KY日記

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しんしんと

2009年12月28日 03時31分40秒 | Weblog・すなわち日常
東京は雨です。

なんだか真冬なのにヌルい日々で、これも温暖化の影響なのかとなんとなく思ったりします。

こないだ「アバター」を観ました。
もちろん3D。

「3Dが映画の歴史を変える!」と監督であるジェームス・キャメロン氏は相当な入れ込みよう。SFXのうまい使いどころを熟知している人だけに、「アバター(化身)」に乗り移って異世界に乗り込んでいくというこの作品のテーマそのものが、3D技術によって映画世界に入り込んでいく、という観客の映画体験そのものとリンクしていて、この「アバター」をもって3D映画の鏑矢としたいんだなぁという戦略をひしひしと感じました。

しかしながら見終わって「果たして映画に3Dは必要か?」と思ったのも事実。とりあえず、何はともあれ「メガネ式」に依存しない純粋3Dで視聴できるようなブレイクスルーが必要なんじゃないかと思ったり。
僕が見た映画館では「XpanD」という方式のメガネを手渡されるのだけれど、かけた瞬間画面が明らかに暗くなるのがまず気になった。そして単純なメガネではなく内部におそらく偏光シャッター的なものが仕込まれていると思われ、3時間ずっとかけっぱなしはやや辛い重さ。耳が痛くなること必至。

3D映像の圧倒的な没入感、臨場感は素晴らしいのだけれども、やはり慣れないうちは動きの激しいシーンなんかで目がついていけず、混乱。そのうち3Dにも目が慣れてきて、後半の戦闘シーンなんかではかなり動きの激しいシーンでも普通の映画を見るように鑑賞できる。しかしそうなってくるとそもそも普通の2Dでいいんじゃないか?という本末転倒な感想を抱くハメに。

それから非常に気になったのが、画面上でフォーカスアウトしている物体の描かれ方について。
奥行きを表現するためにメインの被写体にピントを合わせ、近景、背景のピントをボカすなんていうのは、撮影技術の根幹をなすものだと思うのだけれど、それが3Dになると「ケムリのようなボヤけた物体が手前に(奥に)浮遊している」ような見え方になって違和感がある。
3Dで見せるのであれば、パンフォーカス的にすべての情景にピントを合わせて、そのどこを見るかを観客にある程度委ねるような見せ方をしないといけないのではなかろうか。

とはいえ、映画の大々的な3D化なんてまだ始まったばかりだし(カールじいさんも気になるけど…)これからそういった表現方法については研究が進むのでしょう。

ストーリーと映像はもうド迫力で文句なしなので、ぜひ一度は見るべきと思います。

もう年の瀬なわけですが、これでも今年度中にもう少し働きそうです。

2012

2009年12月21日 01時49分23秒 | Weblog・すなわち日常
ローランド・エメリッヒの「2012」を見ました。

氏の「インデペンデンス・デイ」は大好きな映画です。DVDで冒頭の都市破壊シーンとラストの空中戦だけ20回くらい繰り返し見た気がします。

地球規模の大災害を生真面目に、それでいてばかばかしく、老若男女どんな人でも分かりやすく、そしてケレン味もたっぷりに描くという点では、一番の監督ではないかと思います。

ストーリーは、地球の崩壊が始まり、世界中の都市を大地震と津波が襲う中、主人公の一家が大災害をかいくぐりながら中国の奥地に極秘に建造されていた方舟を目指す、というもの。

以下ネタバレ。

2時間半もの間、車で災害から逃げる、飛行機で災害から逃げる、また車で逃げる、また飛行機で逃げる、をひたすら繰り返すのみ。驚くほどシンプル。
びっくりするような映像体験を「見たい!見続けたい!」という人はいいかもしれないけれど、これはちょっとひどい。
一応主人公の一家は崩壊してて、別居中の妻と息子たちとの絆を取り戻す、というサイドストーリーもあるにはあるのだけれど、全くかみ合わない。

災害シーンはそれぞれ章立てがはっきり分かれてて、それぞれに「成功条件」がある。「家族を救出して空港にたどり着けばクリア」とか「火口で男に会い、地図を受け取って生還すればクリア」などなど非常に展開のさせ方がゲームっぽい。

期待して見に行った割には、結構残念な感の漂う映画だったのでした。

今年はあとゼメキスの「クリスマス・キャロル」とジェームス・キャメロンの「アバター」は絶対見とかないかんなぁ(どんだけ大衆娯楽映画が好きなんかと)。

イングロリアス・バスターズ!!

2009年12月14日 02時03分09秒 | Weblog・すなわち日常
友人と二人でレイトショーで見てきました。

クエンティン・タランティーノ監督
「イングロリアス・バスターズ」

面白かった!

ナチスに家族を惨殺され、パリで映画館を経営しながら復習を胸に抱き続けるユダヤ人女性のショシャナは、偶然出会ったドイツ兵のフレデリックに一目ぼれされて付きまとわれる羽目に。実はフレデリックはイタリアで300人以上を手に掛けた凄腕狙撃兵であり、国家の英雄として彼主演の再現映画を作ることになっていたのだった。完成した映画は宣伝相ゲッペルスの肝入りでナチスの要人を集めたプレミア上映会を開催することになり、フレデリックはその会場としてショシャナの経営する映画館を指定してきた。ショシャナは最初気が進まないが、彼女の中にある考えが浮かんできて。。。
一方、アルド・レイン中尉率いる特殊部隊、通称「イングロリアス・バスターズ」は、フランス市民に偽装してドイツ領内でドイツ兵の惨殺を繰り返し、ドイツ兵から「バスターズ」として恐れられていた。彼らもまたプレミア上映会の情報を入手。ヒトラーも招かれることを知った彼らは映画館に潜入し、破壊工作を行う「プレミア作戦」を実行に移そうとしていた。。。

てなストーリー。タランティーノの映画なだけに、大筋はシンプルながらも編集の魔力で全く先の読めない展開に引き込まれてしまう。敵味方入り混じっての騙し合い、会話の駆け引きの面白さは異常。特にショシャナとハンス大尉(ショシャナの家族を惨殺した張本人、本人は彼女がそのときのショシャナだと気づいていない)が二人でシュトゥリューデルを食べながら(実に旨そうに食べるのだけれども、それがまた憎憎しい!)雑談を延々とするシーン、イギリスのスパイとパリ郊外の居酒屋でフランスの女優(彼女もスパイ)を介してバスターズの一行が落ち合おうとするのだけれども、そこでなぜかドイツ兵が宴会やってて、絡んでくるのをなんとか回避しようとするシーン。この辺の緊張感は異常。

しかし、タランティーノの映画って、実はキルビルはまだ未見で、「レザボア・ドッグス」と「パルプフィクション」しか見たことはないんだけれど、なぜか常になんともいえないB級感と世界の狭さを感じます。監督がB級(を、含む)映画マニアなだけに、その見せ方と言うのが染み付いているのかもしれないけれど、セットにしてもカメラマンにしても一流のスタッフ、金のかかったセットを使ってるのは画面からも伝わってくるわけでして、それでいて仕上がりの印象はどことなくB級、でも決してつまらないと言う意味ではなく、むしろとてつもなく面白いと言う、なんとも不思議な空気感だと思ったのでした。

是非おススメしたい映画ではありますが、ナイフで頭皮をえぐるシーンとか容赦なく出てくるので、そういうのがだめな人にはおススメしかねると思います。

言葉が見つからない

2009年12月07日 02時13分07秒 | Weblog・すなわち日常
本当に参った。

この歳になってここまでいろんな壁にぶつかるとは。。。

最近何をやってもうまく行かずに失敗ばかりしております。
右に行けば左と言われ、左に行けば西と言われる日々。

この迷宮のような状態に解決策はあるんだろうか?

はぁ~もういろいろ疲れました。
なんだかなぁ。


いやしかし、このままではいかんですよ。
なんとかせねば。