エヌのブログ - 永田町激動記 & 東日本大震災記録

2011.8.30新首相誕生に伴い、≪エヌのブログ - 東日本大震災記録≫を、( ↑上記↑ )に改題

菅直人の学生時代 ・・・ 自分だけは助かる「4列目の男」 (佐々淳行氏の言)

2011-06-12 03:50:37 | 菅_偽パフォーマンス
4列目の男

菅直人の学生時代、デモに参加した際は、前列から4列目。なぜなら、3列目までは機動隊と激突し、検挙もされる。しかし、4列目なら逃げ切ることができる。彼は、自分だけは助かる事を、常に念頭においていた。

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菅新総理は学生時代“4列目の男”と呼ばれていた
2010-07-07 21:00:04

以下は「週刊新潮 2010年7月8日号(2010/07/01発売)」からの部分的な引用。

市民派の仮面をつけた独裁者「菅直人」総理が目指す「小沢一郎」前幹事長以上の強権

…(前略)…

初代内閣安全保障室長の佐々淳行氏が指摘する。

「菅さんは東工大の学生時代、ノンセクト・ラジカルのグループに所属し、学園紛争を煽っていた。私は当時、警視庁警備課長として機動隊を連れ、3回ほど東工大に行ったので、菅さんを知っていました。彼は我々の間で“4列目の男”と呼ばれていた。アジ演説が巧く、聴衆を集めるが、検挙を覚悟の上でゲバ棒で逆らってくるようなデモ隊の3列目には決して加わらなかった。巧妙なリーダーでしたよ」

ズル賢い、いやクレバーなのはこの当時からだったようだが、さらにこう続ける。

「所信表明演説で、東工大の永井陽之助教授を恩師であるかのように言っていましたが、これにも首を傾げる。永井教授は当時、日米安保は重要であると主張し、菅さんの意見とは対立していたはずです。また、菅さんは衆院本会議で“国旗に敬意を表し、国歌斉唱もしている”と答弁していた。でも、菅さんは過去、国旗国歌法に反対だった。詭弁としか言いようがありませんが、その“変成”が単なるご都合主義のカメレオンなのか、本当に保守に変ったのか、見極める必要がありますね」

…(中略)…

そんな菅総理を京都大学大学院の中西輝政(政治学)は、マキャベリスト(権謀術数主義者)であると看破する。

「菅さんが、市民運動家から政治家へ転身したのは、権力志向があったからにほかなりません。そして政治家になった当初から“ただの反対派ではダメだ”と公言し、政権奪取をしなければなんらの力を持ち得ないというのが持論だった。つまり、そもそもマキャベリストだったんです。加えて、菅さんが説明責任を果たさないのは政権を預かっているという責任感の欠如ですが、そこには損か得かの判断基準しかない。本人の目論見は、小沢前幹事長以上の強権を目指し、自分にプラスになるためならば、あらゆる手段を弄する政治家なんです」

…(後略)…

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佐々淳行氏「菅氏は学生運動時代攻撃に弱く逃げ足速かった」
2010.10.06 17:00
週刊ポスト2010年10月15日号


作家・佐々淳行氏は1930年生まれ。54年東大法学部卒業後、現在の警察庁に入庁。あさま山荘事件、よど号事件などを指揮。防衛施設庁長官、内閣安全保障室長を歴任し、89年昭和天皇大喪の礼を最後に退官した。以下は、佐々氏が語る菅直人首相の「思い出」である。

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実は、菅氏と私は以前から浅からぬ因縁がある。第二次安保闘争華やかなりし1970年代、東京工業大学の加藤六美学長から警察に機動隊の出動要請があった。

大学に赴いた私に加藤学長は、「すごいアジテーターがいて、彼にかかれば500人くらいすぐに集まる」と教えてくれた。東工大の輝ける学生運動指導者であった、若き菅氏のことである。

当時の菅氏は攻撃させると滅法強いが、敵からの攻撃には弱く逃げ足が速いと評判だった。そんな彼を我々はひそかに「ゼロ戦」とか「四列目の男」(機動隊の手が届かない)と呼んでいた(笑い)。







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