三十路中盤備忘録

とりとめの無い事をタダ書き連ねていきます。

僕とあの子のサヨナラ哀歌(エレジー)(目的編)

2021-01-07 13:00:00 | 日記
まずは出来たてで拙いワタシの戯言が詰まったブログに目を通して下さった皆様、そして「イイね」等のアクションボタンまで押してくれた皆様、本当にありがとうございます。

シンプルに嬉しい。
シンプルに有難い。

アクション下さった方のブログも目を通させて頂きました。今この時代を生きている、同じ時間軸を共有している、だけれども全く住む場所も生活スタイルも異なる方々の世界を垣間見る事が出来るblogの良さみたいなものをとても感じでいます。

InstagramやFacebookよりも深く、距離感は程よく遠く心地よい空間だなぁ…と感じました。

読ませて頂いたblogの中で、有難いの反対語が

「当たり前」

であると言う事を書いていらっしゃる方がおりまして、blogという空間が存在しているからこそお互いの世界であった良かった事、共有したい情報なんかを発信受信できるのって

「当たり前」じゃないよなぁ…

「有難い」事だよなぁ…

としみじみ感じました。

皆様、ホッコリと新しい知識を発信してくれて本当に感謝です!楽しく読ませて頂きました!

さてここからは私の戯言を始めさして頂きたいと思います。最後まで読んで頂けたら幸いです

Facebookでもこのblogは公開しているので私の人となりが分かっている方は驚くかもしれないのですが、2021年1月10日をもちまして私、

喫煙習慣を絶って

丸一年

となる事をここにご報告致します!!!

パチパチパチパチ👏🎉🎊㊗️


ちょっとこれはもう本当に嬉しいし、
そんな事くらいで?
と言われそうですが自分の自信になってます。

ファミリーマートの前で最後の一本吸いながら

「今までお世話になりました、でもな、有難うはいわねーぞ!!!お前なんか今日この瞬間から大嫌いだ!!!」

と心の中で叫んだあの夜から一年。

巷では中々お別れするのが難しいと言われるタバコとどうサヨナラできたのか、その経緯をご紹介したいと思います。

タバコは勿論、それ以外の何かから自分を解放したい!!と思っている人。
新年何かに挑戦しようとしている方にこんな私が本当に恐縮なのですが、ちっさなちっさな後押しや参考にになればいいなぁと思います。

まずは喫煙者だった頃の私が、どの位タバコを愛していたのかをお伝えしたいと思います。
深く愛していればいる程、別れは辛いですからね…。

まず愛煙していたのは

銘柄:マールボロ通称アカマル
タール :12㎜
ニコチン:0.9㎎
下のこの子です。


私はパッケージデザインが好きすぎて待ち受け画面にまでしてました。
フィルターの色が茶色なのもさりげポイント上げてましたね。

ニコチン、タール共に高めなこの子を1日30本程吸っていました。
一箱20本入りですので、

一箱+一箱半という感じですね。

準ヘビースモーカー…もしくはヘビースモーカーになるのかな。

朝起きたらまずはなによりも先に喫煙。
歯を磨いたら喫煙。
朝メシは車内でエナジードリンクと喫煙。
仕事の移動中は切れ目なく喫煙。
仕事の切れ目に喫煙。
昼メシは車内でエナジードリンクと喫煙。
仕事の切れ目に喫煙。
パソコンと睨めっこしながら喫煙。
帰宅途中の車内で切れ目なく喫煙。
家に着いたらまず喫煙。
晩酌という名の夕食はキレ目なく喫煙。
風呂入る前に喫煙。
入ったあとは爽やかに喫煙。
風呂上がりのビールと喫煙。
寝る前に喫煙。
寝付けないと喫煙。
書き出してみて怖いくらいに

喫煙!!!!!

この位赤マル子ちゃんを愛していました。

読者の皆様も、なんとなく私の愛煙具合を認識して頂けたかなと思います。

こんなに深い長い強い結び付きがある赤マル子との関係を断つ事に繋がる幾つかの変化ときっかけが私に重なって訪れました。

まず一つ目、

姪っ子の誕生です。
2019年の11月、私の妹夫婦に女の子が誕生しました。堪らなく嬉しかったのです!我が子が生まれた事をきっかけに禁煙を始める方の話はよく聞きますが、まさにそれの叔父さんバージョンですね。初めて抱っこした時に、

「あ、オレ臭いよね…ごめんね…」

と瞬発的に強く思ったんです。タバコに対して良い感覚しか無かった私が、赤マル子に

「お前臭いがキツイんだよっ」

とマイナスな感情を持った瞬間でした。

二つ目、

地元の友人達との忘年会。
禁煙に成功したY君から禁煙のメリットを色々と聞く機会がありました。そして

「まぁやめれる奴はやめれるよ」

と言った彼がちょっとかっこ良く見えたのと同時に、昔からの身近な友達が成功している姿に

「オレにだってできるんじゃねーか?」

というチャレンジ精神の小さな灯火みたいな何かがフッと沸いた様な感覚を覚えています。
自分で自分をどれくらいコントロール出来るのか興味が湧いたんです。

そして三つ目

グループホームの長として、身も心も疲れ果て擦り切れるまで働いた妻から仕事を辞めたいと打ち明けられた

これが三つ目のきっかけです。

1番近くでその姿を見ていた私も、日に日に消耗して行くのを感じていました。私もやめて欲しいと思っていたし、
なにより

26歳の若輩者で無鉄砲、結婚する年に起業するというアホで無謀過ぎる私の挑戦を二つ返事でOKしてくれた妻に恩を返したい!!!
と強く思い、(現在は休眠中)

これ以上ないスピードで

「やめろ!むしろやめてくれ!家計は大丈夫だ!任せろ!」

と漢気スイッチをポチッたんです。

そうなってくれば、収入を上げるだけでなく支出を減らさなければなりません。

右のポケットにいる赤マル子がだんだん、臭くて、ダサくて、金食い虫にしか思えなくなって来るんです。

2013年から続けている新年に目標を定めチャレンジするというマイルールがあるのですが、

それに乗っ取り

2020年1月4日
以下の3点をiPhoneのメモアプリに書き出し
赤マル子ちゃんとのサヨナラプロジェクトを
スタートさせました。

①チャレンジする目的の可視化
②自分の置かれた状況をきちんと把握した上で計画を立て必要があれば戦略を打ち出す
③開始日時、タイミングの可視化

まず今回のブログでは
①の
「チャレンジする目的の可視化」にスポットを当てて書いて行こうと思います。

長期的な挑戦であればある程人は

「挑戦をやめる理由探し」をはじめます。

これは弱〜い弱〜いダメ人間な僕が1番理解している点です。

学生時代私は勉強というものを一切放棄していました。

分数なんて実生活で使わないからやらない。
英語なんて一生日本から出ないからやらない。

こんな具合です。
そうなった私は悪い意味で強いんです。
徹底的にやりません。

しかし、そんな私が唯一勉強に全力で取り組んだ瞬間があります。

学生時代ある科目の点数勝負で勝った方が映画を奢るという賭けをしたのですが、その掛けの相手は気になる女の子だったんです。

つまり、

「賭けに勝って映画デートに漕ぎ着けたい」

という青春街道まっしぐら、アホ丸出しの明確な目的が定っていた訳ですね。

自分でもビックリする程の集中力で勉強にとりくみ、人生最高得点に近い点数を叩き出したのを覚えています。


2013年からの挑戦も、目的がぼやけると大体失敗に終わっているんです。

なので赤マル子とのサヨナラの目的を明確化しました。

🥇堂々と姪っ子を抱っこする。

🥈支出を削減する。

🥉自分で自分をどのくらいコントロールできるのか肌感覚で知っておきたい。

この三つの目的をきちんと書き出し、
自分でなんども復唱しました。

そして書き出した内容を
iPhoneの待ち受け画面に設定し
自分の潜在意識へ書き込む様に工夫しました。

潜在意識とは
巷で無意識と言われるアレです。

柔道を長年やってきた人が
車と喧嘩した時
無意識に受け身をとっちゃうヤツとか

長年マニュアル車を運転してきた人が
オートマ車に乗り換えた時に
存在しないクラッチを踏もうとしちゃう
アレです。


潜在意識に強く刷り込まれた行動や
思考パターンが
無意識に現実として表現される

この人間なら誰しも持つ癖を
有効活用しない手はありません!!

1日平均人間は48回もスマホを開くそうです。

つまり、スマホの待ち受けにすれば
嫌でも禁煙に対する明確な目的を48回位目にする事になる訳です!!

10日で480回。
20日で960回。
30日で…

と言う具合に自分の潜在意識に
なりたい自分を刷り込みます。
そうすると、意識しなくても
自然と禁煙の方向へ
行動がコントロールされる算段だったのですが

コレ思った以上に効果的でした。

私は非常に単純な人間なんだなぁと
つくづく実感。

吸いたくなったら

みてね」

というアプリで毎日姪の顔をチェックする。
そのアプリを開く為にスマホを見る。
目標が書いてある。
吸いたい欲望に打ち勝つ!
という様な感じです。

因みに自分でこうやっている状態は
顕在意識というヤツです。
顕在意識を何度も何度も繰り返し、
潜在意識を構築するのです。

私の場合
禁煙3ヶ月目までが物凄く辛かったのですが、
潜在意識の書き込みが進むまでの期間も
最低3ヶ月と言われています。

本当に3ヶ月目位から
吸わない事が「我慢」から「普通」な事に
変化していきました。
禁煙外来などでは、3ヶ月目からがはじめて禁煙と定義されている様です。
3ヶ月目位から失敗する人が多いという話を聞いた事がありますが

おそらく、この待ち受け作戦の真価は
3ヶ月後、禁煙のスタートラインに経った時に
発揮されるのかもしれません。


この待ち受け画面でなければ
根性無しな私には
絶対に乗り越えられなかったと思います。

もし禁煙だけじゃなく、何かに挑戦したいと
考えている方がいましたら
騙されたと思って
一回やってみて下さい!

まとめ

目的を明確化する。
常にに見れるように
仕組み化する。

そうすると
潜在意識になりたい自分が刷り込まれる

無意識になりたい自分へ向けて
行動がコントロールされる

大体効果は3ヶ月目位に見えて来る。
信じるか信じないかはあなた次第です 笑

何かに挑戦しようとする誰かの役に立ちます様に😚

長〜い文章を
最後まで読んで下さり本当に本当に
ありがとうございます!
コメント、いいね👍下さったら有難いです🙌
励みになりまする〜!

次回は

僕とあの子のサヨナラ哀歌(エレジー)(計画と戦略編)をお送りします!










懲りずにまたブログを書き出した三十路中級者。

2021-01-05 10:00:00 | 日記
私はブログというものを始めては、自然消滅させるという事を何度も繰り返してきました。

①私は何故blogを自然消滅させてしまうのか
②私はこれまで何故blogを執筆していたのか

この2点をきちんと分析して改善しない事にはまたブログ始めました詐欺を繰り返す事になると考え、まずは上記二点をきちんと自己覚知する事から三十路備忘録は始めたいと思う。

そして①②を念頭に置き

③何故私はまたblogを性懲りも無く執筆し始めたのか?という「目的」。これを他ならぬ自分が理解した上でこの先も執筆を続けるか否かも含め検討していきたいと思う。

①私は何故blogを自然消滅させてしまうのか

これを考えた時、私のblogにはひとつの癖みたいなものが浮かび上がってくる。

「酒」「ダイエット」「経営論」

こんな感じでその日その時に強い関心を持っているテーマを据え、それに則ったタイトルと自己紹介文をその溢れんばかりの情熱のまま書き連ねるというスタイルのblogのスタートである。

しかしながら私は飽きっぽい性格である。

関心を完全に失う訳ではないが、2ヶ月も経てば違うものに興味が移行する。

その時にはむしろ違う事を書きたいのだ。
迸る情熱を注ぎ込み、ねりに練った「タイトル」そして「自己紹介文」が鎮座したブログ設定は興味が薄れた私には足枷でしかない。

しかしながらここで私の面倒臭い質がさらにブログを自然消滅に追いやる。

秘技「誰得潔癖」だ。

誰得潔癖とは、普段比較的ガサツでだらしの無い私がなんの前触れもなく起こす癇癪の様な「潔癖症」の事である。

日本酒をテーマにしたブログを開設したとしよう。最初は情熱を持ってブログを執筆する。しかしながら案の定興味関心が薄れてくる。今一番関心が高い分野についてなら書けるが、それ以外は筆が進まない。

そこで臨機応変にブログタイトルや紹介文を変更し書きたい事を書けば良いのだが、どうしても気持ち悪いのだ。誰得潔癖の発動だ。日本酒をテーマに始めたのだから日本酒以外の事がblog一覧に並ぶ事がどうしても許せないし、途中でタイトルや紹介文が変わる事も許せない。
まさに発動したところで誰も得をしない「潔癖症」といういらん質。

そこからは自然消滅街道まっしぐら、もはやその存在すら忘れ去ってしまう。

しかも、新たに興味関心が生じたテーマで違うblogを開設する始末。そしてそのblogも上記の理由で自然消滅していくのだ。まさに負の連鎖。blogと言う名の産物を生み出しては消滅させるの 「ビッグダディ現象」を繰り返してきたのだ。

つまり

①私は何故blogを自然消滅させてしまうのかというクエスチョンに対してのアンサーは、

間口の狭いblogの初期設定とその変更を許せない「誰得潔癖」の発動が、「ビッグダディ現象」として繰り返されるから!

という事になる。

では続いての検証項目に移行したいと思う。

②私はこれまで何故blogを執筆していたのか?
という点だ。

これに関しては趣味嗜好仕事に向けられるやり場の無い強い思いの吐口だった様に思う。

興味関心が強い時のスキル知識双方を会得するスピードは自分でも驚く程である。文字通り寝る間を惜しんでしまうのだ。

当然その爆発的瞬発力を支えているのは並々ならぬ情熱な訳だが、それを共有できる相手は中々いない。

妻に日本酒のうんちくを説いた所で、妻からすれば迷惑極まりない。

商談中のほろ酔い中年男に興味のない分野をそこそこな熱量で長尺語られる辛さは私も経験済み。

あの心が無になっていく感覚との葛藤。相槌に不備は無いだろうかという時折設ける自己点検タイム。まさに自己犠牲が為せる技。

自分がやられて嫌なことは人にやってはいけません。ですからそれを生身の人間に向けて語る事はしない。

blogにぶつけるのです!

文章に乗せて熱い思いを書き連ね、上がりすぎたテンションを適度な緊張感に整える必要がある。

何故ならば人間には感情があり、寝る、起きる、食べる、活動する、仕事する、様々な側面を多面体の如く繋ぎ合わせ、それぞれに合った心のテンションへ微調整しながら毎日を過ごしている。その調整ツールとしてブログを活用していたのだ。

当然それに対しての興味関心が薄れれば、心のテンションを調整する必要は無くなり自然とブログはお役御免となって行くのだ。

ではブログに吐き出すだけ吐き出して公開しなくても良いのでは?とお思いの方もいるだろう。公開さえしなければ、ブログの開設、自然消滅その双方を認知しているのは私だけであるからして、永遠にそのループを繰り返せばそれで済む話ではある。

何故この様に「私にとってのブログとは?過去の自然消滅から学びその教訓を活かすには?」みたいな文章を書いているのかを考えたら、ブログを公開しFacebookやインスタグラムを通じある一定の方々に読んでコメントを頂くなどして頂いているにも関わらず自然消滅ループという背景があるから、その方々に向けて新たなブログ開設の言い訳をしているに過ぎない。

自分の趣味嗜好へ偏った心のテンション調整に他人を巻き込んでしまっただけではなく、存在意義を無くした瞬間に自然消滅するという自分勝手を繰り返してすみません!という懺悔の気持ちからくる言い訳だ。

そう全てはブログを公開するという選択を過去に繰り返した代償と言ってもいい。

じゃあ公開しなきゃ良い。
先も述べた様に未公開で書きたいだけ書き永遠と開設、消滅を繰り返せば良いではないか。

しかしながらそうは問屋が下さない。

人間には生まれつき5つの欲求発動スイッチが備わっており、常にどれかのスイッチがONに入る様に設計されている。






上記が備え付け欲求スイッチのラインナップだ。生理的欲求が満たされると安全の欲求スイッチがONに入ると言う様に矢印の方向へ欲求は推移して行くのだ。


興味がある方はアブラハムマズローと検索して頂きGoogle先生にご教授頂く事をお勧めする。

日本社会において、生理的欲求と安全の欲求については満たされている方が多いと言われている。(本当か?)まぁそういう事にして話を進める。しかし社会的欲求と承認欲求が満たされない人々で溢れかえっている様だ。

確かに社会に居場所を見出せない人が増え、引きこもりや孤独死などのニュースは社会問題としてよく取り上げられているし、誰かに認められている感覚を欲しSNSで「いいね」や「ハート」をもらう為に何時間も掛けてパンケーキ屋に並ぶという狂気の沙汰としか思えない行動をとる人間を随所で目にする。

パンケーキを食べる事も、行列に並ぶ事も否定するつもりは一切ない。私も大好きなラーメンや日本酒の為ならばたとえ火の中水の中である。しかし目的そのものがブレてくるとこれは問題である。

本来行列に並ぶ目的は美味しいパンケーキやラーメンや日本酒を楽しむ事にある。
しかしながら承認欲求を拗らせると行列の先にあるラーメンやパンケーキや日本酒よりも、それをSNSにアップして「いいね」をもらう事が目的になってしまう。

これが何故問題かと言うと、知らぬ間に「いいね」と言う自分では無い誰かの評価を基準に行動が支配されてしまうからだ。

ざっくり言えば、承認欲求に支配された人は、取り組んでいる事柄の良し悪しでは無く、他者から褒められるか否かが行動の目的になってしまう。

ひとつの例を挙げてみよう。
妻が管理職に就いて間もなかった頃、膨大な仕事量に追われ疲弊しきっていた。旅行中や休暇中でも関係なく掛かってくる仕事先からの電話をとる姿を見て、心身共に壊れてしまわないかとても心配した。

比較的、時間の自由が効く私は本当に善意から家事を率先して手伝う様になった。夕食の準備をしたり食器洗いをしたりするだけで妻はとても喜んでくれた。

しかし2.3ヶ月過ぎると、私が家事をする事にあまり謝意を示されなくなった。なにか悶々とした気持ちが蓄積していく最中に見てしまったのだ、私が洗った食器を洗い直す妻の姿を。

「もういいよ!そんなんなら自分で最初からやれば良いじゃないか!!!」と私は怒ってしまった。

冷静に考えるとら、私が上手に出来なかったことのフォローしてくれている事に怒りを覚えるのは明らかに筋違いである。むしろ感謝するのが妥当だ。
私は完全に承認欲求を拗らせていた。
いつの間にか

「妻の助けになりたいから皿洗いをしよう」

から

「妻に良い旦那と思われたい、感謝してもらえるから皿洗いをしよう」

へ完全に目的がスライドしてしまった。
そうすると、本来なら「ありがとう」と言うべきところを真逆な言葉で相手に伝えてしまうという残念な現象が起きてしまうのだ。

この様に書くと、まるで承認欲求は悪いものと捉えらかねないのだが、それ自体は人間だれしも持っているものだし欲して当然なものだ。

承認されずに育った子供は人間不信な大人へ成長しやすくなるとも言われている。

大事なのは承認欲求に支配されない事であり、とろうとする行動の目的は何か点検する意識は持ちたいものである。もし行動の目的が承認欲求の充足に強く傾いてきたら調整する。

他者では無く自分の人生を自分軸で生きて行く為には必要な事だろう。

少し脱線したが、
②私はこれまで何故blogを執筆していたのか?
というクエスチョンに対するアンサーは

日常的生活を送るのが困難になる程の情熱を文章表現によりクールダウンさせ、同時に他者からの「いいね」をもらう事で他者承認欲求を満たす為(健全な範囲で)ブログを執筆していたという事になる。

①②を踏まえ
③何故私はまたblogを性懲りも無く執筆し始めたのか?という目的を明確にしたいと思う。

一つ目
自分の内なる部分を表現したいから。
二つ目
今の自分の考えている事は、今の自分にしか表現出来ないから。

真剣に自問自答した結果、この2つがブログ開設の理由として浮かび上がってきた。

私は本を読む事が大好きだ。

月に8冊位は読む。
歴史書からエッセイ、自己啓発系から宗教、哲学書と特にジャンルを絞らず読みたいものを手当たり次第に読む。

Kindleを読み上げ設定にしオーディオブック化する事で移動時間を有効活用する事も出来る。

そうすると多岐にわたる知識が、自分の内側に蓄積していく。実生活での体験と知識が繋がり「知恵」と言う恩恵を受ける頻度が増えてくる。そんなハッピーな経験を私だけの中に留めておくなんて勿体ない。一日は24時間と有限で、家族、友達、仕事関係と様々な場面場面で表出する人間性はある種無意識に役割を演じていると言う側面を持つ。

折角知り合う事が出来て、ある意味この時代を一緒に生きる同級生である皆さんにもっと色々な私を知って欲しいからだ。

だから内なる自分をこのブログというツールを用いて表現するのが一つ目の目的となる。

私は音楽が大好きだ。
自分でピアノやギターを演奏して時々良いフレーズが浮かぶと楽器で演奏して作曲の真似事などをしたりする。ただ残念ながら中三の頃に作った大作も、高校の文化祭で歌おうとした恥ずかし過ぎるラブソングも全く覚えていない。

きっとどれもこれも今聞いたら名作であるに違いない。その日その時、15歳の僕にしか書けないものがある。

(尾崎よりアンジェラ的なヤツだ)

本当に後悔している。
テープやビデオテープに残しておきたかった。
それを聴きながら飲む酒は旨かろう。
特に自分以外のその場を共にする人間には最高の肴だ。

少し遅い気もするが34歳!
三十路中級者の私にしか書けない何かがあるのではないかと思う。物凄いスピードで変化する時代とよく表現される社会を

「そんなに早いか?」

と挑戦的に受け止められる生意気さ。
平行してある程度ボリュームが増してきた人生アルバムを振り返るノスタルジックな一面も持ち合わせはじめている現在の感覚を、思考を、文章で書き留めておきたいのだ。これが二つ目の理由だ。

64歳になった時、良い肴になるだろう。
特に自分では無いその場を共有する人間には。

①②③という自己分析からの自己認識を前提に、ブログを継続させ目的を達成する為に、
 テーマは設けず、間口は広く
 文章表現は硬くてもフランクでもその日の気分で素直に表現する。

この二点を念頭に置いて、備忘録を残していきたい。

長々とここまで読んでくださりありがとうございます。2021年、今度こそ続けてみせるぞ!!

コメント、いいね👍お待ちしてます!