‘変’ってなんだろう、と思っています。
たしかに私は幼い頃から母に「フツーにして」と言われ続けていました。
逆に言うと、‘変’だったみたいです。
たしかによく変わっている、と言われます。
なんのお仕事していますか?って聞かれて「演劇を作って売ってます」とさもフツーに言うと「変わっている」と言われます。
まあ、やっぱり「変」とはよく言われますが、僕自身は「そこまで?」という感じです。
芸術家の‘変’さは尋常ではありません。多分、エッシャーには世界があのように見えていたのかなって思います。フェルメールはやっぱり、あの時代にあそこまで計算して書くって、やっぱり変です。
僕の大好きなマグリットは、ふつーに見えて、やっぱり変です。
画家ばかり言いましたが、作家や劇作家や作曲家も同じです。
ショパンには雨の日に「雨だれ」が聞こえていたのでしょう。
「世界がわたしにはこのように見えて(聞こえて)いる」ということの表明が作品なのかと思っていましたが、少し違うかもしれません。
常識では計り知れない感性で世界を感じているからこそ、そこの出発点から物を作るので、結果、創造的な作品が生まれるのだろう、と。
少し変、なだけだと思うので、思い切り作品は作りたいです。
常識をぶっ飛ばすようなものを。
こと芸術創造に関しては、「フツーにして」はいられません。
Tomo Matsuura
最近の「演出の目」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事