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アートベース・リサーチ(ABR)を用いた慶應義塾式研究方法

新加坡鲜花和蜜蜂[シンガポールの花とミツバチ]

2023-10-10 | 書籍化

 

新加坡鲜花和蜜蜂[シンガポールの花とミツバチ]

                  电子书作者 坂口由美

 

目次

序幕[プレリュード]

Episode 1 Bye bye mother[再見媽媽]

Episode 2 噂の女[傳聞中的女人]

Episode 3 絹の靴下 [絲緞吊襪帶]

Episode 4 夢は夜開く [愛的淚水]

Episode 5 もう一度逢いたい [何日君再來]

Episode 6 嗚呼無情[謀殺遊戲]

Episode 7  GOLDFINGER [慾望的人群]

Episode 8 東洋の真珠[東方明珠]

物語の終わりに[在最後]

 

 

序幕[プレリュード]

 早朝だというのにスターバックス コーヒー 福岡空港国際線ターミナル店は、混みあっている。リーは、偶然空いた一人掛け用の椅子を目ざとく見つけて、窓際の小さな丸いコーヒーテーブルに、シュガードーナツと、本日お薦めのドリップコーヒーを運んだ。「ここは私のテリトリーよ。近寄らないでね」言葉にはしないが、ツンと澄ました顔は無表情というよりも、薄く目を閉じ、険のある流し目で、目に見える不都合なものを遮断するがごとき気配に、陽気で人懐こい男は肩をすくめる。チッと舌打ちする無礼な奴もいる。酸味が強いコーヒーを一口含み、顔をしかめた。アイスコーヒーにすればよかった。福岡市営地下鉄空港線構内のコンビニエンスで買っておいたスポーツ新聞を両手で大きく広げて読む。このポーズは、日本人男性に評判が悪い。女が公衆の面前で競馬新聞を読むなんて信じられない。なかには揶揄する男もいる。「ねえねえ、君って、耳に赤鉛筆挟んだら、似合いそうだね」リーは、競馬や競輪の予想をしているわけではない。朝一番のニュースを読んでいるのだ。でも言葉に出して否定することはない。思いきり唇を結んで、唇を上に持ち上げ、への字を作る。底意地悪く面白がる男の顔など正視する気は毛頭ない。俯く仕草で、不快な男が立ち去るのを待つ。日本人の男は、女がうつむき、沈黙すると勝ち誇ったように高笑いする。耳の芯まで麻痺しそうな凶音をがなり立てるのは、どうやら「俺はこの女を取り押さえた」という意味を持つらしい。こんなときのリーの腹黒さときたら、蛇蝎のごとく邪悪である。男の心の裏側に唾を吐きかけ毒憑く。本当はそれだけでは気が済まない。男のベルトをハンドバックに忍ばせた切れ味良いフォールディングサバイバルナイフで引き裂いて、ブリーフごとズボンを引きずり下ろしてやったら、多くの人の視線と嘲笑を浴びて、ひどく恥ずかしい思いをすることだろうよ。その朝のスポーツ新聞の一面は、36人が死亡、32人が重軽傷を負った令和元年の京都アニメーション放火殺人事件で、殺人罪に問われた青葉真司被告(45歳)の公判である。青葉真司被告の兄の証言では、父親に対する近親憎悪や畏怖や理不尽さが、弟を妄想の虜に追い詰め、抜け出すことが出来ないで苦悶していたと考えている。ところが、母親の言うことから、とうの昔に「もう面倒見ていられない」と、ネグレクト(neglect)行為の加害者となっていることがわかるのだ。青葉真司に対する母親の悪質な言動で、社会が絶対に許してはいけないことがある。「私の息子は、元夫にそっくり」と言い捨てたこと。無責任に、よそ事のように自分の言いたいことだけ言って、息子の反応を、全然気にかけていない。母親の暴言に、青葉真司被告の身体は小刻みに震えたという。そんな息子を見て、何も気が付かないのか。せめて、身体を数回さすって、手を当ててあげるとか、「こんなお母さんでごめんね」と、息子に土下座して詫びてあげることが、これから死刑になる宿命の息子にどれほどの救済になるだろうか。そんなこともわからないのか。日本の母親は。これでわかっただろう。日本の母親にとって、しょせん、子供は執り憑くための道具なのだ。自分の人生の担保となれば、我欲から執着する。どこまでもどこまでもしがみ付いて離れない。日本の母親が、「この子はしつけ損なった」というときは、「この子は私の人生の担保にならないからいらない」と言っているのだ。

Episode 1 Bye bye mother[再見媽媽]

 リーの夫は、イギリスの俳優Sir Kenneth Branaghになんとなく似ている。名探偵ポアロのように灰色の脳細胞を持っているらしい。職業は、国家公務員というべきか、保護観察官である。犯罪をした人や非行のある少年少女に対して,通常の社会生活を送らせながら,その円滑な社会復帰のために指導・監督を行う「社会内処遇」の専門家であり、犯罪や非行のない明るい社会を築くための「犯罪予防活動」を促進している。というわけで、ほとんど家に寄り付かない。元々、リーは結婚に向かない女だから、まさか、あんな堅物の男に求婚されるとは考えもしなかった。リーのような女がすんなり結婚するなんて、信じられない話だ。「世の中には、物好きもいるものねえ」と周りの女は素っ頓狂な声を上げたり、ため息を漏らした。確かに、リーには女友達もいないし、たいていの男から、リーは外敵とか仇のように扱われる。それで、しばらくは、リーの頭の上では、悪口や嘲笑が渦巻いていた。こういうとき、リーはズルい女の本性を露わにする。耳の穴に、ソニーのノイズキャンセリングイヤフォンを深く差し込み、快適な音楽に身をゆだねる。周りで何が起ころうが、知ったことではない。だから、リーは台風の目という異名を持つ。リーが一度だけ刑事事件を起こしたのは、父親の通夜である。母親が、父の遺体を清めてあげることもせず、「汚いから触るな」と言い捨てたことが、殺したいほど許せなかった。小さなころから、意味も分からず「お前は汚いから来るな!」と激高してなじる母親が怖ろしく、委縮して泣きべそをかく娘に、「リー!泣くな!」と庇ってくれたのは、父親だけだった。気が付いたとき、リーは、「汚れ」と呼ばれた背中に、唐獅子牡丹の入れ墨を彫った叔父に庇われていた。狂乱した母親との間に立ち、取りなしてくれた。母親は、「親戚中が見ている。私はお前に殺されるところだった。」雄たけびをあげながら警察を呼び、リーは、刑事事件の被疑者となった。その事件がなければ、保護観察官である夫に出逢うこともなかった。半年もたたないうちに、リーは求婚され、瞬く間に結婚したのだった。

 

Episode 2 噂の女[傳聞中的女人]

リーは茹で卵と、林檎の皮を荒く剥く程度の料理しかできない。それでも、夫は、リーとマンション一階のカフェで朝食を共にすることを愉しみにしてくれる。その代わり、昼食と夕食は互いに別々に摂る。深夜に帰宅する夫に付き合い、赤ワインに添えて、クリームチーズといちじくを生ハムで巻いただけのおつまみを作るだけで、喜んでくれた。リーは、すぐに離婚するものと覚悟していたが、夫との結婚生活は快適だったので、思いがけず、永く続いた。それにもかかわらず、リーのメンタルは脆弱で荒廃しており、自殺衝動が強い。そのことだけを、夫は心配して、メンタルクリニックに通院することを勧めたが、リーは向精神薬を飲むことを拒んだ。「貴方には女心の悲しさなんか、わかりゃしないわ。」と泣かれると、可哀そうで、ますます愛おしくなる。「こんな男心、君にはわからないだろうなあ」言葉では伝えないが、これが女に魅かれる男の気持ちというものだった。それにしても、リーの生活は、毎月、就労不能保険金を受け取るレベルの、ほぼ寝たきり状態と変わりないので、だんだん、「何か始めたい」欲求が膨らんでいく。投薬を推進しない心理カウンセリング講座は、福岡にも有るが、リーが選んだのは、東京港区三田の「カウンセラー養成ゼミナール」であった。映画評論家でもあり、ベストセラー作家でもある講師の言うことには、「友達なんて出来なきゃできないでかまわないし、自分が心ひそかに抱えている罪悪感は、すべて手放すべきだ。自分のなにもかもを許しなさい」こんな教義を受けたことは、これまで一度もない。リーは毎月、福岡空港から東京三田まで通い、学ぶことを決意した。

 

Episode 3 絹の靴下 [絲緞吊襪帶]

 結婚制度が、こんなに役に立つものとは考えもしなかった。リーは結婚によって母と娘の呪縛的拘束を解かれた。母親の手料理はあまりにも美味すぎたし、娘が家事をせず本の虫であることを許容した。ただ、男との恋愛や、男への媚びや、つまり、娘がSEXを玩具のような遊び道具にすることだけを阻害した。SEXは、子供つくりだけを目的として、快楽を得る必要はない。子供を二人か三人産んだ後は、離婚してもよいのだった。リーは生殖のためにSEXするなんて御免だった。夫婦生活は、子供を産めるような女ではないのよと言い訳して、排卵日は拒んだ。福岡空港から東京都港区三田のウェスティンホテル東京を毎月一度の定宿にしたが、心理カウンセリングのゼミナールに取り組むほかは、出会い系で男漁りに夢中だった。それこそ電話一本で、SEXの相手は調達できる。ホストクラブに通う必要もなく、リーの甘い誘惑を断る男はいなかった。とはいえ、ひとりの男とのSEXは、一回限り。一期一会と決めていた。だって、そうでしょ?馬鹿でも解る法則だと思うんだけど、SEXって、最初の一発が決め手でしょ?一回目で身体の相性が悪い相手は、金輪際ダメなの!へたくそとか、手抜きとかそんなんじゃないのよ。だからといって、馴れ合いになっちゃお終い。下手すりゃ修羅場よ。「あの女、便所だよ!どんな男にもやらされるんだぜ」と、馬鹿にする男も大勢いたが、それこそ、知ったこっちゃない。文句があるなら、法律使えよって感じ。まず、訴訟起こすほど、リーのこと知らないでしょ?

 

Episode 4 夢は夜開く [愛的淚水]

 きよしは、インド系のシンガポール民族だったから、タミル語を母語とする。シンガポールは、多民族国家で公用語が4種類ある。きよしは、抜群にSEXが上手い。身体の相性の問題ではない。もし、きよしが日本人なら、AV男優の頂点に立つ男だ。リーは、きよしとの甘く熱い情熱的な夜を思い返すだけで、自分の下半身に直に身に着けた下着の内側から、マロンクリームとカルピスバターをトーストにこってり塗って、こんがり焼き上げたようなにおいが溢れかえる。さすがに、きよしとは一期一会というわけにはいかない。と言っても、キヨシの好きな遊びは、SEX以外に、場末の酒場で安酒を飲んで演歌を歌うか、錦鯉の観賞と競馬しかない。およそ教養という点では、あまりにも面白みのない男なのだ。きよしは、藤圭子という演歌歌手の熱教的な信者で、その夜の〆歌は、「圭子の夢は夜開く」というのが、お約束だった。リーはリーで、麻生よう子の「逃避行」を必ず一曲だけ歌う。「麻生よう子って、誰?」いつもきよしは聞く。覚えていないのだ。何度教えても。酔いつぶれているものだから。

♪知らない街へふたりで行って、一からやり直すため

 女の官能は、夜開いても、うぶな心は、無くしていない。恋しい男に駆け落ちを誘われて、真に受けた女は、待ち続ける。いつまで待つても来ない男を。

♪酒に酔いつぶれているのだわ、女の人に引き留められているのだわ、おそらくあのひとのことよ♪

それがなきゃいい人なのに、諦めたわ私ひとり、キップ買う。歌いながら、リーは嗚咽する。自身では体験したこともない女の不幸なのに、全身振るえがくるほど感じてしまうのだ。すると、毎度のことだが、きよしは誤解する。リーは自身の記憶を嘆いているのだと。そして、酔いがさめたのか、行きつけのラブホテルに誘い込む。どれほど酔い潰れていても、きよしのSEXは巧い。「上手すぎるわよ。」最初のころは、きよしが、AV関係者であるとひそかに疑っていた。きよしが、シャワーを浴びているあいだに、隠しカメラが仕掛けてあるのではないかと、探してみた。だって、リーはメガバンクのCEOでもなく、社会的価値などなにひとつもたない「専業主婦」なのだから。日本で、専業主婦ということは、生活保護者の言い換えかもしれない。だから、リーは、悪い遊びをするときは、この世の存在しないように、息さえしないようにふるまう。誰にも見つかってはいけないのだ。

 

Episode 5 もう一度逢いたい [何日君再來]

 きよしの恋人、台湾の女性歌手ヤンは、あまり有名じゃない、無名の歌手。好きな音楽では食べていけないから、きよしと結婚して子供を産みたいと、携帯電話に国際電話を掛けて来て、せがむ。きよしは、ヤンのことが本当に好きだから、リーと仲睦まじく絡み合う盛りでさえ、電源を切らない。あともう少しでエクスタシーに到達するその瞬間を、凝視しているかのタイミングで、着信音は鳴り響く。「あーあ、やんなちゃった」一度タイミングを逃すと、その夜はもうしらけて無理だ。リーが男なら、「勃起しない、立たないよ。」どうしてくれるの?とぐぜる (熊本の方言) ところだ。「僕が悪かった。もう一度初めからやり直そう」なんて後ろから抱きしめてくるきよしに、肘鉄を喰らわし、「この野郎、ほざきやがって」と睨めつつ、素早く帰り支度を始める。「帰り道は危険だから送っていくよ。」素肌に麻のシャツを羽織るきよしに、「いいから、いいから。平気平気」と、片手をひらひら動かし、リーの頭の回転は、どうやって、きよしの追跡を巻こうかと計算を始めている。

 

Episode 6 嗚呼無情[謀殺遊戲]

 東京三田のウェスティンホテルは、夫の定宿だから、夫も用務のため東京へ出むく際には、定期的に利用している。ということは、リーの行動は、夫に筒抜けだと考えねばならない。「奥様、お帰りなさいませ」顔見知りのフロントマンや客室担当の女性従業員やボーイも、レストランのシェフや清掃作業の女たちですら、その気になればいくらでもベラベラと夫に報告したり、警察関係者が聞き込み捜査に来たら、証言しないわけがない。この夜の、リーについて何もかも、根掘り葉掘り。だって、この夜、きよしの情婦を殺してしまったんだもん。でも、あれは事故だ。正当防衛だ。ともかく、リーはリー自身を許さなければならない。「悪いのは私じゃないわ。」本当に心からそう思わなければ、リーは被害者なのに、殺人犯人にされてしまう。「いやよ、そんなのいや」私は今のままで、ずっとひとり遊びを楽しみたいの。間違って逮捕されたら、その前に死んでやるんだからあ。」鼻をすするようにして泣いていると、客室内の固定電話が鳴る。夫からだ。「泣いていたの?おなか痛いの?お医者さん連れて来てもらう?」「泣いてない!どこも痛くない!お医者さんキライなの知ってるくせに。」

 「バカバカバカバカ」リーはご機嫌斜めの時、夫を足で蹴りながらばかばかばかと、どうにもならない怒りをぶつける。何がそんなに苦しくて叫びそうになるのか、言葉で言える女じゃない。「可哀そうに」夫は、リーの自死衝動が加速していることを感知している。「リー、明日の朝一番のJALで帰ってきてね。」福岡空港のターミナルに、夫が迎えに来るという。「本当?私、今すぐ帰りたいの。もう東京は懲り懲りよ」「そうだよ。君にはまだ、無理だ。また、家の中で好きなことしてお過ごしよ。君が泣かないと約束してくれるなら、なんでも買ってあげるよ」「私、帰る!今すぐ帰る!車で迎えに来て。早く貴方に会いたいの」「うれしいな。でも、今夜は無理だから、もう眠りなさい。」「眠れないもん」「じゃあ、君は薬が嫌いだけど、グレープフルーツ味のシロップ持たせたでしょ?あれを一枚だけ破いて飲みなさい。すぐに眠れるよ」

 

 Episode 7  GOLDFINGER [慾望的人群]

 約束通り、福岡空港のターミナルに、夫は迎えに来てくれた。向精神薬のせいで、意識が朦朧としていると言い訳して、リーは一言も喋らなかった。きよしが、リーを庇って、「俺が殺した!」と自供したと新聞に出ていた。こんな精神状態で、今は、夫と暮らせるはずがない。名探偵ポアロまがいの「灰色の脳髄」を持つ男なのだ。

 すぐに、リーの犯した罪を見破るだろう。そして、自首を促すだろう。「そんなこと、厭よ」リーには無理な話だ。きよしが、罰被ってくれたんだもん。それでいいわよね。

 「東京三田で疲弊したので、シンガポールで頭を冷やしてきます」一行の置手紙を残して、早朝、福岡空港国際線ターミナルから、シンガポールへ一人で旅立つ。

 リーは、あざとい女なのか、それとも知能指数が極端に低いのか、きよしの冤罪事件の結果も気にならない。機内の客室で考えていることは、「特定の個人的同志にしか理解できない私的言語(Private Language)があるとして、それは言語と呼べるだろうか。」この問いの解である。

 リーは、なぜ、この問いを解きたいのだろう。導き出したい「解」に何を期待しているのだろう。小学五年生の児童は、思春期の入り口に立っている。mama's boy、すなわち、母親に対して強い愛着・執着を持つ少年たちは、母親に叱られるから、同級生の女子に仲間外れにされるから、という理由で、だんだん、リーから遠ざかり、遠巻きに大声で、恫喝するように大声で張り叫んだ。あの子たちがなんと言っているのか、理解できない。リーは耳を塞いで、聞かない振りをしてきた。都合の悪いことは聞かなければ良いと自分勝手に決め込んでいた。

 どうやら、マザコン少年たちは、リーの見た目だけに興味を持ち、オナペット(和製英語:onapet)の道具と見做していたらしい。それで、PTAの母親連中にとっても、同級生の女子からしても、リーの存在は汚らしい、不快な動物にしか見えないのだった。この経験値から、リーは二つの解を得た。まず、一つ目は、日本の少年の性衝動の多くは、mama's boyであるがゆえに、ペドフィリア(英: pedophilia)に始まり、エフェボフィリア(英語:Ephebophilia)止まりであること。そして、二つ目は、日本人の多くは、日本語を正しく扱う術を知らないということ。日本の国語は、あいまいで正解がわからない学問だからである。では、なぜ、あいまいなのか?日本人全員が、日本語を正確に扱うと、労働力が極端に損なわれるからである。日本人は、身分や階級によって、日本語の正確さが異なる。その「解」こそ、リーが導き出したい「解」である。

 

Episode 8 東洋の真珠[東方明珠]

 シンガポール・チャンギ空港に着くと、途中でどこにも寄らずに、東洋の真珠とも呼ばれるラッフルズ シンガポールホテルに籠りっきり、世間から身を引いて静かに過ごした。なぜか、ふと、デカルトが読みたくなった。フランスの哲学者ルネ・デカルトによれば、神の存在、及び人間の霊魂と肉体との区別を論証し、省察すると、「心身二元論」と云う「精神の働き」と「肉体の働き」の二つの属性を持つ「人間の概念」が明らかになる。

 リーが、目の前に存在する物質的事物の現象に心を向ける間は、想像の能力を用いる体験をする。

想像とは、認識能力に他ならない。だから、心の緊張はない。

すなわち、純粋な悟性の働きだけ。

 ところが、リーが創造するためには、ある特別な、心の緊張を必要とする。

言い換えれば、真新しい、心の緊張こそ、創造する働き方と、純粋な悟性の働き方との相違なのだ。

 想像屴とは、リーとは異なった何者かに依存するということである。この異なった物体に精神が結びついて、任意の時に向き直り、それを注視することで、絶対的人物を創造するということが生じる。

 リーがまず第一に気付くことは、精神と身体との間には、身体はその本性上つねに可分できるが、精神は真逆に、全く不可分であるという点で、大きな差異が存在する。

 単に思惟するものである限り、リー自身にどのような部分を区別することができるだろうか?

 リーは全くひとつなる物であり、全体的な物である。

 そして、精神全体が、身体全体と合一しているように思えるのに、足か腕か切断しても、そのために精神からリーの心の働きが取り去られることはあり得ない。 この事実が、精神は身体と全く異なったものであることを教える。その次にリーが気付くことは、精神は体の全ての部分から直接に働きかけられるのではないということだ。脳のごく小さな一部分、そこに共通感覚が宿るといわれている松果腺からのみ直接の働きを受ける。 この松果腺は同じ状態に置かれるたびごとに、たとえ体の残りの部分が種々異なった状態にあろうとも、精神にいつでも同じものを示す。

 神の広大な善性にもかかわらず、精神と身体との合成体としての人間であるリーに備わる、自然の本性が、人間を欺くものであらざるをえないことは、明白である。

 「私は人殺しよ。きよしは、きよしは・・・、私なんかより遥かに広大な善性を持つ神だったわ」 

リーを庇い、冤罪事件の被疑者になったきよしは、あの後、すぐに亡くなった。死亡理由は不詳である。

日本から遠く離れたシンガポールでは、何もわからない。誰にも聞けやしない。

 

 デカルトの心身二元論によると、世界は心的な実体と物理的な実体という二種類の存在者に分けられる。心の本質は意識であり、心が意識的な状態にあることでリーは存在している。

 一方で、リーの物理的実体としての身体は、物理法則に制約されている。

 

 リーの身体は健康なのに、精神疾患は最悪の状態になった。朝も昼も夜も眠れない。心因性の精神疾患がおそろしく悪化している。心因とは、性格環境であり、身体に由来しない。

ことばは、右脳に浮かんでくる妄想や幻覚を含むイメージによって発音される「有節音声」と左脳の働きによって獲得した概念の言葉の二つの異なる方向に向かって両局に分かれている。 左脳の働きは言語中枢を中心に成り立っているので、論理を司り、言語活動の神経の活動の範囲にしている。ゆえに左脳の言葉とは概念を指す。概念とは、言語で表現した時に名辞となるのである。

 

 一方、右脳の特徴は感情をつかさどる。間脳の一部を占める視床に位置する松果腺の直下に位置する視床下部から右脳のイメージが入ってくると、情動反応の処理と記憶において主要な役割を持つ扁桃核は好き嫌い、満足か不満足かを価値決定する。

 ゆえに、殺人を犯したリーは、社会性の言葉を正当な概念で言い表すという知性の方向に苦痛を感じても、右脳のイメージを。体の有節音声を獲得して繰り返し反復して発音する方法で言語活動の代替とする方向へ逃避することができる。

 すると、殺人を犯した人間や、これから殺人を犯す危険性のある人々は、左脳の言葉である概念よりも、右脳の代替言葉に過ぎない「イメージ」のほうに価値があるというものの考え方を身につけていることになる。この現象は、乳幼児のことばへの退化、赤ちゃん戻りではあるが、この考え方を改善しないまま、身体だけが成長しても、生きられるという社会構造は成り立つ。この理由は、性格にある。

 心は精神活動によってことばを言い表して、性格を形成する。

右脳のイメージを代替言葉にする生格では、社会の現実の中の抽象的な対象については認識もできないし、そもそも理解することができない。気持ちや感情を軸とした有節音声を自己表出として発音する。

虚偽、妄想、幻覚、幻聴だけを聞き、発声している当人は、この現象を本当のことだと妄信している。

すなわち、人間のことばは、精神活動によって獲得した「概念」か、身体活動によって発音する「右脳のイメージによる代替言葉」の二つの異なる方向へ向かって、両極に分かれている。

 このことが、人間の精神活動の特異な点である。目に見えない心は、物体としては存在しない。ゆえに、実在しないから、身体の一部であると考える性格を改善することの重要性を、リーは理解したのである。

 

  物語の終わりに[在最後]

  リーの通う「カウンセラー養成ゼミナール」は、恵比寿駅の西口にある。そして、慶応義塾大学は、恵比寿駅の東口に向かい、ガーデンプレイスを突き抜けた先にある。夫のアドバイスで、慶応義塾大学の哲学を学び始めた。と同時期に、カウンセラー養成ゼミナールでも、ハンナ・アーレントの『人間の条件』をテキストにして、「哲学入門」のレクチャーが開始された。毎月一回は、福岡から東京三田へ通う生活によって、これまでに感じたことのない「満ち足りた気持ち」を得た。夕暮れの羽田空港で、福岡行の便を待つ間、スティーヴ ホデル著書の「ブラック・ダリア殺人の真実」を読んでいた。主旨は、知識人、高学歴者がなぜ、脳を中心とした心身の病理に陥るのか?その秘密を探るものだ。

 脳を中心とした心身の病理は世界のどの国の人にも起こる。

たとえ知識人といえども、概念によって、ものごとの意味のイメージをつくれなければ、社会病理に陥る。

孤独という通路は神に通じる道であり、善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや

ラウンジの大きな窓から、しぼったばかりの夕陽の赤がもれている。

三田から博多へ戻る旅に夕陽が沈んでゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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