冷たい朝

自然科学(数学、物理学、化学、生物学)のサイトです。
よろしくお願い申し上げます。

小さなスケッチ

2021-02-03 07:26:59 | 

深い森に迷い込んだ。私は、スケッチブックを持っていて絵描きになりたいと思っていた。風よ、裂け!恋をした。強い引力が少しずつ働いてやってくる。虹が最近になって現れないと思った。カミュの「シーシュポスの神話」を少しずつ読み始める。神を欺いたことで、シーシュポスは大きな岩を山頂に向かって運ぶ罰を受ける。しかし、何度運んでも元の場所に戻ってしまう。太宰治の「ダスゲマイネ」の最後の一文を思い浮かべる。

あの日の約束は選べず、不公平や不条理などの言葉を並べる。そういう絵が、初めてのカードが空中で舞うように白樺が揺れた。悪魔、正義、不徳などの文字の矢がその揺れ動く白紙のカードに突き刺さる。自発的対称性の破れ、漸化式、テンソル、多項式エルミートなどを適当に羅列している。聞こえたか!と放物線を描いて飛んでいく。私はここまで描写してスケッチブックを閉じた。

ベンチに座った。白い衛兵がちょっと見せてくれと空間の中に入っていった。それから進み行き、一対一で勝負した。まだ、完成されるはずのない勢いのあるキャンパス。燕返し。ミトコンドリア、夢、風、葉、その辺の描写がまだだった。狂気の野望とはなんぞや。明日を生きるのが苦しくて仕方なかったと衛兵は槍を構えて、絵を取り出そうとした。

金木犀の香りがした。眩さよ、明日を与えたまえ!写像を描き、私は白い衛兵に希望を少しだけ与えた。幼い頃に、書いた記憶がある。どこかで描いた記憶がある。主人公だ。私の主人公だ、私は主人公だと錯綜していく声が、反射して、地面を叩いた。その地面は何だか地獄のようにも優しさの丘にも見えた。ニーチェが発狂する時の、その思想。あの人は元気だろうかとこの世の憂いと鏡を返したように、もう一つの異性体ができた。

私は古い慣わしを信じています。けれども芸術というのは、そういうものを破壊していくものなのでしょうか?

真っ直ぐに光線が射し込んでくる。

〜最後にドレスが着たい

また、地面を叩いた。

〜舞踏会に行きたい

次は、シャポン玉の中に地球が見えた。

〜健気に咲くタンポポのように

私を連れ去ってと嘆く風が優しかった。岬の上に立っているような感じになった。願いと祈りが交錯するように、下から斜めにザッーと放物線を描いて夢鳥は浮遊していく。向こう側からこちらに向かって、スケッチされた絵の断片がわずかに雪崩れ込んでくる。夜になって風が曲がるように吹き出した。存在の意味すら考えずに、にわかに向かってくるスケッチに、対を成すように駆け出した。私は駆け出した。そんな時、ピアノの五線紙とギターが独り音楽を始めた。空間は、ふわりと羽衣で包まれた。


理系への招待

2021-02-03 06:22:58 | 物理学

春も近づきました。飛行機の音が、旋回して聞こえてくる。私はそんな時に物理学を専攻していた頃のことを思い出す。ノスタルジア。そう言われても仕方ありません。何故ならば、夢が現在進行形で走っていた頃の話だからです。才能は懐かしい面影。すっかり忘れやすくなりました。プルーストの「失われた時を求めて」のような作品は難しくて読むことが出来なかった。春がゆっくりと近づいてきます。20代が殆どない私にとって、研究は10年遅れています。人間には、目標がなければ生きていけません。古い言葉で言えば、大義でしょうか?行動というのは、動くゼンマイ時計のようなものであるので、役割を果たした後は、次第に減衰振動していきます。

春の息吹を感じるまで、随分と時間がかかる人もいれば、あっという間だという人もいるでしょう。高校生まではもの凄く時間がゆっくりと流れます。しかし、大学や専門学校に通うと最初の2年間が、はやく感じられます。私は夏目漱石の「坊っちゃん」の主人公の母校である東京理科大学理学部物理学科を卒業した後に、人の役に立ちたいと思って東京工業大学の院に進みました。理学部と工学部の基本的な違いは、自分の思考で新しい理論を発見したいか、人の役に立つことをしたいのかです。従って、理学部は大抵が哲学じみた考え方が多く、工学部はどちらかと言えば学習するうちに人の役に立つことが散りばめられています。しかし、理学部の方が断定的に10年くらい研究していて、基礎が違っていると言ったら曇天返しが起こるでしょう。個人的な意見を言わせてもらうと、私には理学部の方があっていたということです。実際に、神楽坂の毘沙門天の近くに住んでいました。案外、基礎的なことをしっかりしていないと気が済まない主義だったので、多少は神経質なところがあったと思います。

理学部は、基礎研究。

工学部は、役に立つ学問を身につける。

今回はこの二つに絞って、絶望や不安のうちにある方が逆に未来を明るくしてくれることを信じて理系2択で書いてみました。勿論、私のように大学院の研究所を中退した人間が語ることではないです。今、高校生の方などは参考にして下さいね☆

ちなみに、夜間(第二部)の東京理科大学に通っていた女性と東京大学を受けました。その試験では、英語を3割取らないといけなかったのです。私は、3割とれませんでした。その子は受かりました。


2020-12-13 07:13:36 | 2020年
芸術は、繋がれるべき糸に喩えられる。それは音楽の音色であったり、些細な小石が放物線を飛ぶ時に大きな軌跡を描き、人生全体を変える事すら考えられる。
一方で、自然科学は、1+1=2という初等教育から始まり、次第に内容が難しくなって行くが理解できる範囲で扱うのが正しい姿勢と言えよう。従って、突然に成績が上がることはあっても、急に大学の授業の内容を分かり得るという可能性は低い。勿論、優秀な環境に置かれている人は、中学生ぐらいでも大学生の内容がわかる場合がある。順序に従っているからだ。ニュートンやアインシュタインから、もの凄く自然科学というものは発達してきた。一人の考えた事を信じている内に、次々と議論が起こってアポロは月に行ってしまった。また、発光ダイオードの発見によって光という魔術が大きく変化した。芸術に言い訳はあるが、自然科学に言い訳はない。理論と実験が合致した時、それを応用してみようかと「実際にアクションを起こした時」、物事は進化する。私はこの自然科学系の日記を通して、川の流れに沿っている芸術と自然科学をさらに糸で結んでみようと試みる。その糸は、壮大なるものである。一人の人間が眠りにつく頃、知らぬ内に赤い糸で結ばれるかのように。

花の義務

2020-07-23 16:50:01 | 2020年
花柄が好きだった。シャボン玉の水たま模様が好きだった。
人は、そんな場所に帰っていくのかと思われた。森の息吹は、ジャングルを予感させるアナーキーな道が拓けていた。
 
シモーヌ・ヴェイユが
「集団的な思考は、思考としては存在することができず、「もの」(記号、機械など)の中へ移って行ってしまう。そこから、次のような逆説が生じる。ものが思考して、人間は「もの」の状態まで押しやられてしまうという逆説が」
 
と言っていた。
人間は、何の為に働くのだろうか。
 
私は、マクロ経済に疎い。だから、こういう。
 
「わたしたちに義務が与えられているのは、我欲を殺すためである。というのに、わたしはこんなに貴重な道具をさびつくままに放置してきた。外の世界が確かに存在すると信じる為に、命じられたときに、自分の義務を果たさねばならない。そして、時間が確かに存在すると信じなければならない。」
 
こんな事を書いていると、何だか義務というものが、羽みたいに軽くなって「確かに存在していること」は、一途なことだからきっと良いことだろうとさえ思ったのだ。人々に小さな歌を書きたいと思える程に、義務というのは外の世界が存在している事を確かめる。その中で上下の関係があったりするのであれば、自分が本当に知らないことを探すことは愛くるしいほど、前向きな事だ。
 
騎士団がやってきた。彼らの心は、律儀な忠誠があるんだ。そういう不思議な風を裂いて、華やかな君と僕は何かを守らなければならない。しかし、こういう事は一種の自己欺瞞だろうかと胸が張り裂けそうに心が動いた。秒針が、短針を超えていくようにいよいよ不安的になった。花というのは、誇張ではない。生命がうまれる時に、一緒に咲いているものを「仲間」だと、共鳴する為にあるのだ。君は気がついてないうちに、マタイにも何もかもに触れているんだ。あの頃、君はどうしていましたか。そういう風に、騎士団が女性に優しく語りかけた。僕は、突然に走り出した。「もの」というのが、時空になるという物語は語らぬ。騎士団の一人が、あなたの持っているペンダントはわたしも持っていますと。ここでいう「もの」とは、ペンダントではないことがわかって、騎士団長に部下が、休みを少し下さいと言った。団長は、花が将来を決めてくれるのならば、決まっているじゃないかと、頷いた。
 
運命は、橋にもかかっていた。それは歩道橋に見え隠れする月、そう言った瞬間に、義務というは転嫁され、どこにでも僕はいます。そう律儀にいったようだった。
 
フーリエ変換、シャドウボクシング、キレのあるタイピング、今宵、桜の散った後、小雨、夜の酒、風を切って走る馬車、雨、雨、刹那、ラグランジュ、雪の思い出、入り江、港町、微かな啓発、叩き散る夜露の剣、さみだれ、酒の果実。

君と出会うまで

2020-07-19 19:58:10 | 2020年

君が大きくなってわかる誰もが考えた未来。

僕には、知らないことが多すぎる。

1、観察可能な地平線の外の領域に存在

2、無限の宇宙の中にポツリポツリと存在

ここからは、これから君が描く大きく力強い物語。君は、これからの歴史を作れるかい。

小さな花畑で、大きな夢を繰り広げて生きていく。人間の特許というものを知っているか。それは考える事だと強く思う。僕の文章は切ないけれど、君が死す時に、故郷を忘れることはないだろう。君の中で広げられていく大きな物語。僕は、小さな花になろう。その時、雨が降って哀しみを癒すだろう。ちっぽけな掲示板がどこかに存在しており、それは樹木のようにフラクタルに人々の心に打ち付ける。

小さな事から始めましょう。青年は、街頭演説に対してそういった。老人はすでに怒っている。春の陽射しがまっすぐに差し込んでくる。青年は、ヘミングウェイの小説を読んでおりました。老人は僕はアル中ですからねと小声でいった。酒豪。そんな言葉を思いながら、青年はボーアの話を始めた。シャボン玉の中に泡が出来て、黄色やら緑などが光線を浴びて、夜の風を細かく通り始めた。小雨の夜に話した密話がいと恋しくなっていた。回転する逆賊のサーカス団員が、彫刻を掘って掘って掘り続けました。お宝が出てきたと卑屈な笑いをした。青年は、ヘミングウェイの小説を語り続けて、大海原におりました。そこは、竜宮城とでも何とも言い難い雰囲気の秋の祭りでございました。どうしました?ニュアンスが違った風の支配人は、青白い虹を見つけてしまった気分になって、ようやく自分が酩酊している事に気がついたのです。その時に、思いついた文章をスケッチしていた量子論の世界の番人が、淡くほろ苦い思い出を記録していたので、支離滅裂な形でありますが載せておきます。

「犬の鳴き声、真っ白な雪、返すことのない手紙、窮屈な教室、差し出した形容詞、そんなものが、明るい月光から思い出の尺度として降ってきて、小さな竹刀で練習をしている黄金の足軽が近づいてきた。青い芸術を、片手のポケットにしまって、喜びに吹雪いた並木道の桜は、一回転して万華鏡のように一人の若者と出逢いました。去っていく時間は、短くも長くもありません。ただ、生命だけが真っ当な生き方をしているように感じられて、時の経つのも忘れた深い海のシーラカンスと不死鳥だけが、猛烈な勢いで互いに体当たりしました。方角がずれてしまったけれど、今宵の乱舞は永遠のような白い景色です。生きてきた、生きている、よく今まで生きてきたと不死鳥は、震えて怯えている何かにいった。昨日の朝に芽を出した双葉が笑っていた。宙返りした愛すべき歌は、小鳥の親鳥が大きな風の中にくるくると廻って、どこかに消えていった。虹が伸びていた。その瞬間に人々は、一斉に歩道を渡って小さな歌は、コンクリートを反射するように現れた。古びた剣が日差しを浴びて柔らかな影が伸びている」