
その後山本広は、ヤクザからの引退を固めた。
同年3月16日、渡辺芳則が上京に、山本広引退の道筋を付けてくれた稲川会に、謝辞を述べ、山一抗争終結の段取りを話し合った。
同年3月16日、渡辺芳則は、大津市の会津小鉄会・高山登久太郎会長宅で、山本広と会見した。稲川会幹部と会津小鉄会幹部が同席した。山本広は一和会解散と自身のヤクザからの引退を認める文書を、渡辺芳則に手渡した。
同年3月17日、山本広は、一和会幹部の東建二、沢井敏雄、村上幸二、上村進、寺村洋一らに、一和会解散と自身の引退を伝えた。
同年3月18日、山口組本家で、山口組緊急執行部会が開かれ、山本広引退の経緯が報告された。さらに、「同年3月19日に山口組直系組長会を開き、山本広引退を傘下組織に周知徹底させよう」との提案が出された。竹中武、中西一男、嘉陽宗輝が提案に反対した。竹中武は、渡辺芳則に、「山本広の断指と詫び入れ」を要求した。同年3月19日の直系組長会開催は取り止められ、同年3月22日に緊急幹部会が開かれることになった。
同年3月19日、山本広は、神戸市の東灘警察署に出頭し、自身のヤクザからの引退と、一和会解散を伝えた。
同年3月20日、大阪高等裁判所で、竹中正久殺害を指示した石川裕雄と、竹中殺害実行犯の立花和夫の無期懲役が決定した。
同年3月22日、山口組緊急幹部会が開かれた。竹中武と中西一男が、渡辺芳則に、山本広の山口組への詫び入れを要求した。渡辺は、竹中と中西の要求を飲んだ。渡辺は、稲川会に、山本広の山口組への詫び入れを依頼した。
同年3月23日、山口組臨時直系組長会で、岸本才三から、山本広の引退と一和会解散の経緯が報告された。
同年3月28日、山本広は上京し、稲川会幹部と話し合い、稲川会の保証で山口組に詫びを入れることを了承した。
同年3月29日、東京都のホテルニューオータニで、山口組執行部は、稲川会幹部と会い、山本広の引退・詫び入れに尽力してもらったことに、謝辞を述べた。
同年3月30日、稲川会本部長・稲川裕紘は神戸市東灘区の山本広宅を訪ねた。
同日午前11時50分ごろ、山本広は、稲川裕紘に付き添われて山口組本家を訪れた。山本広は、中西一男や渡辺芳則ら山口組執行部に、自身のヤクザからの引退と一和会解散を告げ、竹中正久殺害を詫びを入れた。それから、山本広は、竹中正久の仏壇と田岡一雄の仏壇に、線香を手向けて、合掌した。これで、山一抗争は終結した。