前回の「ハーフ」からキャラクター創作に取り入れている方法があって、それは人の多面性を前提にしています。
よく人はいろんな役割を演じている、と言われます。父親、息子、兄、上司、部下、友などなど。
僕自身は、演劇とは究極に単純化すると「人と人が出会うものだ」と思っていて、
出会って人が変化する、その変化が上述のそれぞれになるのかな、と考えています。
しかし、それを創造していくとなると、どうするのか。
W.サローヤンを二度目にやった時に取り入れた手法で、絵画のポーズを借りてくる、というのがありました。
マグリットの絵を基にして、二人に見える絵の構図を完成させるのです。
ある時点(絵)からある時点(絵)への移り変わりの部分は俳優たちに創作してもらい、
マグリットの絵の構図に気づいたらなっているのです。
この作品は、今映像で見返しても、(ラスト以外は)非常に面白く感じます。
まあ、自分が見たいものを創っているからそうなんですけれど。
ハーフで試みたのは、小説版が元からあったので、そのキャラクターが似ている身近な人物を想定してもらい、その人のモノマネから始めました。
さらに「動物に例えると?」というのを聞いて、動物の真似も組み入れていきました。特に動作、仕草などをこのセリフのときはしてください、という感じです。
今回もそのように作ってみるつもりです。
「ウオレスとグルミット」の監督が、クレイアニメのアニメーターは役者だ、と言っていて、ちょっとした表情などを眉毛をかえたりして創っていきます。
でも僕たちはそれを見て、驚いているとか泣いているとか思ったり、恋人だった人が殺人者になったりするさまを見たりするわけで。
実際にはフィジカルな動きからキャラクターは造形されていくのだなあ、と思います。
とはいえ、俳優たちに眉毛を3センチあげてなどといったり、してもらったりするだけで感動が生まれるとも思っていません。
結局、そうしたもともと違う人や動物などを、一人の人格に統合したり、絵と絵の合間を創っていくのはやはり俳優その人なのだ、と思います。
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