KY日記

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花見

2006年03月30日 18時47分39秒 | Weblog・すなわち日常
まだ行っていないのです。

今5分咲き位だそうですね。でもここ数日気温が下がって満開になるには時間がかかるとか。
また23日後には天気が崩れるらしいので心配です。

ここ数年、ミラクルな満開の桜はなかなか見たことがありません。
微妙に散ってたり、咲ききる前に葉が出始めたりしてね。

遠出したいけれども、お酒も飲みたいのでたまには電車に乗ってみたいですね。

桜花

2006年03月29日 02時02分26秒 | Weblog・すなわち日常
卒業式に出席してきた。

式の最中は何の感慨もなく、ただ、早く終わらないかと思って椅子に座っていた。
学生表彰とか今までは特にされたいと思ったことはなかったけれど、いろんな人が表彰されているのを見るとああやっぱりこうやって公の場で誉められるというのは羨ましいなぁと思った。

そのあといろんな後輩や友人と写真を撮ったり、プレゼントをもらったりした。

すごくうれしかった。

中には間が悪くてちゃんと話せなかったりした人たちもいて残念だったのだけれど、それでもかなりたくさんの人とお話しすることが出来ました。

いろんな人がいる。そうやって様々な人と出会えるということは僥倖以外の何物でもないと思います。
人は人と触れることによって自分ひとりでは為せない変化を自分の中に起こすことが出来るのではないだろうか。そうやってたくさんの人と出会い、話し、自分の中で何にも変えがたい成長をもたらすことが出来たのならば、それは素晴らしいことなのですね。

僕は幸いにもこの4年間、とてもたくさんの人と出会い、そしていろいろな成長をしてきました。そうやって僕に成長をもたらしてくれた数多くの人々には感謝の念でいっぱいですが、僕もまた、誰かと出会うことによってその人に何らかの影響を与えることが出来たのだとしたら、それはとても誇らしいことです。

まだしばらくはこの大学にいます。東京に行くこともあるでしょう。
離れてもいくらでも出会うことが出来るのだと思えば、卒業という別れもまたすがすがしい気持ちになれる気がします。

とりあえず、僕と関わったすべての人に感謝の気持ちをささげたいと思います。

ソフトが足りてない

2006年03月26日 22時48分39秒 | Weblog・すなわち日常
一人卒業旅行みたいな感じで東京に行った。

基本的に旅は一人でするのが好きだ。とはいっても行った先でいろいろな人に会ったので一人旅かというとそうでもない気もするのだけれど。

一日目はまず先輩に頼まれた郵便を届けに港区の芝郵便局に行った。東京タワーを横目に速達を出す。
そのあと横浜のbankartというところで行われていた「てつそん2006」に行った。
芸工からもたくさんの出品があって、なかなか見ていて飽きない展示だった。

そのあと池袋でゆうさんに会い、居酒屋で飲んだ。実にいろいろな話をする。
ゆうさんの家に泊めてもらう。狭いと言っていたけど本当に話しに違わず狭かった。しかし密度のものすごく高い部屋だった。

次の日は昼過ぎに恵比寿の阿夫利というラーメン屋で「ゆずしおラーメン」を食べた。塩ラーメンにゆずの風味、それに水菜が乗っていて実に旨い。また行きたいラーメン屋。

そのあと東京都写真美術館に行く。「私の中の私」という展示。
展示照明のセンスの良さに感心する。みうらじゅんの展示はBOWみたいだった。

それから国立近代美術館のフィルムセンターに行った。
ここは日本の映画のフィルムを草創期から現在に至るまで収集している場所で、収蔵されている映画を好きなときに見るというわけには行かないのだけれど、常設展として日本の映画の成立の歴史が良く分かる展示がされている。
そのなかに大藤信郎の千代紙映画というのがある。大正時代に作られた日本のアニメーションなのだけれども、めちゃくちゃ凄い。これが大正時代に作られたのかと思うと正直鳥肌が立った。

と、日本のアニメの草創期の作品を垣間見て、お台場でやっていた東京国際アニメフェアに行った。

前に紹介した「ペイル・コクーン」も出品されていたので、吉浦さんと短い間話した。アニメは正直良く分からないので展示はそんなにまじめには見なかったけれど、電通とか東北新社もブースを出していてその辺を見る。

夜は高校時代の友人と会い池袋にて飲む。なぜか今回池袋が多い。
池袋にはloftとハンズがあるのだけれど、今回はいけなかったのでまた次回東京に行ったときに覗こうと思う。

そのまま葛西にある友人宅へ。アニメフェアで購入した「惑星大怪獣ネガドン」を観た。質の高いCGで確かに凄いのだが、何か使い方を間違えているような…気がする(これはプラス評価なのです)

次の日は昼過ぎに目が覚めたので、葛西にあるちばきやにて支那蕎麦を食す。
いかにも東京のラーメンといった感じのシンプルな醤油ラーメン。
それから葛西駅に隣接した「地下鉄博物館」に行った。東京メトロが経営してるので営団地下鉄についての展示はあるが都営地下鉄については分からない。博物館なんだからその辺こだわらずにやればいいと思うが。。。
入場は切符と自動改札で行う。この辺が凝っていて遊び心に満ちている。
白眉は本物の地下鉄シミュレーターと東京の地下鉄を立体的に再現した模型。シミュレーターは本物の運転士の方がそばについて細かい解説を聞きながら運転することが出来て楽しい。

そのまま羽田へ、7時半に福岡に帰った。

東京という街は行くたびに新しい発見があり、本当にいるだけで楽しい。そして福岡の小ささを感じる。それは地方都市という劣等感と、もっといろいろなことをやる余地が残されているというモチベーションの両面を兼ね備えている。

とりあえず今の自分にはあまりにもソフトが足りていないということを実感として感じることが出来た。
このモチベーションを絶やさないようにがんばろう。

ふらりと

2006年03月23日 06時35分58秒 | Weblog・すなわち日常
東京に行こう、と思った。

行きたいところをピックアップしてみたらどうも2日間じゃ足りないような感じだ。
まだまだ観なくてはいけないものが山ほどあるよなぁと思う。

4月からいろいろしたいことが頭をよぎっているのだけれど、
ふとおとといくらいに急にそれらを実行に移すのが怖くなった。

今まで夢想で済んでいたものに現実味が加えられていくと
今まで避けてきた影の部分も否応なく目に入るようになってくる。

それらが急に目の前に現れたものだから、怖気づいてしまうのだ。

さて、まだ今の時点ではそれらの予定はまだギリギリ夢想に過ぎないわけで、僕がヘタレでないことを今はただ祈るのみなのだけれども。

悪い夢

2006年03月20日 13時27分48秒 | Weblog・すなわち日常
夢を見た。

僕はなんかの劇団に役者として加わっていて、西鉄ホールクラスのでかい劇場に満員に近い観客を入れてまさに公演を行っていた。

ハナシはもう覚えていない。

中盤になって、突然、後半のストーリーがまるで出来てない(!)事に全員が気づいた。誰かが舞台上で僕に耳打ちする「俺ってここ、この台詞でいいん?」

僕はしどろもどろになりながら演技を続ける。

舞台裏では脚本家と演出家が会議をやりだした。「じゃあ後半は全部アドリブってコトで」っておい!

演出家が舞台上に突然顔を出した。
「イヤースイマセン、まだ後半の脚本…あがってないんですよ!だから後半はアドリブでお楽しみください」
照れ隠ししてる場合か!

後半どんなハナシになったのか覚えていない。むしろ僕はその公演が終わったすぐあとに別の大事な予定がもうすでに入っていて、それに間に合うかの方が重大事だった。

そんなこんなで公演が終わった。件の脚本家がふらりと僕のところにやってきた。
「今度またやりたくてさー、もう脚本あがってるんだよ」
と、見せてくれたのはつまらないギャグを5~6個箇条書きにしただけのメモみたいなやつだった。

新平家物語

2006年03月20日 00時30分16秒 | 映画・演劇
今日は夕方家に帰ったら「マッハ!」が半分終わってるところだった。
途中から観たんだけどアクションがめちゃすげえ。人間って高く飛べるんですね。

それとタイの映画と言うのはやはり仏教国の国民性が濃~く出ていると言うか、こういう熱狂させるタイプの映画にきっちり仏教的価値観を埋め込んでおくと言うのは国民をまとめる上で非常に大事なことなのではないかと思う。

そのあと夜に日本映画専門チャンネルで「新平家物語」を観た。

監督は溝口健二、カメラは宮川一夫。黒澤明に並ぶ日本映画における巨匠の一人で海外での評価も高い監督。宮川一夫は「羅生門」「用心棒」で黒澤明と仕事をしたこともある日本映画界の名キャメラマン。

桓武平氏の棟梁として武士の時代の礎を築いた平清盛の若かりし頃を描く。

初めて溝口作品を観たのだけれど、最初からセット美術の圧倒的な作り込みに魅入られた。宮崎駿ファンの人なら冒頭3分くらいで「あっ、もののけ姫だ」と思うシーンに出くわすはず。
美術のこだわり方に関しては凄いと思った。そしてセットの規模も半端ではない。数百人の群集がそれぞれに動き回る平安時代の市の様子、平家と対立し山を下る比叡山延暦寺の僧兵、とんでもない数の人間。
昔はこんな規模の映画を日本も作っていたのですね。

話は淡々と進むのでそういう映画が苦手な人には辛いかもしれない。貴族や上皇はまったりと喋るしストーリーもゆっくりしたもの。清盛にまつわるエピソードをフラットに描くので中盤までは正直退屈した。

些細なきっかけで武士と僧達の対立、そして貴族の武士に対する見下した態度が浮き彫りになって行き、やがて清盛が武士の時代を築くべく立ち上がるところで物語りは終わる。派手な合戦シーンはない。

しかし平安と言う時代を徹底的に再現した美術と、光と影を効果的に配置するカメラワーク(室内や森のシーンがいい)は一見の価値ありだと思う。

子供が見る分には辛いのかもしれないけれども、こういった昔の映画は日本ならではの価値観や文化、風土と言ったものが余すところなく描かれているものが多く、結構参考になる。
こういう映画こそもっと多くの人に見てもらうべきだと思うのだが…。

南極女王

2006年03月20日 00時03分00秒 | 映画・演劇
で、時間は前後するんだけれど「SmaSTATION-5」の前に見てたのは日テレの「女王の教室スペシャル」とフジの「南極物語」

もう女王の教室はほんとすげえと思った。話自体には結構隙があるのだけれど、「愛ゆえに鬼になる」阿久津マヤという「描きたいキャラクター」のビジョンが明確で、更にそれを実現するために必要な天海祐希の演技力、彼女の口から出る台詞、それを引き立てる子役の演技が高いレベルで求めるビジョンを実現していたと思う。
骨太のヒューマニズムには正直弱いので、最初生徒を思う普通の先生だった阿久津マヤが生徒の壁になっていく心の動きを丹念に追いかけていく様に涙してしまった。
女王の教室を見ていて相変わらず思うのは子役の演技がいいこと。泣くべきところで本当にぼろぼろ泣いてるし。台詞が喋れなくなっても承知でカメラ回してるから凄い。

女王の教室見終わってチャンネル変えたらタローとジローが健さんに向かって走ってくるところだった。
骨太のヒューマニズムには弱いので目に涙を浮かべて叫ぶ健さんの顔のアップで、締めたはずの涙腺がまた緩んでしまった。
「南極物語」は犬がきっちり演技してるから凄い。映画の半分以上は犬ドラマなんだけど生ぬるいことをせずにきっちり厳しく見せてるから本当に泣けてしまう。

やっぱりドラマにしろ映画にしろ天海祐希とか高倉健といった主役級の大人の役者がきっちり演技できるなんてのは最低条件もいいところで、そこから子役であるとか犬であるとかといった部分にいかに力を注げるかで作品の価値って決まるんじゃないだろうか。



黒澤明特集、完結編

2006年03月19日 23時39分07秒 | 映画・演劇
昔の日記にも書いてたんだけど、
我が家に黒澤明の「影武者」撮影時のプライベートフィルムというのがある。

先日そのことをmixiに書いたら、テレ朝のディレクターという方から連絡があり、「SmaSTATION-5」でぜひともその映像を使いたいので提供してくれないか、と言われた。

悪い話ではない。

これはもともと親父のもので、即答できないと言って回答は保留しておいた。昨日になって連絡したら、なんとその日が放送日。当然間に合わない。残念と言う気持ちも若干あったが、黒澤明級の有名人のフィルムとなると公開した後面倒なことにならない保証はないだろう。
今後しばらくフィルムを公開するのは見送ろうかとも若干思った。

見たい人は言ってくれたら個人的に見せます。ただ熱狂的な黒澤ファン以外にはつまらないフィルムであろうことは保証するので、熱狂的な黒澤ファン以外の人は出来ればご遠慮ください。

とりあえずそういうものが「ある」と言うことは世に問うてしまった以上後戻りは出来ないだろうな。

さてその「SmaSTATION-5」だけれど、太田光のマニアぶり、というかクイズ出題側の松尾貴史のマニアぶりが際立っていた気がする。「そこそこの」黒澤ファンから言わせてもらうと昨日のクイズは結構あいまいな出題の仕方をしていたからあれで太田が迷うのも無理はない、と思った。

世界中の映画人をして熱狂させる黒澤明の魅力と言うのは凄いと思う。そしてその凄さは観なきゃ分からん。

みんな観ろー。

脇山研歓送迎会

2006年03月18日 06時04分21秒 | Weblog・すなわち日常
日記を書く日と書かない日で
訪問者の数が倍以上違うのが面白い。

書くことで読んでもらえるというのはなかなか気が引き締まります。
「ブログとは一体何か」とか最近取りざたされる記事を目にするのですが、人の目に付くところに情報を置いておくということに多くの人はもっと神経質になるべきではないでしょうか。
とりあえず僕はこうやって読者を意識して書くと読んでもらえるのがうれしいし、もっと面白く書こうかという気持ちになります。


今日は脇山研究室の歓送迎会がありました。
一次会は天神のもつ鍋屋、二次会は研究室に帰って酒を飲み、最終的にはカラオケで〆。

とても楽しかった。もうこの先輩達とこうやって飲むことはないのかもしれないと思うと感慨深いものがあります。
僕は、今の研究室に来てから結構先輩達とは良好な関係を築けてきたと思っています。特にM2の人たちからは1年かけて結構いじられたりもしたけれど、深い話も聞けたりして、本当に楽しかったのです。

いい先輩に恵まれた、と思っています。これは僕にとって去年一年間で最高の僥倖だと思います。

恐らくこれからもちょくちょく交流を持つことになるでしょう。そうした時にまたいろいろと面白い話ができるように、僕も僕で成長して行きたい。

先輩の皆さん、それと大学院には行かず就職する道を選んだ藤田桂子ちゃんがそれぞれの未来を自分のものに出来ることを祈っています。


幸福論

2006年03月14日 03時04分06秒 | Weblog・すなわち日常
最近幸福論について考えるようになってしまった。

つまり「僕が幸せになるにはどうしたらいいのか?」ということ。

就職するということが幸福に直結していないのではないかというぼんやりとした不安に駆られる。
大学院という場所で2年ほど余分に学ぶことになった分、じっくり深く考えてしまうようになってしまった。

ポッドキャスト説法なんて最近聞いてます。こりゃビョーキですね。

「趣味か仕事か?」という問題がある。
僕のいる大学はなかなか趣味性の高い大学で、趣味と進路が見事に一致している人はやはり多い。逆に一般職につく人は「何で?」って目で見られるわな。

しかし趣味は趣味で仕事と分離すべきだという意見もある。趣味を仕事にしてしまうと苦痛になるだけだ、というのも判る気がする。
カメラや映像の織り成す表現や技術が好きでこの大学に来たけれど、この先一生僕はこんなことをやり続けるのか?と何気なく思った。

”例えば、ぽつんとカフェを開いてそのヒグラシをする様な生き方”にやけに心惹かれるものを感じるようになってしまった。

でもカフェをやったって信者からないだろうしお金ってやっぱり大事なものだしなぁ。
僕がカフェを開いたりしたらどんくらいお客さんが入るんだろうか?


さて、そんな話を滔々と友達に話してみたところ「そりゃ5月病とかと一緒や」と一蹴されたわけで。

昔の日記を読み返せばその辺の問題には自分で答えを出している。
「状況が問題ではなく、その時を楽しめる自分のバイタリティー次第でどんな状況でも幸せを汲み取ることは出来る」

しかし、今の僕には幸福が分からない。