今朝は朝4時に起きて、トリノの女子フィギュア SP を観戦。
フィギュアスケートに限らず、そしてオリンピックに限らず、トップレベルのスポーツ選手を見るたびに私が思うのは、
この人たちはいったいどのくらいの練習や努力をしてここまで来たのだろう
それを想像するだけで気が遠くなる
ということ。
私は若い頃はともかく、成人してからはかなりヘタレな人間になってしまい、基本的に努力、という言葉に無縁な人間なので、コツコツと努力を続けている人 (トップアスリートやトップアーティストでなくてもいい) を見ると、なんとなく 「オマエはダメ人間」 と言われているような気がして (まぁ実際そうなんだけど)、チクッと来てしまうことがある。
今朝の解説は佐藤有香だった。彼女の解説はキライじゃない、というか好きな部類に入るのだけど、彼女はよく 「いかにコツコツ練習を積み上げることが大事か」 というコメントをはさむので、ちょっと辛いときがある (でも好きって私はマゾか)。
で、私が努力について日々考えていたことを、gogo126 さんが今日のエントリでおっしゃっていたので、引用。
わずか数分の演技では表現しきれない、結局は本番で発揮されないことのほうが多い無駄な努力をどれだけ積み重ねることが出来るか、そういう努力の大切さを感じましたです。
ここでは「無駄な努力」という言い回しが使われているけれど、私が思っているのは、
「その努力をしているときには、それが結果として現れるかどうか分からないような練習や訓練」を、気が遠くなるような量と時間と強度で継続するのがいかに大変か
っていうことだ。私が努力できない人間になってしまったのはまさにこの大変さに挫けたからである。
この、「報われることがなさそうな努力をするのはかなり大変だ」という話は、私はわりといろんな人にするのだけど、その中で他の人と違う反応をしてきた人がいた。彼女 (この人は私が個人的に知る人のなかでは一番の努力家である) は、
だから、努力と結果/目標、っていうのは結びつけるべきじゃないのよ。結果が出なければ、それに費やした時間や努力は無駄、という考え方をするから、そういう発想になる。そうじゃなくて、結果はどうであれ、その過程が楽しいから、努力そのものに価値があるから、という視点でやらないと。
思ったような結果が出る人のほうが少ないんだから。その「結果」や「目標」が、なんらかの競争に勝つため、だったらなおさら。それは最悪の目標。
と言ったのだ。
これはかなり痛いところを衝かれた、と思った。
私が途中で何かに対する努力をやめるのは、「いくらやっても、時間をかけても○○には絶対に勝てそうにないから」と思ったときなのだ。
逆にいうと、私は、努力が継続できる人というのは、ある程度の「勝ち」を結果として得てきて、「やればできる」というフィードバックが多かった人なのではないかとずっと思ってきたのだ。
でも、「やればできる」の「やる」部分が少なくては「できない」。この「やる」部分をどのあたりで諦めるか、っていう問題なのだ、努力ができるかできないかって。
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私は子どものときから、多分生まれつき、非常に負けず嫌いで競争心が強かった。
こういう性格の人は、努力して、ある程度結果が「勝ち」として出ているうちはかなり頑張る。努力する。
ただ、なんらかの理由でそれまでどおり「勝てなくなった」ときに、どういう行動に出るか、で、そこから先の人間に差が出る。
オリンピック選手とか、プロ野球選手でもそうだけど、栄光の軌跡、みたいな記事を読むと、やっぱり凡人とはこういうところが違うんだなぁと改めて思うことが多い。
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今朝、木塚投手の週刊ベースボールの記事を紹介したが、その記事に、高校時代、オーバースローのままでピッチャーを続けることに限界を感じていたときに、「サイドスローにしてみたら」という監督のアドバイスを受け入れ、ものすごい努力をしてサイド転向した (そのアドバイスが的確だったというのがまず幸運だったのだとは思うけど)、という話があった。
この話も、「他のピッチャーに負けないで」 生き残るためにサイドスローを選択した、という話だ。
例えば、ここで (ここから先は単純に話のネタとしてこれを使います。木塚投手とは関係ないです)、どうしてもサイドスローは嫌だ、オーバースローのままで通したい、と思ったとする。
そして案の定それでは勝ち続けることが出来なくなったときに、それでもオーバースローで野球を続けるとすれば、それは「勝てなくても、好きだから」続ける、努力する、という方向だろうし、野球をやめてしまうとすれば、「結果が出ないのなら他の (勝てる) ことをやろうか」という方向であるといえる。
この、「オーバースローではどうやら勝ち続けることはできなかもしれない」と薄々悟ったときの選択 (今までと同じオーバーを継続するか、成功するかどうか分からないけどサイドを試してみるか) で、ある意味人生が決まる。
そして、その選択をしたあと、どういうスタンスで努力を続けるか、でも多分人生が変わる。
なんだか何を言ってるか例によって分からなくなってきたけど、要するに、「努力をするのは大事だ」っていうのは、その通りだけど、努力を継続すること自体が、とくに方向性を見失いそうになったときにはものすごく大変なことだ、っていうことが言いたいんだ、多分。
そして、そういう「選択」の場面に直面したことがないはずはない、トップアスリートたちが、それでも方向性を選択し、その選択の正しさ?を信じて、努力を続けてきて結果を出しているその現場を見て、私たちは感動するんだ、っていうことが言いたいのだ。
最近PCが遠くて…
久々にきたと思ったら、テンプレが変わってるし、なんだかバージョンアップした感じですね♪
>「努力をするのは大事だ」っていうのは、その通りだけど、努力を継続すること自体が、とくに方向性を見失いそうになったときにはものすごく大変なことだ
うん、そうかも。
先が見えなくなったり、迷ったりするとすごい怖いもん。
結構、賭けに近いものがある気がする…
『努力』って口にするのは簡単だけど、それを『継続』するのって本当大変だと思うし。
ちゃんと『これだけは努力してる!!』って言えるもの、
和空にはあるかな…(泣)
うちのブログでコメントのお返事として、ちょっと補足説明させてもらいました。
でも、何回かこちらの記事を読み返してみて、もしかして結局は同じことを言っているのかも、と思ったりして(^^;
うちのブログでの私のお返事、意味不明でしたら遠慮なく「何言ってるの?」と聞いて下さい(笑)
おひさしぶりです~。ご来訪嬉しいです。
何事も、選択するのは「賭け」だと思うのですが、ことさら「努力」って時間をすごく消費するので、凡人はなかなか信じて突き進むことが難しいですよね。。。
人間、なにかひとつくらいは、あるいは一生のうちいちどくらいは、「ものすごく頑張った」っていうものがあるのではと思うのだけど、その「頑張り」を長期間継続するのって大変ですよね。やっぱりそれをしてしまう人は結果が出ていようとそうでなかろうと私はすごいなと思います。
コメントどうもありがとうございます。
私はどうも意見を分かりやすく言うのが下手みたいでいつもスミマセン (^^;)...
gogo126さんのところでコメントさせていただきましたが、おそらく、この私の記事が、gogo126さんの意図の汲み違えだった、ということはないのではないかと思います (=言っていることは大体同じ)。そうだといいのですが。。。
今日はいよいよフリーですね。もう寝ないと (笑)。
そうですね、たぶん方向性は同じだと思います。
違う方向からいじくり回しているだけで(笑)
ただ、もう少し主張したいことがあったのでうちのブログでお返事させてもらいました。
まあそこの内容も結局物の見方の角度の違いに過ぎないかもしれませんが、結構マジで書き込んだんでヨロシクです!
にしてもちょっと真剣に書き込みすぎました。
あまりweb上で自分をさらけ出す気は無かったのに(汗)
しかも努力について語るとは、恥ずかしい(笑)
真剣に語るのは恥ずかしいことではありません (笑)! 一生懸命頑張るのは恥ずかしいことではない、と吉川投手も言っているではないですか! (さちこカフェ参照 笑) ちょっと違いますかね (^^;)...