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アートベース・リサーチ(ABR)を用いた慶應義塾式研究方法

岸田首相「出馬いたしません」電撃表明の理由は?“ポスト岸田”めぐる動きも…

2024-08-15 | 日記

本日も、アマゾン電子書籍出版のための原稿執筆に専念致します。

タイトル『心理カウンセリング~メタ言語で救済する~』

目次

  1. 脳の中で言葉と言語は、どのように生成されているのでしょうか?

 

脳の言語野で言葉をつくるのは視覚と聴覚です。

この2つは、シンクロして働いて、あうんの呼吸で支え合っています。

視覚は、交感神経が動かしています。

聴覚は、副交感神経がコントロールしています。

人びとが安全に生きるために磨き続けなければならない知的能力は、視覚がつくる認知をつねに働かせるのが本質です。

視覚が、未知や謎を理解する能力には、心の活用を必要とする教育が必要不可欠です。

心の教育については、ギリシャ哲学やヘーゲルを頂点とするドイツ哲学、フランス哲学が説明しています。

しかし、日本人は聴覚だけで言葉をつくっているのです。

この聴覚がつくる言葉の世界が「母系制」です。

誰かが声高らかに話したとき。ひそひそと話したとき。耳打ちをされたとき。

誰かの話を聴いた人は、経験していないことを、「自分が経験した真実である」と言い張ります。「聴いたよお~」という経験の異常な結合が、疑似行動を成立させます。

これが、人に聴いた言葉を記号として憶える脳のメカニズムです。

日本語の発音・発声の「音」を言葉にするというのが本質です。

ゆえに、母系制の言葉の世界では、視覚のつくる言葉の「名詞」は存在しないと主張されるのです。ところが、仕事も社会も、政治も国家も、人間関係をベースにした生活も、すべて「名詞」と「抽象名詞」で成立しています。

「名詞」が存在するから、成立している世界に、「名詞がない」と勝手な判断を下すならば、それからの人生を、果たしてどのように生きていけるのでしょうか?

 

 

 

 


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/ntv_news24/politics/ntv_news24-2024081408382759


岸田首相、総裁選不出馬へ裏金事件で「責任取る」

2024-08-14 | 日記

本日より、アマゾン電子書籍出版のための原稿執筆に専念致します。

タイトル『心理カウンセリング・メタ言語』

目次

  • 脳の中で言葉と言語は、どのように生成されているのだろうか?
  • メタ言語の解明
  • メタ言語の観点からみた対象言語の真偽の判断
  • ハンナ・アーレントが『人間の条件』で語る哲学の意味での活動とは何だろうか?
  • 主観のつくる精神病理
  • 鈴木孝夫慶應義塾大学名誉教授の証言
  • 女性が嘘を話すときの脳のしくみ
  • 女性が「名詞の言葉」を理解できない理由
  • その人の行動の反復パターンが、意思と自己責任の証拠になる
  • 離人症
  • 不安神経症
  • 世界の共通思考はプログマティズム(帰納)になっている。
  • 演繹による思考法でないと全く何もわからない
  • 脳の中で言葉は、このように、つくられている
  • ジョン・ロックの第一の性質と第二の性質
  • 脳は快感原則で働く
  • 聴覚のモノマネのしくみ
  • 吉本隆明の『共同幻想論』
  • 女性は聴覚の記号性のモノマネを言葉として憶える
  • 男性の脳の記憶のしくみ
  • 母系制の病理集団から離脱するために

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/politics/kyodo_nor-2024081401000442


近年、西日本で相次ぐ活断層による内陸地震は“前ぶれ”か西日本は南海トラフ地震発生前の『地…

2024-08-09 | 日記

「母系制の病理」を完成して、言葉の能力を消滅させるものが、「ハラスメントや犯罪を面白がる話し言葉」です。

殺人や自死に至る「母系制の話し言葉」について考えてみましょう。

日本人の病気の実体は「母系制の話し言葉」にあります。

「母系制」については吉本隆明が『母型論』(贈与論)(思潮社)で説明しています。

日本語(和語)は「記号性のみの言葉」です。

もともと日本語(和語)とは発声・発音の「音」(動詞)が言葉になっています。

日本語(和語)は概念ではなく、「記号性の言葉」です。 
母系制とは、この「記号としての言葉をしゃべる」というものです。

(記号としての言葉を経験化する)(身体の動きも記号化する)

大脳辺縁系の海馬で「母親の話し言葉」を「エピソード記憶」として想起させるというのが「母系制の病理」です。

母親の話し言葉とは、母系制の女性が、社会、共同、共生に参加すると病気をつくって攻撃し、敵視したときの言葉です。悪質な嫌がらせやハラスメント、優生思想を歪めて実行する犯罪を煽り立て、その波紋や影響を面白がる病です。

交感神経の視覚(ゲシュタルト形態、名詞、抽象名詞)を働かせようとすると、扁桃核が敵視し、攻撃して、拒絶する(保全する)ので、「エピソード記憶」として想起させる「母系制」の話し言葉は、病理をつくるのです。ここからなおも社会参加をおこなうと、線状体が不安物質のコレチストキニンを分泌し、パニック、恐怖、障害をつくり、「社会参加」「社会性の能力や知性」を自分が病気になろうが痴呆症になろうが、がんなどで死のうが、「絶対に、学習を受け付けない」というのが「母系制の病理」です。

「母系制の話し言葉」によって、まず、脳の中の言葉の生成が止まります(思考能力の消失)。デタラメの解釈を喋ることを止められなくなります。解釈した分裂病の言葉をさらに「経験化」して、とうとう分裂病サイコパスに変貌します。この三つの病気を完成し、現実(リアル)の中で自爆する(ハラスメントで訴えられる、犯罪者に転落する)ことが、「母系制の病理」の完成なのです。

私が銀行に勤務していた時に、名誉・信用を傷つけられた、いわれもない差別を受けた、人権侵害は、政治家の夫人が首謀者でした。

県知事選にも出馬された政治家の夫人の指示に誰が逆らうものでしょうか?彼女は私の上司でした。

パートで採用された女性の身の上に比べて、正社員雇用された私の恵まれた待遇への怒りを、大多数の民意のように取り扱い、政治的に利用して、私への人権侵害を公に波及させていったのです。公的な人権侵害の内容は、容姿の侮辱と、嫌われ者というレッテルを強力に張り付けて追い詰めるという遣り口でした。

嫌われ者だから、寄ってたかって人権侵害をするのだ、どこまでも永遠に付きまとうのだという母系制の病理を、ごり押しするまとめ役として頂点に立つことが、政治を盾にした演出方法なのです。

母系制の話し言葉というものが、一人の人間の人生を押しつぶし、台無しにする行程を私は目の当たりにしました。私という嫌われ者が、関係者の社会的立場を貶めるのです。私が存在したせいで、いわれのない言いがかりをつけられて怒りを爆発させた人は大勢います。私を推薦した学校も、私という存在のせいで、おそらく採用率を制限されたのではないでしょうか。私は囲む環境は最悪でした。母系制の病理とは人権も生命も簡単にはく奪する怖ろしいものです。

 

 


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/rcc/nation/rcc-1349467


テヘラン郊外の軍事関連施設に“新型の弾道ミサイル”イスラエルへの攻撃のためだけに開発

2024-08-08 | 日記

本日は、フョードル・ドストエフスキーの『罪と罰』を読んでいます。

学費滞納のため大学から除籍された貧乏青年ラスコーリニコフは、それでも「優生思想」の意識を持っていました。優生思想の立場から「正当化された殺人」という独自の犯罪理論によって強欲狡猾に見える金貸しの老婆を殺害しました。

主人公の性格の中に人類共通の無意識イメージが見いだされます。「社会的な秩序」の逸脱です。自分に都合の悪い現実のルールやモラルをひっくり返して、転倒させるために、犯罪を犯すのです。社会の秩序を意味する対象に対して嫌悪感や憎悪や反発心を持ちながらも執拗にこだわり、自分を同化させていくという観念を身につけます。これは、「社会的な秩序」の逸脱によって、逆さまの身分に引き摺り下ろした者へ凶悪な言葉や行動を向けるというように表されます。

老婆殺しの事件を追及する予審判事ポルフィーリーに追いつめられたラスコーリニコフは鬼気迫る勢いで反論します。

自分のやっていることが、明らかに他者を陥れることであっても、他者にしわ寄せして面倒をかけ、疲労させ、不快にさせて、現実的な実害を与えることになると誰が考えても予測されることであっても、そんなことはどうでもいいとエスカレートさせ続けます。

彼らの三度に渡る論戦はさながら推理小説であり、翻訳を手がけたロシア文学者の江川卓は『刑事コロンボ』のような倒叙ミステリーの様相を呈していると語っています。

 

私が銀行に勤務していた時に、何年か後に入行してきた女性から待遇面で恨まれたことがあります。私は正社員で採用されたので、給与も賞与も有休も、すべてが、パートで採用された女性とは、かけ離れて恵まれていたのです。ズルいと非難されました。同じ仕事をしているのに、平等ではないと言い張ります。それでなくとも、女性の賃金は低いと言われていますので、私の身分をはく奪し、私の地位を転落させたいと、女のグループつくりが促進されました。

私には身分不相応の待遇であり、無能のくせにと悪口を言われました。

私が銀行を退社した理由は、もっと恵まれた環境があることを察知したためです。

女の人たちの目には、私の能力では身分不相応に見える待遇よりも、より良い待遇が私を待っていることが予感できたのです。

しかし、彼女たちは、女の集合体の特別なエネルギーを正当化することで、私を引き摺り下ろしたと妄信していました。それは錯覚で、思い込みで、歪んだ欲望がそう思わせたのです。

本当はそうではないのです。当時の私が考えていたことは、女の人たちが欲しがる表面的なものは、私には不要なのだということ。女の人たちが欲しがらないものや、興味を持たないほうへ向かうことで、私の性格を生かした生き方が見つかるのではないかと、予感していたのです。

 

ラストシーンでラスコーリニコフは、優生思想の対極を生きる娼婦ソーニャの徹底された自己犠牲の生き方に心をうたれ、彼女への愛を確信します。
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https://news.goo.ne.jp/article/tbs/world/tbs-1345507


【速報】岸田内閣の支持率31.0%先月調査より4.1ポイント上昇8月JNN世論調査

2024-08-05 | 日記


本日は、フランツ・カフカの「火夫」を読んでいます。

私の読み方は、まず、作品を黙読して、内容を把握します。

次に、自分なりの小説やエッセイに書き換えます。

ここまでは、書き言葉を遣います。

書き終えると、カフカの「火夫」を朗読します。

ここでは、声に出す、言葉を話すために、音読・話し言葉を遣います。

話し言葉と書き言葉は、どちらも必要です。

家の中での、書き言葉・話し言葉の訓練は、生きてゆく人生の上で、どういう意味を持つものでしょうか。内面の世界の不安や違和というものは、現在の不安のように見えますが、実はそうではなくて、これから生きてゆく人生の将来の不安や違和、恐怖を象徴しています。家の外での関係意識と了解意識、与えられた現実への関わり方の方法、生きてゆく現実の世界の認識の方法に基付いて、この逸脱や歪みから発生するものです。

人間の一生において、何も書かない、誰とも喋らないで生きることは辛いことです。

朗読をすることや小説を書くことで、こうした生き難さは、「乗り越えていくべき課題」に姿を変えてくれます。これは、他者の観念に、自分の観念を内容本意に辿らせていくということです。

カフカの「火夫」の主人公カルルは、女性の欲望の理不尽さ、意味不明さに翻弄されて、頼るものがなく、ひとりぼっちで助けのないさまに陥ります。主人公は、強いられてくる強圧に不安や恐怖を覚える存在の象徴です。この世の中には、真の安全や安心というものはありえない反面、その強圧や暴威の真の発生の原因、しくみ、必然をなす根拠というものが明瞭になる時、必ずしも、恐怖や不安を感知し続けることはできないのです。主人公の心に魅入り、守ってくれる人は、真相を語る火夫だけです。しかし、火夫は真相を話しているのに、それが人から見て理論性とか説得性がないために、主人公以外、誰も信じない。

権力や権利がないと言葉は言葉として機能しないし誰とも繋がれない。これが真相です。

この真相を覆い隠して、遂には排除するために、出来るだけ大勢の人々に、同じ言葉を言わせることで、説得性を捏造することができる。同じ言葉の集合体には、意味不明な偏見が、権力に変わるように仕向けるトリックが仕掛けられています。すなわち、理不尽な残酷さによって、権利は保証されるという現実が描かれています。

しかし、この小説の教訓は、強いられてくる強圧への不安や恐怖の発生や成立の原因や根拠に対して、誰も関心や興味がないという、絶望的な恐怖を如実にものがたります。

 

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https://news.goo.ne.jp/article/tbs/politics/tbs-1338905