*元町の外人墓地に上がる道すがらにある和食屋さん。お昼に行った。うな丼、おいしかったあー。
*逗子海岸の南端の渚橋の裏に見える小高い丘の上に、長柄桜山(ながえさくらやま)古墳というのがある。そんな事を知ったので、探検しに行ってきた。
蘆花記念公園の中を登っていく。標識がある。2号古墳に出る。
東へ500mほど、杉林の中を歩くと1号古墳に出る。写真は、1号古墳を、前方部から後円部に向けて撮影したもの。前方後円墳なのだということが、かろうじてわかる。造られたのは、4世紀後半とのことなので、大和朝廷がその権力を地方に広げていった頃の話だ。逗子のこんな所に、権力者がいたということなのだろう。全長90mほどだそうで、奈良の黒塚古墳が130mなので、それよりは小さい。が、けっこうでかい。
帰りに戻って、2号古墳の後円部に登り、前方部に歩いていったらびっくり。

目の前に、江ノ島!
なんて素敵な場所に、お墓を作るんだろう。
蘆花記念公園の中を登っていく。標識がある。2号古墳に出る。
東へ500mほど、杉林の中を歩くと1号古墳に出る。写真は、1号古墳を、前方部から後円部に向けて撮影したもの。前方後円墳なのだということが、かろうじてわかる。造られたのは、4世紀後半とのことなので、大和朝廷がその権力を地方に広げていった頃の話だ。逗子のこんな所に、権力者がいたということなのだろう。全長90mほどだそうで、奈良の黒塚古墳が130mなので、それよりは小さい。が、けっこうでかい。
帰りに戻って、2号古墳の後円部に登り、前方部に歩いていったらびっくり。

目の前に、江ノ島!
なんて素敵な場所に、お墓を作るんだろう。

*あじさいを見に行ってきた。極楽寺で下りて、成就院へ。人が大勢いた。
*海岸で、ぼけーと海を見ながら、鎌倉駅で買ったメンチカツ食べていたら、パサっという音と共に、メンチカツが手元から消えていた。トンビがかっさらって行った。1個100円もしたのに。まだ半分以上残っていたのに。コロッケは死守した。
*上野の「ダ・ビンチ展」に行ってきた。
焼き肉屋に行って肉が一切れという感じだった。
4cm四方ぐらいに書かれた馬や人のデッサン(落書き)がとても上手だった。
写楽と同じなのだが、ダ・ビンチの作品だけを見ると、突然その時代に表れた天才、前の時代とは一線を画す革命児のように思えてしまうけど、周りに同じレベルで似たような絵を描いた人が大勢いるのがわかった。その中での天才であることは、間違いないのだろうが…。
*時間が大幅に余ったので、某大学校内を散歩してきた。新しい建物がやたら増えていた。無縁坂を通って帰った来た。
焼き肉屋に行って肉が一切れという感じだった。
4cm四方ぐらいに書かれた馬や人のデッサン(落書き)がとても上手だった。
写楽と同じなのだが、ダ・ビンチの作品だけを見ると、突然その時代に表れた天才、前の時代とは一線を画す革命児のように思えてしまうけど、周りに同じレベルで似たような絵を描いた人が大勢いるのがわかった。その中での天才であることは、間違いないのだろうが…。
*時間が大幅に余ったので、某大学校内を散歩してきた。新しい建物がやたら増えていた。無縁坂を通って帰った来た。
*上野の東京国立博物館へ、「大神社展」を見に行ってきた。お目当ては、国宝「七支刀」。
そもそも、奈良の天理市の石上神社(いそのかみじんじゃ)に、古代から保存されていたものだ。神社には何度も足を運んでいるのだが、現地では写真が見れるだけだ。一回本物をみたいと思っていた。4世紀に、百済の王が、日本の王に、軍事同盟を結んだ記念に送ったらしい。長さ70cm、幅3cmぐらいかなあ、まっすぐな刀に、6つの葉っぱのようなのがくっついている。表面には、くぎでひっかいたような字がたくさん書いてあって、(そのひっかき傷に、金が埋め込んであるらしい)、読める部分もある。それに、この刀は、「七支刀」である、と書いてある。天理市は物部(もののべ)氏の本拠地だった所なので、当時の王は物部氏なのか?
1600年前の物が目の前にある、すごいなあと思う。
他に、九州沖の沖の島から出土した、「金の指輪」がすてきだった。
展覧会を見終わったあとは、いつものように考古室へ。石器とか、土器とか、埴輪とかあって、とてもおもしろい。出土地をチェックしたら、大田区や品川区、横浜市、横須賀市などというのもあった。横浜にも縄文人が住んでいたんだなあ。
そもそも、奈良の天理市の石上神社(いそのかみじんじゃ)に、古代から保存されていたものだ。神社には何度も足を運んでいるのだが、現地では写真が見れるだけだ。一回本物をみたいと思っていた。4世紀に、百済の王が、日本の王に、軍事同盟を結んだ記念に送ったらしい。長さ70cm、幅3cmぐらいかなあ、まっすぐな刀に、6つの葉っぱのようなのがくっついている。表面には、くぎでひっかいたような字がたくさん書いてあって、(そのひっかき傷に、金が埋め込んであるらしい)、読める部分もある。それに、この刀は、「七支刀」である、と書いてある。天理市は物部(もののべ)氏の本拠地だった所なので、当時の王は物部氏なのか?
1600年前の物が目の前にある、すごいなあと思う。
他に、九州沖の沖の島から出土した、「金の指輪」がすてきだった。
展覧会を見終わったあとは、いつものように考古室へ。石器とか、土器とか、埴輪とかあって、とてもおもしろい。出土地をチェックしたら、大田区や品川区、横浜市、横須賀市などというのもあった。横浜にも縄文人が住んでいたんだなあ。