FLAMENCO igriega

straight power and smooth energy flow

心の状態

2010-11-05 01:04:57 | Beauty-Health-Spirit-Happiness
踊っている時の心の状態はとても大切だと感じています。

××よりも上手く踊ろう…とか、見せつけてやろう…みたいなエゴがあると、自分の高いテンションとは裏腹に真の実力は出ないものです。

変に心に力みがあると、それは自ずと身体の力みにもつながるから当然なのでしょう。

それに、真の中心から意識の集中がずれてしまっていることもあるのでしょう。

心が自分の真の中心からずれてしまっているということは、本来の自分自身からずれてしまっているということでもあるからです。

難しいことはともかく、心にエゴがある状態だと見ている観客にもそれは伝わるものです。
決して気持ちのいいものとしては伝わっていないでしょうし、もしテクニカが凄いなあと思っても、真の感動にはつながらないでしょう。

よいものを表現して、よいものを分かち合う。
それが理想だと思います。

だから自分の心に責任をもって、よい状態をつくり出せるように心がけることは大切です。

踊りの練習をするとき、心の訓練もしてみてください。

鏡に映る自分の目を見ると、その時の心の状態がわかるでしょう。

最良の成果を発揮するために、心の果たす役割は絶大です。

自分の心を真っすぐに見て、本来の最良の自分を引き出してください。

2010-08-17 11:02:34 | Beauty-Health-Spirit-Happiness
最近BS放送で中国武術の特集を放映していました。
禅の教えがもとにある少林武術、道教がもとにある武当武術、四川の峨眉武術。
どの武術にも太極拳で言われる“気を養う”ことがキーワードになっていました。

凄かったのは、少林寺で修業する武僧が頭の頭頂部に厚さ6ミリほどの鉄の板を気合いと共に打ちつけて、パリンと割ってしまうとか・・・
思い切り振りおろされる棍棒を身体で受け、その太さ直径5センチ以上はある棍棒が小枝のようにポキンと折れてしまうのとか。
どの技の前にも、各自入念に気を集めていて、その気の集まりが足らないと大怪我をするとのことでした。
普通だったら、身体がダメージを受けるところを、そのように気を集中させることで通常以上の潜在力を引き出せるというのは凄いな。。。と感じたのです。

武術のカタに見られる動きに関しても、すばやい俊敏な動きの一つ一つに、力強いエネルギーが身体の隅々にまで充填されていて、且つそのエネルギーが瞬時に身体から抜けている(放出されている)ので、その動きに最大限の威力が宿るわけです。
心と体の一体化によって為せる技です。

彼らは日々の鍛錬の中で、身体のみならず、心の鍛錬もしているのでした。
ふわふわと漂い易い心をしっかりと御することが出来たら、人間の可能性はもっと大きくなるのかも知れない・・・と思うのでした。

踊る時も、気持ちがスーっと入って身体が自ら動いているように感じる時と、心が散漫になっていて身体がバラバラに感じる時があります。
前者の時は踊っていて一体感が感じられ、後者の時はひどく無機質な違和感を感じます。

生徒さんを見ていても、それぞれのレベルで集中出来ているときは、考えるよりも先に身体が動いているのが感じられることがあります。

武術と踊りは違うけど、でもその根本は同じところに辿り着くように思うのです。
きっと他の様々なものにも当てはまるでしょうね。
自分の身体を使って、そして心の中の何かを掴んで、聞こえてくるメロディーとリズム、それらを体の中で一体化して、そのエネルギーを放出する。

終わりなき修業と鍛錬です・・・(笑)

踊る喜び

2010-04-21 00:54:24 | Beauty-Health-Spirit-Happiness
踊る喜びを、感じる
心と体、全身で感じる

これが全てであるように思います
これが追い求めているゴールであると

自分の存在のありったけを放って
自分が存在する喜びを感じる

目の表現力

2010-03-05 01:49:47 | Beauty-Health-Spirit-Happiness
踊りは身体の全てを使うトータルな表現です。

そして目はその表現を担うとても重要なパーツの一つです。

先日まで行われていたオリンピックでフィギュアスケートの演技を観ていましたが、キム・ヨナ選手はとても素敵だなぁ…と感じました。
皆が言っていることですが、魅せる表現力を持った人です。
指先まで身体の使い方はもちろん美しいのですが、しかしそれだけではなく、目に表現力があることに気付きました。

“目は口ほどにもの言う”

ひとつ皆さんも試してみて下さい。

鏡の前で、目は意識せず無表情のまま口元だけ口角を上げて笑顔をつくってみてください。
何かちょっと異様ではありませんか?

次に、口元は意識せず、目に意識を持って目で笑顔の表情をつくってみてください。
恐らく口角は自然と上がって、口元が笑っている表情に自然となるはず。

表現において目は本当に重要なカギを握るパーツなんですね。
だからどんなに表現力を意識しても、肝心の目が死んでいたら、いまひとつ力がぬけてしまうのです。

さて、この目に力・エネルギーを込めるということ、いざ意識してやろうとするとちょっと難しいようです。
何か突発的なことが起こったり、真剣にならざるを得ない時は誰でも目に力がこもるのですが、
普段はほとんど無意識状態で、意識的に使いこなす為にはちょっと訓練が必要のようです。

それは、目が心とつながっているから。

目に力を込めるには、心を集中させる必要があるようです。

だから“目は心の鏡”とも言われますよね。

感情は目を通して表現されるわけですが、
その感情は心から来ているということ。

内面から出ている表情か、ただ表情筋を使っただけの表情かの違いは、
深みのある表現と、薄っぺらいうわべだけの表現の違いに分かれるのだと思います。

目の力を使ってみてください。
あなたの踊りが変わるかもしれません。




重心のおきかた

2010-03-01 22:22:01 | Beauty-Health-Spirit-Happiness
フラメンコを踊るときは、ある種の重さの表現が必要になってきます。
バレエなどのエネルギーのベクトルがどちらかと言うと上へと向かっているのに対し、フラメンコのそれは極めて下に向かっています。

地面との、もっと大胆に言うならば地底との、結びつきが強い踊りであると言えます。

クラスの生徒さんには、なかなかこのどっしりとした重心がつくれず、身体の動きが軽くなってしまいがちです。

考えてみたら、私も習い始めて数年はこの感覚を知らずにやっていました。
あるスペイン人ダンサーが“Peso”(重さ)について話してくれた時、私には自分の体の中でどのように、この重さの感覚を作り出すのかが分からなかったものです。
マルカールをしていても、何だかフワフワ浮いているような感じになってしまい、どうも何かが違うなと漠然と感じていたものでした。

今自分の体の中の感覚を検証してみると、ひとつ答えが思い当ります。

物事は何事においても、両極が必要で、それによってバランスをとっているのです。
例えばもし、強い力で何かを押している感覚を得るためには、それと同じ力で押し返してくるものが必要だということ。
それによって初めて、強く押しているという感覚を得ることが出来ます。

重心をどっしりと構え、力を下に向ける為には、それと同じくらいに上へ引き上げる力が必要であるということが言えるでしょう。
これを踊る時の身体で説明すると、重さを出すためには、同時に上半身の引き上げが必要になると言えます。
体の中で上下に引き合う力が起こり、その引き合いが強ければ強いほど、メリハリのある、インパクトのある身体の表現が可能になると考えるのです。

クラスのはじめに行っているエクササイズがありますが、それもそのような体の中の筋肉を上手く使って、より表現力のある動きに活かす為のものです。

普段無意識に使っている自分の身体の隅々に意識を向け、それらを目覚めさせることが踊ることであり、踊りを通して効果的に表現することを可能にするものだと思うのです。