藤原氏総領で科野(しなの)右大臣の藤原兼充(ふじわらの かねみつ)には子どもが多く、藤原佐勢(ふじわらの すけなり)にとっては従兄弟にあたる者がこの邸にはたくさんいるのだが、佐勢(すけなり)のような三十少し手前の年齢の男子はいない。科野右大臣の一番年長の子は、寿樂帝に入内している弘檎殿(こきでん)の女御・充子(みつるこ)である。充子の先にもすぐ後にも男子はいたのだが、次々と夭逝している。充子のあ . . . 本文を読む
科野(しなの)邸は、東三条(とうのさんじょう)邸に劣らぬ広大な敷地にあり、帝の坐す内裏を置いては、平杏(へいあん)の都一の広さと言える。邸の造りや庭は、豪奢な東三条(とうのさんじょう)邸には敵わないが、三重の塔を配した御堂は、それだけで寺院として成り立つほど立派なものである。北の一角には広い馬場があり、物見のために小さな邸を構えており藤原の多くの若者がここで訓練し休憩し、時には泊りこんで馬術の習 . . . 本文を読む
背の高い二人、能才(よしかど)と理能(まさとう)が天白(あましろ)邸、三雪対(さんせつのたい)の南廂の階に立っている。間に恩子(めぐむこ)がいて一番上の段で望才(もちかど)がやってくるのをじっと見ている。恩子はまるで左と右の近衛大将を従えている姫のようだ。理才と理子が部屋の中から廂に出てきた。五人の兄弟姉妹が、大兄上を待っている。
五人の姿を見た望才(もちかど)は、表情一つ変えずゆっくりとこち . . . 本文を読む
午後の早い時間に理能(まさとう)は、天白(あましろ)邸に戻って来た。
理能(まさとう)の部屋は昔、望子(のぞむこ)が暮らしていた部屋で、天白邸の東対(ひがしのたい)にある。この対を三雪対(さんせつのたい)と呼んでいる。
今の三雪対は、南から北へ順に、理才(まさかど)の部屋、理能(まさとう)の部屋、能才(よしかど)の部屋となっている。能才(よしかど)の部屋は、天白卿と理能の母、六花方(りっかの . . . 本文を読む
「こいつが上に行くには、とにかくこいつに二人分でも三人分でも仕事をさせて実力をつけなくちゃならない。そこまでは、お前達もわかるだろう」
と、蔵人所のど真ん中にどっかりと座り込んでいる藤原佐勢(ふじわらのすけなり)左大弁が、理能(まさとう)を扇で指しながら言う。
延安(のぶやす)が思わず「はい」と小声で返事をしてしまうくらい、佐勢(すけなり)の話に皆聞き入っている。
「だが、ただ仕事をさせて . . . 本文を読む
六位の蔵人が理能(まさとう)ら五人のいる蔵人所へ静かにやってきたのは、真昼のことだった。盛先(もりさき)は休みらしく、佐土(さと)の谷比古(やひこ)と呼ばれる中年の痩せた男だ。長いもみあげやそこから続く短く切りそろえたあご鬚に白い物がまじっている。谷比古は、廂の端に座ると頭をゆっくりとさげ、
「左大弁、藤原佐勢(ふじわらの すけなり)様、参られる由。今しがた、太政官府方が先触れに来られました」 . . . 本文を読む
「理能(まさとう)。なんだ帰ってくるなら先にそう言ってくれればいいのに」
「自分の家に帰ってくるのに兄上に先触れする必要あるんですか?」
「あれぇ、なんか珍しく荒れてるな、理能」
「べ、別に荒れてなんかいませんよ」
「酒臭いし。あれか? 夫婦喧嘩でもして東三条(あちら)の邸を飛び出してきたか?」
「んなわけないでしょう。垣本(かきもと)、垣本、父上はまだ起きてられるかい。垣本! ちょっ . . . 本文を読む
「頭の弁! 頭の弁だよね?」
月の萩原家の長で、雅楽寮の頭(うたりょうのかみ)である萩原千興(はぎはらの ちおき)に会いに行ってから数日が経った。
夕日が沈みかけている。
理能(まさとう)は珍しく、洋泉(ようぜい)の邸に来た。洋泉の邸 ――といっても実際は洋泉の父、桐生胤洋(きりおいの たねひろ)、通称・北泉大納言(きたずみだいなごん)の邸だが―― は、東の二条という一等地にあって、華美 . . . 本文を読む
昼を過ぎたこの時間は、一日で最も暑い。理能(まさとう)は、蔵人所を退出し、牛車にゆられている。先日、左大臣公展(きみのぶ)から、月萩の萩原千興(はぎはらの ちおき)と宴の話を詰めてくるようにと言われ、千興(ちおき)に文を書いた。
千興は、千里(ちさと)と千世(ちとき)の父で、雅楽寮の頭(うたりょうのかみ)である。理能(まさとう)は、本当は雅楽寮かあるいは東三条の邸で千興と会いたかったのだが、千 . . . 本文を読む
「お昼間に、小い姫達も大喜びして、いただいたのよ」
桜子(おうし)はそう言いながら、廂で杯を傾ける理能(まさとう)に、切り分けた瓜を出した。
「そう。じゃ、私も一つ」
理能は一口大の瓜を楊枝でさして口へ運んだ。
「うん、これは甘くて美味しい。上もどうぞ」
「いいのよ、お昼間にたくさんいただいたから」
先日洋泉(ようぜい)が、早生の瓜を土産にもらった話をしていたが、この東三条邸にも早生 . . . 本文を読む