私達夫婦と息子夫婦は菊池の美術館に立ち寄った。
「おしどり夫婦の里きくち ワイフ物語
愛子と節子の物語展」を観覧した。
徳富蘆花の妻愛子は菊池市隈府(ワイフ)に生まれ、多彩な才能を発揮した。
銀婚式記念に世界一周の旅に出かけるなど「おしどり夫婦」であった。
菊池一族を祖先にもつド・ローラ・セツコは、フランス具象絵画の巨匠パステュス・クロソウスキー氏と結婚。夫亡き後、自らも絵画創作活動をしている。
菊池市では、街の中心を隈府(わいふ)ということから、Wifeとの語呂合わせ、さらに菊池温泉は「美肌の湯」として女性に人気があるので「おしどり夫婦の里」「妻(女性)を大切にするまち」のイメージづくりに取り組んでいるようです。
帯広の「幸福の駅」が有名であるようには、通用しませんね。まだチエ不足の感でしょうか。
折角の隈府・ワイフなんですか「新婚の湯」とか「赤ん坊ができる湯」とかなんとかありそうなもんでいね。
(熊日 肥後異風者伝 18.7.18)
97歳の和香さんは、阿蘇神社の阿蘇家の生まれ。大連南山麓小学校の先生であった。そこで出合ったのが牛島辰熊であった。
昭和8年正月、知人の牛島儀一さんが弟辰熊を伴って座敷に上がった。
「貴女を貰いに来ました、辰熊の嫁さんになってください」単刀直入の挨拶である。
横から黙って私を見つめているその人、辰熊の眼とふれ合った瞬間、私の胸は電撃に打たれたように高鳴った。「この人こそ、私の描いていた理想の男性像、この人に従いて行こう」
武道家の妻となってずいぶん苦労があつたと思われるが、「いや楽しゅうございました」と言う。
大連の南山麓小学校は、私の脳裏に存在しています。
菊池市は私のふるさとです。
わいふはその中心街の名前です。
温泉地で、結構H路線で有名です。
高校も菊池でした。温泉はどこに入られましたか?
徳富夫妻の話も結構しっています。大江の徳富蘇峰の生家にもいってみました。横井小楠にもゆかりのあるえらい思想家ですね。興味はありますが、熊本県人にはあまりうけない?
相性が良くないようです。
「美肌の湯・化粧の湯」とガンバッテもですね。
ふわさんは菊池の産でしたか。ワイフの人ですね。
学校も。外から見ても立派そうですね。
桜は見事ですね。
徳富夫妻のことは話題が多いでしょうね。
ここに関係ないですけど、名古屋の菊池頑鏡店に行ったことがあります。
菊池は名前でなくて、菊池出身だからなんですね。
眼鏡の技術者を養成していました。
上通りの大宝堂眼鏡店にもそこを出た人がいます。
そこの娘さん○○緑さんは有名人です。
ご存知でしょう。
祖父には弟が2人いたようですが、祖父よりも早くなくなった為、おじの話は聞いたことが無かったので、ここに出てくる弟さんの名前は知らないのです。
たまたま、祖父の名前を入力して検索したところ、こちらに辿り着いたので投稿してみました。
祖父は私が産まれた頃には既に血族がいなかったようなのでルーツがわからないのですが。
ここにある儀一さんが祖父だとすれば少し嬉しく感じます。