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『侠』おとこの旅

堅気と極道の狭間を生きる武士<もののふ>なり

第三章・狭への道-1

2009年01月01日 12時42分36秒 | Weblog
北の大地が今、鮮血に染まろうとしていた・・・。
北海道北見市―
旭川関保会初代分家斉藤組幹部星川組組長・星川竜二は、
斉藤組の代行職を下ろされたことにより組長・斉藤茂造
に対する不信感を募らせ、親を捨て、一家を捨て、関東を本拠とする
巨大組織・稲川会稲川一家岸本組組長・岸本卓也の盃を受けた。
この頃、日本最大組織・山口組が北海道に代紋を掲げるべく
勢力の拡大を図っていた山口組直参加茂田組舎弟・花田章は、
北見進出の足掛かりとして、
極道社会の掟に反すると知りながらもあえて旭川関保会から
絶縁されていた斉藤茂造を舎弟にし、
札幌の本部事務所を北見へと移した。これにより、
星川組と花田組の間に不穏な空気が流れ始める。
そしてこの後、北海道やくざ史上最大と言われる凄絶な殺戮のドラマが
繰り広げられることになるのである。
加茂田組北海道支部・花田組も、一和会に移った。花田章は、加茂田組舎弟頭補佐となっていた。
そして昭和63年(1988年)5月、丁字家蜂谷連合会が消滅した。
昭和六十年「山一抗争」の最中の北海道北見市。一和会加茂組内花田組組長・花田 章が稲川会星川組都築組組員の手により北見の大型スーパー駐車場にて射殺された。
以前からシノギの小競り合いからの射殺だった。
射殺事件はすぐに札幌の隆二の下へと知らされた。
北海道北見市の星川組系牧野組組員亀谷哲也(29)が花田組組員に暴行された恨みとして花田組経営の金融会社[橋本商事]の事務所を訪れ,奈良義勝事務局長(61)を刺殺。花田組は報復として以後2日間で3名を殺害,2名を負傷。
隆二は若い衆全員連れて北見に向かった。
本部事務所前には警察がびっしり詰めていた。
何処へ行くにもボディーチェック!
隆二と若い衆一ヶ月もの間地下へ潜り花田組の様子をうかがっていたのだが、本部事務所は警察の張り付き警戒の為身動きできず、花田 章が射殺されたスーパーへ買い物に出た時、
二代目花田組を襲名した丹羽勝次と遭遇した。
隆二と丹波はお互い若い衆を連れていたが、揉める事も無く
「疲れましたね、そろそろ止めようか」
そんな会話をした後、隆二は花田組総本部を訪れた。
その後手打ちが成立した。