもりなら、もっと早いうちに来るよ。」と言って、

帝王切開の手術を受けてまで、僕を産んで下さいました。



まるで、シコク嫁さまの尊敬されるK先生のようでしょ

( ↑ これに関連する記事は、こちらをクリックして、読んでみて下さい。



はてさて、往復の車中では、ネットで手に入れた宇治の楠本先生の講話を聴いていただきました。



そして、父に会い、父の両親や兄弟と母の姉たちにお参りして、

霊園内にある瓢箪池(ひょうたんいけ)という、鯉が沢山いる池の畔でランチをいただきました。



↑ 母と姉の合作です。



この時に、姉から母についての昔話を聞かされました…。

この話の内容をアップすると長くなり、タイトルの主旨から外れるので、今回はアップしませんが…、

「食事をいただいて、横になった方が楽だから…。」と、

その場で寝転がってしまった母です。



大正11年(1922年)生まれ、今年で87歳。

ちょっと、笑顔でないのは、目の前でケータイを構えた僕を「何してんだ?」という目で見ているため…。

(次にアップするときは、笑顔のヤツをアップするので、ご勘弁下さい。



最近、地方講師活動に復活したらしく、母のところに個人相談の電話が来てました。

また、実家から一番近い誌友会場まで、1~2時間歩いて行くのだそうです



来年は、米寿を迎えるので、何か贈ろうかと楽しく思案中です。

さて、今日の記事には、普段の僕らしからざる文章があるやもしれませんが、

息子バカ丸出し ということで…。



それでは、今夜は、ここまで…。

☆ 今日は… ☆

2009年04月29日 | ☆ 大切な父母さま ☆
みなさま、こんにちは。



今日は、僕の誕生日だす

今年で39歳になりました~。 



今日は、大好きで大切な両親へ感謝の念を送りつつ、一日を過ごしま~す 

ついでに、【 工事中 】のカテゴリーを、新規カテゴリーとして立ち上げま~す 


それに、今年は、何か大きな転機が訪れそう…。 



それでは、みなさまも、佳い祝日をお過ごし下さい。

もうひとつ…

2008年12月09日 | ☆ 大切な父母さま ☆








みなさま、こんばんは。



先日は、新しい生活環境に移転し心機一転の境地などから、新しいカテゴリーを創り出し、

これに関するエピソードを公開いたしましたが…、



その翌朝、「ならば…」という閃きとともに、もうひとつ新しいカテゴリーを増やそうとしましたが、

出勤直前の一時的な衝動でしたので、記事アップに到りませんでした…。



先日のうっち~ままさまのブログへの投稿にも記しましたが、フィーリングで記事をアップする僕として、前述の閃きが忘れることなく、いまも心ので生み出される瞬間を待っている状態のまま温められています。



ということで数日したら、もう一つ新しいカテゴリーを追加いたします。



では、みなさま、お楽しみに…。