音楽の力は偉大です。
そのことは「のだめカンタービレ」や「ピアノの森」、「BECK」を読んでいるだけでも伝わってきます。
いずれもマンガですが。(早速横道にそれた)
遠い昔、場末のピアノ弾き(決してピアニストではない)を目指していた時代があり、ピアノは特に表現力が豊かな楽器で、本当に強力であることを感じました。景色をイメージして弾くと、それが聴いている人にも本当に伝わったりするのです。
また、僕が青春時代を過ごした90年代は、月9などのドラマとのタイアップでヒットする主題歌がたくさんあり、「101回目のプロポーズ」や「東京ラブストーリー」などは、飛鳥さん、小田さんそれぞれが作られたあの前奏が流れるだけで気持ちが高まってしまいます。もちん、武田さん+ 浅野さん、織田さん+ 鈴木さんの熱演もあったればこそですが、相当音楽にたすけられている面も否めません。
なので、僕はしばらくは、演出作品には音楽を使うことを基本的には嫌っていました。
力があるゆえに、です。
もちろん一番シーンの内容を伝えるのには簡単ですし、役者も乗って演じられます。
でも、だからこそです。
特に、シーンの感情や内容を表すために音楽を当てる(ドラマで最もよく使われる手法)ことは避けてきました。
JASRAC(音楽著作権を管理している団体で、音楽の使用があったかなかったかに関わりなく、公演をしたというだけで連絡をしてきます)から問合せがあったときに、
「そんな(上記のような)陳腐な演出法を俺が使うか!!」と怒ったときがありました。
確かに彼らからすれば、舞台芸術などよりはテレビドラマの方を良く見ており、ドラマを描くには音楽は不可欠で、京都の取るに足りない一演出家が既成曲を使うのは当たり前だと思ったのでしょうが、私からすれば、そうした安直な方法にいきたいのを必死でこらえ、代わりに雨の音やガラスが割れる音や、群集の哄笑などを駆使して演出に挑んでいたのですから、それはそれはかちんときます。
私からすれば、使う、わ・け・がないやろーう!!!と、成層圏よりも高いプライドを持ってやっておりましたから。
しかし、後に劇場勤めをするなかで、自分の演出作品ではない公演で、否応なくJASRACの許可を取らざるを得なくなった時に、担当者の方が「松浦さんって・・・、お話ししたことありますよねえ。」と声をかけられたのは、同じ京都支部ですから、思えば当たり前のことですが、びっくりでした。
激発的な怒りは困ります。誇りが堆く埃のように積もっていると困るものです。
そういうことがあったからと言うのもありますが、やっぱり音楽は封印してそれからも作品を創っておりました。
でも、次からはもっと積極的に使おうかな、と思います。
1.わかりやすさ、場の共有は必要
2.役者がやっぱり乗るのです。
3.お客さんに想像力が働きやすくなる。
という理由からです。
特に3.は、今高校生たちと創っていることが事例として分りやすいと思います。
一つのチームに関しては、浜崎あゆみさんの楽曲を流しながらシーンを演じてもらおうとしています。
ペアでやってもらっているうちの一人がとても好きらしく、私の妹も前から好きだったので、1曲チョイスして流してみました。
このやってもらっている子たちは演劇部でもなく、セリフも読みながらなのですが、不思議に音楽とあっていくから面白いものです。
よく観察するうち、2つのことに気がつきました。
一つ目は生徒がやはりシンパシーを感じるのかセリフの入る微妙なタイミングやしゃべりのトーンがあうのです。
二つ目は、選んだ僕の音楽がやっぱりはまっているのです。そしてこれは、僕が偉いのではなく、人間の耳が、思考が、あっているように思わせているのだと思います。
以前、Akikoという作品について書きました。ラジコン操作で動くおもちゃの車が意思を持っているように見えていくと言う話ですが、あれと同じように、生徒のセリフを音楽に合わせて聞いていくのでしょう。
もちろん思い切りあわない曲なら不可能でしょうが、歌詞や全体的な雰囲気さえ間違わなければ、これは合うように聞こえるのではないかと思っています。
音楽で一本シーンが出来上がってもいいんじゃないでしょうか。
観客の想像力がより膨らむならば、観客の心をより揺り動かしてくれるならいいんじゃないでしょうか。
この場を借りてJASRAC京都支部の方に謝っておきます。
やはり既成曲の力はすばらしいので、陳腐だとか安易だとか言わずに、進んで使わせていただきます。
そして、可能なら本当に使っているかいないか、確認しに(チケット買って)来てください。
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