2月7日水曜日。
大学生活4年間の最大の集大成とも言えよう、
卒業論文発表会。
私のゼミ4年生の集合予定時刻は13時。
前夜は、極度に睡眠時間が少なく、体も限界を訴えていたため、早めに就寝。
午前中、手直しと最終確認のため、パソコンをたちあげる。
保存しておいたパワーポイントを開く。
・・・・・・。
『反応なし(応答なし?)』って表示される。
しかも、閉じようとしてもエラーが表示される。
・・・・・・。
万が一を想像し、大学のパソコンで確認しようと、12時半に大学へ。
先ほどと同様、パワーポイントを立ち上げる。
・・・・・・・・・・。
立ち上がらない。
コレはヤバイと思い、急いで先生の研究室へダッシュ。
先生にパワーポイントが開けないことを伝え、最悪資料だけでの進行でも大丈夫かどうか確認をとる。
この時点で原因不明、ワードは開けたため、『最悪資料だけ』ということでパソコン室にダッシュで戻る。
とりあえず、事務室の人に頼もうとするが、誰もいない…。
たまたまそこにいた、パソコン系ゼミのAちゃんを呼んでみてもらう。
ところが、ワードはデスクトップへ移動できたりフォルダをうつしたりコピーできたりしても、パワーポイントだけは開かない。
事務室の人達が戻ってきていて、いろいろやってもらった結果…
パワーポイントのデータ部分のみ、損傷しているのではないか…という結論へ。
13時に集合したゼミ4年生達が、そのパソコン室へ機材を借りにやってきたけども、正直泣きそうでした…。
てか、半分泣いてました…。
そこからAちゃんが基の資料を見ながら、パワーポイントの半分を作り上げてくれ、自分で半分作り直し、Aちゃんの協力の下、無事にパワーポイント復活(しかもバージョンアップして)したのでした…!!
Aちゃんがいてくれて、本当に良かった…!!
最後の最後でまたそんなハプニングを起こしてしまって…
先生にも申し訳なかった…(泣)
時間が経つにつれて、緊張で胃(?)が猛烈に痛み出し、吐き気と頭痛に襲われる…。
休憩前になり、噂のKTが発表会に来ているコトに気づく…。
休憩に入り、J先輩から着信があったのでかけなおしたり、T美んがメールをくれたりして、ちょっとだけ落ち着いてたのかな。
それ以上は緊張しなかったです☆さすがに
オーディエンス(って言っていいのか?)をメークインだと思うことはできなかったけどw
T美ん、ありがとう
いざ前に出て、パワーポイントのスライドショーの準備をし、原稿を持ち、プレゼン開始!!
そのトキ、やっぱろKT先生が戻ってきていないことを肉眼でしかと確認し、落ち着く私
ところがどっこい。
KTゼミのゼミ生がおるし、学生課のSつき姉さんもいらしてるわで、ちょっと動揺。
プレゼン中は9割以上が英語での説明になるため、原稿から目が離せない。
でも必死で顔を上げる。
椅子や、立ち位置、デスクの向き的に、顔を上げると同じ人と何度も目があうわけですねw
まぁ、正直緊張してて余裕がなかったので、スクリーンにも資料にも載っていないことを説明している間に、挙動不審にスクリーンを見ながら話したりしてしまってました。
15分経過の時点で、3年生のH美が紙をあげて知らせてくれるようになっていて。
ふと顔を上げたときにその黄色い紙が目に入り、二度見したところ、H美も私が見たことに気づいたらしく、なんとなーーくアイコンタクトをしてました☆
途中ピンマイクのスイッチの方がデスクから落ちて、とめてたマイクがずっちゃったり、スライドがすすみすぎて戻れなくなっちゃったりの失敗もありましたが…
何とか無事にプレゼンを終えることができました!!
奴には相変わらずやられましたが…。
教職のために入ったゼミ。
最初は、ゼミの面接時には、『文系理系の違いから英語習得に差がみられるのか』についてやってみたい、と思っていた。
時間が経つにつれ、自分の居場所ではないのではないか…そう感じるコトが増えていったゼミ。
3年の夏、1ヶ月カナダに研修にいき、その後集中講義を受け、翌週で5日間介護体験にいき、その翌日からゼミ合宿(?)に参加(断ったけども半強制…)。
そんな夏休みを終え、いよいよ卒業後の進路について真剣に悩みだす時期に入った。
卒論に関しては、最初は早期英語教育に興味を持ち、卒論ではそれを研究したいと思っていた。
3年の学祭でのグループプロジェクトで、自分のヤル気と実際の行動が伴わず、挙句の果てゼミ生を疑いの目で見てしまい信じることが出来なくなり、私は自分の居場所を見失った。
そして徐々に、教職課程に対する情熱も徐々に薄らいでいっていた。
4年にあがり、私は教育実習を辞退し、教職課程履修をやめた。
つまり、教師という夢を捨てた。
捨てざるを得なくなった。
そこで、教職のために入ったゼミで活動を続けていく目的も意味も、見失ってしまった。
1年間のゼミ活動を振り返って…ゼミを辞めようとも思った。
そう、つまり、卒業を1年、あるいは2年遅らせるという選択。
教職員資格を得るため、半年、あるいは1年大学に残るか、という選択。
しかしながら、現実を考えるとそれらはできない。
つまり、教職課程履修を辞め、就職活動をし、ゼミも変えずにいく・・とういことしかできなかった。
4年にあがる直前で卒論テーマを変えたこともあり、他のゼミ生よりも、スタートダッシュが大幅に遅れた。
ある子は調査をとり、別な子は教育実習にいっている最中、就活をしながら文献を読み進める。
教職を辞めてからというもの、『私はこのゼミにいる意味があるのか』という自問自答が何度も繰り返されてきた。
ゼミにいくのは、日を増すごとに辛さも増す。
行きたくないと思うコトが増えた。
そして、徐々にゼミでの自分の居場所を探す意味さえもわからなくなり、ゼミ活動以外での『ゼミ』としての活動には係わらなかった。
後期に入り、自分の居場所はどこにもないコトに気がついた。
それからは、前期にも増して、喋らない・笑わないといった事が増えた。
孤独との戦い。
明るい事だけが取り柄だったのに、ゼミでは真逆になっていった。
話しかけられるまで、自分で口を開かない。
何か話をふられるまで笑わない。
どんなに苦痛だったか。
何よりも苦痛だったのは、『ゼミ生に好かれていない』『必要とされていない』と感じることの恐怖と孤独感、寂しさ。
この場では、自分は必要とされていない。
自分は必要とされていない。
私に居場所はない…。
4年生と先生ご夫妻での飲み会も、何を話しただろうか。
アルバム写真撮影のときも、誰と何を話しただろうか。
それすら思い出せない。
こんな状態が続く中で、独自のアンケート調査、実験などの分析を行っていった。
そして、先生からの重大発言…。
先生に全てを話した。
私がゼミで喋らなくなった訳、笑えなくなった訳…。
・・きっとあの先生じゃなかったら、後期途中から、私はゼミへいくことをやめて、留年していた。そう思う。
それだけ、相当追い込まれた精神状態だったというわけ。
その状態で、減らすはずのバイトも人手不足により不可能になる。
ストレスと疲れは溜まっていく一方。
そして、卒論製本を終え、後は提出だけという提出日前夜に、とうとう体を壊してしまったわけです。
そこから約1週間体調は快復せず、そのままで最後の試験、就職事前説明会の準備、卒論発表会の準備でバタバタしてたわけです。
でも、やっと終わりました…。
2年間、本当によく耐えたと思う。
『最大限に頑張った』とは決して言えない。
もっともっともっともーーーーっっっ…と頑張れたはずだから。
それでも、もう終わったんだなぁ…。
ここまで私を支えてくれていた皆々様に、この場を借りて深く感謝いたします。
まぁ…
ぶっちゃけ、もう二度とやりたくないですね(苦笑)
さてさて。
あと残されているのは、明日の
就職事前説明会。
やらかしちゃいましたよ…。
明日の持参物が
・印鑑、筆記用具
・健康診断証明書
・年金手帳
・住民票
・(就職先の)通帳
ってことで、先週も市役所いったりでバタバタしてたんですが、結局卒論発表会準備等で通帳をつくれてなかったんですよ
でもこの際仕方がないから、
前日の今日つくりにいったわけですよ。
ところがね、私の常識のなさを恥じました…。
4時半に行ったら閉まってました。
・・・・・。
仕方がないので、明日の午前中につくりにいってきます…(号泣)
説明会、午後からでよかった…(泣)
ンで、バイト先がまた大変なコトになってます。
年末に雇っていた新人(2歳下の専門学校生・男)のあまりのつかえなさに、キャスト全員がブチギレ。
店長にもブーイングがとぶ上、店長も彼の出来なさにようやく気づいたらしく、勤務日数・時間を削っている。
そして年明けしばらくして日記にも書いた
N瀬さんの切迫流産事件。
普段ランチは2人のみでシフトが構成される。
1週間は7日。
つまり、2×7で、ランチのキャストは、総計14回の出勤になるわけだ。
そこを、N瀬さんが月曜~金曜の5回。
U山さんが月曜~土曜の6回。
土日を私が2回出勤することで、日曜日のベースをつくり、日曜日のみ.comちゃんをいれるわけ。(祭日も同様)
ところがどっこい。
昨日の朝一で、U山さんから着信アリ。
寝ていて気づかずにかけなおしたら『今日かわってくれないか』とのこと。
でもどうしても無理なので謝り、今日朝出勤した。
U山さんの車がない代わりに、.comちゃんの車があることに気づく。
・・・・・U山家に何かが起こった・・。
どうやら、一番下のお子さんが盲腸で入院して手術したとのこと。
今日もU山さんが電話くれたけど、お子さんが大事だし、そんなトキに仕事してる場合じゃないから、それは気にしないでくれって伝えた。
まぁ・・・
今週~来週くらいまでは乗り切れるだろうし(ちょっと楽観的すぎか?)
でも、一つ、大きな問題がある。
私が辞めると、日曜・祭日にランチにでれる人が皆無、ということ。
店長はK美さんを入れるって言ってたけど、そうはできないでしょう…。
年明けしばらくしてから雇った新人(40代の独身女性)…
未だにトレーニングに来てる姿を誰も見ていないってどういうことですか?
店長…。
私がバイトできるのも、
ほぼ今月いっぱいという話は、2ヶ月ほど前からしてあったはずですが…。
卒論からは解放されたものの、最近、まだイライラすることが多いです。
私の性格上、『人のことばかり考えすぎで、最終的に身を削り、ストレスに潰される結果となる』(実姉談)みたいです。
一つでも前に進むために自分で動き出したのに、肝心なところを人に遠慮してしまう。
その結果、自分の想いと行動が伴わなくなる。
そして歯車はかみ合わず、自分の中だけでいくつものクエスチョンマークが浮上する。
歯車が狂って停滞していることなどにも、結局自分がイライラする破目になる。
『人のことばっか考えすぎ』と言われたものの…
この歯車がかみ合わない限りは、このままで、またパンクするのは目に見えている。
だけれども、それに気づけるのか気づけないのか…。
こうなってくると、そこが大きな問題であるわけで…。
ジェンガのように、ちょっとしたところで崩れることもありうるし、アリ地獄の穴をちょっとついたら砂が流れていくように、突いたことによりそこに支障を来たす場合もある。
たとえば、2日で1箱分タバコを吸うとして。
それが1ヶ月経つと15箱。1年経つと180箱。
その分、体は蝕まれていく。
小さなことが重なるだけで、そこに問題がうまれることもある。
歯車がうまく動いていくためには、片方だけが動くだけでは無駄な徒労。
歯車同士がうまく動いてこそ、そこ動きが成り立つわけだ。
・・・・・・と、まぁ、なーんかさっぱりもすっきりもしない日記となりましたがww
そろそろ寝ますわ