YuHiのブログ

死について考える

【前振り】
生きることは生涯をかけて学ぶべきことである。
そして、おそらくそれ以上に不思議に思われるであろうが、
生涯をかけて学ぶことは
死ぬことである。

セネカ
【前振り終了】

葉隠れか。

さて
子どもが成人に達したら
自分の死に方について考えを固めておくべきなのかも
しれません。

旦那の祖母は、いよいよ高齢になった時に
死に装束(真っ白な着物)を自分で縫い
タンスの一番下の引き出しの片隅に
そっとたたんでしまい
「よろしくお願いします。」と
家族に伝えていたそうです。

迷惑をかけるかもしれないが
もういつでも死ぬ覚悟はできている
という意思表示です。



どんなに医学が発達しようが

人口中の例外中の例外の症例を扱って
「俺が人類を救っている。」みたいな誇大妄想に陥り
得意になっている大病院の勤務医がいるようですが

圧倒的多数は、やはり70歳過ぎあたりから
急に以前とは同じでなくなり
何らかの病気を抱えるようになり
ああ、いよいよ来たか
と意識するようです。

それまで元気だったのが、
病院に通うようになったり
入院するようになると
心の片隅では、
覚悟を決めるのです。
教養のある大人なら。



その際、せめてまっとうな医者に
診てもらいたいと思うのが
人情です。

では、まっとうな医者とはどんな医者か。

人並みに結婚し
子どものいる医者だそうです。

これは私の主張ではありません。
ある医者の意見です。


いよいよ寿命が来た人の
「心」がわかる医者にかかれ。
どっちみち、寿命なんだから。

ということです。

寿命が来ているのに、
さもこの病気をなおせば
あと何十年も生きられる。
昔のように元気になれる。
この手術をすれば
この薬を飲めば
と奨めて、あなたを実験動物として
扱う医者からは
遠ざかりなさい

と奨めているのです。

そして新薬や新療法を試してみたい
あわよくばその成果で地位と名誉を手に入れたいと
目をギラギラさせている医者はどこにいるのか。

大学病院です。

だから、そんな所からは逃げろ。

と伝えていたのが、近藤誠氏だと思います。



当初
今回のコロナ禍は、高齢者が命にしがみついているせいと
若年層に高齢者を敵視させようとする
マスコミの論調がありました。


本当でしょうか?
本当に、日本の高齢者が
命にしがみついていたのでしょうか?
若者も、乳幼児も踏み台にして
一日でも長生きしたいと思っているのでしょうか。


いずれ最期を迎えることを薄々感じていた
高齢者や、
もう意識の無い寝たきり老人や認知症の高齢者から
安らかな最期を迎える人権を奪い取って

我欲のために利用した
鬼畜な医療者によって
引き起こされたのだとしか

思えません。

コロナを理由に
家族に最期まで会わせないなんて。

閉じた病院の扉の向こう側で
新型コロナ患者にされた高齢者たちは
どんな扱いを受けていたのか。




  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「COVID-19の詐欺」カテゴリーもっと見る